アクセルをゆっくり踏み、ハンドルをぐるぐる回転させる。こんな表現しか出てこないレベルには運転慣れしていない。立体駐車場の三階から無事に降りると、指定されたコース通り、まずは交通量もまあまあの県道に入った。
「美珠ちゃん、そんなに危なげな運転じゃないじゃん」
「自分でも驚いてる。慎重さが功を奏してるわ」
実際、ペーパードライバーにしては上々、という運転ぶりだった。あくまでペーパードライバーにしては。そろそろ進み、おっかなびっくり運転だ。
助手席の美音蘭も大して心配せずに交差点の名前をいちいち読むなどして暇を潰していた。ペーパードライバーは運中に会話を楽しめないという悲しみを理解してくれているのか相槌が打てずとも許してくれる。助かる。
「他の車両の現在地、どうなってる?」
「あー、見るね」
美音蘭は、支給されたタブレット端末を開き、外国で作られたらしい位置情報アプリで、地図上を動く赤い点を辿っていた。
「うちらはあと、二十分やそこらで山の麓に着きそうじゃん。多分、うちらより一台早く着くのがあって、あとは大差なくほぼ同時に入りそう、かな」「通信は来てない?その、何だっけか。
株倉さん、というのはどうやら今回の仕事で産業廃棄物を載せたトラックを運転している人らしかった。きっと、手練れなのだろうと予想していた。東宮さんが言うに多少の失敗なら完璧に庇うことができると。その手段がどうかは知らないが。ともかく東宮さんからの信頼も厚いようだった。
「特に。あ、山入って所定の場所で停車したらナンバープレートにカバーかけるの忘れるな、だってさ」
「あー、バッグの中に薄い布みたいなの入ってたね。それ用か」
ナンバーを隠すのはきっと常套なのだろう。公道でナンバープレートを隠していたらすぐに警察に止められそうなものだが、山中だから見逃されがちなのか。
丁寧にナンバーを隠せば、同じ車種の車が六台ほど山に入った後どの軽トラが産廃を捨てたかが分からないようになる、といった理由らしい。
更に、産廃を捨てて株倉さんの積荷が少なくなるため、山中でカモフラージュ用の軽トラがすれ違う際に停車して一部の積荷を株倉さんのトラックに移すという作業が入っている。それは私たちも行わねばならないことだ。
「株倉さんどんな人だろ。裏社会感満載の顔かな」
「そこまで表に危険さを出してないでしょ。見て分かる悪は二流、みたいな」
「何それ、誰の台詞だよ」
二人で笑い合いながら、段々と建物が少なくなる道を進んだ。
もうすぐそこに山が聳え立っている段階だった。指定通りのルートによると、狭い横道に逸れていくらしいため、県道ともおさらばである。初めの停車位置まであと十分ほどになった。
「空も暗くなってきたね」
「曇り始めたのもあるかもね。まあまあ暗い中走ることになるかもよ。美珠ちゃんライトの点け方知ってる?」
「あんまり合宿免許舐めないで欲しいね」
私がさっとボタンを押すと、薄暗くなっていた道をほのかにライトが照らした。拍手する美音蘭がやはり少々子供っぽくて可愛らしい。
しかし、本当に辺りが暗くなってきていた。夜道の運転は後輩を後ろに乗せた時も怖くて堪らなかったが、未だ街頭が多い国道だったこともあって助かっていた。山道ともなれば反射板が申し訳程度にあるだけで助けにもならない。徐々に標高が上がるにつれて不安も増してきていた。
「よし、この駐車場か」
美音蘭が言ったため、私はスピードを緩め、山に入ってすぐの公園に曲がった。十台ほどしか駐車スペースがないが、半分程しか埋まっていない。まあ、山中の公園が盛況なのも変だ。時間も遅くなってきている。まあ十分な集客なのか。
だが、何故公園の駐車場なのか。駐車場といえば大抵カメラがあるのではないのか。何故山中で飛んで火に入る夏の虫にならねばならないのか。そこで美音蘭がタブレットの画面を見せてきた。
「十番に停めろ、だってさ。カメラは、今壊れてるみたい」
「ああ、だから公園の駐車場が使えるわけね」火煙に見えたのは既に上がっていた狼煙だったらしい。「監視カメラあるんじゃね、と心配したのは杞憂だった」
私は大人しく十番に、四回の切り返しの後駐車した。
未だ後ろ向き駐車は慣れないのだ。まして縦列駐車などと言ったら入っても出られやしない。
二人は同時にトラックを降り、まず積荷の無事を確認した。積荷は、ひたすらに幅だけ取るマネキンである。無機質なそれには一部汚れが付いていて、潰れた店のものなのかと予想していた。新品ならもう少し丁寧に運ばれるべきである。
「OKだね。じゃ、ホルンちゃん、バッグから布出して」
「了解、美珠ちゃん」
美音蘭は、別人を演じていることが非日常的で楽しいのか、にやにやしながらバッグを取り出した。ナンバープレートとほぼ変わらない色の布には、百均で見るような強力磁石が付けられていた。実際にトラックの前に行ってナンバーを見るとそこにも磁石があった。
「全然分からなかったよ。これは簡単に着けられるね」
「楽でよかった」
あまり時間をかけすぎても他のトラックとのすれ違いが上手く行かない。さっと布をつけ終わり、車内に戻るとタブレット端末を起動させる。
「株倉さんの指示によると、あと五分で私たちは出発するらしいね」
「それで暫く登って、山頂近くのスペースにちょっと停めたら後は下山しつつ積荷の移動、布の脱着ってとこね」
ふう、と一息ついた私を見て美音蘭は心配そうな目線を向けた。首を傾げて反応すると「暗いね」と言われた。
どんどん雲行きが怪しくなっているのは確かだった。もしかすると雨が降るかもしれない。とんだ日和だ。夜の山道に加えて雨か。ペーパードライバーには厳しい。
だが、初仕事くらい成功させないでどうする。運転以外は難しいことではないのだ。雨天だろうと進まねばならない。そんな柔らかい覚悟が触れば強く反発するくらいになったところで、五分が経った。
「よし、じゃあ出ますか」
「おー!」
尚も二人のテンションは緩く、罪に加担しているとは思えない。何なら修学旅行くらいの感覚だ。これくらいだったら罪の意識に苛まれないのだけど。
発進してすぐ、雨がぼつりとフロントガラスを叩いた。うわー、という情けない声が面白かったらしく、美音蘭が大声を上げて笑った。つられそうになって堪える。
ぐねぐねした道をうだうだ言いながら登ってようやく辿り着いたのは、車を停めるにしてはかなり頼りない木の陰だった。高い木ばかりが集い、麓に比べてかなり民家らしきものも見当たらなくなっていた。雨も強くはないもののそれなりに運転を阻害するレベルには視界を悪くしており、びくびくしながら運転していた。
「お、株倉さん、捨て終わったっぽいよ」
という言葉を聞いても矢片も安心できない自分が居た。美音蘭は、思いの外寒くなり微かに震える私の手を握ってくれていた。初めての罪は、二人でひっそりと。私は、指示があるまで美音蘭に寄りかかってお喋りしていた。雨がフロントガラスを叩き、覚悟の表面が溶けて行く。それでも硬めないとと、ある程度息を深く吐く。
「よし、私たちも出発だよ。もうちょっとで山頂付近だから、そこを過ぎた辺りだね。株倉さんとご対面」
「柿すぎい~」
私はけて見せて、すっかりまともなメンタルになった自分を信じて運転を再開した。一寸先は闇、ということを比喩抜きにした状況。雨が光り、私たちの前方を照らす光がその道の奥行きを伝えていたが、まあ、何とも探り探りの運転だった。
緊張感で二人とも固まっているうちに山項は過ぎていたらしく、緩やかな下りに入っていた。今はどれくらいの標高なのか、考えると山が無くなって体が浮遊する感覚だった。
「下りの方が上りの数倍怖いよね」
「分かるよー、何か落ちそうだもんね」
「洒落にならなーい」
二人の会話がひと段落しそうになったところで、少し先から微妙な光が見え始めた。近付き始めると、同じ車種だということが分かる。私が路肩に駐車すると、同様に向こうの車も停めてきた。来た。株倉さんだ。
私と美音蘭が降りると、向こうも屈強な二人組が登りてきた。そして私たちの小柄っぷりを見て少々動揺を見せた。それも当然、しっかり成人してから一年未満だ。
「ご苦労、黒川と白石だな」
スキンヘッドの男性が近づいて来た。僅かに掠れた声が特徴的だ。髪だけでなく眉も剃られている。創作の中ではいくらか見たことがあるが、現実世界で見るのは初めてだ。汗が直に目まで降りてくるのだろう。
そんな眉間にはくっきり皺が刻まれていて、普段から表情が厳しい人なのだと思われた。
「はい、株倉さんと、
頷くタイミングを見るに、スキンヘッドの方が株倉さんらしい。私と美音蘭は顔を見合わせた。裏っぽいじゃんこの人、という本音はできるだけ顔に出さないよう心がけた。
「マネキン一体、もらうぞ」
「はい」
美音蘭が小走りで向かうが、株倉さんに追いつかれると手を払われていた。何か気に障ることを、と思い、びくびくしながら美音蘭と顔を見合わせていると鶴見さんがマネキンの足を持ちながら「大丈夫、怒ってないよ」と笑顔で代弁した。株倉さんの背中は静かであるが、感じ取るものはあるらしい。
「女の子とは聞いてたけど若過ぎたから多分気後れしてるだけ。あと、女の子に持たせたくないんだよ」と笑った。単に、髪も眉もにべもない人だっただけらしい。
鶴見さんは、肩幅があるものの実は細身で顔にはそばかすがある、株倉さんに比べて十歳以上若そうな人だ。株倉さんとは対照的に、何を基準にという訳ではないが裏っぽくはなかった。
「なるほど」と返すと鶴見さんは下手なウインクをし、スムーズにマネキンを運び切ってくれた。明るい。
「二人とも、若いのに頑張るんだね」
「いえ、未だ駆け出しで。お金が欲しいだけなんですよ」
どこまでも正直に、未熟さを晒して取り入ろうとしている美音蘭の計算高さには感心する。だが、そんな美音蘭の奥を見つめるように、鶴見さんの瞳の奥にひっそりと闇が降りた。一瞬雨が止まったかのような間が訪れて不思議と怖かった。普通の視線ではない。美音蘭は気付いていないらしいが、かなり冷たい目をした。
「お金を稼いで、何に使うんだい?」
「あ、それは内緒です」口角を上げて人差し指をそこに添える彼女の仕草がいかにも空気を計算に入れていないことを表していた。
「そうだな。そうあるべきだ」
と、株倉さんが後方からそう言った。鶴見さんの表情がふと緩むが、緊張の糸から鋏が遠ざけられただけである。
「お疲れ様、ここからも頼むよ」鶴見さんはそれだけ言って手を振った。
「はい!」
表向きだけは親切な男性に、美音蘭だけは感動しつつ車に乗った。先に株倉さんが出発し、私もすぐにエンジンをかけた。
「鶴見さん、優しそうな人だったね」
「まあ、ね。びっくりした」
東宮さんの下で働いている人、ということだ。私たちは、新たな出会いに安堵と緊張を覚えつつ、恐怖の下りを走り続けていた。初仕事も、無事に終わりそうでよかった。手首のブレスレットが鈍く光るが、あまり怖くなかった。出会いはあり、恐怖は常に後ろを歩く。だが、こうして仕事をこなせばいいのだ。
そんな、どこか超越した気分になりながら、木々の奥にふと建物を見つけた。家だろうか。暗闇の中のシルエットだけでもかなり大きい。
「お、民家あるね」美音蘭も気付いたらしく、そこを指さした。
「でかいよね、豪邸じゃん」
未だかなり標高も高そうな地点だが、突然立派な家が現れたため驚いた。麓まで運転するのも面倒そうだが、常に住んでいるのだろうか。若しくは別荘か。広大な庭と畑付きの洋風建築らしい。優しい光がその暮らしを指し示してくれた。
私もいつか住みたいような素敵な家だ。あれまであといくら稼げばいいんだろうか。夢見心地である。
「あ、ん?待って美珠ちゃん、鹿!」
「え?」
美音蘭が突然叫んだため急いで前を向くと、頼りない光の中にぼうっと浮かぶ弱々しいその姿があった。ハイビームがフラッシュのように視界を一瞬だけジャックする。その奥、だ。確かに、鹿だ。
鹿が現れたことに動転した。ぶつかる。避けねばならない、それが脳内のレバーを引き、私は反射的にハンドルを回した。ブレーキを踏むという常識が僅かに遅れて辿り着く。大したスピードも出ていないくせに避けようとしてしまっている。急ハンドルに車内がかき混ぜられる。
「馬鹿、プレーキ!」
美音蘭に言われて脳内の靄が晴れ正気の自分が操縦席に座るが、もう気付いた時には目の前に白いガードレールがあった。
どん、というなかなか大きな衝撃を感じて、私たち二人は真っ青な顔を見合わせた。
まずい。事故った。
「あっちゃー」
たたっ、という軽やかな鹿の足音が聞こえた後に数秒の間があった。先に我を取り戻したのは美音蘭だった。
「やばいよ、美珠ちゃん。ここ、豪邸の前だからすぐに人来るよ」
「あ、や、くる、ま。出すか車」
「運転代わって。美珠ちゃん襲えてるから」
激しい動揺と、恐怖を背中に感じて体が固まる。指摘されて初めて、一つ一つの事柄が浮かび上がってくる。私の体が震えていることが、今ようやく分かった。そんな私の手を掴んだ美音蘭は、私の目を見つめた。いつだって明るい悪戯っ子の目で「大丈夫」と言った。
急いで運転を代わった後、美音蘭は大胆な運転でするすると山道を下って行った。下りの方が怖いよね、という言葉に同意したとは思えないスピードに横に居る私はかなり冷や冷やしたものだが。
そこからは所定の位置で布を外して、山に入った方とは反対方向から降り、別の駐車場に車を停めた。そこで、現実を見るべく車の前面に回り、凹んだフロント部分を見た。駐車場の古びた蛍光灯の黄色い光がバンパー辺りへの光の反射を複雑にする。
「まー、これくらいで済んでよかったかな、ってとこだね」
美音蘭が励ますつもりで言ったらしかったが正直放心だった私は頷くことしかできなかった。
着替え終わって、バッグを駅のコインロッカーに収めた後に電車で帰った。その間私がずっと右手を気にしていたのを、美音蘭が変なギャグで笑わせてくれた。精神的にも良い相棒である。