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拝啓
桜が舞い散る春の陽気ですね。あなたは今頃お家で参考書でも見て溜め息三昧でしょうか。
「私は勉強一本に集中する」と言って私との交流も一年近く断ち、一人孤独な戦いに挑んでいたようですね。ですが、これまた儚く散ったようで。大学、全部落ちたんですってね(笑)
私たち、振り返ればかなり悪いこともしてきましたよね。落書きとか、夜遊びとか。また、私と一緒に遊びませんか? 堕落しましょ? それともまた地獄の一年を過ごすつもりですか? 私は待ち切れません。
そもそも、何故大学に落ちたことを知っているか、と言われれば答えは一つ。私、実はそっちの世界に来ているんですよ。数日前に来ました。千遥は不在だったみたいですねー。
何とも街の風景、というか部屋の雰囲気まで変わっていて。いつの間に引っ越したんですね。家族も居ないようですけど、大学落ちたのに一人暮らしで自宅浪人ですか? 鬼畜ですな。
てなわけで勝手にPC見させてもらいました。それで知った次第です。試験の自己採点も見ましたよ。まるでボーダーに届いてなかったじゃないですかぁ。やはり、エリート家系に生まれた普通の人間は高望みするべきじゃないですよ。難関大は、千遥の身の程に合いません。
そもそも千遥が医大目指してるの意外でした。親の影響ですかね。敷かれたレールには乗らないとか言っておきながらレールに乗れる実力も無いんじゃあ格好悪い発言に成り下がりますね。
そんな訳で、私はこの春、また千遥と愉快でスリリングな日常を共にしたいと思っています。拒むかもしれないと思って意地悪しておきましたー! アンティークっぽい棚の下段、開かないようにしておきましたよ。あと、その棚の中から大事そうなもの、頂戴しました♪
状況分かりましたか? つまり、私という悪友の訪問を喜んで迎えて下さい、ってことです。それでは、後日伺い申す(笑)
PS 私、ちなみに晴れて勘当されましたー。自由の身なんでどうぞよろしく。
あなたの相棒
桜の花びらでできた絨毯を見下ろし、気分的には見上げる気持ちでその手紙を読んだ。ふざけやがって。それにしても脳内でかなりの校閲をしつつ読まないと酷い文章だった。日本語を書くことはどうにも下手らしい。誤字脱字がもの凄い。
開かないと思ったら。そして、私のゲーム一式盗むとは。受験が終わったら夜更けまでプレイしようと思っていたのに。そんな悠長なことを言っていられないのだけれど。
美音蘭からの連絡というと、かなり久しい。約一年前に桜の木に穴を開けた日のことを思い出す。決して田舎とも言えないこの地域は少し歩けば都市にも、言い逃れできない田舎にも繋がっている。
田舎の方面に歩いて四月からは受験生だから、などと私がほざいていた時だ。美音蘭は、会えないなら桜の木に刻んでおこうなどとロマンチックなことを言ったものだ。
桜の木に刻むのは、思い出などという比喩的なものではなく文字という傍迷惑なものだった。
この地城に伝わる、友情の二本桜なるものがあった。そこで二人で写真を撮ると永遠の友情がどうとか言うパワースポットだ。売り出すほどの魅力がない町の虚しい場所である。
もちろん写真を撮るだけで、木の幹に名を刻むということは言われていない。人気が出たら芳一みたいな木ができて呪物と化しかねない。
その桜の前に立つと美音蘭はごそごそとバッグを漁り、何やらレーザーガンのようなものを取り出した。
「何だよ危ないじゃんそれ」
「いや、そんなこともないよ」
撃ち抜くのではないかと心配されたが、「工具でもこういう形のあるでしょ。だからもーまんたい」などと言ってそれを伸ばした手の先に構えた。
「それ、使用方法としては合ってるの?」
「いや、分かんないけど似たような形してた中で一番弱そうだったよ」
確かに、さながらグルーガンみたいな音がした後に見えたのは、煙が出る桜の木だった。直径四センチほどの穴の奥に、うっすらと焦げる白塗りの柵が見通せた。
「何やってんの馬鹿。唯一の観光スポットだぞここ」
「どうせ集客はゴミでしょー? 財政赤字なんだから」
「言葉の意味分かって言ってんの、それ」
私の未来も、そのように見通せたようなものだったらよかった。高校三年生の前半を部活に注ぎ、部活の後輩へのお礼に注ぎ。
勉強に身が入らないままに怠惰の夏を過ごして、一丁前に夏バテだけ手に入れて引き摺り回した。
その間、美音蘭のことを思い出したり忘れたり。それでも鮮明に私の記憶の中に残り続けていたことは確かだ。
下らないことばかりを話して、二人笑って一年の別れを過ごした。他のことを思い出しても、何かしらのものの破壊を伴うのは致命的な関係と言えるだろうが。
この悪友との再会は嬉しいような悔しいような。しかし、ようやく訪れた精神的な休暇に寄りかかりたい気分でもあった。
私は、数学の問題集をぶん投げて、漫画ばかりの本棚からぼろぼろとそれらが溢れるのを見た。
どさりと音を立てて床に落ちるそれ。何だかどきりとした。これが高揚だったら、私も堕落する他ないのだろうと、エキサイティングな訪問を待った。
渇いたインターホンの音がして、トイレから怒鳴るように「美音蘭ー!」と叫んだ。この咆哮にきっと口角が上げているだろう悪戯っ子に思いを馳せて、トイレを流す。
「おひさ」
久し振りに見た美音蘭は顔立ちだけは全く変わらなかった。大きくて少し吊っている目に可愛い眉。綺麗な鼻筋に薄紅色の唇。大人ぶったベビーフェイス、という風に見えた。
だが、今までになく黒髪ロングに白いパーカー、黒いキャップを被っている。ヒールで低身長を補っている。
何だかストリートチックな風格を出している。一人の時の口寂しさから濃いめの匂い付きのガムを噛んでいてそれが漏れてくるのは相変わらずだ。
「よお、千遥。元気してたかー?」
「してるわけない。てか、そんな服持ってたっけ?」
「私が買ったんだよー」
美音蘭は私の腹部をとんと押して室内に収め、慣れた動きでドアを閉めて何故かドアチェーンまでかけた。監禁かよ、と言うと「これ掛けるの好きなの」という独特な感性を披露した。
「引っ越したんだねー、一人暮らしじゃん。浪人生のくせに」
「元々高校出たら一人暮らししろって言われてたの」
「大学受かってなくても?」
「そ」
「残酷だねー、退路断ってるってことか」
私は末っ子だから、私が三月末にやむなく出た家には今は父母しか住んでいない。優秀な兄と姉はいい大学、いい企業の花道を歩いている。私は息を潜めている。
窮屈な一人暮らしのアパートは、逆に人を招いたことで広くなったように感じた。いや、人ではないのだが。
いきなり油性ペンで壁に下手な熊の絵を描き始めた美音蘭を横目に私は麦茶を淹れた。落書きくらい、この子の悪戯にしては大したことない。そう思ったが賃貸という言葉が私を怒鳴ってくる。
「あんまそういうの描かないで、引き払う時に弁償することになるから」
「引き払うってなにー?」
「要するにこの部屋を手放す時ってこと」
「じゃ未だ大丈夫じゃん」
いつまで経ってもモラトリアムな精神で生きるこの少女の邪悪な無垢さが懐かしい。向こう見ずな挑戦はこの子の代名詞だった。
「びっくりしたよ、部屋の雰囲気から何から違うんだもんね。やー、ちゃんと一人暮らしできてる訳?」
「まあ、ちゃんと料金は払ってるよ。督促状とか来るの怖いし」
「来たら破る、これ鉄則でしょ」
「そっちの世界じゃ公共料金ないからいいけどね。こちとらそうは行かないの。払わないと電気使えなくなるしガス使えなくなるの。下手すると水道も」
美音蘭は私を憐れむような目で見ながら、低いテーブルの近くにある水玉柄のクッションに座った。思いの外反発が足りずお尻が床に叩きつけられたらしく「痛て」と零す。
「服まで買って、しかも私の部屋以外の場所で過ごしてたって? いつから来てたの、こっちには」
一人暮らしを始めてから揃えた透明なグラスをテーブルに載せ、私も座る。
美音蘭が右手の親指を折りふらふら振ったため「四?」と訊くと首肯した。思いの外長い。
「何してたの一体」
「ま、取り敢えず小遣い稼ぎにSNS? を利用して何かろくでなしのおっさん集めて脅して財布からお札貰ってたんだけど」
「ばか」
いきなり罪を犯していることにはさすがに驚いた。まず、彼女がSNSを駆使して中々高度な犯罪に手を染めているのが怖かった。誰に教わったのか。
文明の流れの悪い方へと乗ってしまったらしい。そしていつの間にスマホを契約したのか。
「ちょろいねー。私の自撮りで物の見事に釣られてくれたもん」
「ま、美音蘭の美貌があればね」
美音蘭は、目鼻立ちが整っている上にあどけなさも備えているため多くの層に刺さるビジュアルをしている。おまけに低身長で華奢で、小悪魔的な話し方を心得ている。この世で詐欺をやるにはうってつけだ。
「その服も、そのお金で買ったってこと?」
「正解」
人の金でラフな服を購入するとは、何とも半端な行為に思える。まあ、下手に高いものに手を出して不審がられるより堅実か。そんな訳もないか。
「麦茶うすー。これパック漬けてから全然経ってないでしょ」
「いや、一パックを半分に切って使ってるからだよ」
私なりのドケチライフハックに少々引き気味の美音蘭だが、徐々に私の困窮ぶりに気付き始めているらしい。部屋の中をしげしげと眺めた。
「熱い」ふいにそう言った美音蘭は白いパーカーを脱ぎ始めた。格好つけるならバイトレット、と表現できる色のタイトな衣装を身に纏っている。
衣装、というくらいには豪華に見えるが、これが彼女、いや彼女たちにとっての普通だ。
「一人暮らしに鏡を連れてきてて良かったよ。流れで捨てられたり売られたりしてたら千遥に会えなかったからね」
「……そりゃ、鏡は私たちを繋ぐもんだから」
気恥ずかしくて目線を逸らすが、確かに改めて美音蘭の来訪は嬉しかった。いくら厄介で私を沼に沈めようとする悪友でも、再会すると心の底から湧き上がるものがある。
この鏡は、二人だけの秘密である。母が私の部屋に置くためだと中古家具店から持ってきた代物である。
フレームは洋風で凝った装飾がなされ、鏡面も綺麗に磨かれていて新品同様。確実な掘り出し物だった。
それが私の部屋にやってきて初めてのことだった。私がふと鏡に手を触れようとすると、指が鏡面を通り抜けたのだ。びっくりして飛び退くように指を離すが、興味本位で再び手を伸ばす。やはり指がすり抜けて、偶然や錯覚ではないと悟る。
未だ行けるのでは、という好奇心が芽生え、そして、遂に全身を鏡の向こうに委ねた。ぐっと全身に衝撃を感じる。視界が眩しくなり、目が冴えてくると見えたのはログハウスらしき家の中だった。
「え、鏡、は? なんか、なんか出てきたぁ!!」
横を見ると、小柄で可愛らしい少女が床に尻餅を着いていた。スケート選手が着るような薄くタイトな黄緑色の衣装を身に纏い、背中には、蝶のような羽が生えていた。それが美音蘭との出会いである。
鏡は、情じ難いだろうが、私の世界と美音蘭の世界、つまり妖精の世界を繋ぐ道だった。
そこでの出会いは運命だったように思う。初めは未知との遭遇に全身緊張状態でまともに動けなかったが、話してみると楽しくて、リラックスして交流ができた。
「私、鍋島千遥」
と、紙に書いて見せたところ、不思議そうにそれを眺めていた少女は「私はヴィオラ」と名乗った。
「どういう字?」
と私がペンを渡すと彼女もまた字を書いたのだが、まるで読めなかった。読み解けなかった。
「じゃあ、漢字あててみよ」
私が思いつく漢字、それも未だ少ない知識の中で、その上でまんまと当時ハマり始めた吹奏楽に影響を受けて「美音蘭」となった。
互いに家族による拘束で窮屈さを感じていたため、シンパシーが芽生えて、二人で頻繁に遊ぶようになった。二人には、日々ストレスが溜まっていた。周囲にまともだと思われるために被った猫を引き剥がして、こっそり二人で悪さをする。そんなスリル体験が私たちのしょうもなく強固な絆を育んできたのだ。
「一年間、勉強漬けでストレス溜まりまくったでしょ」
「そりゃもちろん。やっぱり親にはうるさく言われたからね。この大学以上は許さない、みたいな。お兄ちゃんには馬鹿にされたし、お姉ちゃんには冷たくあしらわれてたし。エリート家庭は辛いよ。末っ子の能力を測る能力はないのかな。不合格になったらもう扱いが酷かった。誰も励ましてくれないんだもん」「……辛かったね、よく耐えたよ」
美音蘭が、私の背中をそっとさすった。浪人決定から家にこもっていた私は、かなり久し振りに体温を感じた。触られると、くすぐったくて、気持ちが溢れてくる。意外と、一人が寂しかったことに気付いた。家族から解放された割に、脆いものだ。
それだけで満足しては駄目だと思い、「美音蘭は、勘当されたって」と、気になっていたことを口にした。
「……むしろ嬉しいの。私、いい子扱いはもう嫌だったから、がっつり暴力事件起こして勘当されてきた」
やーば、と心の中で呟くが体の外には出さない。事件と自ら称するレベルだから相当なことをしてきたらしい。世間体を鑑みて美音蘭を家に置いておくわけには行かなかったか。
やはり何処かで美音蘭の方が、いい意味でも悪い意味でも上手である。
「なら、まあ、見放された者同士だね。協力して生きてこ」
「押忍、千遥」
ふざける美音蘭の背中を軽く叩きながら、私は楽しかった目々に思いを馳せていた。きっと、私たち二人なら。そんな何処かで聴いたフレーズが妙に今マッチしてくすぐったかった。
「何かさ、二人の目標作らない?」
美音蘭が目をぱっちり開いて私の両肩を揺すった。あどけない表情が眩しい。まともに生きようと、期待に応えようとしてきた人生。振り返るほど長くもないが、そんなつまらないものよりは、勉強漬けよりは。
一人になって、二人になったのなら、美音蘭とのろくでもない日々の方がずっと楽しいはずだ。
「できればさ、二人で暮らしたいな。と思って」
私が言うと、美音蘭は一瞬固まったようになり、すぐに風船が弾けるみたいに笑みを零した。
「最高じゃん。高級マンション目指そうよ」
「いいね。こっそり良い暮らししようよ」
「じゃあ、やっぱりお金稼がなきゃだね」
美音蘭は右腕を頭の後ろに持ってきて左手を真上に伸ばした。やはりかなりの細腕。
「んんーっ」と言って体のストレッチに声を上げる美音蘭はぱっとその動きを抑えて両手を床に着けた。
「やっぱ、綱渡りのドキドキバイトで稼ぐっきゃないよね」
「真っ当に働こうって気はないのか」
自分にもさらさらない感覚を美音蘭に軽くパスするが圧倒的な力を持って遮られた。断固拒否、という素早い首振りに、水分を飛ばすお風呂後の犬を思い浮かべて笑った。
「一昨日だね。花田さんっていう坊主のお兄さんに会ってね」
「どういう経緯で?」
「向こうが引っ掛かってくれて」
「はぁ」
悲しき被害者だこと。花田さんとやらは彼女にいくらすられたのか。
「お金が欲しかったらこの人にDMで『お仕事募集中です』って送ると良い仕事紹介してもらえるらしいよ」
「はあ……、何でそんな話を教えてくれたんだろ」
「さあ? でも花田さんはそこの働き手らしいよ」
「じゃあ大分まずい人のお金すったことにならない?」
「まあまあ」
確実にまともなルートではない。綱渡りと言ってもスラックライン程度かと思っていたが、これは縫い糸レベルのようだ。しかし、美音蘭とある一線を越えるということが楽しみで堪らなかった。
「とうとう、悪い子になっちゃうね」
「もうなってるよ」
これからは失楽園。これって正しい表現なのか。ともかく二人で笑い合い、互いの背中を叩きながら、没落の日々が始まった。