違法探索者の迷宮盗掘録 ゴミ溜めにいた男が英雄になるまでの話 作:穴熊拾弐
それから2日をかけ、俺たちは塔の探索を行っていった。
岩の塔の2階層から4階層までを順に進んでいく。
それぞれの穴――部屋を覗き込み、俺の目やクルルの鼻で調べて、カトルたちは魔法に何か反応はしないかと仔細に調査していった。
ここの住人の蟹たちは相変わらず平穏無害で、襲ってくる気配は一切ない。
奴らは部屋の合間を行き来して、疲れたら眠りについて、後は時々口から泡をポコポコと出して……と、特に何もすることなく日がな一日を過ごしているらしい。
染獣とは思えない呑気なご様子。
それ故にかこの塔の中は静寂そのもの。
何なら、外から響く『赤鎚』たちの作業音の方がここまで聞こえるくらいだ。
「あ、また来たよ。主さん」
「……今回も蟹を運んできたか」
変化があるとすれば、城塞
それも蟹が増えるのみで、大した変化にも思えない。
静寂で、平穏。そして何より――退屈。
ここは、そんな場所であった。
その雰囲気が俺たちの中にも伝播し始めていた。
出会ったばかりの面々でも2日も経てば話題も尽きる。だから俺は、色んな人に聞いてみることにしたのだ。
――この探索が終わった後、何をするつもりなのか、と。
「――は? 自分ですか? 当然、引き続き騎士団での任務を続けます。我々の仕事はこれからが本番ですから」
「わ、私も……変わらないですね。これまで通り、薬を作り続けることになると、そう思います」
そう答えたのは、騎士団のクリムにスイレン。
水場作りですっかりペア扱いとなったのか、見張り番など拠点作業の多くを2人で行っている彼女たちからは、そんな答えが返ってきた。
一緒に食事の用意をしながら、俺は納得の頷きをする。
「そりゃそうか。あんたらは仕事だもんな」
「そうですね。蒼角騎士団は迷宮専門。まさか一度廃止された騎士の迷宮探索が行われることになるとは思いもしませんでしたが……元々我らは戦いを好む一派でしたから、望むところではありますね」
「……そうなのか」
まあそれはともかく。
ウルファたちもそうだったが、俺たち以外の面々は基本的に自分たちの仕事や目的のために迷宮に潜っている。
今回は俺たちの依頼で協力をしてくれているに過ぎず、探索が終われば皆それぞれの目的に戻っていくのだ。
「――終わった後のこと? そうですなあ。この難解な迷宮を弓でどこまで行けるのか、試してみたいですな」
「ふふ、ワーキルは武芸一筋だよね。……え? 僕も? 騎士団長になっちゃったから、あんまり自由にはできないんだよね。あ、でも、今回は飛ばしちゃったけど、30層の主は倒したいよね。竜殺し……武芸者の夢だよねえ」
「……団長自ら竜に挑んでいいのか?」
「まあ、ルトフ団長ですからな……」
……大分、いやかなり好戦的だが、ルトフの騎士団組は概ね同じ答えであった。
「この後ぉ? ウチらは変わらず、絡繰り作りだよねぇ。『大海の染獣』って、身体はやっぱり水なんだよね? 核は君たちが使うだろうし、今回は収穫はなさそうかなあ。駱駝君をつくれたのは良かったけどね」
「後は何よりお金! 結婚! てかあの騎士連中、あんな戦闘狂だってのに全員結婚済みか婚約者持ちってどういうことよ!? 1人くらい独り身がいたっていいじゃない!」
「俺に聞かれても、ちょっと待って、苦しっ……」
『赤鎚』も同じ。……同じかこれ?
まあここが最終目的地じゃないのは多分一緒だ。だから彼らは迷宮での活動を続けていく。
特殊なのは既に聞いたナスルを除けば、セリィくらいだった。
「へ? アタシ?」
詳細な地形情報を書き記すために塔へと案内していた際に聞いてみると、彼女は驚きながら首を傾げた。
「なにも考えてないよ。終わった後のことなんて。今はついていくだけで精一杯だし……あ、でも」
しばらく悩んでから、彼女はあっと表情を変えた。
「……ウィックたちとまだもっと潜りたい、かな」
周囲の蟹たちに若干怯えながら、それでも頬を赤らめながら囁いた言葉に、カトルがにんまりと笑みを浮かべて、その頭を撫でていた。
それにさらに縮こまりながら、それでもセリィは続ける。
「途中で抜けちゃったし、心配してるだろうし……」
「そうだね。皆、喜ぶと思う」
「……うん」
微笑ましいカトルとセリィのやり取りを、俺はカシャカシャと鳴る蟹たちと一緒に眺めるのだった。
とまあ、そんな感じで。
平穏すぎるこの階層は、今までには考えられない様な思索の時間を与えてくれた。
そうして入った3日目。
俺たちは変わらず、塔の右半分の探索を続けていた。
「ねえ、ゼナウ」
「ん?」
3階層の洞窟を覗き込んでいた俺は、アンジェリカ嬢へと振り向いた。
「あなた、昨日から変な事聞いて回ってるわよね。この先のやりたいこと……だったかしら?」
「ああ。何となく気になって。暇だったしな」
俺の答えが気に食わなかったのか、綺麗な顔を歪ませてから、大きく息を吐き出している。
「……まあ、そこは否定はできないけれど。気を抜かないでよ?」
「分かってはいるんだが、この状況じゃな……」
「……そうなのよねえ」
そう呟く俺らは、殆ど武器すら構えずに3階層にいる。
周囲には数体の蟹がわらわらと群がっていて、呑気に上下したり泡を吐いたりしている。
「……平和すぎる。なんだここは」
「ここの蟹さん、人懐っこいよね。君なんかは昨日からずっと一緒だし、ね?」
カトルの傍にいた蟹が身体を上下させて反応する。その身体は他の蟹と比べて2回り程小さい。
顔を出してはいなくなっていく蟹の群れの中で、この蟹だけは昨日からずっとついてきている……というか、見分けがつくのがこいつくらいなんだが。
その小蟹の頭部を撫でながら、カトルはしみじみと呟く。
「でも、終わったらかあ……私は、世界の色んな絵を描きたいな」
「あら、迷宮はもういいの? あんなに絶望してたのに、男ができたらすっかり変わっちゃって……」
「またそうやってからかう! というか、アンジェに言われたくない!」
わざとらしくよよよ、と
これだけ騒いでも蟹たちも慣れたもの。
もはや動じることなくのんびりと過ごしている。
「……蟹の数、増えてるよな」
「そうだな。あの主がせっせと運んできているからな」
そう告げるカスバルが見つめる先、砂から出てきた城塞
最初はこの場所にいる蟹たちが乗って移動しているのかとも思ったのだが、どうやら外から連れてきているようだ。
そのせいで明らかに蟹の数が増えている。
「小さい洞窟だと入り切ってなくて溢れてるよ。凄いよねえ……」
「この調子だと、外の砂漠から蟹が減ってるんじゃないか?」
「そんなことはこれまでなかったと思うが……ここにたどり着いたことで何かが変わったのか?」
これが何を意味するのかは分からない。
あれから2層、3層と調べているのだが、結局変わったことは何もない。
ただただ広いこの構造物に、蟹が増えていくだけ。
この先を調べても、何かがあるとは思えない。
しかも現在調べられているのは、裂け目で別れた塔の片側だけ。
もう片側も調べる……となると、さらに時間がかかるだろう。
正直、気は進まない。
俺は蟹たちを掻き分け、階層の淵で広場を眺め昼食を食べるカスバルに近づく。
横に腰かけると、一瞬だけこちらに視線を向け、息を吐き出した。
「……35層で、主を見下ろして呑気な世間話、か。本当に奇妙な階層だな、ここは」
「本当にな」
「やはりお前の目でも、何も分からないか」
「何度も調べてるんだけどなあ。異変なんてなんにも見えない。クルルは?」
「駄目だな。異変も、ヤクルの匂いも、どちらも」
定期的に左目を使ってはいるが、変化はない。
否、正確にはより見えづらくなっているんだ。まるで霧でもかかっているかのように、蟹の輪郭がどんどんぼやけている。
痛みなどはないし、それ以外の異常もないのだが、監獄島での酷使もある。
念のため皆に伝え、スイレンにも調べては貰っているが……そろそろ、限界が近いのかもしれない。
「やはり、あそこを調べてみるしかないか」
そう言ってカスバルが指さした先にあるのは、断裂した塔の中心に広がる……地上の広場だ。
「地上を?」
「地上……というよりは、あの奇妙な
「あの球体か……あれも、なんなんだろうな」
この場所に入った時に見た、円錘の岩の上に球体の岩が乗っかった物体。
3階層から見てもはっきりとわかるそれは、俺たちが入口に使っている裂け目とは反対側の、奥まった方に置かれている。
ずっと気になってはいたのだが、階層の探索を優先していた。
「これだけ調べて何もないなら、あれを調べてみるべき……か」
「そうね。危険がないと分かったわけだし、さっさと調べましょうか」
「念のため、こっち側だけ見てからな。……そういえば、カスバル」
「ん?」
自身は食べ終え、クルルに焼けた肉を与えていたカスバルが顔をあげた。
「あんたはどうなんだ? ヤクルが見つかったら、あんたらの探索は終わるのか?」
「……終わらないさ。こいつらは、迷宮でしか生きられない。いつか元に戻るか、死ぬまでは一緒だな」
嬉しそうに耳を伏せるクルルを撫でる。
カスバルの表情も穏やかそうだ。
殺し合い、融合し――互いの身体を共有し合った奇妙な彼らの関係は、家族と呼んでいいものなのだろう。
探索を続ける。それが例えどれだけ長くなろうとも、彼はそれを続ける覚悟を決めているようだ。
その、クルルを見ていた優し気な瞳が、ふとこちらへと向いた。
「ゼナウ、お前こそどうなんだ?」
「俺?」
「お前の目こそ、迷宮でなければ生きられない代物なんじゃないか?」
「……それは」
左目を覆うように触れる。
その下でぐるりと蠢く左目は、恐らくもう元には戻らない。
これがただの染痕だったなら、迷宮にさえ潜らなければ安全に生きていけるだろう。
片目だけの視界は不便だが、もう慣れた。地上で生きるのにも大した不自由にはならない。
だがこいつは違う。
この目はいつか俺の身体を蝕んで、あのゲナールの様に染獣の姿に変えてしまう。
それはきっと地上にいても止まらないし、何なら、この戦いの最中にそうなる可能性だって大いにあるのだ。
文字通り、命を消費して俺はこれから戦わなければならない。
だがその先。
勝って得られるものは――果たして何があるのだろう。
殺されたらしい家族が返ってくるわけでも、記憶が蘇るわけでもない。
失ったものは二度と戻らないし、俺の命は多分他人より早い時間制限付きときた。
それでも、その時間を使い果たすことすら承知で、あの男を殺すためだけにここに来た。
その、理由は――。
「――ああ、そうだったな」
「? どうした?」
「いや、色々と思い出したんだよ。どうして俺がここまでやってきたか。……それで、俺がこの後どうするか、だったな」
ふっと、こみ上げてきた笑みを浮かべて。
俺は俺の願いを告げる。
「2度と潜るか、こんな物騒な場所。俺は、気兼ねなくゆっくりと寝たいんだ」
そうだ。
俺はただそんなことのためだけに、ここまで来たんだ。
隣で騒ぐ皆の賑やかな声を聞きながら。
涼しい風の流れ込む昼過ぎのひと時に、柔らかな寝具に包まれながら。
ただただ温かく深い眠りにつきたい。
もう、疲弊の果ての気絶なんて御免だ。
眠った瞬間にあの悪夢のような光景を見せられて、汗だくで飛び起きるのも御免だ。
何の心配も、不安もなく。
ただただ穏やかな1日を過ごして、終わりたい。
死ぬのは嫌だが、心と身体を摩耗しながら生きるのは辛い。
寿命を削ろうとも、残りの時間を穏やかに過ごせるなら、それが良い。
そのためなら命だって賭けてやる。
「……ゼナウ」
カトルの声とともに、蟹たちの放つ泡が通り過ぎていって、ぱちりと空中で弾けた。
ああ、平和な場所だ。
ここで呑気に昼寝でもできたら最高なのにな!
あいつが生きている限り、それは叶わない。
だから俺は、あいつを殺すんだ。
殺す前に、この身体の治し方でも吐かせられればより最高だ。
ああ、早く戦いたくて――終わらせたくて仕方がない。
「……そうだな。俺たちには、当たり前が恋しくて仕方がない。こいつらを地上に連れて行けたらと、思ったことは何度もある」
身体をクルルに擦りつけられ、それも嬉しそうに撫でながら、カスバルはそう言った。
「ヤクルが戻れば、もっと深くに潜れる。そこで何か見つけるか……あとは、スイレンあたりが何とかしてくれるのを待つしかないな」
「俺は、他の国に行ってみるつもりだ。どうやら昔にあった他の国に、俺みたいな目をした奴の伝説があるらしい」
「他の国か……確かに、迷宮も国も多種多様。どこに何があるかは分からないか」
互いに視線を合わせて、笑みを浮かべる。
迷宮に魅入られてしまった者同士。出会ったのは最近だが、この男とは不思議と通ずるものがあった。
「いつか帰ってくるのだろう? その時お互いの成果を教え合おう」
「ああ。俺が見つけたら真っ先に知らせるよ。逆も、頼むな」
「了解した。ただ、その前にヤクルを見つけなければな」
「『大海の染獣』も、な。……さあ、行くか」
これで休憩は終わり。
残りの調査を終え次第、明日一番怪しい、広場を調べに行くとしよう。
***
「――うん。ここはこんなものでいいかな」
静まり返った塔の前で、セリィは1人そう呟いた。
探索隊が戻って休みに入った夜――といっても、ここは明るいままだけれど。
セリィは彼らと入れ替わるようにして、塔の入口部分のスケッチを行っていた。
本来ならば誰かに同行してもらわなければいけないのだが、皆作業をするか休んでいる時間帯。
それにこの塔はもう安全だろうと、セリィは1人ここまでやってきていた。
一応、近くで見張りをしているカイたちに見られているから、万が一はあり得ないだろうという打算もある。
実際ここまで何も起こらず、セリィは目的としていた塔の内側の写生を終えた。
「でも、本当に蟹が増えてるんだね」
こうして入口から覗いているだけでも、結構な量の蟹がいる。
最初に同行して見た時はもっと閑散としていた筈なのに、今は蟹を視界に納めないことが不可能な程に大量の蟹が蠢いていた。
その様子を見て、作業と使命感で熱中していた思考が、さあっと冷めていく。
「あれ? これ……もし気が変わって襲われたら、逃げられないかも?」
襲ってこないからと安心していたが、蟹の1匹相手でもセリィは簡単に殺されるだろう。
それほどの実力差がある相手が、わらわらと大量にいる。
その事実に今更気が付いて、全身が震えた。
「……っ、き、今日はいいよね。帰ろう……!!」
慌てて道具を仕舞って、皆のいる拠点へと走ろうとして……足を止めた。
視界の端を、何かが横切ったのだ。
「……ん?」
咄嗟に振り返ってみると、そこにあったのは、泡であった。
時々蟹たちが吐き出しているものの1つが、たまたま視界を通り過ぎたのだろう。
――なんだ、泡か。驚いた……。
ただ、よく考えればその泡でも自分にとっては致命的な威力なのかもしれない。
ゆっくりと後ずさってその場を離れようとしていたセリィは、あることに気づく。
「泡が……いっぱい……」
塔の至る所から顔を出している蟹たちが、大量の泡を吐き出していた。
ポコポコと沢山浮き上がる泡は、光を反射して美しい。
ただ……やけに数が多い。
数えるのも大変な数の泡が、壁の至る所から発せられ、塔の中を浮かび漂っている。
不思議なことに、泡は塔の天辺を超えて外には出ていっていない。
まるで見えない天井でもあるかのように、空間を泡が満たしては、弾けていっていた。
その光景は幻想的で、ある種の恐怖を覚える程。
――こんなこと、ゼナウ達は言ってったけ?
泡を吐くとは言っていたが、ここまでだっただろうか。
そう、疑問に思いはしたのだけれど。
今は自分の命が大事であると、セリィは踵を返して拠点へと走っていったのだった。
『――――』
そうして誰もいなくなった塔の内部。
蟹たちはただただ静かに、泡を吐き出し続けていた。