市場は朝方から夕方まで絶えず賑わっており、食料品から衣料品、生活雑貨など多くの店が揃っている。商店街の形をした今時のショッピングモールみたいなものだ。基本的には商売っ気のあまり無い商人が集うためにさして高級品も出回ることはないのだが、珍しいものならば高額が当然で、珍しいもののために妖精たちがお金を貯めている節まである。そこに美音蘭はスペースをある顔度で借りているのだ。
他の店舗と違い、簡索な棚と屋根がついた屋台形式だが、珍しい目玉商品が置かれることも多く集客は大いに見込まれる。スーパーの入り口付近にある地域の飲食店からの出店に似ている。
実際に、準備中にもすらりとスタイルの良いお姉さんが声をかけてきた。以前ここで美音蘭の商売に付き合った際も見たことがある妖精だった。
「ヴィオラが化粧品を持ってくるなんて、何年振り? 暫くここも借りてなかったじゃない」
「そうだね、約四年ぶり?まぁ、この子が忙しかったからさ」
人間界の一年と、妖精界の四年はほぼ等しいらしい。季節で年が変わると考えればそれがおおよそ正しい。お姉さんは私の顔を見てかなり驚いた様子を見せた。
「チハルじゃない!元気だったの?全く顔を見せないんだから」
「お久しぶりです。受験の年だったので」
「ああ、そっちの文化であると言っていたね。四年もかかるものなんだ」
「まあ、そちらの感覚だとそうなります」
受験がなくて羨ましい、などという心が湧き起こりつつも抑えた。きっと口に出したら卑怯だ。
それに彼女はこのブランクを、私の四倍も長く感じていたのだろう。私は三浪する自分のことを思い浮かべた。ゾッとする。まともな精神ではいられまい。と、そこで美音蘭も同様に四年程待たせてしまったことに気付いた。こちらは一年のつもりでも、彼女の体感では四倍だったのだ。その間私のことを忘れていなかったのか。何だか嬉しい。
「今日も主にコスメを持ってきたよー。あと髪飾り。おしゃれなやつを」
美音蘭も、きっと誰かの財布から抜いた金で仕入れてきたのだろう。メーカーからして総じて数千円といったところか。もっとまともなルートで入手して欲しかったものだ。
以前、円と妖精界のお金のレートはどれほどなのかと訊いたが話の意味が分からなかったらしい。妖精の世界では外貨交換など行わないのだからピンと来ない概念だろう。正確な値は不明だが、人間界で買った倍の金額で売れると話している。それでほくほくならば恐らく円安、いや分からない。妖精界の貨幣の価値が知れない。
「どれもいいわね。おすすめはある?」
きっとスヴェーヌさんも興味を持って購入してきた方の人間なのだろうが、それでも見た目では判断がつかなかったらしい。文字も読めるかどうか。どれを見たところでいいかどうかが分からなかったため、それを隠すように言ったらしかった。鑑定家敗れたり、といった様子だ。
「スヴェーヌさん、チーク欲しいって前言ってなかったっけ。あるよ、これこれ」
と、すっかり判別がつくらしい美音蘭が手に取って彼女の手元にそれを渡した。物珍しそうな目線がそれに釘付けになる。私も妖精界のあれこれを手に取ってまじまじと眺めていたものだから、気持ちはよく分かる。愉快そうな美音聞の気持ちも理解できる。他では味わえない種類の優越感だ。
「これ、いくら?」
「五百ネロンソだね」
美音がはっきりと告げると、彼女はなかなか渋い表情になったが、「そりゃ高いわよね。当然。質もいいんだし」と自らを説得する段階に入った。
妖精たちは元がかなり美しいこともあってかすっぴんのままが大半だが、それでも美容に興味がある妖帯は居て、スキンケアや化粧に凝り出していた。その一プームを築いたのが私たちである。
鏡という唯一無二の手段を通じてしか手に入れられない人間界の商品を売買しているため、独占は必至であった。公正取引委員会がなくてよかった。
妖精界も、ある程度組織パターン等が理解できると似たものは生成できるようだが、やはりそれに比べても人開界の製品は優秀だった。妖精の肌質にも干渉することなく作用するらしい。私が美音蘭に付き添った時だけでもかなりの売れ行きである。
その後も妖精は絶えず列をなし、ほぼコスメで埋めた棚の上はすかすかになり、代わりに歪な形の硬貨が箱の中に溜まって行った。この快感もまた懐かしい。
もう高校を卒業したから感じないが、今までは禁止されているバイトをしているみたいで背徳感でぞわぞわしていた。それも心地よかったのだ。と、そこで様子が何ともおかしい妖精が歩いてきた。
「あ、ユージーさん。もうそんなに商品は残ってないんだけどね」
少々周りより小柄でおどおどしている妖精が近づく。彼女は人目を、いや、妖精目を窺うように美音蘭にこそこそ話しかけた。怪しい取引をここでも行っているのかと思い呆れる。
「ヴィオラ、コーヒーって、ないの?」
隣に居る私にも多少漏れ聞こえた声によると、そうだった。コーヒー、とは珈琲のことか。飲料も販売していた過去があったか。言われてみればハーブティーを販売したことはあった。
小柄な彼女は不快そうな顔をしながらも一方で息を強くして目を開いている。感情の爆発を抑える、という様子だ。激しい運動の後のご褒美を求めるような、いや、そこまで健全に見えないのも事実である。激しい興奮が見られた。
「あるよ、ユージーさん。好きだねぇ」
「うん、心待ちにしてたの。早く、早く飲みたい……!」
そう言って拳を握ったり離したり。冷や汗らしきものを垂らして息は荒い。血色も変わって来ているように見える。あまり症状は知らないが、まるでこれは、中毒者の禁断症状のような……。
美音蘭も美音蘭で、わざわざ他の客に見えないようにコーヒー豆を棚の下で袋の中に入れて彼女に渡した。受け取った彼女の高揚した表情と言ったら本来ならば喜ばしいものなのだけれど、先人観を伴ってしまった私はどうにも疑わずにはいられなかった。
「ありがと」
彼女はそそくさとそれをバッグにしまった。人目を気にしているらしい。その動作の途中にちゃら、という音がしたので目線を上げる。
すると、彼女の耳に揺れていたのは、三日月みたいな形のイヤリングだった。珍しい。妖精界でつけているのは初めて見たかもしれない。
「イヤリング、綺麗ですね」
私が話すと、彼女はきょとんとした表情になり、美音蘭に助けを求める視線を送った。イヤリング、という言い方ではないのか。当然の話だ。
「これこれ」と、美音蘭は自らの耳をつまんで彼女に示した。それに気づいた彼女は一転不審そうな顔から照れくさそうに笑った。ファッションを褒められるとまた、妖精も嬉しいらしい。
「珍しいな、と思って」
「イヤリング自体は最近のトレンドだからね。若い妖精たちは大体してるかも。大体は、メイダン鉱山から採れる鉱石とか原石を使って作られるんだけどね。ユージーさんのは何か違うね。いずれにしろ珍しいよ」
美音蘭は、一方でそのトレンドには乗っていなかった。彼女もまた若いのに。まあ、耳元で何か動くと鬱陶しい、などと言いそうだ。
「うん、なかなかレア物だと思う。貿易商が売ってたんだ」
「貿易商?」
私が鸚鵡返しすると、すかさず美音蘭が、「他国と貿易して、珍品を売ってる奴が居るんだよ。なかなか変人で」と私に知識を植え付けた。なるほど、彼女には私も初めて会う。貿易商も知らないのかと疑われて存在を明るみにされると都合が悪い。スヴェーヌさん等、一応私が他の世界から来た住人と知らせている妖精以外の、知らない妖精には同類のふりをした方がいい。
「じゃあこれ他国のなんだ」
「そうだね」
小柄な彼女はすっかり得意になって、くるりとターンして、スカートの裾を少し上げた。舞踏会で見るような動きだ。
「じゃあねユージーさん、また来てね」
「うん、また来るね」
彼女が去っていくと、少々店も空き始めた。列をなす人も少なくなり、とうとう品が一品も無くなった。この商売も上手くいっているのだな、と感じた。またここで美音蘭が儲けても買うものは安いのだけれど。
「よし、まあまあ儲けたね。じゃあ、久し振りに星空でも見に行く?」
「やった!」
妖精の森だ。妖精たちが集い、遊ぶ美しい森。そこから見上げると満天の星空が広がっているのだ。人間界からは絶対に見えないだろう星々が光っていて言いようもなく美しいのだ。
私と美音蘭は、暗くなりつつある空をふわふわ飛び始めた。何て非日常的。どんな辛いことも忘れ去れるような遠い夕暮れ。一日が短いため、より早く変わっていく空の色が愛おしいのだ。
「そういえば美音蘭」
「何?」
「さっきのコーヒー買って行った妖精さん、えらく興奮してたように見えたけど」
「ああ、まあ。コーヒーには強い作用があるじゃない?」
作用、反作用、などという言葉が思い浮かび少々苦い思い出が甦りかけて消し去る。物理は私にとってのネックでしかなかったから。
「作用って、覚醒作用とか?」
「その、俗な意味での覚醒作用なんだろうね」
美音蘭が難しい顔で言うが、ピンと来なかった。美音蘭は躊躇いをなくして思い切ったように告げた。
「要するにだね。キマるんだよ」
「え……?」
選手が決まる、というような意味の方ではないはずだ。言い辛そうにする理由がない。その、俗に言われるような意味合いだった場合、かなりまずいことになる。精神の覚醒と未来の減退が両立するような、あれか。
「そんなの、広めていいの?」
「いや、私も危機感は覚えてるから。一回試しに売ってみてユージーさんの様子を見てまずそうだったから。ユージーさんにしか売ってない」
「はぁ……」
一妖精の生き方よりも儲けを優先する訳か。さすがは商売人だ、と思いつつここは申し訳なくなった。コーヒーという人間にとっては癒しになるようなもので、人生に関わる傷を付けてしまい、申し訳ない。フォローはできないものか。
「何か、コーヒーの効果を打ち消すものとか無いのかな」
「睡眠薬とか?」
「え、いやだからそっちの意味の覚醒じゃないんでしょ?」
「いや、寝たら治るかなって」
「微熱じゃあるまいに」
そんな中で、辿り着いたのはやはり妖精の森だった。私たちの身長の四、五倍は大きい木々が集い、色鮮やかで、たまに青く光ったりする花々も咲いている。妖精たちは夜になると蛍のように少しだけ発光する。それらが自由に飛び回った後に残る光の残像との宴。ここでしか見られない幻想的な風景だった。私はと言えば、ドレスの中に電飾を入れている。人工の光。
「ちゃんと、千遥は私に着いて飛ぶんだよ?」
「もちろん」
ランプシェードのように薄い光を赤いドレスの奥から差す美音蘭の姿もまた美しかった。人間界の男性が、いや女性も含めてこれに惚れない者は居ないだろう。それだけ惹きつける力を感じた。
「天体観測に行くぞー!」
「おー!」
私は美音蘭にきゅっと掴まってその優しいスピードに乗った。薄らとした青い闇の中で漂う光を眺めて、私は夏祭りを駆け抜けているような感覚を覚えた。それよりもずっとお淑やかで上品な飛行だった。
天体観測、というと前に美音蘭から聞いたことがある。森の終わり、海が見える辺りまで出ると星空全体が見られる。その美しさは勿論のところ、加えて精密な望遠鏡をもって細部まで観察ができると。
私は美音蘭に掴まったまま少なくなっていく木々を抜ける。そこには星あかりを反射して微かに揺れる大海があった。夜だからすっかりそう見えないのだが、とても澄んでいて朝の光を反射して美しく輝いていたことを覚えている。恐らく太陽ではないが、昼間には燦々と輝く円が空に浮かんでいた。
「望遠鏡って、あれか」
私の家にあった折り畳み式の程よいサイズ感のものをイメージしていたが、そこには大砲を思わせるくらいの大きさを持つそれが存在していた。形は私のイメージとかなり似通っているのだが、ダイヤルやスコープの数が多く、かなり微調整が利くものだと予想できた。
「これ、勝手にいじっていいやつなの?」
「うん、天体観測する分には自由に使えるよ」
美音蘭がそう言うのに任せて、私はそのままそれを覗いてみた。既に何かしらにピントが合っていたらしく、夜空を彩る星雲が映し出されていた。紫色のガスに混じって沢山の星が瞬く。夜になっても街明かりが多い人間界では中々見られないような景色だ。妖精から放たれる僅かな光だけで夜を越えるだけあって、空に光が溶けず、鮮明に見える。
「綺麗、凄いよこの望遠鏡!」
私は興奮気味で美音蘭に感動を伝えた。期待以上の反応だったらしく、美音蘭も嬉しそうだった。
「千遥がそんなに星が好きだとは、知らなかったな」
「え、そうだっけ。かなり小さい頃から天体に興味あるんだけど」
「確かに、出会ってからそんなにここで夜を過ごしたことはないかもね。まして千遥の方では」
「ああ」
私も美音蘭もまた、保護者のもとに居たからだ。小学生時代に出会って、幾度となく共に遊んできたが、とちらかの家に泊まることもなかった。二人で星空を見るというのもこれからは特別でなくなるのかもしれない。現に、昨日も山中から見上げればそれなりに星は見えたのかもしれないのだ。
「何なら、私の夢って、天文学者だからね」
私がふと溢すと、美音蘭は「へえ!」と感嘆の声を漏らした。
私は拍子抜けした。またまた、学者だなんてタチじゃないでしょ、という返答がくると思っていたのだ。私の遠くぼんやりした夢のことを馬鹿にしないとは。学者というものに親しみがないからかもしれないが、大層な夢を抱く私を美音蘭は笑わなかった。
「天文学者、が夢って。そんなに好きなんだ?」
「うん、小さい頃から星座が好きだったし、宇宙の神秘にロマンを感じるんだよね。あと、星座の神話とかも好きで。地球の自転とかにも興味が湧くし。だって自転しなければ朝も夜もありゃしないんだよ? 不思議だよね。そしてそれを宇宙の謎を地球に居ながら解明するって、すごい仕事じゃない?」
私にとってのロマンを一方的に押しつけてしまったか、美音蘭は理解できなそうな表情のまま固まっていたが、それでも心地よかった。
「天文学者がどういうことをするのかは知らないけど、謎を解明する仕事っていうのは、等しく崇高なるものだと思うね。頭を使える仕事ってかっこいいよ」
美音蘭の学者に対するこれまたぼんやりとした敬虔に、何だか毒を吐いて私を分かってもらいたくなった。
「やっぱり、天文学者って頭が良かったり記憶力があったり、計算ができたり、精密な作業ができたり、って、求められるものが多いんだよね。優秀な人しかなることができない仕事だと思うの」
「まあ、そうなんだと思うよ」
「『千遥には無理だ』って、ずっと言われてきたんだ。両親にも兄と姉にも。頭の作りがちょっと違うんだよ。私以外の家族はやっぱりいい頭を持ってる。それで、親に期待された医学の道に進んだの。でも私は出来損ないの凡人だから、そうなることはできなくて。そのくせ別の夢っぽいものだけ持ってたから、家族に馬鹿にされたんだよね」
何故私が夢のことを語っているのか、自分でも分からなかった。美音蘭は、突然の私の告白に戸惑いつつも受け止めようとしてくれていて、相槌を打ちつつ話を聞いていた。
「私は、そんな親に押し付けられた考えに勝てなくて、言われただけの難しい大学を受験して、落ちたの。実は、やる気なかったんだ。努力できなかった自分への言い訳かもしれないけどね」
自然と、涙が浮かんでいた。星空が滲んで見えなくなって、紫色の空間に白や透明が溶けていく。そんな私の異常に気が付いたか、美音蘭はそっと私の背中を撫でてくれた。辛かったんだな、と解放されてからようやく分かった。自分の気持ちにも蓋をしてしまうような環境には居られない。こうして二人でお金を貯める毎日を過ごしたところで、夢からは遠ざかるだけかもしれないが、楽しい方がずっといいのだ。
「知らなかったよ、なんか、煽ってごめんね」
「ううん」
私は急いで否定した。あの手紙には思わず腹が立ったが、あれが私を焚き付けたというか、私に火をつけたというか。とにかく美音蘭からの手紙が私を
ここまで連れてきているのだ。それには嘘も何もない。
「いいの、ここに美音蘭と居られることは、幸せだよ」
ふふ、と得意そうに笑った彼女もまた幸せそうに見えた。
「大袈裟だよ」
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