ルナティック幻想入り   作:アルパカ度数38%

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09-太陽の畑2

 

 

 風見さんの家にお世話になるようになって、数日が経過した。

朝も最近徐々に寒くなってきており、既に日は登っていると言うのに、着物一枚ではやや肌寒いと感じる事もある季節となっていた。

けれど、先日は一日雨が降っていた為だろうか、空気は少しじめっとしていて、刺すような、と言う形容は似合わない。

割合過ごしやすい、春に近い季節である。

と言うのも、俺は幻想入りして記憶を新生して以来、秋と言うのも初体験なのだ。

残った記憶——所謂、エピソード記憶では無い意味記憶の方、と言う奴だろうか。

それはあるので秋はこんな季節だと言う知識はあるのだが、それが実際に体感するとなると、矢張り感じ入る物はある。

 

 さて、と言っても何時までも秋の空気に感じ入っていてもしょうがないので、外履きをつっかけ、風見さんの玄関から歩み出す事にする。

風見さんの家を出てすぐに眼に入るのは、広大な向日葵畑である。

と言っても、今は既に枯れて何も無い、ただ土の柔らかそうで広大な背の低い草原にしか見えない。

風見さんの言によると、夏は太陽の畑と称される程に向日葵で一杯になり、目を豊かにしてくれるのだとか。

少しだけそれが見れなくて残念だな、と思いつつ、歩みをすすめる。

風見さんの家は西洋風の作りであり、明るめの板張りの壁に赤い屋根と、スタンダードな家である。

玄関口の方には太陽の畑が広がっているが、逆側に少し行った辺りには川が流れており、用水の平易な作りになっている。

さて、まず俺は家の壁に立てかけてある如雨露を手に取り、それから俺が任された花壇の一角へと歩みを進める。

 

 俺の担当する花壇は、小さい白い花の咲く場所である。

背丈は低く俺の膝下程度の丈しか無く、半分ほどつぼみで、ぽつぽつと咲き始めたばかりの花も、小さくて控えめ。

派手さや艶やかさは無いが、何処か心をほっとさせるような、穏やかな気分にさせてくれる花であった。

とりあえず、と、俺はその一角の土へと手をやり、その土が乾いている事を確認する。

割りと水はけが良いのか、それともこの花が水を良く吸うからなのか、この花壇は割りと頻繁に水やりが必要になる。

その合図が、大体この土が乾いている事なのだそうで。

先日雨が降ったばかりだと言うのに、早い物だな、と思いつつ、俺はぶらぶらと如雨露を揺らしながら、川まで歩いてゆく。

 

 合間に風見さんが手を加えた、艶やかだったり、儚げだったりする花をふらふらと見て歩きながら、花を踏まないよう気を配って、土の露出した場所を歩いて川まで辿り着く。

如雨露を川に沈めてやると、ぼこぼこ、と音を立てて空気の泡が立ち上り、そしてその音に驚いたのか、近くの魚が岩陰から飛び出て、何が起こったのか、と言わんばかりにキョロキョロとする。

その姿が少しだけ可笑しくて、くすりと笑いながら、俺は如雨露の中身を零さない程度に少し目減らし、立ち上がると、再び小さい白い花の花壇まで戻る次第となる。

行きと少し違うのは、あまりぶらぶらと如雨露を揺らすと、中身がこぼれてかかってしまう事である。

一度それをやって、まるで寝小便をしてしまったかのようになってしまい、風見さんに大笑いされた事があったり。

なので、二度とその失敗は繰り返すまい、と、毎回の通り注意して如雨露を運ぶ。

 

 暫くして、再び担当する花壇の辺りまで戻ってきてから、俺は如雨露の中の水を、花にやる。

と言っても、感覚的には、花に向けて与えると言うよりも、土に与えるので無いと、花がきちんと吸収できないそうだ。

なので如雨露の口を花の背丈より低い辺りにやり、辺りにたっぷりと水やりをする。

風見さんによると丁度一回につき如雨露一杯分程で良いそうなので、水やりを終えると、俺は一度如雨露を元の場所に戻し、それからすぐに花壇へと戻ってくる。

ここからは根気のいる作業で、近くにある雑草を探して抜く作業となる。

膝を曲げ、腰を下ろし、風見さんに教わった通りに雑草を抜く作業に入る。

 

 と言っても、基本的に毎日やっている事で、しかも場所も然程広く無いので、雑草も簡単には見つからない。

こんな時、俺は無心になって作業するよう心がけているのだが、こうも見つからないと、何だかふつふつと自分の中から浮かび上がってくる物がある。

こんな所で、俺は、一体何をやっているのだろうか、と。

さて、俺のひとまずの人生の目標を考えてみよう。

それは、今まで俺に素晴らしい物を与えてくれた人たちに恩返しをする事である。

これは今まで接してきた人たちの誰を思っても妥当な目標であり、道理の通った目標である。

では続いて、俺の目標達成の為の手段を考えてみよう。

手段。

手段。

手段——。

思いつかない。

何も思いつかないので、とりあえず今までの事例を絡めて考えてみようとする。

慧音さんには寺子屋の手伝いをしたが、それは手直しを要する程酷い出来であった。

妖夢さんには助言をしたが、それは半分ほどしか事態を解決できず、しかもそれによって悪化してしまった気配すらする。

てゐさんには人を幸せにする指導をしていただき、それを実践しようとしたが、てゐさんの助言無しに上手く行った事は無く。

輝夜先生には俺の真に思う所を伝えようとして、泣かれ、決別の言葉まで吐かせてしまった。

そして里人を霊力で守ろうとするも、それ以前にこちらが排除されて。

 

「俺は……」

 

 思わず、呟く。

視界が虚ろになり、今にも倒れこんでしまいそうな気分になりつつ、呟く。

 

「俺は、今まで、何もできていないじゃあないか」

 

 そう、その通り。

俺は俺なりに恩を返す為に力を尽くしてきたつもりだったが、何一つ実を結んではいなかった。

そればかりか、恩人達にもらう恩は積もるばかりで、一向に減る様子は見せない。

あの、俺を殴る蹴るした里人の言葉が、思い出される。

彼は、俺をこう言った。

寄生虫。

人に寄生しなければ、生きてゆく事すらままならない、惨めな男。

なんと俺にぴったりな言葉だろうか。

ピッタリ過ぎて、笑いすら漏れでてしまう。

 

「はっ、はは……」

「あら、どうしたのかしら?」

「——っ!?」

 

 と。

急にかかった声に、思わず俺は飛び退いてしまう。

やってしまってから、慌てて足元を見るが、どうやら咄嗟に花を踏まないように飛び退けたようで、裸の土しか無い。

思わず、はぁ、と安堵のため息をつく。

 

「びっくりしたぁ。あんまり驚かせないでくださいよ、風見さん」

「あー。だって何だかぼうっとしてるから、思わず、ね」

 

 と言う風見さんは、何故か片手を振りかぶった形のまま停止しており、奇妙な姿勢である。

握りこぶしを作っているようにも見えなくもないが、まさか風見さんのような優しい女性が俺を殴る筈など無いので、多分この後手が開いて俺の肩でも叩く予定だったのだろう。

まぁ、何にせよ、それはいいとして。

問題は、バクバクと五月蝿い俺の心臓の方である。

驚いたのは勿論だが、恥ずかしい余りにも心臓の鼓動が止まらない。

何せ俺、自嘲の笑みを聞かれてしまったのである。

俺にも一丁前に恥らいと言う物があり、そんなモノを聞かれてしまっては、赤面を免れない。

とすると、この人はそんな俺の顔を目ざとく見つけ、にやりと笑うのだ。

 

「あら、貴方、顔が赤いんじゃないのかしら? どうしたのかしらねぇ?」

「い、いや、何でもないですよ。本当、何でもないですって」

「そう? でも、何もないのに顔を赤くするなんて、可笑しな子ねぇ」

 

 くすくすと口元に手を当て、上品に笑う風見さん。

それはそれで可愛らしい様子なので目の潤いとなるのだが、時が時である。

俺は可能な限り風見さんを視界に入れないよう、真っ赤になりつつ足元に視線を会わせる。

すると、なんだか、にやっと笑ったような気配。

 

「そ・う・い・え・ば。何だか此処に近づいてくる時、笑い声が聞こえたような気がするわ」

「えーと、それは、あれですよ、妖精か何かの声じゃないでしょうか」

「でも男の声だったような気がするわ。どうしてかしらねぇ」

「えーと、えーと……」

「しかも最近聞いたことがあるような声だったわ。それで、何か斜めに構えちゃって、こう——」

 

 と、風見さんが目を鋭くして空にやり、やや姿勢を左右非対称にし、口元を薄く開けた辺りで、俺は割り込んだ。

 

「いやっ! そういえば、そろそろお昼の準備をしなくちゃいけないですよねっ! 俺、次の当番でしたよねっ! と言う事で、行ってきますっ!」

 

 と叫び、失礼しますっ! と頭を下げ、急ぎ足で兎に角風見さんの前から姿を消そうとする。

すると、クスクスと笑い声が追ってくるのだが、それを聞かないよう、俺は両手で耳に栓をしながら走る事に集中する次第なのであった。

 

 

 

   ***

 

 

 

 初日の昼食からだったか。

一度、とりあえず食事を作ってみなさい、と言う風見さんの言に従って以来、それが彼女の口に合ったようで、食事を作るのは当番制となった。

それもこれも、永遠亭に滞在する間、空き時間にこっそりと兎さん達に料理を教わったからだろう。

あれは輝夜先生に好物を食べてもらって、日頃の感謝を表そうとした物である。

結局輝夜先生には作れなかったのだが、霊力が未だに殆ど役立っていないのに対し、これがこんな所で役に立つとは。

人生、本当に何が役に立つのか分からない物である。

 

 さて、今日のお昼はフレンチトーストにサラダである。

どうやら風見さんはどちらかと言うと洋食派であるらしく、和食派の俺としてはレパートリーの不足に悩む所であり、また、と枕詞に付くが。

牛乳に卵を割り入れて混ぜ、砂糖・塩・胡椒を適当に入れ、パンを浸す。

で、フライパンで焼く。

片面が焼けたらひっくり返し、チーズを載せて焼く。

それだけ。

この手軽さが、別に手を抜いている訳でも無いのに手を抜いている気分になって、何と言うか落ち着かない気分になるのだが、並行してサラダでも作っていると、調度良い感じに手がかかっていい感じである。

と言っても、お手軽料理であるのに変わりは無いのだが。

 

「って言っても、いいじゃない、美味しいんだから」

「褒めてくれるのは恐縮ですけど……」

 

 と、上品にナイフとフォークで切り分けて食べる風見さん。

まぁ、その小さな口にトーストを頬張る度に目を細め、美味しそうに食べてくれるのは、大変嬉しい事である。

なのでこっちも、自然とそんな小さな事を気にする事無く、切り分けたトーストをフォークで取り、ぱくりと一口。

うん、美味しい。

こちらも思わず目を細め、口元を緩めて小さく笑窪を作ってしまう。

と、視界の端で、何故か風見さんがフォークを握り締めているのが見えた。

まるでフォークを飛ばして俺の頬に刺そうとしているような角度と手の形だったが、当然優しさ溢れる風見さんがそんな事をする筈も無く、事実それも少しの間で、すぐに皿の上へとフォークは置かれる事となる。

何故かちょびっと、残念そうな顔の風見さん。

はて、もう食べ終わってしまったサラダでももっと食べたかったのだろうか?

それなら言ってくれれば分けたのだが、何せ男の口にした物である、女性と言う物は俺の想像以上にデリケートなのかもしれない。

なのでそれに触れる事はせず、食事の肴として、俺は口を開く事にする。

 

「そういえば、俺の世話している花壇も、そろそろ半分近くが開き始めました」

「そう。まぁまぁ丁寧に世話をしているみたいだしね、例年より少し早いぐらいかしら」

「あまり早咲きして、花に影響が無ければいいんですが……」

 

 と言いつつ、風見さんの手元の水が空になったのに気づき、水差しを傾け水を注ぐ。

コップを返して風見さんの顔を見ると、中途半端に開いた口が目に映った。

まるで水が切れたから入れろと命令しようとしていたかのようなタイミングだが、あの優しい風見さんがそんな事する筈も無く、その口ももにゅもにゅと声にならない声を漏らしながら閉じる事となる。

ちょっとふれくされたような顔の風見さん。

とすると、花についての話の続きをしようと思ったが、俺が文字通り水をさす具合になった為、不完全燃焼に終わってしまったのだろうか。

だとしたら失礼な事をしてしまったな、と、思いつつ、かと言って挽回の方法も思い浮かばないので、とりあえずトーストを頬張るのに努める事にする。

 

「……今日の午後は、ちょっと近くに出かける事にするわ」

 

 暫く沈黙が続いた後、ふと風見さんがそう口にする。

それから何やら期待の色の篭った瞳で、俺の方へ視線をやる。

 

「そうですか。では、俺は花壇の世話は後に回して、留守を預かる事にします」

「くす、勿論よ。ここから出ようなんて考えたら……」

「あ、留守のあいだは掃除でもしていようと思いますが、風見さんの私室は勿論手を入れない方がいいですよね」

 

 と聞くと、何故か肩透かしを食らったかのような表情の、風見さん。

思わず風見さんの口を遮ってしまったのだが、まるで俺をここから出るなと脅そうとしているかのようだったが、温和な風見さんがそんな事する筈もなく、事実ちょびっと何だか遠い目をするだけで、特に何を言うでもない。

多分、俺が聞き違ってしまっただけなのだろう。

とすると、矢張り失礼な事を考えてしまったと思い、夕食は凝った物を作ろうと、罪滅ぼしを考える俺。

 

「まぁ、それでいいわ。じゃ、ごちそうさま」

「はい、お粗末さまでした」

 

 言って、僅かに先に食べ終わっていた俺は風見さんの食器を受け取り、流しの方へと持って行く。

ついでに霊力でちょろりとお湯を温め、お茶を淹れる。

西洋風の家である此処ではどちらかと言うと紅茶を淹れるのが筋なのだろうが、生憎俺は紅茶の淹れ方と言う物を大雑把にしか知らないので、俺が彼女に出す分においては緑茶である。

一応どっちも発酵が違うだけで同じ茶葉なんだから、どうにか淹れられそうな物なのだが。

と、どうでもいい事を考えつつお茶をリビングに持って行く。

すると、ごっごっ、と早々とお茶を飲み干し、席を立つ風見さん。

 

「あ、もう出かけるんですか?」

「えぇ。夕方前には戻るようにするわ。留守番よろしくね」

「はい、行ってらっしゃい」

 

 と、玄関前まで行って、低空を飛んでゆく風見さんを見送り。

ばたん、と音を立てて玄関の扉を閉じて。

——立っていられたのは、そこまでだった。

がた、と音を立てて背中が扉に当たり、そこからずるずると体が滑り落ち、床に尻をついてしまう。

それから首を支える力が無くなり、がくん、と頭が僅かに前に傾く。

全身から、無理に維持していた活力と言う活力が抜けてゆき、視界すらも虚ろになってゆく。

 

 暫くはそのまま何も考えず、何も動かず、ただ呆然と口を開けたままでいられたのだが、すぐにふと思い浮かぶ物がある。

それは矢張りと言うべきか、自虐の念であった。

さて、俺の目的は恩返しであり、そして生きていてはその真逆の効果しか生めないのではないか、と言うのが現在の俺の状況である。

であれば当然、俺のすべき事は、二通りに別れる事となる。

それでも何時かは恩を返せると信じ、再び努力を重ねる道。

何からすればいいのか分からない、と言う難易度の高さはあれども、正道である。

対し、これ以上生きていては無意味どころか害悪と決め打ち、自殺する道。

当然、恩を返せる可能性が残る以上は邪道であり、人として選ぶべきでは無いが、一応選択肢としてある物である。

が、今の俺は、不思議な事にそのどちらも行っていなかった。

正道を選ぶにしても、彼女の世話になりっぱなしと言う現状は、道理が叶わない。

邪道を選ぶにしても、ここを出て行くなり彼女を怒らせるなりすれば死ねるのだ、道理が叶わない。

俺は風見さんに拾われて以来、彼女の言う事を聞き、世話をする事ばかり考えているのだ。

 

 それは、何故かと言えば。

単なる、現実逃避であった。

何故なら、何か無心に作業をしていれば俺は何も考えずに済むし、彼女の言う事に従ってさえいれば、俺は自分の意思と言う物をすら持たなくても済むのだ。

だって、何かを考えると、嫌でも俺自身の醜さを直視してしまい、それだけで、耐え難い程に辛いのだ。

それは時が進むに連れ、益々強まってゆく。

何せ俺は、妖怪に襲われていた無気力な男を世話してくれるような優しい風見さんを、現実逃避の為に利用さえしているのだ。

こうやって屋根と食事を貰っているだけで恩を受けていると言うのに、それに仇で返すような扱い。

そんな事してしまっている自分が、醜くて仕方がなかった。

 

「う……う、ううっ……」

 

 自分が情けなくて、思わず涙が出てきてしまう。

しかし、その涙でさえ、今の俺には自分を可哀想と彩ろうとしている、自分を他人事のように捉えた行為であるように思えて、醜く思えるのだ。

だから俺は、ぐしぐしと、涙を拭う。

少ない活力を全身から集めて、どうにか体に力を入れ、ふらふらとしながら立ち上がる。

これ以上自分を醜く思うのが嫌だから。

耐え切れないから。

だから、無心に作業をする事だけを考えて。

 

「……洗い物、しなくちゃ……」

 

 ぽつりと呟いて、台所の方へとふらふらと向かう。

まだ目尻に集まってきている涙をぽつぽつと零しつつ、どうにか歩いて行って。

俺は再び、無心に作業を進める事に努めるのであった。

 

 

 

   ***

 

 

 

 甘くさわやかな香りが、風に乗って運ばれてくる。

風に揺れる鈴蘭が、さざ波のような音を立て、さわりと騒ぎ立てた。

無名の丘。

春過ぎには一面鈴蘭で覆われるそこだったが、今では背の低い草が生え茂る草原に過ぎない。

その中心近く、大きな岩がぽつんと置いてある場所で、幽香はメディスン・メランコリーと会話していた。

 

「わぁ、久しぶりにスーさんの香りだわ。やっぱり、これがないと落ち着かないわ」

「そう。私はやっぱり季節の通りの香りが一番だと、思うけどね」

 

 六十年に一度の大結界異変で知り合った二人は、こうして時たま会う約束を取り付けている。

幽香としては、自分と同じく花を愛でる事を一番に考える、珍しい妖怪との交流として。

メディスンとしては、春以外にも能力で鈴蘭を咲かせ、スーさんと出会う為として。

双方の利害が一致し、こうして季節ごとに無名の丘の大岩で待ち合わせているのであった。

 

「そうかしら。向日葵なんかに囲まれるよりもずっといいと思うけれど」

「毒の匂いを撒き散らすよりもずっとマシだと思うけれど」

 

 と言ってもこの二人、仲が良いのかは微妙である。

メディスンは幽香の最も好む向日葵なんて花は気持ちが悪いと考えているし、幽香は鈴蘭は好きだがメディスンの撒き散らす毒は臭って仕方が無いと思っている。

だが不思議とこの行事はここ数年欠かさずに行われ、ずっと続いているのであった。

 

 主な内容はと言うと、お互いに近況報告をし、その感想を適当に言い合うばかりの話である。

メディスンの話の内容はと言うと、人形解放の為の訓練の結果と、定期的に会っていた八意永琳が最近急に姿を見せなくなったようであると言う事。

後者はそこそこに興味深いが、人形そのものには大して関心のない幽香は前者を聞き流すし、メディスンも別に反応を期待していないのか、生返事を続ける幽香に淡々と話し続ける。

それがぽつぽつと途切れてきた辺りで、代わりとばかりに幽香が口を開く。

こちらも毎年代わり映えのない、季節の花の移り変わりやその美しさ、後は喧嘩を売ってきた愚かな妖怪や、幽香の機嫌の悪さの犠牲となった哀れな妖怪の話。

メディスンも生返事を続ける中、一番最近にいじめてあげた金髪と銀髪の妖怪のコンビの事まで話を続け、そこで幽香は僅かに、躊躇するように口を噤んだ。

別に近況を報告するからといって、権兵衛の事まで報告しなくてはならない義理と言う物も無い。

しかし、だからと言って、他のことは何でも話していたのに、権兵衛の事だけ話さないと言うのは、どうにも権兵衛の事を意識しているようで、何と言うか、駄目な感じである。

であるからと言う事で、幽香は閉じていた口を開く。

 

「此処数日、いじめようと決めたのにいじめがいが無くなっちゃった人間が居てね。いじめがいが出るまで、家に連れて行って、世話しているの」

「へぇ? 貴方が人間を? しかも数日って、まだその人間生きているの?」

 

 意外そうに反応するメディスンに、幽香は自然渋顔を作った。

自分でも、こんなに何日も権兵衛を家に置いておくつもりは無かったのである。

一応花の世話と言う係こそは考えていたものの、基本的に初日にいじめつくして、そのまま離すなり殺しきってしまうなりしてしまうつもりであった。

だと言うのに、未だ幽香は、権兵衛に一度も手を上げていない。

 

「なんていうか、奇妙な感じでね。間が外される、って言うか。なんか権兵衛と居ると、萎えちゃうのよねぇ」

「ふーん」

 

 生返事で返すメディスンに、ピョン、と指を突き立て、幽香は具体例を話す。

最初は嬲って絶望の悲鳴をあげさせようと思っていたが、何でか先に絶望していた事。

とりあえず殴りながら雑用を言いつけようとしたら、何故か先回りして雑用を申し出られた事。

折角のご飯だと言うのに暗い顔をしているからフォークを投げつけようとしたら、トーストを頬張って幸せそうな顔をされた事。

水を入れたり茶を入れたりと新たに雑用を申し付けようと命令しようとしても、自然とそれを行われてしまう事。

つらつらと語られるそれを興味なさげに聞いていたメディスンだが、ふと、疑問に思ったようで、一言告げる。

 

「そう言えば、その権兵衛って人間の話ばかりだけど、最近は妖怪をいじめたりしてないの?」

 

 思わず、瞬く。

そう言えば、そうである。

今までの自分は、自然や花々と共にある静かな生活が好きなのと同時、絶望の悲鳴が好きで好きでたまらなくて、定期的に聴きに行っていたと言うのに。

 

「……して、ないわね」

「それにその権兵衛って言う人間にしようとしてた対応も、何だか温くなってないかしら」

 

 言われて、思い出す。

最初は生まれてきた事を後悔させてやる事まで想像しながら権兵衛をいじめようとしていたのだが、最近はその場その場でちょっと嬲ってみようと思っているだけである。

とすると。

 

「……かも、しれないわね」

「このまま行けば、貴方の言っていた、理想の静かな生活、とやらが手に入るんじゃあないかしら」

「理想の、静かな生活」

 

 反復するその言葉とは、何時ぞや幽香がメディスンに語った生活である。

季節の花々を愛でる事は勿論、それを邪魔される事もなく、わざわざ妖怪をいじめに行くような衝動に襲われる事なく、温和で優しい生活。

それを望む事は、別段おかしな事では無い。

実際、長く生きた妖怪として、幽香の強い嗜虐性は、少しおかしい物である。

通常長生きした妖怪は、自分の生活が侵されない限り、悪戯に戦いを仕掛ける事など無いと言うのに。

 

 言われてみれば、自分が穏やかになってきている実感は、確かにあった。

誰が相手でも大した理由もなくいじめたくなるような衝動は、ここのところ抑えられていて、権兵衛に対するいじめたい欲と言うのも、徐々にその物騒さを減じていっている。

何故だろう、と、幽香は不思議に思った。

この長い妖怪としての生の中、己の嗜虐性は何時であってもその燻る炎を消す事は出来ず、解消する事によって一見晴れたような事があっても、こうやって穏やかになってゆく事は無かったのだ。

それを。

権兵衛。

ただの外来人一人が、解消しようとしているなどと言うのだろうか。

 

「そんな事……無いわ」

 

 期待の裏返しか、否定の言葉が幽香の口から出てくるが、対しメディスンは軽く目を細めて口を開く。

 

「でも、さっきその権兵衛が幸せな顔をしていたから、攻撃をやめた、なんて言ってなかったかしら」

「? ええ、そうよ?」

「ええそうよ、じゃなくて……。そんなの、何時もの貴方だったら可笑しいじゃない」

 

 と言われて、幽香は眉をひそめる。

全く、何処が可笑しいのだか分からない。

何せ権兵衛の幸せそうな顔といったら、何だか胸がときめいて、こちらまで笑顔になってしまいそうな感じの笑顔なのだ。

そんな顔を浮かべられて攻撃など、出来るはずもあるまい。

そう告げると、何だか砂糖と塩を入れ間違えたコーヒーを見るような目で見られる幽香。

 

「貴方最近おかしな物でも食べなかったかしら?」

「失礼ね。私と権兵衛の料理しか食べていないわよ」

 

 自分の料理がおかしな物でないのは勿論、権兵衛の作ってくれた料理がおかしな物でないのも当然である。

と言うのも、自宅に居て他人が作った料理を食べるなんて、記憶にある限りでは初めての事だったのだが、他所の宴会に混じるのとはまた違った温かみのような物があって、とても美味しく感じるのだ。

その事を知って以来、幽香の作る料理にも力が入るようになってきた。

何故かと言うと、権兵衛の料理に自分が味わっているこの温かい感じを、自分の料理に権兵衛も味わっているのだと考えると、自然と料理に凝るようになってきたのだ。

そうすると、競いあうように権兵衛も徐々に凝った料理を出すようになってきて、ああ、権兵衛も自分と同じ思いで居るんだな、と思うと、自然と顔も綻んでしまう。

兎も角そんな感じな事なので、おかしな物など食べていない、と説明する幽香。

対するメディスンは、少し首を傾げたかと思うと、ああ、と手を打ち一言。

 

「こういうのをなんて言えばいいのか、って思ってたけど」

「?」

「ごちそうさま。こう言えばいいのかしらね?」

 

 何のことだか、と首を傾げる幽香に、ため息をつきながらメディスンが告げる。

 

「気づいていないかもしれないけど。多分貴方、その権兵衛って人間の事が好きなんじゃないかしら」

「は?」

「それも、生まれて数年の私にでも分かるぐらいに」

 

 思わず口を開きっぱなしにしてしまう幽香。

好き。

好き。

権兵衛の事が——好き。

その言葉が咀嚼されてゆくに連れ、幽香の顔が真っ赤に染まってゆく。

鼓動は高鳴り、じわじわと汗が滲みでて、ぎゅ、と体を抱きしめたくなる。

その衝動に従い、幽香は己の事を抱きしめて見せた。

壊れるぐらい強く、強く。

 

「好き——」

 

 実際に口にしてみると、更にどくんと胸が高鳴る。

喉の奥はからからに乾き、自らを抱きしめる腕は、指の先まで力が入る。

吐く息は熱湯のように熱く、湿っていて、口元の辺りのブラウスを僅かに湿らせた。

足を下ろしているのが何だか不安になり、膝を上げて、ぎゅ、と巻き込むように抱きしめる。

丁度、幽香は大岩の上に、体育座りの形になった。

 

 私は、権兵衛の事が、好き——なんだろうか?

覚えた疑問に、反射的にそんな筈はないと思う。

だって、自分は風見幽香なのだ。

あらゆる存在をいじめる、ちょっとおかしな存在なのだ。

そんな存在が、人を好きなんて言う、穏やかな気持ちを抱けるはずが無くて。

でも、権兵衛は、どうやら、幽香を穏やかにしてくれているような気配があって。

 

「ちょっと、幽香?」

「ひゃんっ!?」

 

 急に声をかけられ、思わず幽香は飛び退いてしまった。

少しの間、メディスンの事が頭から抜け落ちていたのだ。

こんな醜態を晒してしまうなんて、と顔を赤くすると同時、そういえば朝に権兵衛も似たような事をしていたな、と思い、更に顔を赤くする。

駄目だ。

何が駄目だか分からないが、兎に角駄目だ、これ以上、何も考えてはいけない。

そう思い、ぶるぶると顔をふるってふわふわとした考えを頭から追い出し、慌ててメディスンに告げる。

 

「ご、ごめんなさいね、今から急用ができるから、家に帰る事にするわ」

「その前にもうちょっと落ち着いた方がいいような気がするけど……」

「じゃ、じゃあね、また冬に会いましょうっ!」

 

 強引に別れを告げると、幽香は勢い良く空中へ飛び出していった。

一気に高度を上げ、先程までいた大岩が小さくなるぐらいにする。

下で何かメディスンが言っているが、聞こえないフリをしつつ、自宅へ向けて飛行を始めた。

そうなると、空中を飛んでいる間も暇になり、先程の考えがぷくぷくと浮かんでくる。

そしてついつい、幽香は口に出して言ってしまった。

 

「好き——」

 

 なんとも胸の中がふわふわとする言葉で、何とも自分に似合わない言葉である。

だけど気づけばその言葉は口に出されていて、幽香の頭の中を支配してしまう。

好き。

好き。

権兵衛が——好き。

その言葉の事を思っていると、思わず自分の唇に指をやってしまうから不思議だ。

すると、当然のごとく、権兵衛の唇の感触を想像する自分が居て。

 

「いやいや」

 

 慌てて頭を振り、ピンク色の妄想を頭から弾きだす幽香。

一旦は静かな心になれて、ふう、とため息をつく幽香であったが、はたと思い出す。

そういえば、当然の事なのだが、これから帰る家には、権兵衛が居るのだ。

勿論家に帰れば出くわす事になり、その顔を見る事は確実で。

 

「〜〜っ」

 

 そうなったら、一体どうすればいいのか、と、幽香は無言の悲鳴をあげた。

自然、飛行速度も遅くなるが、無名の丘と太陽の畑はそう遠い場所では無い、既に赤い屋根の家は視界の中に見えてきている。

これからどうすべきか、とりあえず頭が冷めるまでその辺で時間を潰すべきか、それとも電撃作戦で部屋にひきこもり、その中で頭を冷やすべきか。

どうしようかと悩む幽香の耳に、突如、爆音が響いた。

 

「何事っ!?」

 

 思わず目を見開き、音源に検討をつけて遠視の術を使うと、自宅の近く、見覚えのある金髪と銀髪の二人組の妖怪が居た。

その周辺には何時ぞやと同じく、明らかに殺傷用の弾幕が浮いており、その正面には月っぽい色の弾幕を浮かべて対抗する権兵衛の姿があって。

それを視認した瞬間、その叫びが届かぬ物と知って尚、幽香は叫ばずにはいられなかった。

 

「——権兵衛っ!!」

 

 

 

   ***

 

 

 

 襲撃は、突然だった。

何の前触れも無く分厚い板を打ち付けたような音が響き、家全体が揺れた。

丁度掃除をやっていた俺は、思わず壁に手をついて体を押さえてしまうぐらいの揺れであった。

一体何があったのかと辺りを見回せば、窓の外には金銀の無数の弾幕があって。

それを見て、思い出す。

俺が風見さんに助けられた時、襲ってきていた二人組の妖怪。

俺を狙ってきたのか、それとも風見さんに報復に来たのか、どちらなのかは果たして分からないものの、そういう事だろう。

事態を理解し、慌てて外に飛び出そうとするが、それよりも早く、空に浮いている殺傷用の弾幕が家に飛来する。

思わず、目を瞑って頭を抑えながら、机の下に逃げこむ俺。

と同時、再びの爆音。

暫く連続してそれが続いたかと思えば、ふいに静寂がやってくる。

一向に屋根が落ちてきたり、風が吹きさらす兆しが感じられないのを疑問に思い、ちらりと薄く目を開いた。

すると、傷ひとつ無い風見さんの家の壁が目に入ってくる。

一瞬、意味が分からなくて動転してしまうが、よく考えればこの家には強化の術でもかかっていたのだろう。

 

 ほっとため息をつき、胸をなで下ろす俺。

あの日と違い俺は全快しているとは言えども、精神的なコンディションが悪い上、実力的にも二人がかりで来られてはやや俺が劣るぐらいなので、戦いになれば恐らくやられてしまっていた所だろう。

と同時、僅かな疑問が胸をよぎる。

俺は、死んでもいいと思っていたのではないだろうか。

いや、むしろ死ぬべきなのではないかと思い、妖怪に喰われる為に元自宅から旅路に出たのではなかろうか。

そう考えると、俺は安堵するよりも残念に思うべきなのではないだろうか。

いや、勿論、風見さんの家が無事であった事自体は、喜ばしい事なのだけれども。

 

 などと俺が思考に耽っている内に、再び窓の外に金銀の弾幕が生まれる。

と言っても、この家の強化の術を視てみれば、あの妖怪達では傷つけられない程度である事が容易に分かる。

無駄な事を、と思うと同時、弾幕が炸裂した。

ただし、家の周りの花壇に。

 

「——っ!」

 

 思わず息を飲む。

そのままの自然を愛する風見さんであるからこそ、花壇に術による結界までは作っていないのでは、と思う。

とすれば。

当然のごとく。

家の周りの花壇は、無茶苦茶になっている筈で——。

と、そこまで思った所で、再び空に弾幕が生まれる。

 

「させるかぁっ!!」

 

 気づけば俺は、叫びながら家を飛び出していた。

と同時、拙いながらも霊力を用いて結界を展開。

家の周りの花壇を守ると同時、それに打ち付けられようとしている弾幕の衝撃に備え、歯を食いしばり、目を瞑る。

 

「——っ!」

 

 爆音。

爆音。

爆音。

一つそれが響くたびに、体の芯が軋むような痛みが走る。

脳髄が沸騰しそうに熱くなり、目の奥が激痛に痛む。

四肢の末端がふるふると震え、噛み締める歯茎からは血が滲む。

永遠とも思える時間が過ぎ去った後、ようやくのこと、弾幕が途切れた。

肩で息をしつつ、僅かに脱力し、閉じていた瞼を開く。

あまりに力をいれていた為、しばらくの間、視界がチカチカとするのを感じながら、確認していなかった周囲に視線をやる。

粉塵が舞い散り、風に吹かれてゆくに連れ、花壇の有様は明らかになってゆき。

 

「——……」

 

 無茶苦茶だった。

甘く顔っていた金木犀の花は、土に塗れて形を崩し。

整然と並んでいた薄桃色の秋桜は、ぐちゃぐちゃに潰れ。

艶やかに咲き誇っていた薔薇は、残らず首を落としていて。

荒廃したその様子は、丁度先の俺の家の惨状を思い起こさせた。

一瞬、既に全滅してしまったのではないか、と血の気が引くが、よくよく見てみると、奥まった方はまだ無事だった。

俺の世話していた小さい白い花も、また。

——不幸中の幸い、とでも言うべきか。

とりあえずそれを確認できた俺は、視線を空に浮かぶ二体の妖怪へと向ける。

金銀の瞳と目が合い、肉食獣の笑みを向けられる。

僅かに震える、背筋。

 

 あの、俺が風見さんに助けられた日。

俺が野垂れ死のうと歩いていた所、突如弾幕を使って襲ってきた二人組である。

あの時は風見さんにあっさりとやられていたので、あまり強い印象を受けなかったのだが、片方でも結構強く、恐らくは二人がかりではあちらの方が上。

となれば、俺の目指す勝利条件は、風見さんが戻ってくるまで耐える事である。

と言っても、花壇を防御し続けなければいけない俺は回避行動ができず、常に結界を張り続けなければならない。

当然、ただただ耐えているばかりでは、先のように好き放題に弾幕を張られてしまい、こちらの身がもたない。

故に牽制の弾幕で相手に回避行動を取らせ、攻撃だけに集中させないのが上策と言えるだろう。

一番不味いのは近接戦闘に持ち込まれる事なのだが、どうやら体が治りきっていないのか、再び空中に金銀の弾幕が浮かび上がる。

対し、こちらも己の月度を高め、周りに幾らかの月弾幕を浮かべる。

お互い、動かないままに、僅かに沈黙が過ぎ去った。

 

「折角風見幽香の留守を狙って来たのに——。あんた、あの時の人間? 何で人間があいつの家を守ってんのよ」

 

 言われ、不意に俺は気づいた。

そうだ、俺は一体何故こんなに必死になって、この花壇を守ろうとしているんだろうか。

相手は相応に強い妖怪である、家に引きこもって震えていても、あの優しい風見さんは責めないかもしれない。

もし怒りを買う羽目になったとしても、恐らくその終点に待ち受けるのは死である、今の俺が忌避すべき事では無い。

そうだ、俺は、一体何で——。

と思うと同時、がくん、と背筋に寒い浮遊感。

一瞬、迷いの余り集中が切れそうになるのを、既の所で持ち直す。

駄目だ、迷っていて勝てる相手では無い。

頭を振って頭の中から迷いを捨て去る俺に、ニヤリと笑みを浮かべる妖怪達。

 

「あら、怖いのかしら。逃げてもいいのよ? 私たちの目的は、あいつの大切な物をグチャグチャにしてやりたいってだけなんだから」

 

 と言っても、その内容は的外れな物で、俺の心を揺るがすには足らなかった。

迷いの糸を振り切るようにして、俺は体を僅かに前に動かす。

とりあえず、俺の目的は時間稼ぎなのだから、このまま会話を続かせるのが常道であろう。

意を決して、口を開こうとするが、寸前、金髪の妖怪が口を開く。

 

「まぁいいや、さっさと片付けちゃいましょう」

「ちょ、ま……!」

 

 何か言うよりも早く、妖怪達が指揮棒を振るように手を振るう。

それと同時、周りに浮かんだ弾幕が、光の尾を残してこちらへ飛んでくる。

こうなれば、最早覚悟を決めるしかあるまい。

己の口下手さを呪いつつも、俺は弾幕の防衛戦と言う、あまりにも不利な戦いに、身を投げるのであった。

 

 ……——。

一体、どれほどの時間が経っただろうか。

時間の感覚が無くなる程の間、俺は無数の弾幕を受け止め、少ないながらも誘導性を付与した弾幕を相手に撃っていた。

太陽の畑がその花を散らしており、守るべき範囲が家の周りだったのが幸いしたのか。

辛うじて、今でも俺は花壇を守り続けられている。

と言っても、状態は刻々と悪くなっている。

目はチカチカする弾幕を見続けて霞み始め、四肢には力が入らず、霊力の節約のため、浮く事すらもせずに弾幕を放つ。

耳は永遠とも思える程の時間続いている爆音でおかしくなりそうで、膝はがくがくと震えるのを、背を家の壁にあずけてどうにか立っていられている。

最早、俺の敗北も秒読みか、と思った瞬間であった。

 

「ぶえっ!?」

 

 唐突に、悲鳴。

と同時、弾幕が途絶え、金銀で一杯だった視界が晴れやかになる。

 

「なっ、ぐぎゃあっ!?」

 

 一撃。

たった一撃づつで、金銀の妖怪達は地に落ちて行った。

そして。

広がる緑の髪。

風にたゆたう赤いチェックのスカートとベスト。

泣きそうな表情で、駆けつけて来る、風見さんが、目に入った。

 

「——大丈夫、権兵衛っ!?」

 

 あぁ、良かった、間に合ったんだ。

そう思うと同時、ギリギリ立ち上がっていた膝の震えが止まらなくなり、ずるずると崩れ落ち。

地につくよりも、早く。

日傘を投げ捨てて飛び込んできた風見さんに、抱きしめられる。

少し痛いぐらいの強さで、背中まで回される風見さんの両腕。

疲れた体に心地良い、俺より少し高い感じのする、体温。

ふわり、と、女性らしい甘い香りのする緑の髪が、俺の鼻をくすぐる。

 

「よ、良かった……本当に、良かった……!」

 

 余程花壇が残っていたのが嬉しかったのだろう、涙を零しながら言う風見さん。

ついついその頭を撫でてやりたくなるが、疲れの余り腕が上がらず、断念する。

それでも、こんなに喜ばれると、俺の方も何だか嬉しくなってきてしまい、口元が緩くなった。

 

「ええ。最初の一撃は防げませんでしたけど、それ以外は、ほら、何とか。俺の世話している花壇だって」

 

 誇らしげな気分でそう言うと、ぎゅ、と、少しだけ俺を抱きしめる力が強くなる。

ちょっぴり痛いぐらいの、力。

 

「ち、違うわよ……ううっ。勿論、か、花壇が残っていてくれたのも、嬉しかったけど。

でも。でも、それ以上に。ご、権兵衛が無事で、嬉しかったに決まってるじゃないの!」

 

 ——……?

意味が、分からない。

だって、俺は、俺なのだ。

寄生虫のような男で。

恩を貰ってばかりで、返す事の出来ないような人生しか、送れない男で。

 

「俺、なんかが……?」

 

 だから、思わずこんなことを口に出してしまう。

更に、少しだけ、俺を抱きしめる力が強くなった。

 

「うん。気づいたの。私、権兵衛の事が大事よ。とっても、大切」

 

 言われて。

何故か、顔面が熱くなる。

体中から熱いものが目尻に集まってきて。

ポロリと。

涙になって、こぼれ落ちた。

 

「俺が、大切……?」

「うん。大切。とっても、大事」

 

 気づけば、俺を抱きしめていた風見さんの腕は、俺の頭をかき抱くようになっていて。

泣きながら、俺は風見さんに抱きしめられる形になっていて。

暖かかった。

風見さんの優しさが、暖かくて、嬉しかった。

その暖かさは、今までも何度も俺を包みこんでくれた物で。

俺が恩人と称する、みんなが俺に与えてくれた物で。

それがあんまりにも尊くて、思う。

 

 俺は。

俺は、一体何故、死のうなんて思ったのだろうか。

だって、俺はこんなにも温かい物を受け取っているのだ。

俺はそれを返したいし、その可能性が僅かでもあるならば、諦めないつもりでいたのだ。

それなのに、一体何故。

 

 ——それは多分、一言で言ってしまえば、俺は不貞腐れていたのだろう。

何度恩を返そうとしても上手く行かなくって、それどころか俺はドンドンと負債を大きくしていって。

それでも霊力をどうにか手に入れ、これできっとどうにかなると思った瞬間、それも叩き潰されて。

それどころか、家まで無くなってしまって。

本当に、これからどうすればいいのか分からなくって。

その、あまりの難易度の高さに。

 

 だが、今俺は、再び生きようとする意欲を取り戻していた。

俺は、可能性が僅かでもあるならば、諦めずに恩を返そうとし続けるべきなのだ。

その為に萎えていた気力も、今は燃え上がり、吹き出さんばかりに俺の中を荒れ狂っている。

だって、人はこんなにも暖かい。

それを風見さんが、思い出させてくれたのだから。

だから、俺は、決意表明をする。

 

「風見さん……」

「うん」

「俺、今まで色々諦めちゃってて。それで、死にたいなんて思っちゃってましたけど」

「うん」

「俺、生きたいです。生きて、みんなに、今まで受けてきた恩を返したいです」

 

 突然の決意表明である。

妖怪に喰われようとしていた、と言う俺の言からある程度は察していたかもしれないけれど、何の前触れもない言だ。

その上、内容も重く、答えるのに重荷に感じるような物。

答えるのに躊躇したり、迷ったり、そうするのが当然であると言うのに。

躊躇なく、それでいて赤子に言い聞かせるように優しく、風見さんは言ってくれた。

 

「大丈夫。権兵衛なら、きっとできるわよ」

「——っ!」

 

 その言葉で、一気に涙が溢れ出てきた。

決壊したダムのように流れ出る涙と共に、嗚咽を漏らし。

風見さんの背に、恐る恐る手を伸ばし、抱きしめて。

人の暖かさが、どれほど尊い物か改めて感じ。

その日、俺は泣き疲れて眠るまで、風見さんを抱きしめながら、泣き続けていた。

 

 

 

   ***

 

 

 

 明るい木目で囲まれた、全て家具は木製であり、所々赤いチェックの柄が入った部屋の中。

窓際に置かれた、矢張り赤いチェックの掛け布団に包まれ、権兵衛が寝ていた。

そのすぐ横にはサイドテーブルに水差しがあり、隣の椅子には幽香が座って、権兵衛の看病をしていた。

と言っても、権兵衛の症状はそう重い物では無い。

単に限界を超えて霊力を使い果たしただけなので、丸一日もすれば起き上がれるようになるぐらいである。

事実、既に何度か意識は取り戻しており、軽い物ならば食事も取れている。

なので一日近く経過した今、もう看病はいいし、寝床も何時ものソファでいい、とは権兵衛の言であったのだが、幽香は頑なに譲らず、権兵衛をベッドの上から動かさなかった。

 

 すー、はー、と、今日何度目か数えるのも馬鹿らしいぐらいの、深呼吸をする。

それから異様なほどにドキドキと鳴り響いている心臓に手を当て、静まれ、と幽香は瞳を閉じて念じた。

残っていた逞しい花壇の花々の事を思い、心を穏やかな方に持って行く。

するとそれに従い、飛び出そうなほどだった心臓の鼓動はやや収まり、じとじとと体中から吹き出ていた汗は、何とか収まる。

それから、権兵衛の水差しとは別に持ってきたコップに注いである水を口に含み、カラカラになった喉を潤した。

そして、深い吐息。

心が平穏になったのを確認し、えいっ、と幽香は権兵衛の布団の中に手を突っ込んだ。

 

 権兵衛の、体温が感じられる。

それだけで顔に赤みが広がっていって、最初のうちはそれだけでも耐え切れずに部屋を飛び出て頭を冷やさねばならなかったが、何度かの挑戦を経て耐性をつけた幽香には、これぐらいなら何とかなる。

と言っても、時間が経てばそれだけで終わってしまうので、僅かに焦りながら、権兵衛の手を探す。

しばらく布団の中をごそごそと探っていると、ふと、今までよりも高い体温が見つかる。

それと、これまでの何度かの経験を手繰っていくと、不意に、幽香の指先に温かい物が触れた。

思わず飛び上がりそうになってしまう自分を律しながら、恐る恐るその体温を掴み、先の方へと手繰ってゆく。

すると次第に暖かな物は細くなってゆき、ある所でぱっと開けた形になる。

権兵衛の、掌である。

それを悟ると同時、咄嗟に幽香は手の動きを止め、ひゅ、と息を飲み込んだ。

が、ここまでも何回かは来ているのだ。

こんな所で怖気付いてどうする、と目をつむり、布団に入れてない片手を、心臓の鼓動を抑えるかのように、胸の上におく。

そして、ゆっくりと、権兵衛の手首を滑ってゆくようにして、手を権兵衛の掌まで達させ、その指先を絡めた。

ぎゅ、と、軽く握る。

それだけで心臓がはち切れそうになってしまうような、乙女のような自分を、幽香は僅かな戸惑いと共に受け入れた。

 

 こうして、権兵衛の体温を感じながら、ゆっくりと目を開く。

小さく上下する胸の辺りを通り過ぎ、視線を権兵衛の顔へやる。

別段、権兵衛は強いていう程の美形では無い。

顔は頼りがいを得ようとするにはちょっと丸いし、眉も丸く穏やかな感じである。

鼻も然程高くは無いし、唇も厚さがちょっと足りないかな、とも思う。

けれど、何となく人をほっとさせるような感じがあって、悪くないと言うか、とても素敵だと幽香は思う。

 

 権兵衛が襲われているのを見て、幽香は咄嗟に権兵衛を助け、気づけば権兵衛を抱きしめていた。

一歩間違えれば権兵衛が失われていたかもしれない、と思うと、胸の奥が切なくなり、涙をも堪えきれなかった。

あの、幽香がである。

何の理由も無くとも他人をいじめ続ける、ちょっとおかしな妖怪の、幽香がである。

それを思うと、幽香は自分が権兵衛の事が大切なのだと認めざるを得なかった。

こんなにも物騒な妖怪の自分を、穏やかにしてくれる権兵衛の事が、心から大切なのだと。

こうやって掌を握っているだけで、不思議なほど穏やかな感情を抱ける自分を見ると、それを再認識できる。

妖怪に花壇を荒らされた直後だと言うのに、権兵衛を見ているだけで口元は自然と緩み、目は細くなり、肩は下がる。

常であれば、下手人を捕まえて、いじめにいじめつくして相手が発狂するまでいじめて、それでようやく憤りの幾らかが晴れる程度であったと言うのに、である。

 

 勿論、権兵衛を見ていると心がふわふわとした物に包まれ、落ち着かないのも事実である。

とは言えそれは嗜虐性とはかけ離れたもので、穏やさや温和さと同居できる気持ちなのも、幽香は何となく察していた。

であるので、権兵衛の掌を握るのは、例えその体温に顔が思わず赤面してしまうのだとしても、辞めはしない。

ああ、今、私は権兵衛と繋がっているんだ。

そう思うと、全身からしっとりとした汗が吹き出し、瞳は潤み、喉が乾いていく。

と言っても、別段不快ではなく、むしろ何だか、上手く言語化できないが気持ちいいぐらいなので、幽香が権兵衛の掌を離す事は無かった。

のだが。

 

「かざみ、さん……?」

「——っ!?」

 

 思わず手を離し、飛び上がってしまう幽香。

ついでにサイドテーブルを倒してしまい、置いてあったコップと水差しを落としてしまう。

どどどど、どうしよう、と思いつつ、何をすればいいのか分からずに幽香はあわあわと掌を宙に漂わせる。

そのうちに、寝ぼけ眼であった権兵衛の目がゆっくりと覚醒してゆき、ふと、目が合った。

どきん、と、心臓が高鳴る。

 

「……あ、おはようございます」

「お、おはようっ! ちょ、ちょっとこれ倒しちゃったから、その、片付けてくるわねっ!」

 

 自分でも半分何を言っているのか分からないままに、サイドテーブルを立て直し、落ちたコップと水差しを拾う幽香。

その後ろを、どうしたんだろう、と首を傾げる権兵衛の視線が追っている事に気づきつつ、慌てて幽香は部屋を出て行った。

 

 台所まで行って、何杯か水を飲んで、頭を冷やすのに数分。

それから、起きたばかりであろう権兵衛も喉が乾いているのではないか、と慌てて権兵衛の寝ている自室まで水を持ってゆき。

そして水を飲み、一息した権兵衛から、こんな言葉があった。

——少し身支度が整ったら、話がある、と。

真剣味のあるその言葉に、幽香はとりあえず頷き、リビングを権兵衛に渡し、己も自室で、権兵衛と過ごしている間にかいてしまった汗を拭いたり、鏡を見てちょっと髪を直したりとした。

それから互いに身支度が整った辺りで、幽香が紅茶を入れ、権兵衛と向き合う形でリビングのテーブルにつく。

そしてしばらく、紅茶を飲んで気を落ち着かせる次第となっていた。

 

 紅茶を口に含み、僅かに転がし、香りを愉しみながら嚥下する。

同じようにしている権兵衛も、起き抜けと言う事もあって、もう少し頭がハッキリするまで時間を置きたいようである。

なので自然、幽香の心は、これからされるであろう権兵衛の話の内容へと向く事になる。

さて、話とはなんだろうか?

そう思い、首を傾げる幽香であるが、その内容は中々浮かんでこない。

なんといっても、今の所生活に問題は目立って無く、花壇が壊されたのも問題と言えば問題だが、それも改まって話をするまでもなく、手を尽くして再生できるだけはやってみるつもりである。

とすると、権兵衛が力不足を感じたのであろうか?

いや、それも違う、と、内心で幽香は頭を振った。

幽香の目から権兵衛の霊力の扱いを見たのはほんの僅かだが、何処で覚えたのやら明らかに系統だった術の扱いをしており、成長にも目処が立っているであろうと推測できる。

はて、と一向に見えてこない権兵衛の話の内容に、ふと、幽香はメディスンの言っていた事を思い出す。

 

 好き。

私は、権兵衛の事が好き。

その言葉を思い出すと、不思議と胸が熱くなり、まるで権兵衛に触れているかのようなふわふわとした気持ちになるから、不思議である。

幽香は、権兵衛が大切だと言う事は自覚したが、好き、とまで行っているかどうかは、自分でも分からなかった。

何せ幽香は、生まれてこの方こんな感じの性格である、異性を恋愛と言う感情で見た事は無いので、判別がつかないのである。

だけど。

もしその通りであるならば素敵だな、と思うし、それに、それに、もしかしたら。

権兵衛の話と言うのも、そんな事なのではないだろうか。

 

 かぁああぁあ、と、自分の顔が赤面してゆくのを、幽香は感じた。

いや、勿論、それが大した理由のない、自分の妄想に過ぎない事を、幽香は分かっている。

でも、先の権兵衛への台詞。

とっても大切、と言うのは、見方を変えれば、告白の言葉とも取れなくもない訳で。

そう権兵衛が受け取ったのならば、当然、返事を考えるのも自然な話なのであって。

 

「〜〜っ」

 

 己を抱きしめ、悶えたい衝動に抗うのに、幽香は必死になった。

膝の上に置いていた両手を下におろし、血が滲まんばかりに握り締め、顔を俯かせ、ふるふると体を震わせる。

大きく息を吸って吐き、どうにか自身を落ち着かせた。

違う、これはただの自分の妄想なのだ。

だから実現するかは分からないし、今考える必要も無いのだ。

だって、返事は最初から決まっているのだし、って違うっ。

そんな風に思考がズレ出す頭をぶんぶんと振り、どうにか桃色の妄想を頭から追い出す幽香。

 

「えーと、話、始めて大丈夫でしょうか?」

 

 そんな幽香に、おずおずと権兵衛が切り出す。

はっと気づいた幽香は、慌てて赤面しつつ、口を開いた。

 

「だだ、大丈夫よ。ほら、言ってごらんなさい?」

 

 言ってから、紅茶と共に恥ずかしさを喉の奥まで流しこむ。

何にしても、あの優しい権兵衛の話である。

この穏やかで心優しくなれる生活を続ける為の話である事には違いなく、故に幽香はどんな話が来るのか検討がついていなくても、安心して聞いていられた。

わざわざ自分から、誰かをいじめに行かずに済んで。

驚くほど穏やかな気持ちで、それでいて権兵衛の事を思うと、ふわふわした気持ちになったりして。

こんな生活が永遠に続くと、幽香は確信していたのであるのだから。

だから、促された権兵衛の言葉を、静かに、黙って幽香は聞いていた。

 

「えっと、この前も言いましたけど。俺は、今まで受けた恩を返す為に生きてきたんですけど、家が無くなっちゃったりして、あんまりにも何をすればいいのか分からなくて、もう妖怪に喰われてしまいたい、なんて思っちゃってました」

「……うん」

 

 頷く。

家が無くなった、と言うのは初耳だが、権兵衛が自殺志願者であった事は、幽香も初対面から知っている事であった。

当然、幽香は権兵衛のそんな部分が心配ではあった。

勿論自分の見ている前では死なせるつもりなどもう無かったが、それでも。

しかし。

 

「でも、その、それって、俺が不貞腐れていた、だけだったんですよね。何をすればいいのか、どんなに考えても分からなくって」

「………………」

「でも、その、風見さんに大切って言っていただいて。人の暖かさが、どれほど大きい物か、もう一度思い知って。みんなに、改めて恩を返していこう、って思えるようになったんです」

 

 との事である。

先日幽香が権兵衛を抱きしめ聞いてやった事の焼き直しだが、権兵衛は幽香の言葉で、生きる気力を持ち直したのだと言う。

それを思うと、幽香の口元が自然に緩んできてしまう。

元々自分は権兵衛からこの穏やかになれる気持ちを貰っていて、権兵衛を大切に思っていた。

それと同じように権兵衛にしてやれる事があり、その事で権兵衛が自分を大切に思ってくれるのならば、それはとても素敵なことだと幽香は思うのだ。

 

「だから。その、幽香さんにも恩返しをしたい、って思って」

「……うん」

「それには、このままじゃあ、ダメだって思って」

 

 あれ? と、幽香は内心で首をかしげた。

何か。

何かが、違うような気がする。

 

「だって、このままじゃあ、俺は幽香さんにおんぶ抱っこのままです。一応、俺には霊力もあるし、持ち歩いていたから、金子も多少はあります。

家を建てるにはちょっと足りないでしょうけれど、数日も練習すれば、雨露を防ぐ結界程度は張れるようになるでしょうし。

それに、冬の間の食材も、自然の物を集めたり、直接里には行けないでしょうけれど、誰か人を頼って買い物をしてきてもらう事もして、厳しくはありますけれど、それでどうにかなりそうな感じですし」

「あ……うん」

 

 思わず、呆然と頷く幽香。

成程、確かに家の周りに中々の結界を作っていた権兵衛である、温度や雨を遮る結界も、時間をかけて張ると言う前提ならば、然程努力を必要とせずに習得できるだろう。

それでなくとも、管理しきれずに放置された山小屋が、人里外れにいくつかあると聞いたことがある。

それらを利用すれば、冬を乗り切る事も不可能では無いだろう。

食材についても、同じく。

妖怪と対峙できる権兵衛は、里人の手の届かない場所で秋の実りを独占する事ができ、それを上手く活用すれば、この冬を乗り切る事も不可能ではない。

それはそうだけれども。

それは、そうなんだけれども。

何でそんな事を言うのか、理解できない。

意味が、分からない。

 

「その、霊力を使い切ったばかりですし、まだ数日はお世話になりたいんですけれど。

そのうち、ここを、出てゆきたいと思います」

「………………」

 

 意味が、分からない。

呆然とする幽香の視線に気づかず、権兵衛は粛々とした様子で続ける。

 

「その、誤解させてしまうと申し訳ないのですが、決して、風見さんと一緒の生活が、嫌になった、と言う訳じゃあないんです。

ただ、こうやって一方的にお世話をしてもらう形と言うのは、矢張り、なんていうか、健全じゃあない。

生活の細かな所では風見さんに恩を返していけるけれど、それは今こうやってお世話してもらっているのに対する物であって、決して生きる気力を分けてもらうような、大きな恩を返せる物じゃあないんです。

そして、俺は、恩知らずには、なりたくない。

俺に暖かな物をくれたみんなに、それを返せるような、人間になりたいのです。

思えば永遠亭の時も、傷が治ったらこう言い出すつもりでしたし」

 

 そういえばまだ完治はしていないんだよな、とぼやく権兵衛。

その口から出てくる言葉の意味が、少しづつ咀嚼され、幽香の中に浸透してゆく。

出て行く。

出て、行く。

権兵衛が、居なくなる。

足元が崩れ、無くなってゆくような感覚を、幽香は味わっていた。

頭が釣り上げられているかのように、四肢や尻が椅子や床についている感覚が無く、おぼつかない。

軽い目眩がする。

紅茶のティーカップを握る手が震え、無意識に力が入り、ティーカップに罅を入れた。

かたかたと震える手で紅茶を飲み込み、それでも動揺を押し流せず、僅かに震える声で言う。

 

「ここを、出て行くと、そう、言うのね?」

「——はい。そうです」

 

 真剣な顔で、そう答える権兵衛の顔が見えて。

幽香は、視界が赤く染まるのを感じた。

顔から表情と言う表情が抜け落ちてゆく。

代わりに、愉悦のような物が顔へと湧き上がり、広がっていった。

胸の奥から、どん、と湧き上がる衝動に身を任せ、幽香は静かに椅子から立ち上がる。

テーブルを回って、権兵衛の側に近づく。

一瞬、暴力を振るわれるのでは、とでも思ったのだろうか、固い表情をした権兵衛であったが、幽香の浮かべる笑みを見て、怪訝そうな表情になる。

ぽん、と、権兵衛の肩に、幽香は手を載せた。

そしてその、笑みを浮かべた表情を、権兵衛に向ける。

すると安心したのだろう、安堵の笑みのようなものを、権兵衛は浮かべた。

うん、と内心で幽香は頷く。

笑みは大事だ。

何せ笑みが無ければ、その表情が変わる所は見られず、絶望との落差も少しもなくなってしまうのだから。

だから満面の笑みを浮かべたまま。

幽香は、権兵衛の肩を握りつぶした。

 

「っぎゃあぁあああああぁあぁっ!?」

 

 天使の歌声のような、心地良い絶叫が響き渡る。

成程、流石は権兵衛である、その絶叫すらも天上の音楽のように美しく、思わず幽香は頬を染めてしまう。

それにこの、肉ごと骨を圧し砕いた感覚も、常よりも圧倒的に扇情的だ。

肉をつかむ、皮と内側の肉がうねる生々しい感覚から、力を込めるとすぐに、奥にある骨の硬さと軟骨の柔らかさの入り交じった、妖艶な感覚へと入れ替わる。

それを圧し砕くのは、まるで白い紙を墨で黒く染めるような、可憐で清廉な物を粉々に打ち砕くような、圧倒的快感だった。

掌には未だ、権兵衛の血肉がこびりついている。

それを剥がさずにそのまま口元まで運び、唇の間から差し出した舌で、舐めとる。

あまりの快感に、腰が砕けるかと思った。

天に昇るような、何とも例えがたい権兵衛の血潮の味に、はぁぁ、と、嬉しさのあまり幽香はため息を漏らす。

 

「ねぇ、ごんべえ」

「ああぁああぁっ、ぐ、えぇっ!」

 

 聞こえていない様子で、肩を押さえて椅子の上で転がり落ちんばかりの様子で暴れる権兵衛に、静かに幽香は話しかけた。

そして、肩を押さえていない、だらりと垂れ下がった側の権兵衛の手を、ゆっくりと取る。

先ほど布団の中でそうしたように、極上の絹に触れるような繊細さで、指を絡める。

少しの間そうしてから、幽香は権兵衛の人差し指に、両手を集めた。

 

「だめじゃない、そんなこと言っちゃあ」

 

 そして権兵衛の指を折った。

 

「ぐぎゃあぁああぁっ!?」

 

 再び天上の悲鳴を上げる権兵衛に、うっとりとした表情で、幽香は次の中指に両手を集める。

この指を折ると言うのも、こりっとした硬軟入り交じった感覚が何とも言えず、快感である。

胸の奥が熱くなり、全身から汗が吹き出し、肌が湿ってゆくのを感じながら、妖艶な笑みを浮かべ、幽香は続ける。

 

「さいしょに言ったでしょ? ここから逃げ出そうと思ったら、その時は……って」

 

 そして権兵衛の中指も折った。

 

「だめなのよ、ごんべえ」

 

 薬指も折った。

 

「ごんべえは、わたしのものなのよ。それを、おしえてあげなくちゃ、ね」

 

 小指を折って、親指も折る。

一気に折ったら、痛みが限界を超えたのだろうか、激しくもがく権兵衛は椅子から転がり落ち、床に体を打つ。

口から血の混じった泡を吐き、限界まで目を見開き絶叫する。

それを追って、幽香は権兵衛の上を跨ぎ、それから膝を折る。

ちゃんとスカートをお尻にひくようにして、権兵衛の上に跨った。

こうすると、権兵衛の上半身がよく見える上に、彼の動きを抑制できて、一石二鳥である。

男性の上に跨ると言うのは、ちょっとはたしなくて、その分顔が赤くなってしまう幽香なのであったが。

 

「ねぇ、だからごんべえ」

 

 腫れ上がった肩に触れる。

患部が持った熱を感じると同時、跳ね上がろうとする権兵衛の動きを感じ、静かに幽香は頬を染めた。

それから幽香の手はゆっくりと権兵衛の腕を降りてゆくように触れてゆき、最後に五指全てが折れ、ありえない方向へ曲がっている権兵衛の手に絡んだ。

再び、痛みに呻き、跳ね上がろうとする権兵衛の動き。

下半身を介して伝わってくる振動に、思わず顔を上気させながら、幽香は、折れて不気味に腫れ上がった権兵衛の五指に、己の指を絡めた。

 

「いろんなこと、おしえてあげるからね」

 

 折れた指の血の溜まり腫れ上がった部分の感触も、これまた例えようがなく心地良い物である。

それに思わず満面の笑みを浮かべながら、そう言って、幽香は残る片手で、権兵衛に触れる。

伝わってくる体温に頬を染めながら、幽香は、己の嗜虐性の全てを解放した。

 

 

 

   ***

 

 

 

 はっ、と、不意に幽香は正気を取り戻した。

それは果たして、幽香の嗜虐性が全てで尽くしてしまったからなのか、それとも単に狂気に振れ幅みたいなものがあって、急に正気側に戻ってきただけなのか、それは分からなかったけれども、兎も角。

跨っている下には、原型を半ば失いかけ、真紅に染まった権兵衛があった。

自分の意志とは無関係に、幽香の体がぶるぶると震えてくる。

違う。

違う、私じゃない、私はそんな事したくなんてなかった——。

そんな事を内心でつぶやきながら、ぶるぶると震えながら両手を顔の前に持ってくる。

それは権兵衛の血でグチャグチャに濡れており、それは明らかに下手人を幽香と示していて。

 

「ち、違うの。わ、私、ただ、権兵衛が離れていくのが悲しくって。で、でも、だからって、こんな、こんな事するつもりじゃ——」

 

 返事はない。

代わりに、血の泡がぷくぷくと音をたてるだけである。

 

「ここから出て生活するのだって、そ、その、私、応援するつもりだった。それは、も、勿論、寂しいけど、権兵衛の為だからって——」

 

 返事はない。

ただ椅子からピチャピチャと血の零れ落ちる音が返ってくるだけである。

 

「こ、こんなつもりじゃなかったのよ! し、信じて、権兵衛。わ、私、貴方の事を傷つけたりしようとなんか、少しも思って——」

 

 返事はない。

ただ、無慈悲に幽香の声が反響するだけである。

 

「ご、権兵衛? もしかして、死——」

 

 その先にある言葉を飲み込み、幽香は恐慌に囚われそうになった。

ぶるぶると頭を振り、その考えを頭から追いだして、権兵衛の口元に耳をやる。

ひゅー、ひゅー、と言う、薄いが確かな、呼吸音。

ほっ、と安堵の色に顔色を変え、顔を離すと、丁度権兵衛が腫れ上がった瞼の間から、薄目をあけている所だった。

 

「よ、良かった、権兵衛。も、もしかしたら、し、死んじゃったんじゃないかって思って……。良かった、本当に良かった……」

 

 言いつつ、もし権兵衛が死んでいたらと言う余りにも恐ろしい想像に、幽香の目から涙が溢れる。

傷ついた権兵衛をこれ以上刺激しないよう、優しい手つきで権兵衛に抱きつき、頭を撫でた。

それに反応し、ぴく、と何度か目を開け閉めする権兵衛。

 

「あのね、権兵衛、そ、その、ううっ、本当に、私、何もする気は無かったの。一発だって、殴るつもりなんて無かった。ましてや、こ、こんないたぶるような事なんて——」

 

 言っていて、なんて信憑性の無い事だろう、と幽香は思った。

権兵衛には暴力こそ振るっていなかったとは言え、あの妖怪どもを嬲っていた所が初対面である。

それを思うと、権兵衛をいたぶるつもりなど無かったと言う事は、毛程も信じられない事だろう。

何せ、幽香自身、こんなにも自分が穏やかになれるなんて、権兵衛と出会うまでは信じられなかったのである。

当然信じられないのが道理であり、普通であると、言うのに。

 

「あ——」

 

 こくん、と。

僅かにだが、権兵衛が頷くのを、幽香は感じた。

そればかりか、ゆっくりと、本当にゆっくりとだが、曲がってはいけない方向に曲がっている腕を持ち上げて。

権兵衛は、折れている指で幽香の頭を、少しだけ撫でた。

血が髪に絡みつくけれど、そんな事気にならないほど、その手は暖かくて。

 

「ごん、べえ——」

 

 ありがとう、と。

涙を零しながらそう言おうとした、その瞬間であった。

ぱたん、と、権兵衛の手が地に落ちた。

首から力が抜け、瞼が閉じた。

 

「——え?」

 

 疑問詞をあげるも、今度ばかりは返事はない。

僅かに揺さぶってみるも、反応すらなく。

慌てて息を確かめてみれば、そちらはあるのだが、顔のうち鮮血で染まっていない部分は、真っ青で。

まるで、と、幽香は思ってしまう。

まるで、死にかけているかのようで——。

 

「い、嫌だ! 死んじゃ嫌よ、権兵衛っ!」

 

 思わず叫ぶものの、だからと言ってどうにもならない事は、権兵衛を嬲った幽香自身が一番分かっている。

ならば治療か、とも思うものの、長らく怪我とはご無沙汰な幽香は救急箱など持っておらず、例え持っていたとしても、今の権兵衛はそう簡単には治せない。

ならば医者にか、とも思うものの、幽香は人間の医者など一人も知らず、数年前に幻想入りしてきたと言う迷いの竹林の医者も知古ではなく、そも、永遠亭の場所すら知らない。

 

「嫌だ……! 権兵衛、権兵衛、権兵衛っ!」

 

 動転して叫ぶ事しかできないままに、ただ時間だけが過ぎてゆく。

いっそ行ったら見つけられるかもしれない、と賭けて、迷いの竹林にでも行ってみるか?

いや、幽香は妖怪として強力な力こそあるものの、そういった感などについては普通の鋭さしかないし、そも、幽香自身悪名高い妖怪である。

もしも喧嘩を吹っかけに行ったと思われれば、権兵衛の命は持たない。

感。

感——。

はっと、幽香の頭の中に思い浮かぶ物があった。

幽香の数少ない知古である、紅白巫女。

博麗霊夢。

あれであれば傷ついた人間を見捨てる事はないし、やたら妖怪に好かれる質だから、永遠亭の医者とやらとも知り合いであるのではないか。

そう思うと居ても立ってもいられず、幽香は権兵衛を担ぎ、急ぎ外に飛び出す。

 

「権兵衛、もうちょっとだけ頑張ってね、権兵衛、あの巫女ならきっと何とかしてくれるだろうから!」

 

 結界で風の影響を避けつつ、全速で幽香は飛ぶ。

幸い、権兵衛の様態はそう悪くないようで、体温が急に下がる事も無いまま、暫く飛ぶと、博麗神社が見えてきた。

道中、権兵衛に声を掛け続けてきたからか、喉が痛いが、そんな事は言ってられずに、幽香は叫ぶ。

 

「権兵衛、もう神社が見えてきたから。もうすぐよ、大丈夫よ!」

 

 そして幽香は、博麗神社の境内に降り立った。

ゆっくりと権兵衛をその場に下ろしつつ、軽く辺りを見回し、霊夢が見当たらないのを見て、声を上げようとする。

上げようとして……一瞬、躊躇してしまった。

ここで声をあげて、自分はどうするのだろうか。

どうせあの感の鋭い巫女である、声をあげたところで、権兵衛が見つかるまで、彼の様態が変わる程の差はあるまい。

問題は、それからどうするかである。

当然、此処に来るまでは権兵衛が気がつくまで付き添うつもりで来た幽香なのだが。

不意に、こんな悪寒に襲われた。

 

 これでもし、権兵衛に嫌われていたら——自分はどうすればいいのだろうか、と。

 

 そう思ったが最後、石にでもなったかのように、幽香は動き出せなかった。

確かに先程は、権兵衛が幽香の言い訳に頷き、肯定してくれたかのように思えた。

だが、ただでさえ、意識が朦朧としていただろう時の事である。

その上、加害者たる幽香を刺激しない為、つまりこれ以上傷を負わない為に、幽香に同意してみせたのかもしれない。

一度そう思うと、その恐れは幽香の奥底にこびり付いて、離れなかった。

思わず権兵衛の罵声を想像してしまうと、恐ろしくて恐ろしくて、ぶるぶると体が震えだし、己を抱きしめなければ立つことすらもままならない。

結局、どうするのか決めれずに一人ぶるぶると震えているうちに、幾つか足音が聞こえてきて。

反射的に、幽香はその場から飛び立っていた。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 暫く無心で飛び続け、気づけば、幽香は家までたどり着いていた。

ゆっくりと地面へ降り立ち、ふらふらとした足取りで、家の壁へと縋りつくように体重を預ける。

自然と涙が溢れてきて、ぽたぽたと地面に落ち、幾つか染みを作った。

確かに、権兵衛に嫌われていたら——と思うと、怖くて仕方が無い。

想像してみる。

冷たい視線で自分を見る権兵衛。

怒りをあらわに、罵声を浴びせる権兵衛。

——己に殴りかかってくる、権兵衛。

どれもが恐ろしくて仕方がなく、がくがくと震える足に、ついに幽香は土に尻をついた。

とうとう首を支える力すらも無くなってきて、天を仰ぎ、頭の体重も壁に預ける。

 

「違う、そんな事、無い、筈……」

 

 何とか開いた唇も力はなく、声は尻すぼみだった。

確かに権兵衛は幽香の言葉に頷いてみせたが、ほんの僅かでしか無かったし、単に縦に揺れただけなのを勘違いしてしまったのかもしれない。

頭を撫でようとしてくれたが、それは殴ろうとしてあまりの力の無さに失敗してしまっただけなのかもしれない。

そう思うと、権兵衛に嫌われているかもしれない、と言う現実を否定する言葉は、幽香の中から湧いてでなくなってきた。

 

「ゆ、許してください……お願いします……」

 

 そしてなにより、己自身が情けなかった。

本当に権兵衛の事を想っているのならば、なにより権兵衛が心配で、あの場を離れる筈が無かったのだ。

それなのに思わず逃げ出してしまった自分が、本当に惨めで惨めで、顔中から涙や鼻水がボタボタと溢れでてくる。

私は、なんて惨めなんだ。

私は、なんて愚かなんだ。

そう思ううちに、ふと、幽香は思いついた。

思いついて、しまった。

権兵衛に、嫌われるとする。

となると、当然の帰結として。

 

 もしかして私は、二度と権兵衛と会えなくなるのではないだろうか?

 

 生来最大級の悪寒が、幽香を襲った。

思わず自らを抱きしめ、それでも震えは止まらず、全身ががくがくと震える。

すうっと四肢から順に体温が無くなってゆき、体を掴む、その指の感覚ですら怪しくなる。

権兵衛に嫌われてもいい。

罵声を浴びせられてもいい。

殴られたって、構わない。

でも、権兵衛と二度と会わない事だけは、耐えられそうになかった。

 

「ご、ごめんなさいっ! ううっ、ごめんなさい、ごめんなざい、うっ、ごめんなざいっ!」

 

 鼻声でしゃくりあげながら叫ぶ幽香。

しかし同時、その希望が叶わないであろう事を、他ならぬ幽香自身が承知していた。

何せ幽香は、権兵衛を徹底的にいじめぬいたのである。

それも、もしかしたら死ぬんじゃないかと思ってしまうぐらいに。

多分、多くの人妖をいじめてきた幽香の目から見ると、生き残れはするだろうが、もしかしたら障害が残るかもしれないぐらいに。

そればかりか、幽香は言い訳をしてたが、その言い訳すらも信憑性が無い。

何せ権兵衛を大切と言う当人が、その権兵衛よりも権兵衛に嫌われる空想を恐れて、大怪我をした権兵衛の側を離れてしまったのである。

例え先の言い訳を権兵衛が信じていたとしても、再び幽香を嫌うのに十分な理由であった。

 

「な、なんでも、じまず、がらっ! ゆ、ゆるじでぐださいっ!」

 

 決死の願いを込めて、空へ向けて幽香は叫ぶ。

しかし、喉を痛めながら叫んだその言葉には、当然の如く返事は無い。

ただただ、空虚な沈黙がその場に横たわるばかりだった。

自然、力が抜けて、視線が下がってゆく。

丁度その先には、権兵衛が世話をしていた、小さく白い花が群生していた。

涙で滲む視界の中でも、その白い花弁は緑の背景に鮮烈に浮いてみせて。

 

「あ……」

 

 ふと、幽香は何時しか会った閻魔の言葉を思い出す。

紫の彼岸桜の下、休憩したいだけと言う幽香に、閻魔は言った。

こんな所で休んだらおかしくなってしまう、いや、貴方は少しおかしくなっているのかもしれない、と。

それから。

桜は、本当は白色になりたいと、思っている、とも。

 

 改めて、幽香は思い知る。

私も同じように、白色になりたかったのだ。

温和で優しく、穏やかになりたかったのだ、と。

それを思うと、それを成し遂げてくれた権兵衛が、どれほど自分にとって尊い存在だったのか分かって。

そしてそれを自ら引き裂いてしまった自分が、どれほど愚かな存在だったのか身に染みて。

新たに、幽香の目尻から、大粒の涙が零れ落ちる。

完全に体中が脱力し、気力も果て、ただただ呆然と、しかし残る力全てを振り絞り、幽香はこう願うしか無かった。

 

「ぜったいに、わたしを見捨てないでください、権兵衛」

 

 それがどれほど難しく、どうしようもない願いだと知りつつも。

そんな幽香の前で、瑞々しく花弁を開いた小さい白い花は、その鮮明な白を見せつけるかのように、ゆらゆらと風に揺れていた。

何時までも。

何時までも。

 

 

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