『永遠』のガイアメモリを手に入れた男は風都で平穏に暮らしたい 作:藍沢カナリヤ
ーーーー回想ーーーー
「ほれ、アンナ」
そう言って、彼は私用のマグカップをテーブルに置いた。中は真っ黒。
「遠治くん、いい加減覚えてくれるかな。私はーー」
「ーー珈琲が苦手、だろ」
流石に覚えたって。そう言って、遠治くんは苦笑を返してくる。苦い思いをしてるのはこちらなのだがね。なんだろうか、当てつけかい。口を尖らせてそう言うと、彼は違う違うと否定した。
「そういうつもりはないって」
「あぁ、そうかい…………分かっているなら、早くここに牛乳を入れてくれたまえ。あと砂糖と蜂蜜もだよ」
そう言うと、彼は、
「まぁ、待て」
そんな風に私を制止する。
「飲まないよ?」
「アンナが珈琲を苦手なのは苦味が苦手だからだろ。だから、俺は考えたんだ。フルーティーで苦味よりも酸味の強いものなら……飲めるはず!」
「…………」
「いや、本当だって! 騙されたと思って飲んでみろよ。俺が厳選に厳選を重ねた逸品だぜ?」
「ホントに?」
「ホントに!」
「…………」
ゆっくりとマグカップを口元へと運ぶ。私は恐る恐るその漆黒の液体を……口にした。
「にがぁ……」
「あー、駄目かぁ」
「うぅぅぅ……頼む、甘いのをくれぇ……」
「はいはい」
笑いながら、彼は冷蔵庫から手作りのショートケーキを出して、こちらへと置く。
「んむっ…………美味しい」
「それはよかった」
口の中の苦味を消そうと、ケーキをどんどん口に運ぶ私を見ながら、彼はマグカップにあっためた牛乳を注ぐ。そして、訊ねてくる。
「砂糖は?」
「2つ」
「蜂蜜は?」
「……たっぷりで頼む」
「了解」
そんな昼下がりを、ふと思い出した。
ーーーー風森ハイム201号室ーーーー
いくら待っても遠治くんが帰ってこない。
昼前から夕方までだから買い物にしては少々長い。まぁ、それだけならあることではある。だが、彼に電話やメッセージを送っても一向に反応がないのだ。また面倒ごとに巻き込まれているのか。そう思って、時計を確認すると、時刻は17時になろうかという頃。
ーーガチャッーー
「ただいまー!!」
玄関から声がした。私は彼女を出迎える。
「椎くん!」
「あれ? アンナちゃん? どうしたの?」
首をかしげる椎くん。私は彼女に現状を伝えた。遠治くんが帰ってこないこと。昼前には確かにキッチンで料理をしていたこと。電話もメールも他のメッセージアプリを使っても、応答がまったくないこと。私から現況を聞いた後、椎くんは言った。
「えっと、その……『遠治くん』って、誰?」
「…………は?」
聞き、間違いだろう。それか私の滑舌が悪かったのだ。もう一度、私は彼女に訊ねた。
「え、遠治くんだよ。ほら、白髪赤目の長身で、料理上手で、このアパートの大家で、雪南くんの兄の遠治くん。君も彼に救われたじゃないか」
「?? 何言ってるの、アンナちゃん」
「っ」
その反応で理解してしまった。椎くんはこんなに上手に嘘をつけるタイプじゃない。
「っ、少し出てくるっ」
「え!? アンナちゃんっ!?」
私はすぐに部屋を出て、階段を駆け降りて下の階へ。101号室をノックする。
「……なに?」
「冴子さん!」
「な、なによっ!?」
私の気迫に圧された冴子さんは珍しくたじろぐ。私は構わず、遠治くんのことを訊ねる。彼を知っているよね、と。
「え、んじ……? 誰?」
「っ」
彼女も、か。でも、隣の部屋にいる若菜くんなら! 彼女は遠治くんの影響でつい先日ここに越して来たんだ。記憶もより新しいはずだから……。
「……えんじ……? 誰、それ?」
「っ、君まで……っ」
若菜くんの答えも2人と同じ。
「嘘だろう……っ?」
「アンナちゃん?」
「頭でも打った?」
「大丈夫?」
「っ」
遠治くんがいなかったかのように振る舞う3人が信じられなくて。あれだけ彼を慕っていた彼女たちが別人になってしまったようで。
私はその場から逃げ出した。
~~~~~~~~
アパートを飛び出した私は、すぐに彼に電話をかけた。何らかの力でアパートの皆が彼を忘れていたとしても、彼自身が無事である可能性に賭けた。だが、やはり出ない。それどころか、
「…………」
電源が入っていないか現在使われておりません。自動音声はこちらへそう応え、無情にも切れる。それから1分おきに鳴らしても結果は同じだった。
「出てくれ、遠治くん……」
20回目の自動音声を聞き終わった私はスマホを閉まった。単に電源が入っていないならまだいい。けれど、使われていないのなら……?
「っ」
悪い考えを頭から追い出すように、首を振り、私は次のアクションを起こす。雪南くんなら……っ!
「…………雪南くんも、なのか」
電源が入っていないか現在使われておりません。それはさっき嫌になるほど聞いた音声だった。
「なら……次は……」
彼は外部との繋がりは少なかったが、風森ハイムの前の大家とは面識があるはずだ。私は事前に調べていた前大家の電話番号をコールした。数コール後、繋がる。
「もしもし、どなたですか」
電話に出たのは、1人の老人。確か70代の男性だったはず。彼に新しく大家になった者の姉だと伝えた。
「んー? なんのようだい?」
「すみません。実は弟が海外旅行に行ってしまいまして……。その間、アパートの様子を見るように言われたのですが」
「弟……?」
そこで柔和だった相手の雰囲気が変わる。
「アパートの権利を売ったのは『お嬢ちゃん』だったはずだが?」
「なっ!? そ、そんなわけありません。20代半ばの男性ではっ!?」
「…………悪いが、電話番号を間違ってるんじゃないかい」
「っ、も、もう一度確かめてくだーー」
ーープツンッーー
そこで通話は切れた。
「また、彼の痕跡が消えている……っ」
彼の身近にいた人だけではない。取引をした程度の相手ですら記憶が消えている。
……いや、まだだ。さっきの電話から10分くらい経ったはずだ。もう一度電話をかけてみよう。そう思って、私は再びスマホの電話帳を開いた。だが、
「…………え? な、なんで……?」
すべての連絡先を確認した。なのに、彼の名前が消えていた。それどころかさっき電話したはずの履歴すらない。
「なんなんだよ……っ」
これでは、まるで彼のーー久永遠治がこの世界から消えていっているみたいじゃないか。
「…………いいやっ、嘘だ」
私はまた走り出す。
~~~~~~~~
「白髪赤目の青年をみたことありませんかっ」
「ここでよく買い物をしていたはずなんですがっ」
「……そう、ですか」
「す、すみません。この辺りで……」
「急にすみませんでした」
近所のスーパー。少し遠めの高級スーパー。よく使うというコンビニ。彼が話していた買い物スポットを必死に思い出しながら、一軒一軒訊ねて回る。夕飯の時間も過ぎているから、人は多くない。それでもひとりひとりに聞いて回った。だが、店員も常連客らしき人達も全員が覚えていないと言っていた。
「はぁ……」
落胆は大きく、一気に疲労感が押し寄せてくる。気づかなかったが、完全に日が落ち切っていた。スマホを見ると、21時を回っていた。ずっと走り回っていたからだろう。体が重く、十分に動けなくなった私は、近くの公園のベンチに座り込んだ。
「なんで……彼は一体…………」
『…………』
「……?」
下を向いていた私の視界の端に、誰かの靴先が見えた。遠治くんのそれでないことは分かる。何の期待もせず、私はゆっくりと顔を上げた。そこにいたのは、黒ずくめの包帯女。『彼女』は夜の闇に不気味に佇んでいた。
「……『シュラウド』」
『何をしているの』
「何をって……」
彼を探しているんです。私は小さくそう呟く。その呟きは彼女に届いていたようで、彼?と疑問を返してくる。
「久永、遠治です。知っているでしょう、貴女が『恐怖の帝王』を削ぐために育てろと私に命じた人物です」
『………………』
「私と昼間、その話をしましたよね」
『…………いいえ』
「ふざけるなッ」
ーーガッーー
気づけば私は『シュラウド』に掴みかかっていた。自分らしくない。そんなのは分かっている。だが、どうにも止められない。
「あ、貴女は知っているはずだっ! 久永遠治をっ、『エターナル』に選ばれた男をっ!」
『…………』
「彼には可能性があると、そう言った私の言葉を貴女は聞き入れた。だから、私は彼の側に姿を現して、彼と過ごしたんだっ!」
『…………』
「貴女だろうッ、きっと彼を消したのは! 私が貴女の言葉を否定し、断ったから。だからーー」
『貴女が何を言っているのか分からない』
「っ、う、うそ、だ…………っ」
その瞬間、『彼女』を掴んでいた両手の力が抜ける。同時に足の力も抜ける。そのまま、その場に崩れ落ちた。
「うそだ……うそ、だよ……っ」
『………………』
気づけば、頬を涙が伝っていた。
心に穴が空いたようだった。声もあげられず、私はただボロボロと泣くだけで。
『シュラウド』はいつの間にか姿を消し、夜の公園には目蓋を腫らした私だけが残されていた。
~~~~~~~~
元々『平穏』を求める彼だ。そこまで外部との接触も多くはない。既に彼に関わりのある場所のほとんどに行って聞いた。でも、誰も彼を覚えて……いや、まるで知らないかのような反応だった。
なら、今、この世界で『久永遠治』を知る者は……。
「私だけ、というわけか……ハ、ハ……」
呟く。渇いた笑いも出てくる。涙はもう出ない。
あの『シュラウド』ですら知らなかった『久永遠治』という男なんだ。そもそも彼は本当に存在していたのだろうか。もしかしたら、私の妄想が生み出した空想の人物なのではないだろうか。
だとしたら、どんなにいいか……。
ーープルルルルーー
「っ」
放心していた私の懐のスマホが鳴る。相手を見るとそこには『久永雪南』の文字があった。慌てて応答ボタンをタップする。
「も、もしもしっ! 雪南くんかい!?」
『え、は、はい。雪南ですけど……』
あぁ、彼女だ。紛れもなくその声は遠治くんの義妹・雪南くんだ。私は早口で捲し立てるように訊ねる。
「っ、君は無事なのかっ!?」
『? 無事って……わたしは映画を見ていただけですよ? ……なんかアンナさんの声、変じゃないですか?』
「なッ、映画って……こんな時に何をしてるんだっ!! 彼が、彼がいなく、なっ……てっ……」
彼女の呑気な返事に思わず声を荒げてしまう。
『アンナさん……落ち着いてください』
「……っ、すまない」
雪南くんの変わらない声色に、私は瞬時に落ち着きを取り戻せた。深呼吸、深呼吸だ。私が落ち着いたのが分かったのか、彼女は変わらない様子でどうしたのかと聞いてくる。私はそれに質問を返す。
「雪南くん。君にはお兄さんがいるはずだ。彼のこと覚えているよね」
冷静さを忘れぬように、私はそう訊ねた。
『えぇと……アンナさん、何を言っているのか……』
「ッ」
雪南くんまでやっぱり……!?
『いきなり兄さんの名前が出てくるのか……意味が分からないんですが……』
「! 分かるのかい、遠治くんのこと……」
『分かるも何も……兄さんですし……アンナさん、本当にどうしたんですか?』
「~~~~っ」
彼女の言葉を聞き、私はその場にへたり込んだ。電話の先からこちらを心配する雪南くんの声が聞こえてくる。それでも私は動けずにいた。だって、やっと見つけたんだ。彼の手がかりを。
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