私たちは例の部屋まで闊歩して、さて、用意アクションの掛け声を脳内に響かせて下手な演技を始めた。
「峻兄、ちょい体調悪い的な連絡来てたけど大丈夫かなぁ」
「まあ、ちょっと飲み過ぎる癖はあるからね。二日酔いパターンなんじゃない? とりまインターホン押すか」
用意した訳でもないが自然と出てきた言葉を吐き続けて設定をアドリブで組み立てる。インターホンの音は意味もなく部屋に反響するだけである。あくまで礼儀。
小学生の時、一度だけクラス単位でやった劇があった。木の役だったなんていう笑い話にはならない。私には役があった。台詞の数は多くないものの、一番強い敵の補佐の役だった。やいやいと野次を飛ばすだけのしょうもない役だったものの、私はどうしようもなく緊張し、口内で小爆発が起きたかというように唾を飛ばしながら噛んだ。酷かった。二の舞にはしない。
「うーん、出ないね。寝てんのかな」
「あ、待ってホルンちゃん。峻兄から連絡来てたわ。鍵開けて入って良いってー」
「えー、適当だなぁ。ま、し、白帆から鍵は預かってるし」
「兄妹揃って防犯意識とかないのかな」
妹の名前を練っていなかったことがいきなり穴になりかけたが、どうにかその場で考えて乗り切った。白帆とは一体何なのか。帆船か。いや、多分だがお酒の話をしたからだ。由来はシラフ。
この演技が一体どれくらい効果をもたらすのかは分からないが、抜け目なくやっておく。噛まなければ無敵。
美音蘭はバッグから合鍵を取り出した。躊躇いもなく鍵穴に突っ込み、さながら自分の家を開けるように捻っていた。変にそっと開けるよりいいだろう。美音蘭はハンカチ越しにドアノブを掴んで、手前に開いた。
「お邪魔しまーす」
「峻兄、体調大丈夫ー?」
少し大きな声で言いながら、ゆっくりと閉まる黒いドアを背後に私たちは部屋の中に入った。顔を見合わせる。内側から鍵を掛けて、足に続き手にもグローブをつける。
何ということのないマンションの一室で、ただ人が攫われただけの生活感満載の部屋だった。一人分の靴と玄関マット上の来客用スリッパ二セット。右手にある洗面所と浴室にはタオルや洗剤が散乱していた。ここに居たときに捕まったのだろうか。確かに丸腰の時は抵抗できない。
短い廊下を抜けると見えたのはダイニングとリビング。生活感の中から浮き上がるものを感じた。ここに来てようやく違和感が襲う。
「ダンボールが多いんだね」
「引っ越したばっかりとか?」
美音蘭は素直にそう受け取るが、冷静に考えてこれは武器が入っているものだと見ていい。生活感の中に溶け込まないほどの量と、途端に漂う殺伐とした空気が教えてくれた。入った時点で涼しいと感じていたが、エアコンが点けっぱなしになっているのも意図がありそうだ。
私は首を横に振った。
そもそも、例に見るキャラクターがダンボールに載っていない。察した様子で美音蘭も警戒心を強めたようだった。
「例のものはクローゼットの中で、ジュラルミンケースの中に入れてあるとか」
ダンボールの中に入れていないということは、やはり中身が察せられた。
「ジュラルミンケースのままで持ち出すと不番だから、トートバッグが入ってるわけね」
美音蘭はブランコ型のバッグから折り畳まれたそれを取り出した。かなり小さいため不安だったが、広げたらそれなりに大きかったため私はサムズアップした。そして意外とデザインが可愛らしい。誰のセンスなのかますます気になる。
そのままクローゼットを開けると、勿論服は幾らかハンカーに掛けられていたのだが、それ以上にダンボールが目立った。
「ここにも入れてるんだ……」
「何の区別なんだろ」
「リビングにもスペースがあるから、危険度別とかなのかもね」
「だとしたら、じゃあこっちの方がやばいのかな」
美音蘭はそっと指の骨をポキポキ鳴らした。いや、本当に骨の音かは分からないけど。似ていた。
随分と多くの武器を取引していたものだ。その隅に、意外にと忍び込ませることもなくジュラルミンケースは横たわっていた。頻繁に取り出していたため仕舞い込むのも面倒だったのか。ジュラルミンケースに収まる窓口と言うと、パソコンくらいしか思いつかないが。一体何なのか。気にすることは愚かな気がした。
私はしっかりグローブが手にはまっていることを確認してからそっとそれを引き寄せ、持ち上げた。ケース自体の重さと大して変わらないように思える。ずしりという感覚が腕に響いてこない。
「それっぽいもの、他にない?」
「一応探すか。間違えてダミー持ち出しても馬鹿みたいだし」
私と美音蘭はダンボールをいちいち退けて他にケースが存在していないかを確かめたが、クローゼット内にはないらしいと分かった。
「ダンボールの中に入ってる可能性はないの?」
「東宮さんが吐かせた情報によるとそれはあり得ないらしいね」
「それ正確なのかなぁ」
「あの人を前に嘘を言ってるんだったらそれは勇気があるよねぇ」
これには美音蘭も納得したようで、分かりやすい位置に置いてあったジュラルミンケースを残してダンボールをクローゼットに戻した。
人の家を漁るという行為も、確実に家主が帰ってこないという未来の下で行えばスムーズなものだ。早くも感覚が麻痺し始めている私に恐ろしくなってくる。
「てか、何で窓口だけしか運び出さないんだろ」
「それは、私も思ってた」
ふとした美音蘭の疑問が静けさに満ちた部屋の中に漂う。悪い空気が鼻を掠める。ダンボールだらけの部屋の中で、ケース一つだけを持ち出すのだ。
「後からダンボールは運び出すんだろうけどじゃあ何で一度にこなさないの? それこそ私たちだって引っ越し業者のふりして運搬するのには参加できるでしょ?」
「窓口が残ったままその作業をすると、まずいとか?」
「そんなことある?」
疑問は絶えないが、ここでそれに押し潰されて時間を浪費することほど愚かなことはない。要件が済んだからには部屋を出るべきだ。疑問を持つな。
東宮さんを信用する、という本来ならしない賭けに出て私たちはもうすぐで部屋を出ようとしていた。
一抹の不安が過るが、これを持ち出さない限りは終わらない。これを本と装うのは、可能だろうか。かなり中身の直方体の形が浮き出たバッグを眺めた。本だったら四角くなるかと流す。
こっそり鍵を開けて、二人で顔を見合わせた。演技の再開である。
「じゃあね、峻兄~!」
「ほら、寝てるんだから大きな声出さないの」
軽口を叩いてドアの外に出ると、あまり集中して見ていなかった景色に感動した。街が一望できる素敵な眺めだ。私がかつて通った高校も見えるのではないか。
そこでふと思い出したのは数日前にメッセージをくれた想世ちゃんのことだった。学校の窓から綺麗な夕陽が見えた時だ。部活終わりで私はかなり疲弊していたが、彼女はピンピンしていたことを覚えている。
「私のマンション、街が一望できるんですよね。景勝地っていうと大袈裟ですけど」
ぱっつん前髪の下にあるくりくりした目が、笑うときになると全く見えなくなるほど細くなるのを覚えている。
「え、実は高層階の住人なの?」
身近なお金持ちかと思い、少々身構える。偉そうに海へ行く経験を渡そうとしていた自分がちっぽけかと思いかけた。
「いや、そんな。私の家は高台のマンションなだけで。というか、この辺りにお金にぶいぶい言わせてる人が住むようなマンションなんて建ってないじゃないですか」
「ぶいぶいって」
「確かに、ぶいぶいって語源気になりますよね」
「気分上々、お金じゃんじゃんでダブルピースってことかな」
「Vサインが2個ってことですか」
2人でVサインをぐいぐい前に出すポーズをして笑った。何と可愛らしい記憶。
高台のマンション。偶然か、ここもそうだなと思われた。
先程、美音蘭に話したように、この辺りには来た経験がある。すぐ近くにある公園だ。遊具なんてない、広場ばかりの公園。散歩コースなどに採用されがちだったため実は人の出入りは多い。それに伴って駐車場は十分用意されている。そう、そこに想世ちゃんを迎えに行ったのだ。免許取り立てほやほやの運転で。海に行こう、ということで。
何故気付かなかった。私は全身が冷える感覚になってジュラルミンケースを入れたバッグを肩にかけて足を踏み出した。
美音蘭が日吉峻冶の家に施錠する横で、ゆっくり扉が開く音がした。急いで目配せをして、私と美音蘭は俯き気味になる。
七〇二号室から出てきた人はパジャマみたいな薄ピンクの服を着ていた。かなりラフな恰好に見える。柔軟剤のふんわりした香りが漂う。慣れ親しんだ香りだった。苦しい、でも嬉しかった。
「ん、こんにち、あれ?千遥先輩?」
顔を反射的に上げてしまった。会いたかったのだ。その気持ちが仕事を一瞬忘れさせてしまった。同時に下端に流れていく美音蘭の厳しい表情が苦しい。そこに立っていたのは楽そうな恰好をした想世ちゃん、本人だった。
「え!!千遥先輩じゃないですか!お久しぶりです!」
「想世ちゃん!久し振り!まさか会えるなんて」
再会に感動する私たちに圧をかけるように、美音蘭がブランコバッグで私の背中を突く。分かっている。多くの余裕がないことを。
「え、どうして私のマンションに来てるんですか?」
「あ、峻兄に用があったんだよ、えと、日吉峻治くん」
想世ちゃんは偶然の悪戯に感動して半泣きだったが、私は様々な感情の汁を垂れ流すばかりだった。仕事中に、想世ちゃんに出会してしまった。しかも、仕事を終えた部屋の前で。
「知り合いだったんですね。私はあんまり会ったことないですけど。え、日吉さんに会いに来てたってことですか?」
「そう!だから想世ちゃん居てびっくりしたよ。確かにお家この辺りだったよね。そして、この眺め。確かに街を見下ろせる」
「.....覚えてたんですねその話。嬉しいです、そんな細かいことまで」
腕を胸の辺りでぶんぶん振って喜びを表す彼女の、感情表現の不器用さと分かりやすさが懐かしかった。
「月曜なのに、こっちに戻ってたんですね。東京でしたよね、大学」
「ん、ああ! 今日の講義は午前の早い段階で終わってたからさ。峻兄に用もあったし、新幹線でちゃっと」
「なるほど。ご用って?」
言ったから、かもしれないが全て訊いてくるものだ。穿鑿に耐えるために用意した設定がここで活きてくる。ありがたい、保険をかけてよかった。
確かに平日の昼間に大学生が地元に帰ってきて自分のマンションの隣の部屋に来ていたら気になるのも分かる。
「ああ、実は峻兄、うちの大学のOBで。ちょっと現役時代に使ってた本をもらえるって話でさ」
「そんな繋がりが。親しいんですね」
「うんうん。実は峻兄の妹が私の同級生で。兄妹絡みで小さい頃から知り合いだったんだよね。知らないか、日吉白帆」
「あー、知らない、ですね」
わざわざ全て想世ちゃんに、都合よく変えたり付け足してまで設定を教える必要もないかもしれないが、こうなったら止めようがなかった。
「そうでしたか、お会いできて嬉しいです! え、えとこの後忙しいですか?」
「あー、一応やることはあるんだけど・・・・・」
何故断らない。すぐにそう思ったが、きらきらした想世ちゃんの目に負けたかった。甘んじたかった。私の麻痺を幾らかこの子に直して欲しかったのだ。私は、どこかで未だまともでいようとしているのだ。
「あ、すみません。お友達も居ますもんね。大学の方、ですか?」
「あ、そうそう」
私が振り向いて助けと許しを乞うと、美音聞は話の流れである程度危機を察していたか納得した様子だった。にこりと営業スマイルをかます。
「みおです」
なるほど、美音蘭も、ホルンもまた印象に残りすぎる。糊塗するにしてはいい名前を使ったと思った。
「別にいーよ、私待ってるから。近くに公園あったよね? 私ぶらぶらしてるからさ、ちょっとゆっくりしてなよ」
そう言って美音間は私の肩にかけてあったバッグをごく自然な流れで取った。肩が軽くなり、自然と緊張がほぐれる。
そして下を指差して靴にカバーがついたままだということを指摘する。バレないように取らねばならない。ナイスプレーと言わざるを得ない。じんわりと美音蘭のありがたさが沁みてきた。
「すみません、いいんですか?」想世ちゃんは丁寧に美音蘭に頭を下げた。流石、と言うべきか礼儀正しい。彼女の高潮はいつも程よく、他を見失わないくらいに収まっていた。だからこそ、私は油断できない。
「いいよー、運命的な再会じゃん?楽しんでね」
「ごめんみお。そんなに待たせないようにはするよ」
私の返事には手を振りながら返した美音蘭は階段をゆっくり階段を降りて行った。ありがとう、と心の中で呟く。今度は、私が美音蘭を助けたい。これは、義務感や責任感じゃなく。心から。