ルナティック幻想入り   作:アルパカ度数38%

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08-太陽の畑1

 

 

 ——輝夜先生は、言った。

過去も未来もいくらでもある物に過ぎず、一瞬しか無い今とは比べ物にならない、と。

確かに、理屈で言えばそうなるのかもしれない。

流れてゆくその他である過去や未来と、確実に存在している今と言う瞬間、その価値は確かに今の方が高いのが道理である。

例えば過去の安さを証明する安易な論理に、記憶置換の話がある。

脳みそに、記憶を貼り付ける機械があったとしよう。

それによって人間Aの持つ記憶Aを、記憶を一切持たない人間Bに貼り付ける。

すると、記憶Aを一切体験していないにも関わらず、記憶Aを過去と認識した人間Bが生まれる。

その人間Bが、今現在の自分ではないと言う証明は、当然原理的に悪魔の証明に他ならない。

故に、今俺が感じている過去が本物であるのかどうかは証明不可能である。

証明不可能であると言う装飾が本体を安く見せる事は、言うまでもない事実だろう。

対し今と言うこの瞬間があるのは、今について思考する己が存在する時点で原理的に確定している。

なので、過去は相対的に、今より安い、と言えるだろう。

未来に関しては言うまでもなく、確実に来る事こそ分かっているものの、常に確立の上で不確定であり、あらゆる価値が分散しており、安価である。

故に最も価値があり、大切にすべきなのは、今であるのだ。

 

 であるが。

で、あるのだが。

それでも尚、俺は過去を今と同等以上に見る、愚か者であった。

過去。

絶望の淵から慧音さんに拾いあげてもらった恩。

その慧音さんに恩を返せるようになるため、決別した意思。

されど苦難に侘びていった俺を救ってくれた、白玉楼での出会い。

優しさに満ち溢れた永遠亭の人々。

そしてなにより、霊力と言う価値を俺にくれている、今が大切と言う当の輝夜先生。

俺は、それら全てが愛おしくてたまらない。

そしてそれを生かすために未来に夢見る事を、止められない。

そんな愚かな俺であるから、折角真実をと教授してくれていた輝夜先生に反論してしまい。

 

 そして、輝夜先生は泣いてしまった。

分からなかった。

いや、状況を見るに明らかに俺の所為であると言うのは分かるのだが、俺が愚かであると言う事が、何故そんなにも輝夜先生を悲しませるのか、俺には分からなかった。

いくら考えても分からなかった。

だから当然、泣き喚く輝夜先生の慟哭に、俺は何をすることも出来ず。

ただ、手慰みに掌をやるも、それすら叩き落され。

それでも何も思い浮かばず、俺は、せめて輝夜先生の側に居てやりたかったが、それすらも拒まれて。

出て行け、と何度も言われて。

輝夜先生が常の状態では無いのにも関わらず、俺は、それを真に受けて、永遠亭を出てきてしまっていた。

 

 俺は、もしかしたら永遠亭に留まるべきだったのではなかろうか。

何せ輝夜先生は明らかに興奮しており、それが収まるのを待てば、輝夜先生は愚かな俺が輝夜先生に何ができるか教えてくれたかもしれない。

それでなくとも、少し冷静になって考えてみれば、あそこには永琳さんや鈴仙さんにてゐさんと頼れる人が居て、彼女らに相談をすれば良かったのかもしれない。

だが、俺はそれをせず、衝動的に永遠亭を出た。

愚行である。

だが、仕方がなかったのだ、と言えば、仕方がなかったのだ。

輝夜先生の泣き声を聞いて、俺は何もできなくて、それがどうしようもなく悲しくて、そんな己への憤りでいっぱいいっぱいで、俺は他に何も考える余裕が無かったのだ。

何と言うか。

明らかに、不自然に興奮している感じで。

外に飛び出て、夜中を飛行しているうちに、少し頭が冷めてきたのだけれども。

 

 ——いや、と思考を打ち切る。

一度俺が永遠亭を出る、と選択した事は今更変えようがなく、もう引き返すことの出来ない場所に居るのだ。

今更俺が何を言おうとも、言い訳に過ぎない。

ならばせめて、次に輝夜先生と出会った時、多分慧音さんを伝って里に定期的に来る鈴仙さんの話を聞いた上で会いに行った時だと思うのだが、その時に彼女に対し真摯であろうとだけ考えて。

そしてようやく、俺は約二週間ぶりに家に辿り着く次第となったのであった。

 

 ふぅ、とため息混じりに、眼下遠くに見える自宅らしき影や、収穫前の畑を見る。

空を飛ぶ、と言うのが輝夜先生に教わって以来であるので、当然、初めて見る光景であった。

何と言うかこう、普段狭いなりに大きさを感じている家があんなに小さく見えると言うのは、不思議な気分であった。

ちなみに今は何時かと言うと、最早昼時である。

輝夜先生が泣き疲れて寝て、その彼女を部屋に寝かしつけてから永遠亭を出たので、殆ど夜明けに出発する事となり、当然日中はまだ上手く月の魔力を扱えないので、速度が全然出ない故の結果であった。

普段なら日中でももう少し速度は出せるのだが、徹夜明けでもあった事だし。

それに、なるべく他の妖怪に見つからないよう、高度を取っていた事も一因か。

まぁ、何が言いたいかと言うと、朝飯抜きだったので、いい加減家に帰って昼飯を食いたい、と言う事なのだが。

 

 徐々に、高度を落としてゆく。

と言っても、未だに縦に高度を落とすのは慣れない物なので、徐々に高度を落としつつ空を飛んでゆく形になる。

すると当然、徐々に俺の自宅が大きく、はっきりと見えてゆくようになって。

一緒に、何だか肌色の細々と動く物達が見えてきて。

なんだか騒音が聞こえてきて。

ゆっくりと、俺の自宅の全景が見えるようになってきて。

 

「………………え?」

 

 がくん、と、そのまま落下して死にそうになるのを、辛うじて止める。

代わりに少し縦成分を多くして、まず地に足をつける事だけを考えるようにする。

そして足が地面について歩き出すのだが、兎に角膝ががくがくと震え、歩くのがやっとのことだった。

まるで、頭が宙に釣られているかのように軽く、フラフラとする。

やっとたどり着いた光景は。

 

 俺の家が、壊れていた。

壁の一枚も残さず、床も踏みしめる場所も残さず、家具も一つ残らず。

ふらりと視線を倉庫の方にやれば、グシャリと潰れており、中の野菜は一つも残っていなかった。

何が起こっているんだ。

意味がわからなかった。

意味がわからなすぎて、何も考えられない。

ただフラフラと、夢遊病患者の様に体を揺らしながら、俺の家の跡へと近づくと、がしゃん、と音がした。

視線をやると、そこには何処か見覚えのある男がいて、その手には何故だか斧があった。

その斧の刃先を辿ると、何故かただでさえ壊れている俺の家へと向けられており、その先には深い刃傷が刻まれていた。

どうやら、刺さっていた斧を引き抜いた所らしい男が、周囲を見て、それからため息混じりに、呟く。

その声にも、何処か聞き覚えがあって。

 

「もう全員戻ってしまって、俺が最後か。あんま夢中になるもんでもないな……って、お?」

 

 ふと、目が合う。

気づいた。

俺を、このほったて小屋に放り込んだ、当人であった。

その瞬間、俺は爆発しそうな感情の奔流に巻き込まれた。

何故か泣き出しそうな、今にも叫びたいような、兎に角何かに急き立てられて。

でも、喉から出る声は、今にも枯れんばかりの小さな声だった。

 

「なんなん、です、か……?」

 

 ニヤ、と男は笑った。

その表情の奥にどんな感情があるのかは、いとも簡単に見て取れる。

悪意。

常から俺が里人に向けられている物であった。

 

「なにを、やっているんですか……?」

 

 男はニヤニヤと笑ったまま答えず、俺へと近づいてくる。

斧をぽい、と捨て、それが転がる音が静かに響いた。

 

「なんで、俺の家が壊れて……ぶふぇ!?」

 

 視界が、回転する。

ぐらりと雲が線を形作ったと思えば、俺は後ろに向かって倒れていた。

頬が熱を持ち、奥にある歯がじくじくと痛む。

あの日と同じく、殴られたのだ。

それが分かると同時、反射的に、また殴られては敵わない、と、小さく悲鳴を漏らし、両腕で顔をかばう。

すると、腹に、重い物が突き刺さった。

 

「いやー、なんていうか、残り物には福がある、って言ったもんだわな」

「げ、ほ、う、うええっ!」

 

 思わず、両手で腹を抑え、口元からは涎を零しながら、転げまわる。

胃が飛び出んばかりの、痛みだった。

腹を、蹴られたのだ。

そう理解すると同時、咄嗟に霊力で治癒しようとするが、家までの飛行で霊力は尽きており、何もおきない。

それでも時間が経つに連れて痛みは引いてゆくもので、じっと腹を押さえていれば痛みを堪え切れるようになった頃。

がん、と頭に鈍い音。

 

「お前は、慧音先生の温情を利用する悪人だが、それでもまだ里には手を出していないから、こうやってほったて小屋とはいえ、里に家を与えてもらえた訳だが、な」

「ぎ、ぐ、うううう」

 

 頭の芯に響くほどの、痛み。

ぽろぽろと落ちてくる土が口に入って、気持ち悪い。

視線を僅かに上に向けると、男の足裏が見え、俺の頭が踏まれているのが分かった。

ぐりぐりと、体重をかけて俺の頭が踏みしめられる。

 

「ぐ、がぁ……」

「それで身分相応に、惨めに暮らしていりゃあいいのに。

今度は妖精でも誑かしたのか? 野菜は意味がわからん程出来が良いし。

諦めりゃあいいのに、まだ慧音先生の事を誑かし、家に呼びつけた上、野菜を売る時には脅しにまで使いやがる。

それだけでもう、この寄生虫に温情を与えたのは間違いだったんじゃあないか、って話になっていたんだがな。

その上、だ」

 

 痛い。

痛い痛い痛い痛い痛い。

叫ぼうにも叫べず、ただ呻き声をだけ漏らしていた所、頭にかかる体重がふっと軽くなった。

ほっと安心したのも、つかの間。

ぐわん、と男が足を後ろに振りかぶって。

思わず、目を瞑る。

腕を組もうと思うが、間に合わない。

 

「米屋だったかな? お前を盗人呼ばわりしたら、半人半霊の嬢ちゃんがいきなりお前を斬りだしたんだってな。

危うく殺人の一端を担がされる所だった上、お前を誤って盗人呼ばわりしたなんて、言い訳しなくちゃならなかったんだとさ。

これで決定、家を取り壊せって話になったんだ。

いやー、人数が多いとは言え、朝から昼までかかっちまったよ。

あ、野菜は全部今までの“家賃”として、貰っていったからな」

「——っ!」

 

 ずが、と、瞼の裏に火花が散った。

ごろ、勢いでと転がって、一回転した辺りで止まる。

いわゆる、サッカーボールキックだった。

どろりとしたものが鼻から垂れてくる。

地面に倒れたままだと言うのに、まるで地面がぐらぐら揺れているかのように安定感がなく、まるで地平線へ落ちていってしまいそうな感覚があり、地面をぐっと掴んだ。

喉の奥に何か引っかかったような感じがあり、気持ちが悪い。

すると、また、足を振りかぶる気配がする。

今度は、咄嗟に頭を守る。

 

「ま、そういう訳だから。遠慮無く、妖怪たちの餌になっていってくれよな」

「げぶっ!?」

 

 軽く、宙に浮くかと思うような感覚。

内蔵が潰されるかと思うような、痛みだった。

俺の腹に、もう一度男の足が突き刺さったのだ。

そう知覚すると同時、喉の奥から登ってくる物がある。

どうにか留めようにも間に合わず、せり上がってくるそれは口元にまで達して。

せめて咄嗟に、下を向いて腰を浮かせて。

 

「う、うおげぇええええぇえっ!」

 

 俺は、吐いた。

胃がひっくり返ってついてくるんじゃあないかと言うような感覚。

吐く。

吐く。

吐く。

永遠とも思える時間で吐き出された俺の中身は、残っていた永遠亭での最後の夕食のペーストで。

最後、力尽きて腰が落ちた時、それが俺の頬に、髪に、べしゃりと貼りつく。

それでもそれを拭うどころか、吐瀉物がない方へ体の向きを変える力すら残っておらず、俺はそのまま力尽きて、指一本も動かせないまま、固まっていた。

目の前に移る光景は、吐瀉物と壊れ果てた家だけで、ずっと変わらない。

どうやら男は里へ戻っていったようで、視界には映らないまま。

俺の方はと言うと、痛みや吐瀉物の臭さで意識を失うこともできず。

かと言って動き出すどころか、何か考える事すらもままならず。

ただ、じっとそこに横たわっていた。

何をするでもなく、倒れたままでいた。

 

 

 

   ***

 

 

 

 夜になった。

別に誰が来るでもなく、野生動物すら視界を横切らず、ただ太陽の光だけが視界の中で変化していた。

じっと横になっていて、僅かばかりに活力が回復してきたのか、最初に思った事は、輝夜先生に貰った服が汚れてしまって、申し訳ないと言う事だった。

確かに泥と鼻血と吐瀉物に塗れたそれは汚いが、全く呑気と言うか、現実逃避気味と言うか、そんな感じの思考であった。

それは兎も角として。

矢張り思うのは、自虐の念であった。

 

 俺は、兎に角永遠亭を出て戻ってから、霊力を用いて里の力になるつもりであった。

何せ輝夜先生も軽い妖怪退治程度であれば今でも何とか行えると言う事であるので、即時に力になれる筈である。

これさえあれば里との関係も改善できて、暴利を貪られる事などなくなり、何時かは得た利益で慧音さんに恩を返したり、幽々子さんや妖夢さんを誘って軽い酒宴を開いたりできて。

輝夜先生とも何時かは仲直りできて、永遠亭には通って霊力の扱いを学ぶ事になって。

俺は、そうやって、これから何もかも上手く行けるのだと、思っていた。

俺は、ついに俺にも価値と言う物ができたのだと、思っていた。

 

 勘違いだった。

確かに、俺には僅かばかりの霊力があるかもしれない。

しかし現実として、俺の家は壊され、そしてそれに対して俺は何も出来ずにこうやってボコボコにされ、しかも折角輝夜先生から貰った服を汚していた。

俺には、価値など欠片も無いのだ。

そう、認めざるを得なかった。

 

 そんな風に絶望と共に空虚な思いをしていても、体は外気に晒されている。

秋の夜中にじっくりと落ちてきている体温に、僅かな震えが体を走った。

さて、何は兎も角、夜露を凌ぐ家が壊されてしまった訳だが。

俺に、夜露を凌ぐ場所を与えてくれる人は、果たして居るのだろうか?

慧音さんは、そもそも先の男から話が伝わり、俺を里に入れないようにされているに違いなく、しかもこうなった発端が慧音さんに頼ったからだと言うのだ、何とも頼りづらい相手でもあった。

白玉楼は、そもそも俺は冥界に行ったことが無く、頼りに行く方法と言う物が存在しない。

永遠亭は、出ていった矢先で近づきにくいと言うのもあるが、そも、今の俺は朝昼飯抜きな上に昨晩の夕食を吐かされて、更に霊力は尽きたままである。

当然地上から行くとなると迷いの竹林を突破せねばならず、その前に飢えるか妖怪に襲われるかして死ぬのはまず間違いない。

 

 そも、俺は生きるべきなのだろうか、と、ふとそんな事さえ思う。

事実、俺は里にとって悪であり、排除すべき物であるのに、それに頼らねば俺は生きて行けず、生きる難易度と言う物が天井知らずに高い。

しかも、俺は輝夜先生に霊力の扱いと言う珠玉の方法を授かってさえ、この有様なのである。

この先受けた恩を返す事ができるどころか、受ける恩が降り積もるばかりで、結局返せないままに死ぬ未来しか思い浮かばない。

つまり、生きれば生きるほど、俺は不義理となり、不幸となるのである。

であらば、今直ぐ死ぬのが、俺とその他あらゆる人の為になるのではないだろうか。

そう思うと、ほんの僅かに湧いてきていた活力が抜けてゆき、倒れたまま動く気力が萎えてゆくのを、俺は感じた。

 

 俺は、死ぬのか。

そう思っても、不思議と恐怖は無かった。

実感が無かったのかもしれない。

空腹と痛みと頭痛こそはあったものの、それはまるで現実感がなく、何処か遠い所で行われている事のようにしか思えないのだ。

このまま、俺は飢え死ぬか、妖怪に喰われるかして、死ぬのだろう。

多くの外来人が幻想入りしてすぐになるのと同じように。

それだったら、俺は幻想入りしてすぐに、矢張り飢えるか妖怪に喰われるかして、死ぬべきだったのだ。

生きて、人から恩を引きずりだして、迷惑をかけるべきではなかったのだ。

 

 と、そう思っているうちに、ふと思いつく。

少なくとも、俺の家に満月のたびに来る慧音さんは、何時か此処に様子を見に来るかもしれない。

もしかしたら幽々子さんや妖夢さんがお茶の誘いにやってくるかもしれないし、輝夜先生が仲直りをしたいと言ってくれに来たり、鈴仙さんが心配して見に来たりするかもしれない。

そうなったとき、俺の死体があれば、そして恐らく飢えるにしろ直接喰われるにしろ、妖怪によって酷い状態となっている俺の死体を見たら。

それを思うと、せめて俺は何処とも知れぬ場所で、妖怪に喰われて死ぬべきなのだ。

そう思い、俺は身体中から逃げていった活力を、どうにかしてもう一度集める。

 

「——っ」

 

 全力を以てして、まず、やっと手を動かす事に成功した。

固まっていた筋肉を、ふらふらと動かしてほぐし、次に掌を地面に突き立てる。

ぐっと力を入れて上半身を起こし、それから、膝を割り込ませて、腰に力を入れ、座った姿勢となる。

それから片膝を抜き出し、足裏を地面に置き、膝に顎を乗せてから、試しに手を地面から離した。

ぐらり、と一瞬体が揺れるが、どうにか手の抑えなく座る事に成功する。

それから載せていた顎をあげ、両手を膝に乗せ、全身の力を込めて上半身を上に上げる。

それにつれてもう片足も上げ、足裏をきちんと地面に載せ、きちんと膝に力を入れ、バランスを取る。

ようやくのこと、立ち上がることができた。

と言うか、立ち上がるだけで、この次第である。

 

 頬と髪に張り付いた、固まった吐瀉物が気持ち悪いし、喉も乾いた。

とりあえず近くの小川へと歩いてゆき、かがんで顔を洗う。

ひどい顔になっているのだろうと思うが、月明かりがあっても暗くてよく見えない。

とりあえず水をかぶり、それに染みる痛みを感じつつ、鼻血やら吐瀉物やらを剥ぎ落とす。

それから水を乾いた口内に、とりあえず空腹が紛れるまで飲み込んだ。

 

「野菜は——、持っていったんだって、言ってたっけな」

 

 それでもとりあえず覗いてみるが、倉庫の方には何も残っていない。

畑の方を見れば何か残っているかと思うが、育ちきっていない野菜すらも抜かれ、持って行かれてしまっていた。

わざわざ石を混ぜたり塩を撒いたりまではしなかったようだが、今腹の減っている俺には、何の慰めにもならなかった。

食べられる野草は、慧音さんに教わっていくつか知っているのだが、霊力で明かりをつけてみるものの、どうやら家の近くの物はごっそり持って行かれたらしく、近くには見つからない。

なら、このまま適当に、歩けるだけ歩くか。

そう思い、俺は妖怪に喰われるためという、無気力な旅路に出るのであった。

 

 

 

   ***

 

 

 

 風見幽香は、普段は強大な力を持った妖怪や、特殊な人間しか相手にしない。

が、一日に少なくとも一度、時たま相手が何であろうがいじめたくなる衝動に襲われる事がある。

相手が人間であろうと妖怪であろうと幽霊であろうと妖精であろうと、何となく攻撃したくなるのだ。

しかも、それがとてつもなく楽しいのである。

弾幕を打ってそれが相手に当たる感触には、頬を歪めざるを得ない。

相手が痛みに呻く声は、天上の音楽のようにさえ聞こえる。

血と脂の匂いには思わず舌なめずりしてしまうし、糞尿を漏らす匂いにはついつい頬が裂けんばかりに笑ってしまう。

以前それを一日に何度も解放した、異様に花の咲いた、六十年周期の大結界異変の時の時は、最高だった。

 

 そんなだから、幽香は暴力的な衝動を感じた時、満面の笑みで散歩に繰り出す事になる。

今回は、夜の散歩と相成ったので、太陽の畑を離れた辺りで着地し、歩いて獲物を品定めする次第とした。

平坦な地面の森へと入ると、幽香の大好物たる血の匂いが、僅かに香ってくる。

うん、今日も良い散歩になりそう。

そう頷き、幽香は匂いの方へと歩み始める。

満月を少し過ぎたばかりの月は、良い感じの狂気度を以てして降り、森の木々の葉っぱがそれを乱反射して、ちょうどいい塩梅に辺りに降り注ぐ。

足元の土は少し湿り気があり、辺りの木々は怪しげに育っている。

正に散歩日和、というか、散歩月和の様相であった。

 

 暫く、辺りの景色を愉しみながら歩いた所で、幽香は目的の物を見つけた。

霊力を用いた明かりに照らされ、木にもたれかかって居る人間が一人、それを襲おうとじりじり間合いを詰めている下級な妖怪が二人。

人間は黒髪で、妖怪は金髪と銀髪の二匹か。

何とも都合の良いことに、妖怪二匹は人間を一方的に攻撃しており、弱った人間はそれに抗う事もできず、攻撃を受けている。

その攻撃弾幕は遠目に見て分かるほどに殺傷性を持っており、つまりは、スペルカードルール違反の存在である。

予想外に上等な獲物に、幽香は舌なめずりした。

一応幻想郷には妖怪間の争いには基本的にスペルカードルールを用いた弾幕ごっこを用いる事になっているし、日頃の幽香もそれでストレスを発散しているが、こうやってそれを無視している存在が居る時は別である。

妖怪は、基本的に人里から離れた人間は襲ってもいい事になっているが、この時の妖怪はスペルカードルールに違反している、と言う状態にある。

当然、その妖怪を襲う時は、スペルカードルール無しで殺し合っても良いと言う事になる。

だからといって妖怪を殺したい程いじめたい存在など、幻想郷にも一握り程しか居ないのであまり警戒はされないのだが、その一握りが幽香と言う存在であった。

さて、と言う事で、人里離れた人間も、妖怪二人も、どちらも今日の幽香の獲物であるのだった。

まず幽香は、妖怪の方を仕留める事にした。

自分が強者であると言う確信を持っている妖怪の、その確信を打ち砕いてやるのは、幽香の日常的ないじめ方の一つである。

精神的な物による主柱の大きい妖怪が心を折られて漏らす悲鳴は何時も耳に心地良いが、今回は弾幕決闘以上に何でもして良いと言うお膳立て付きである、肉体的な攻撃を主をしよう。

さて、今回はどんな悲鳴が聞けるだろう、と思いながら、幽香は歩みを僅かに早めた。

ふと、妖怪二人が幽香に気づく。

 

「あら、こんばんわ」

「「——っ!?」」

 

 声の無い悲鳴が二つ。

後ろからの挨拶に同時に振り返る妖怪二人であったが、振り返ったその先には、腕を組んだ幽香が既に立っていたのだ。

遅れて幽香が圧倒的速度で移動した余波による暴風が、巻き起こる。

地面に落ちた枯葉がぶわ、と巻き上がるのを尻目に、思わず目をふさぎ、両腕で顔を防御する二人。

そんな無謀で卑小な、何の意味もない行為をしてみせる二人に、幽香は思わず頬を釣り上げる。

 

「そして、少しいじめられていってくれないかしら」

 

 言って、幽香はちょっと素早い程度の動きで金髪の方の妖怪の腕を掴み、もぎ取った。

 

「ああぁあああぁあぁあっ!?」

 

 絶叫。

そんな事している暇があれば逃げればいいのに、金髪の妖怪は蹲って無くなった腕の根本を抑える。

それに一瞬驚いた様子であった銀髪の方は、すぐにキッと鋭い視線で幽香を睨みつけ、叫ぼうとした。

 

「よくも、やってくれ……」

「はい、プレゼントっ」

 

 弾んだ声と共に、幽香は握った金髪の妖怪の腕で、銀髪の妖怪の顔を殴りつけた。

あまりの威力に銀髪の妖怪の顔がひしゃげ、ぐちゅりと音を立てて脳みそごとシェイクされ、金髪の妖怪の腕が突き刺さる。

顔から腕が生えた妖怪の、出来上がりである。

ぐちゃぐちゃに生えた歯の白さが月明かりを反射するのも、弾けて飛んでいってしまった為に虚ろとなった眼窩も、中々刺激的で良い光景だ。

 

「コヒュー、コヒュー……」

 

 僅かに残った口の残滓のような物から、呼吸音が漏れる。

平衡感覚を失ったようで、そのまま銀髪の妖怪は倒れてしまった。

何を探しているのか、両手はふらふらとさまよい、顎で地面を這いずり回っている。

 

「アハハッ、最高ッ! いいオブジェね、そう思わない?」

 

 高笑いをあげながら、幽香はそろそろと逃げようとしていた金髪の妖怪に向けて言った。

びくん、と肩を跳ね上げ、悲鳴と共に飛び立とうとする金髪の妖怪だが、それよりも一瞬早く、ずぷり、と異音。

何が起こったのか分からない、と言う表情で金髪の妖怪が見ると、腹から日傘が突き出していた。

 

「くす。ねぇ、前から一度やってみたかったのよねぇ、このまま日傘を開いたらどうなるのかなぁ、って」

 

 言いつつ、幽香は日傘を金髪の妖怪ごと地面に突き立てた。

ぞぶぷ、と肉を裂く快感に満ちた音に、幽香は笑みを深くしながら日傘の機構に手を添える。

そして万力を以てして、受け骨と中軸との接合部を、下ろした。

 

「ぎゃあああぁあああぁっ!?」

「ウフフっ! もっと、いい声で、鳴きなさいッ!」

 

 丁度、傘が開くにつれて金髪の妖怪の腹に空いた穴が大きくなり、最後には上半身と下半身が別れるであろう行為であった。

金髪の妖怪は残る片手でどうにか自身が開かないよう抑えるが、幽香はそれより僅かにだけ力を強くして、少しづつ金髪の妖怪の腹を押し広げてゆく。

 

「い、嫌だ、許してください、が、がああああぁああっ!!」

「ほらほら、このままだと貴方、千切れちゃうわよぅ?」

 

 満面の笑みで日傘を開いてゆく幽香であったが、金髪の妖怪の必死さが功を奏したのか、次第に金髪の妖怪の腹の穴が広がる速度が落ちてゆく。

そしてついに、日傘の開く速度が停止した。

 

「や、やった……」

「なーんちゃって、ねっ!」

 

 バサッ!

一気に開かれた日傘によって、金髪の妖怪は凄まじい勢いで上半身と下半身に弾け飛んだ。

上半身はそのままの勢いで目の前の木に突っ込んでゆき、木とぐちゃぐちゃに混ざった物体となる。

次いで下半身はと言うと、丁度蠢いていた銀髪の妖怪の腹の辺りにぶつかり、そのまま銀髪の妖怪とミンチを作りながら吹っ飛んでいった。

 

「アハハッ! 我ながら、今日も傑作だったわ!」

 

 何度か傘を開いたり閉じたりと、付いた肉片を飛ばしながら、幽香は残る人間の方へと歩いて行った。

妖怪どもは肉体的に死んでいるように見えても、彼らは精神の生き物である、未だ死んではいないのだが、十分にいじめられたので満足である。

一方、木にもたれかかったままの黒髪黒目の人間は、死んだ目をして虚ろに口を空け、死人のような顔をしている。

妖怪二人はまだ人間を殺していなかったように思ったのだが、一瞬既に死んでいるのではと思ってしまう程の、陰鬱な表情だった。

しかしまぁ、生きているモノは須らく幽香にいじめられる対象であるので、どんな暗い顔をしていようと、ノってしまった幽香はこの人間をいじめるつもりだった。

顎を掴み、上を向かせ、肉食獣の笑みで顔を近づける幽香。

虚ろな瞳と、目が合う。

 

「ねぇ、貴方はどんな風にいじめられたい? 四肢を少しづつ削られながら絶叫したい? それとも自分の挽肉で作ったハンバーグ、食べてみたいかしら? 私を満足させてみたら、生きて帰れるかもねぇ」

「……ろしてください」

「……え?」

「ころして、ください」

 

 思わず、瞬く。

この広い幻想郷でも、自殺志願者と言うのには中々出会えない。

物珍しさにへぇ、と関心しはするものの、まぁ妖怪に殺されそうになって、助かったと思えばもっと凄い妖怪に絡まれれば、死にたくなる気持ちも分からないでもない。

と言っても、このままでは正直、何だかいじめようが無い。

とりあえず、と口を開く幽香。

 

「えーと、こんな夜中に出てきたんだから、用事ぐらいあったんでしょう?」

「……はい」

「どんな用事だったのかしら?」

 

 と言って、すぐに答えるかは分からないが、それが分かれば少しはこの男に希望を持たせる事が出来、つまりは美麗な絶叫を聞けると言う事である。

まぁ答えないならば答えないで肉体的な暴力に訴える用意は内心でしてあり、さて、どこから潰してやろうか、どの部分なら後で悲鳴を聞くとき、既に潰れていても影響がないか、と考えている所であった。

意外にも、即答であった。

 

「妖怪に、喰われに来ました」

「………………」

「………………」

 

 えーと。

これはどういう事なのだろうか。

思わず停止してしまう幽香であった。

 

「えっと、聞き間違いかもしれないから、もう一回聞きたいんだけど。こんな夜中に、どんな用事があったのかしら」

「妖怪に、喰われに来ました」

「………………」

「………………」

 

 再び沈黙。

停止した思考を一生懸命に動かそうとする幽香であったが、意味不明の事態に、考えが一向に働こうとしない。

妖怪に、喰われに来た。

と言うその動機も意味が分からないし、そんな男にどうやって絶望の絶叫をあげさせられるのか、と言うのも分からない。

と言うか。

 

「——何か、冷めちゃったわ」

 

 す、と幽香は男の顎から手を離すと、がくんと男の首が下がり、丁度視線が足元へ向く次第となる。

実際、幽香の中にある暴力的な衝動は、何時の間にやら冷めてしまっていた。

と言っても、この男はいじめると決めたのに、このままいじめないで放っておいて、他の妖怪の餌としてしまうのも、何だか自分の物を取られたようで、気分が悪い。

と、少し考え込んでいた幽香であるが、ふと思いつく。

とすれば、家にこの男を持ち帰ってみる事にすべきではなかろうか。

そうすれば、何時か男をいじめる手段が思いついた時、いじめる事ができるのだろうし。

そう考えてみると、この考えが良い考えであるように思え、うん、と一人頷き、幽香は男を殴った。

小さい悲鳴と共に意識を失った男を、脇に抱え込むようにして持ち上げ、空へと飛び立つ。

空は未だ暗く、僅かに欠けた満月の光だけに覆われていた。

 

 

 

   ***

 

 

 

 翌日。

男を寝かせておいたリビングに行ってみると、余程規則正しい生活をしていたのか、朝日が昇ると共に男は起きていた。

部屋の戸を開けると、ぱちりと目が合い、そのままソファの上で男は頭をさげる。

 

「あ、おはようございます」

「え、うん、おはよう」

 

 寝ていたら殴って起こしてやろう、どんな殴り方が一番良い悲鳴を上げるだろうか、などと思いながら男を起こしに来た幽香であったが、普通に頭を下げられ、思わずこちらも普通に挨拶を返してしまう。

それからはた、と自分が男を殴り忘れた事を思い出すが、かと言ってこうやって挨拶を返し返されてから殴りだすのも何だか間抜けな絵面で、やる気がおきない。

何だか不完全燃焼な気分だが、とりあえず、と自己紹介の為に口を開く。

 

「えーと、私は風見幽香。この家に住む妖怪だわ。昨日のことは、覚えているかしら?」

「あ、はい。俺は七篠権兵衛と言う、外来人です。昨日は、えーと、確か、妖怪に襲われていた所を、風見さんに助けて頂いて」

「そうよ」

 

 言ってから、幽香は肉食獣の笑みを作った。

空気が濃縮し、内側に凄まじい威圧感が圧縮される。

嘘を言えばこのまま引き裂いて喰ってやるつもりで、幽香は問うた。

 

「それで、聞きたいんだけど。昨日、貴方は何をしに、夜中にあんな所まで来ていたのかしら」

 

 これで、昨日の言は間違いであり、永遠亭に薬を取りに行ったとか、借金取りから逃げ出してきたとか、そんな理由であれば、楽しい悲鳴を聞ける素晴らしい時間の始まりであろう。

そう思っての質問だったのだが、権兵衛はと言うと、急に瞳から光を無くし、視線を足元にやり、活力が抜けたかのように真っ直ぐだった背筋を曲げると、暗い声で呟くように言った。

 

「……妖怪に、喰われる為です」

「——そう」

 

 残念ながら、矢張りと言うべきか、幽香の中でむくむくとせり上がってきていた暴力性は、今の権兵衛の言で萎えてしまった。

まぁ、確認のための質問である、こうであっても予想の範疇だ。

と言いつつ、内心で残念さを隠しきれないまま、幽香は続ける。

 

「でもね、私はそれを許さないわ。ちょっとの間、ここで暮らしてもらう。そうね、ここに居る間は……花の世話でも、してもらおうかしら」

「……へ?」

 

 予想外の台詞だったのだろう、目を丸くする権兵衛。

自殺志願者に対する対応としては可笑しい為だろう、と少しだけ思うが、幽香はそんな事は気にしない。

代わりに、次の言葉で恐怖するであろう権兵衛をどういじめてやろうか、とだけ思い、歪な笑みを浮かべる。

 

「ただし、ここから逃げ出そうなんて思ったのなら……。その時は」

 

 言って、幽香は掌を差し出し、一気に握る。

すぱぁんっ! と。

その余りの速度に、掌から一気に漏れでた空気が、異音を響かせた。

それから想像できる、血肉や脂の飛び散る光景に、思わず舌なめずりをする幽香。

そんな幽香に、権兵衛はと言うと。

 

「………………」

 

 何だか、目を輝かせていた。

僅かに身を乗り出し、口を窄めながら幽香の握りこぶしを見つめるその様は、幼い子どもの憧れの視線に似て、純粋さを思わせる。

てっきり怯えるモノだと思っていた幽香が、肩透かしを食わされた気分で、思わず目を見開いていると。

 

「……あ、はい、分かりました」

 

 と、ようやくのこと返事が返ってきて、しかもその中に怯えは一つも含まれていない。

何とも言えない気分に、どう反応すればいいのかも分からず、困ってしまい、所在なさ気にする幽香。

いや、自殺志願者であったのだ、殺されるのが怖くないのは分かるが、だからと言って痛めつけられるのも怖くなくなるのだろうか?

それに単なる自殺志願者であったとしても、それを妨害され、無理矢理に家に拘束されると言うのに、不満の一つも挙げないのは如何なものか。

勿論不満を挙げたならば、それに暴力で答えるつもりであった幽香だが……。

しかし権兵衛が不満な気配をすら漏らさなかったので、振るおうとした暴力の矛先が無くなり、形容しがたい気分であった。

単に不満が高まるのとも違っていて、宙に浮いた暴力を振るえば解消される感覚なのかと言うと、それも違うような気がする。

そんな不思議な気分に包まれ、何とも気味が悪いような感じな中、とりあえず幽香は、権兵衛を朝食の席へと招待する事にした。

 

 少し時間を経て。

朝食の用意は下手な物を食べさせられたくないので手伝わせなかったが、片付けは当然させるつもりであり、もししないようであったら暴力を持って行動させようとしていた。

が、権兵衛はと言うと、幽香の食べる速度を見て先に食べ終わらないよう配慮するばかりか、互いに食べ終わって割りとすぐに、権兵衛の方から片付けを手伝わせてくれないか、と打診してきたのだ。

これが危うい所を助けられた恩人に対する行動なら理解できるが、権兵衛に対する幽香は、自殺を邪魔しようとする邪魔者である筈である。

一体どうしたものか、と首を傾げつつ了承の意を伝え、権兵衛に朝食を片付けさせ。

お茶が欲しいな、と思った辺りで、権兵衛から声がかかる。

 

「あぁ、そうだ、お茶を入れさせて欲しいのですが、茶器は何処にあるのでしょうか?」

「……あぁ、うん。下の、左から三つ目の棚に入っているわ」

 

 ここは一度、殴ってみてから茶を入れろと要求するのもいいかもしれない、と思った矢先の出来事である。

いきなりの暴力に泣き出すだろう権兵衛の想像が崩れてゆき、ため息をつく幽香。

そんな幽香に、不思議そうな顔をしながら、権兵衛が入れた茶を持ってくる。

ちょっと不機嫌気味にぱっと権兵衛のお茶を取り上げ、一口。

不味ければ、熱い茶を権兵衛の顔にでもかけてやろうと思った物なのだが。

 

「………………まぁ、美味しいわね」

「あ、そうですか? ありがとうございます」

 

 何とも、権兵衛の入れた茶は熱さも味も幽香の好みに近く、中々美味しかった。

幽香の入れる茶と違い、僅かに濁りがなく透明な感じのする所が、風流である。

が、何だか悔しさが湧いてきて、何と言うか、別に腹ただしい訳でも無いのだが、何とも形容しがたい気分であった。

腹いせにごっごっとお茶を飲み干し、がんっ、と湯のみを机に置き、立ち上がる。

 

「ついてきなさい。貴方の世話する花壇を教えるわ」

 

 慌ててついてくる権兵衛に溜飲を下げながら、扉を開け、家を出る。

家を出ると、すぐ近くに広大な向日葵の畑があるが、今は時期柄向日葵は花を落としている。

代わりに、家の周りにある花壇が、色とりどりの花を咲かせていた。

金木犀に秋桜、薔薇に藤袴。

今回、権兵衛に世話させるのは、その中の一つである。

名前も知らない小さな白い花が咲いているそこへと、くるりと家を四分の一周ほどし、足をとめる。

 

「ここよ。この、小さい白い花が咲いている辺りが、貴方の世話する所」

「小さい、白い花、ですか……」

 

 言外に名前を問う権兵衛の台詞に、しかし幽香は声を返さない。

幽香は、花を操る程度の能力を持つ。

それを用いれば当然花の言葉を聞く事もできるし、花が人間になんと呼ばれているのかも分かるが、こちらが既に知っているなら兎も角、わざわざ名前を教えてもらおうとは思わない。

と言うのも、花の名前とは人間がつけたものであって、花自身が付けた物では無いので、知らないならわざわざその名で花を呼ぶ事はなかろう、との思いからであった。

 

「如雨露はそこにあるでしょう? これを使って水やりと、あと、虫がついていたらとってやる事。それと、雑草が生えてたらちゃんと抜いてね」

「はい、分かりました。その、水はどれくらいやればいいんでしょうか」

 

 反抗したら殴ってやろうかと思っていたので、一瞬手が出てしまいそうになったが、よく考えればただの質問である、花を大事にしようと言う気持ちの現れである。

とすれば、これに暴力を振るう訳にもゆくまい。

何とも言いがたい感情を抱えながら、幽香はため息混じりに告げる。

 

「……後で教えてあげるわ。他に質問はあるかしら」

「あ、はい。えっと、雑草と言いますけれど、新しく生えてくる花との見分け方は……」

 

 この後反抗的な質問が出れば即座に暴力を振るうつもりで居た幽香であったが、ずっと花の世話についてや、家事をどこまで手伝って良いかなどの質問ばかりであったため、矢張り権兵衛に対し何も出来ないままに過ごす事となるのであった。

 

 




権兵衛を襲った妖怪2体はモブ妖怪。
誤解を招きうる髪色だったので、念のため。
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