美音蘭は、私の側まで寄ってきた。そして適当にダイヤルをいじって、ある星を見つけ出したらしかった。
「よし、千遥。天文学者として、この名もなき星に名前をつけてくれ!」
「私が名前を?」
美音蘭は強く頷いた。新種の発見をしたときのように、私が名前をつけることができる。そんな夢、叶うだろうか。自分自身で発見する、そんな程遠い未来のことはひとまず置いておいて、ごっこ遊びに跨った。
私は、そんな期待を寄せてスコープの中を覗き込んだ。惑星だ。何かしら、特徴を押さえた上で、平凡なセンスを以ってして命名してみよう。少し緑がかって見える地面には、何かがこびりついて見えた。少なくともガス星ではない。ならば、岩石が宙に浮いているのか? 違う。いや、これは無数の穴だ。
ふと、肌の表面が泡立つような気持ち悪さを感じた。視界にそれ以外が映っていないことに動揺して息が荒くなる。目を逸らしたい、そう思って目を瞑り、望遠鏡から遠ざかった。恐る恐る目を開けると、美音蘭が心配そうな顔をして立っていた。
「どうした? 何か、やばいものにピント合った?」
「い、いや」
私は、大層な夢を語った後で顔から火が出そうになりながら呟いた。「私、集合体恐怖症なの」
「え? どういうこと」
「いや、同じようなものが沢山並んでると、怖い……っていうか」
美音蘭は一瞬驚きのあまり動かなくなり、その後すぐに爆笑した。笑い声が岸に寄せる波に負けないほど響く。大胆な笑いっぷりに私もおかしくなってきた。
「私、実は穴が一杯とか、苦手なんだよね。あと整列してる系のやつ」
「じゃあ天の川とか見られないじゃん」
「いや、あれは綺麗だし。不規則ではあるし。何だろう、私の場合、黒っぽいものに白っぽいものがたくさん、ってパターンはまだマシなんだけど。逆だとダメで。だから月の裏側とか見れない・・・・・・」
天文学者志望として致命的な恐怖症に、二人は情けなくて笑い続けた。そうして、それがそのまま私たちを繋ぐ何かになった気がした。情けない、でも悔しくない。
「え、名前、どうしよっか」
「いいよ、天文学者千遥の初命名はやっぱりガス星にしよう」
「もんだ、せっかく美音蘭が決めてくれたのに」
「いいんだよ、ランダムだったんだし」美音蘭は振り向いて笑顔で言った。「もうちょっと千遥は責任感から逃げちゃいなよ。窮屈でしょ?」
美音蘭は悪戯っ子の表情で、何やら屈んで何かを操作し始めた。「面白いもの見せてあげるよ」私も気になって覗き込む。
美音蘭がいじっていたのはパスワードを入力するものらしいキーボードだった。そこに、美音蘭は迷うことなく数字を打ち込んでいく。望遠鏡にパスワードが必要? 裏コマンド的な何かだろうか。
「これ、お父さんが動かしてたやつだからさ、知ってるんだよね」
動かす、とはどういうことか。「何のパスワードなの?」
私が訊くと、何となくスムーズに答えるのも面白くないと感じたのか、美音蘭は少し笑った後、
「これ、初めて見て何か変だなって思わなかった?」と返した。
「え?何となく大きくて、大砲っぽいなって思ったけど」
「お、それ割と御名答なんだよね」
望遠鏡が、大砲?
美音蘭の戯言かと思ったが、ビーという高い音の後に何やらスコープの先から伸びてきたのが見えると本当らしいと分かった。細長く黒いポールがレンズの先から飛び出す。
「よし、発射!!!」
美音蘭の掛け声と同時に望遠鏡の周りが白く光った。
眩しくて目を瞑らずにはいられなかった。その際に発した機械音みたいな、ドラマでよく見る消音の銃みたいな近未来の高音が鳴った。その光は一瞬にして消え去り、残ったのは驚きによる余韻だった。
光線が宇宙空間を駆け巡って行ったことだけは分かったが、それ以外は知れない。既に星空にそんな景色は見えなかった。もし、仮にこれから出た光線が先程の惑星に衝突した場合......。光は届かなくとも、実際は。
「何その、物騒な望遠鏡」
「これねー、実は他国との戦闘用の武器なんだよー」
「え、え?こんなの使ってたの?」
ここまで強力な武器を有していたとは。特に軍隊が備わっている訳ではないはずだが、これを一般人が使っていたのか?
妖精の戦争をどこかで甘く見ていたことを後悔する。どこまで強力なのか。高い技術を以ってして泥臭い戦争を行っていたとは。
「数十年前のことみたいだよ。他国が海軍を率いて衝突しそうになった時に、これを望遠鏡だと見せかけて急に発射して。威力に加えて光線の速さも恐ろしいからね、避ける暇もなく撃沈だよ。海はうちの国が常に防衛し続けていたって話だね。一回しか実戦で使ったことはないらしいけど」
「へぇ……」
この平和な世界にも歴史あり、といったところか。美音蘭の父親がこれを管理しており、かつ数十年前ということはもしかしたら私が生まれている可能性もある。そう考えると、短い期間でそれなりに発展した方なのだろう。
「これ、光線の速さは時速三光年だから恐ろしいよね」
「光年……? 有り得ないほど速いじゃん。怖すぎるよ」
人間界では到底聞くことがないようなインフレが起きすぎた数字。漫画の中でもそこまで大仰な数字は出ない。しかも時速という身近なものにそれが加わると、ますますおかしい。だが、それを大真面目に語ることがその信憑性を示していた。
「ってか、じゃあさっきの惑星壊れちゃったんじゃ」
「まあ、粉々かもね」
と、簡単そうに美音蘭は答えた。冷えた夜が氷点下まで落下する。
いやいや、一つの惑星が消し飛ぶことをそんなに容易く捉えていい訳がない。もしかしたら、見えない営みがあの星にはあったかもしれない。それを、何も考えることなく撃ってしまったのだ。ぐっとお腹の底を押されるような気分になる。胃が痛い。でも、それでも美音蘭は笑っていた。気楽に、というよりも、不敵に。
私は、責任を感じなければならないと思ってしまう。しかし、そんな星一つ消えても知ったこっちゃない。それくらいの精神でいることが重要なのかも知れない。これから働いていく上で、私は何かを傷付けてしまうかもしれない。それでも、責任を感じ過ぎると生きていけない。
もう少し、自分勝手だっていいよね、と誰に語りかける訳でもなく、胸の中で唱えた。
「最高だね。そうだよ、私たち、好きなものを求めて生きていけばいいんだよね」
この無責任で、綱渡りを生き抜いて最高の生活を送ろう。この解放された時間を守り続けよう。靴紐が硬く結ばれたような気分だった。
「ここら~!! ヴィオラ! 何勝手に作動させてるんだ!!」
叱責の声、のはずなのにどこか調子外れな音階が響いた。辺りの視線が集まっていることにようやく気付く。そこにふわりと浮かんでいたのは、あまり美しいとは言い難い髭面の妖精だった。こういう妖精も居るのか。
「ゲムタさん、何の話?」
あれだけの眩い光を出しておいて、惚けたように美音蘭は言った。悪戯っ子の、得意気な笑み。私は、この不真面目でずるい顔が好きだった。そんなことまで思い出した。
「惚けるな、撃っただろそれを」
ゲムタさん、は顔を真っ赤にして、先が伸びた望遠鏡を指差した。
「気の所為だよ、さ、行こ。千遥」
美音蘭は、怒るゲムタさんをいとも容易く振り切って飛んで行った。その大きな動作が遠くに見えなくなる。暗い空の中、街の営みはほぼ見えず、地面にも星空が浮かぶように妖精たちの薄明かりが灯っていた。
星空は語らせるものだ。今になって熱くなってきた。責任感。それはある程度にしておいて、とりあえず東宮さんへの連絡をしっかりと行おうと誓った。
☆
黒川、白石へ
初仕事お疲れ様。まあ、トラブルは目に見えた形でこちらに送られてきたが初めての任務だから仮借としよう。元からあの車はお前たちが使用したのを最後に処分する予定だった。今頃お前たちが凹ませた跡も分からないほどぺちゃんこだ。
山中で事故を起こして悟られかけたことは頂けないが、すぐに逃走できたようで感心した。結果的に、あの豪邸の家主が道路まで出て検証しようとしたおかげで近くに住んでいた住民が集まった。そこに引きつけられたことで他の車が任務を心置きなく遂行できたらしい。
結果オーライと言えば都合が良すぎるが、さして心配しなくていい。
しかし、次はまあ、罰と言ってもいい仕事だ。この仕事で差し引きゼロにしてやろうという提案だ。以前からの懸念だった仕事の片付け、と言えばいいか。とにかく、具体的な話は三日後だ。場所は記載しておく。
原則、これは読み終わったら焼却処分すること。
というのが東宮さんから昨日ポストに投函されたものである。三日後に少々寝坊をし、急いで私たちはアパートを出ている。
「色々と、怖いね」
美音聞が神妙な面持ちで呟く気持ちもよく分かった。
ポスト投函ということは、私の住所を把握しているということだ。切手もシールも貼られていないただの紙。それはイコールで直接ここに来たということ。ちなみに住所は誰も教えていない。当然のように特定されてしまったことが恐ろしい。いつの間にか尾けられていた可能性も高いのだ。
しかし、そう考えると
「美音蘭の住所が分からなかったのは向こうにとって誤算なんじゃない?」
という計算結果になる。私と美音蘭は実質同じところに住んでいるようなものだからいいものの、何処にも彼女の戸籍が存在しないことは不気味なのではないか。ミステリアスさで東宮さんをいくらか出し抜いている気すらする。
そして、昨日届いているということもまた怖かった。知らない内に誰かが家に来ていて、その時に留守だったという事実に飛び上がりながら家を出た。ちゃんと手紙は燃やしておいた。とことん記録に残さないスタイルなのだろう。
「今日の集合場所、スナックたまみじゃないんだね」
「一応、近隣の店でローテーションにするんじゃない?」
全てのアルバイトがあのスナックに依頼を受けに行くのは考えずとも危ない。場所をころころ変えてこそだ。
集合は十四時。道中でうどんを食べつつ、地道に歩いてきた。山からの帰りの電車賃が意外にも高かったことに起因する。
丁寧に描かれた地図を元に辿り着いたのは雑居ビルで、今度は如何にもという場所だった。ベージュと茶色の中間色みたいな塗装がなされており、それも色褪せている。壁に走った罅を埋めるために仮に塗ったと見られる白い何かがみかんの内皮にあるやつに見えた。名前は忘れた。
銅らしきものでビルの名前が象られているがそれも何だか読めない。廃墟の数歩手前、という建物だ。まだ蔦が壁面を這っていないだけましである。
「三階の、三浦法律事務所だね」
「まさか法律事務所だとは」
こんな廃れた雑居ビルの中に佇む法律事務所を誰が頼ろうか。商売繁盛は、している訳がない。
これまた私たちの先行きを示すように人暗い入り口から階段を上り、雑居ビルには付き物とも言える日々をなぞりながら三階に辿り着いた。運動不足の私は微かに息切れしかけたが、美音蘭は軽々とそこを突破して行った。
磨りガラスで向こうの景色が窺えないドアを、マナーも分からず数回ノックする。腕時計は十三時五十三分を指していた。時間前だ。
「燃やしたか?」
「わっ」
突然声がしたことに必要以上に驚いた。咄嗟に構えた拳が握りきれていないところが、どうにも情けない。ドアの向こうから聞こえたのだと思われる。
「機械音声っぽいね」
燃やしたか? 音声はそれっきりだった。
「手紙の事ですか?」
恐る恐る私がそう返答すると、解錠の音がしてドアが向こう側へと開いた。そよ風が舞い込む。
古めかしい建物にこのようなエ夫がなされているとは。唯一、と見えるこの入り口にこのセキュリティが掛けられているとは、事務所としての機能が疑われる。
人の気配を感じないためにこっそり顔だけ先行させる。すると、一度で私の人生に大きな印象をつけた男性が堂々と座っていた。
「黒川、白石。ご苦労」
四文字ずつ刻むように東宮さんは話した。シックなスーツを着て来客用に見えるソファに座っている。
事務所内には机が並び、パソコンや資料等も散らかっている。カップラーメンを食べた跡や給湯スペースから生活感が出ている。観葉植物も元気そうで、床もそう汚れていない。生活感に溢れており、特別、東宮さんの拠点にも見えなかった。
「ここって、普段から東宮さんの場所なんですか?」
「いや。たまに使うくらいだ。普段は法律事務所」
「え」
法律事務所を借りて、こうした取引を行っているのか。つまり、ここの事務所の人間も協力者ということだ。スナックたまみの、恐らくたまみさんに当たる背の高い人と同様だ。
ここまで人気のないところで、普段から営業しているのか。まるで商売が続けられそうにはないのだが。だからこそ、東宮さんが利用できるということか。
「座れ。仕事の説明だ」
「はい」
私たちは顔を見合わせた。ここまですぐ、再び仕事がもらえるとは。
先日の報酬は、美音蘭と私が取引の場と指定されたパン屋の横の道ですっとバッグに捩じ込まれた。敵襲、などという言葉が過り、爆発物なら空中に放り投げるくらいの一瞬の覚悟が生じたが、入っていたのは封筒であった。
「分厚くない?」
美音蘭が言うため、私はこっそりと封を切り、中を覗いた。明らかに、数万の域は超えている。
「え、凄い枚数あるんだけど」
パン屋の入り口のドアチャイムが鳴り、少しだけ身を縮めて封筒を胸元に抱え込むと、美音蘭が「食パン大量ー」なんていう逆効果な誤魔化しをするものだから笑ってしまった。
結果、帰宅してから緊張しつつ数えると、何と四十万円入っていた。実際に現金で手にするのは、初めての額だ。手が震えた。
「損害出したはずなのに、こんなにもらえるの……?」
「やば」
二人は喜び、というより恐怖で固まった。ここまで簡単に四十万稼げていいものか。いい訳はない。順当にバイトをした場合、三百五十時間以上の労働は必須だ。現実的に考えて一日で稼ぐにしては多すぎる。芸能人、はもっと稼いでいるかもしれないが。
「どこから生じたお金なんだろ」
「そりゃ、廃棄を依頼した企業からでしょ」
「そんなに払う? だって、他にも参加者は居たわけだし。東宮さんにも入ってるでしょ。二百万円くらい出したことになるんじゃ」
美音蘭の戸惑いもよく分かる。こんな端くれに数十万払うことがいかに太っ腹というか、悪い印象での太っ腹というか。裏しか見えない寛容さというか、まあ私もそれくらい思考が回らなかった。
「でも産業廃棄物って、多分専門業者に頼んで正式に処分してもらう場合、かなりの金額を払うことになるはずなんだよね」
「いくらくらい?」
「え、下手すると数千万とか、億? 建物の解体とかだって凄い費用するって聞くし。作るのにも勿論お金は必要だけど、処分にも然りなんだよね」
「じゃあ、正式に依頼するより、これで浮いてる、と?」
美音蘭は疑いの目を向けていたが、それでも初仕事の稼ぎには感動した。私たち二人の夢の生活への軌跡になるだろう。
私たちが席に着くと、すぐに紙で出されたのはマンションの画像だった。物件紹介ではあるまい。
「今回は、ここの七〇三号室からある品を回収してもらう」