違法探索者の迷宮盗掘録 ゴミ溜めにいた男が英雄になるまでの話   作:穴熊拾弐

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第123話 白砂の迷宮第35層/大海の巣⑥

 

 

 

 白砂の国(ハルモラ)の首都ワハルにある第一迷宮。

 その遥か深く、35層の更に奥に隠された秘境。蟹たちの最期の楽園にて。

 今、激動が巻き起こっていた。

 

 蟹たちひしめく分断された岩の塔。

 その内部には今、青く輝く水流が天に向かって渦巻いていた。

 大気を震わす轟音とともに、多量の水を含んだ豪風が吹き荒れる。

 

「……っ、目を開けるのも大変……!!」

「慣れろ。でなければ死ぬ。氷魔法も気をつけるんだ。下手に使えば皆に被害が出る」

「ひぃ……が、頑張る……!!」

 

 風雨に必死に耐えるカトルの横で、鉄塊は降り注ぐ雨を指で触れ、匂いを嗅いだ。

 

「これは真水か? 海水ではないのか」

「好都合! あれだけの真水を生めるなら、水不足なんてあっという間に解決よ!」

 

 叩きつける水に濡れ、吹き荒れる風に煽られながらも蟹たちは歓喜の上下運動を繰り返す。

 まるでそれこそが待ち望んだものだというように。

 

「蟹が動かないのが救いだな。とはいえそれもいつまで続くかだが。クルル、魔力を溜めておけよ」

「――――!!」

「よし。……俺とクルルは大海(こっち)を見ておく。あんたらは――」

「ええ。まずは、邪魔者の方ね」

 

 その蟹でできた壁に囲まれて、対峙する勢力が3つ。

 1つは俺たち。もう1つは生まれ出でようとしている『大海の染獣』と蟹。

 

 そして最後の1つが、外の砂漠からやってきた3つの人影。

 城塞握砂蟹(ガラタ)を見るも無残な姿に解体し、その死骸とともに乗り込んできたその連中は、間違いなく湖畔の国(ラクトリア)の人間だ。

 

 男が2人に、女が1人。

 従者らしい2人は、外套を身に纏っており、その装備の詳細は不明だ。

 

「……」

「……」

 

 男の方は緑髪を短く刈っており、体格自体はそれほど大きくは見えない。

 むしろ少し骨ばって見える顔は頬がこけており、病的な気配を感じさせる。

 

 翻って女の方は体格が良く、編んで垂らした赤銅色の髪を含めた頭を紐で括っている、特徴的な頭髪をしていた。

 ともに表情からは感情が読み取れず、ただ獲物を見る様にこちらを見つめている。

 

 ナスルから奴らの名前や戦闘能力などを教えて貰ってはいたが、顔だけでは誰か特定は不可能。せめて得物が分かればいいのだが。

 

 現時点で、確実なのはただ1人。

 

「――はは、なんと素晴らしい」

 

 彼らの手前に立つ、首魁だろう黒剣の男は、吹き荒れる風雨をものともせずに死骸から降り立った。

 鳴り響く轟音の中、そいつは首をごきりと鳴らしながらこちらへと歩いてくる。

 

 ――こいつが、この男が……。

 

 叩きつけてくる雨のおかげか頭は冷めていた。

 故に、俺は怒りに身を任せずその男のことを観察できていた。

 

 ごしゃり、と水を踏みつぶす分厚い黒革のブーツ。

 そこから視線を上げていくが、映る全てが真っ黒。素肌の1つも見えやしない。

 光沢すらない材質は厚く、硬そうだ。

 

 唯一肌が見えるのは顔。

 岩のように骨ばり、撫でつけた髪も太い眉も鋼のような印象を受ける。

 赤い瞳は生命力に漲っており、炎のように揺らめいている気さえした。

 

 身体も分厚く、鉄塊も軽く凌駕する巨体。

 そして右手には巨大な黒剣。

 記憶の中では直剣だった筈だが、片刃が波打つ奇妙な形状になっている。

 刀身の長さも幅も異様に大きい。まるで刃が制御を失って成長でもしたみたいな……そんな悍ましさを覚える。

 記憶の姿とはまるで違うが……。

 

 ――あれだ。あの剣だ。

 

 正直俺は、この男の顔も声も、姿ですらも碌に覚えていなかった。

 だが、その黒く光を纏った剣だけははっきりと記憶に刻まれている。

 ナスルも言っていたじゃないか。あいつは剣に秘密がある、と。

 

 今も俺の左目に映るそいつは、驚くほどに眩く黒に輝いている。

 明らかに尋常ではない。男も、剣も。

 湖畔の国(ラクトリア)やってきた、人に染獣を植え付ける狂気の男。俺と左目の主をこんな風にした全ての元凶。

 そいつの名は――。

 

『あの男の名前は、実はちゃんとは知らねえんだ。お仲間連中は頭目としか呼ばねえし、対面では第三王子ですら名前を呼ぶのを避けていた節がある。ただ1度、余程奴らのやり方が気に食わなかったんだろうな。ブチギレて名前を叫んでるのを聞いたことがある。その名は――』

 

 黒剣の男、ゼェル。

 それが、俺が探し求めた男の名であった。

 そんな奴は――俺らの誰にも目を向けずに、渦巻く水流を見上げていた。

 

「……これが、『大海の染獣』とやらか。雄大で、美しい」

 

 地の底から響くような声でそいつは言った。

 俺らのことをまるで無視しているのは気になるが……こいつ今、断言したな。

 

 今俺たちの前に現れたのは、ただの巨大な水流に過ぎない。

 渦巻く様は普通じゃないが、どう見てもあれは『生物』じゃないだろ。

 

 しかも奴はたった今ここにきてあれを見た筈。なのにあれを『大海の染獣』だと断言したのだ。

 だからか、俺もまた思わず口を開いてしまった。

 

「……分かるのか? ただの水だぞ」

「その目は飾りか?」

 

 こちらを振り返ることすらせず、ゼェルは言った。

 

「あれだけわかりやすい『核』があるというのに。討伐どころか出現すらさせられていないとは……間抜けどもめ。だからこうなる」

「核だと? そんなものどこに……」

 

 鉄塊の問いには、しかしそいつは答えなかった。

 風雨を浴びながら、恍惚とした表情でそれを見上げている。

 

「何を呑気に――!!」

 

 武器を振り上げようとしたアンジェリカ嬢の言葉を遮る様に、奴は剣を振り下ろした。

 たった一振り。

 だが黒い剣は溶けたように刃から黒い光を放ち、彼女の眼前に数mに渡る漆黒の太刀傷を残した。

 

「……っ!!」

「しばし見ていろ。我々には到底成しえない、神秘の瞬間だ」

 

 破壊したわけない。ただ、黒く揺らめく光の線が地面に綺麗に敷かれたのだ。

 墨でも撒かれた様なその痕に、アンジェリカ嬢でさえ動きを止めた。

 

「ほうら、始まるぞ」

 

 彼の言葉の通り、渦巻いていた水がゆっくりと収束し、1つの塊へと混じり合っていく。

 隙間のあった渦が、長く太い蛇のような水塊に変わる。

 その尾に埋もれていたあの青い玉が、ぼこりと円錐から浮き上がった。

 

「まさか、あの玉が……? 染獣の核が外に放り捨てられてたとでも言うつもり!?」

「……薄まっていたんだ」

「え?」

「核だけが放置されてたんじゃない。身体を保つ水分がなさ過ぎて、極限まで――霧より薄くなっていたんだ」

 

 困惑するアンジェリカ嬢だが、左目で見ていた俺には何となく理解ができた。

『大海の染獣』は周囲の水を吸収して今の形になった。

 だが、その身体は一連の蟹の儀式によって新たに生み出されたのではない。薄く空気中に広がっていた身体が、大量の水を得て本来の姿を取り戻したのだ。

 つまり――。

 

「俺たちは今まで、あの染獣の体内にいたってことだ」

「そんなことが……?」

 

 薄く薄く広まった水を、奴の身体と呼んでいいかは分からないけれど。

 

 やはり蟹たちの目的は、水を集めて身体を作ることだったのだ。

 それが今成就し――『大海の染獣』が生まれ出でた。

 

『――――』

 

 岩の塔の天井部。断裂した天井にぶつかる寸前に浮いた、深く濃い青の集合体。

 長く伸びた蛇の様だった水塊は縮み、手足に頭部、尾とそれぞれの部位が生まれていく。

 

「……水が、生き物みたいに……」

「『大海の染獣』。文字通り、海そのものが意志を持っているってわけね……!!」

 

 どの生物とも似つかないその姿は、強いて言えば狐や狼のような四足獣。

 薄布(ベール)のように水を纏い、分かれた四肢も、頭部も、身体の至る所が水が流れ続けて模様のようなものを生み出している。

 生きて動く水塊の獣。それが今、球の揺り篭にいる様に身体を丸めて空中に浮かんでいた。

 

 天候が変わらない筈の空は曇天に包まれ、風雨は止まずに暴れ続けている。

 そして、足元には水が溜まりつつあった。

 こいつが生まれたら止まる訳じゃないって事は……ここは間もなく、水に沈むことになるだろう。

 

「おお! 素晴らしい……!! なんという力だ……!!」

「……」

 

 俺は短剣を引き抜き、左目の視界を迷宮側へと潜らせる。

 黒剣(ゼェル)は両腕を広げて『大海の染獣』の誕生に感激している。

 まだ水の量も少なく、足音を立てずに近づくことは可能だ。

 

 やるなら今。

 その無防備な首後ろへと、短剣を突き立て――。

 

「無粋な」

 

 刃が到達する寸前、奴の剣に払われた。

 黒い光を残すその剣閃は巨岩の様に重く、俺の身体はあっさりと右側に弾かれる。

 音を出さないようにと脱力していたせいもあるが、なんて重い一撃か。

 

「……っ」

「邪魔をするなと言った。……まあいい、見たいものは見れた」

 

 奴はこちらへと向き直ると、剣を構えた。

 剣の背に左手を添え、上段から突きでも放ちそうな独特の構えでこちらに切っ先を向けている。

 

「まずはお前からだ。久しぶり……いや、初めましてと言うべきだろうな」

 

 生命力滾るその顔が、引き裂けるかと思う程に笑みに満ちた。

 

「迎えに来た。さあ、共に行こうじゃないか」

「……共に?」

「ゼナウ――!!」

「だから、邪魔だ」

 

 周囲の仲間たちが戦おうと動き出したその刹那。

 奴は左手をすっとずらし、剣の柄の辺りを撫でた。

 瞬間、アンジェリカ嬢の前に広がっていた墨のような黒い剣痕が噴き上がり、そこから異形が複数出現した。

 

『■■■■――!!』

 

 その数4体。そして姿形は揃っておらず、大型のものから比較的小さな――それでも2mは超すだろう巨躯たちであった。

 例えばその1体。漆黒に染まってはいるが、その姿形は、竜に似ていた。

 

「な――っ!?」

「……アンジェ!」

 

 驚き硬直するアンジェリカ嬢に迫った一撃を、鉄塊が盾で防いだ。

 視界外からのそれは、黒剣(ゼェル)と同時に現れた2人のうちの片方によるもの。

 盾に激突したのは、重たい鉄球が乗った棒。凄まじい勢いのそれに、鉄塊の盾が大きく軋んだ。

 

「ぐっ……!!」

「ファム、弓が来る!」

 

 もう1人の方は背後から大弓を引いており、鉄球持ちが飛び退いた直後、即座に放たれた。

 凄まじい勢いで放たれた剛矢が空気を貫きながら飛来し、かち上げた鉄塊の盾を甲高い音を立てて削りながら、周囲にいた蟹を抉り飛ばしていく。

 加えて異形の怪物たち。

 一切の容赦なく、こちらを殺しに来ていた。

 

「……」

「こいつら……!!」

 

 そのまま周囲で戦いの音が鳴り響き始めた。

 風雨の轟音、戦いの音。そしてガシャガシャと響く蟹たちの蠢き。

 その中で俺は、先の奴の言葉を反芻していた。

 

「……迎え? 迎えと言ったか、お前。何を――」

「貴様には言っていない」

「は?」

 

 声をあげた次の瞬間には、視界に漆黒が迫っていた。

 咄嗟に全身を右に振り、短剣で突き出して来ていた刃を弾いて逸らす。

 ばしゃりと水音を響かせながら俺の身体は大きく後退した。

 

「……ぐっ」

 

 両腕で何とか弾いたが、鈍い衝撃に骨が軋む。

 いくら巨体とはいっても信じられないくらいの剛力と速度。

 だがそれよりも、飛んできた言葉の方が理解しがたい内容であった。

 

 ――『お前』と、『貴様』。

 こいつは今、俺のことを2つの言葉で()()()()()

 

 ほんのわずかな、けれど恐ろしい程の違和感。

 それを示すように、男はこちらへと――俺の左目へと手を向けた。

 

「何故まだ、その身体を奪っていないのだ。腐竜よ」

「……ああ?」

「ゲナールを――染人(タグァ)を殺ったのだろう。奴の最期は聞いた。あれが異形化してまでの死闘だったのだろう? ゲナールは失敗だった。だがそれに勝ったお前は、きっと()()()のだと期待したのだがな」

「何を、言っている……?」

 

 口にした言葉の意味自体は分かる。

 だが、その理解は一切できない。

 

「……さっきから、五月蠅い輩だ」

 

 ゼェルは()()()()()()()()()、鬱陶しそうに俺を見る。

 ああ、そうだ。こいつはずっと、俺じゃなくて俺の左目を見つめていた。

 もしかして、もしかしてだがこいつは――。

 

「貴様に話してなどいない。……何故まだ生きている? さっさと死んで、その身体を腐竜へと明け渡せ」

「……俺を」

 

 叩きつける雨に冷えた筈の頭が、瞬間的に熱に満ちる。

 もう敵前であることすら考えずに、俺は自分の胸を叩いて叫んだ。

 

「覚えていないのか!? 俺を! あんたが俺の家族を殺して、()()を埋め込んだ! そうだろうが……!!」

「……?」

 

 なんで首を傾げる!

 やめてくれ、そんな筈はない。そんな――。

 

 縋る様な俺の願いをまるで無視して。

 そいつは、最悪の言葉を口にした。

 

「……貴様は、誰だ?」

「……っ」

 

 演技なんて疑う必要もないくらいに、純粋な言葉でそいつは言った。

 まるで俺の顔なんて初めて見る――そんな声色と表情で。

 

 しかも、奴の逡巡はほんの一瞬で消え去った。

 直ぐに表情は無に戻り、剣を構えて再び口を開いた。

 

「宿主などどうでもいい。選ばれし染人(タグァ)は人の身を染獣が食いつくし花開く。ああ、楽しみだ。その特異な目は、一体どんな進化を見せてくれる?」

「……」

 

 もう、奴は俺を見てはいなかった。

 ただただその熱い視線は、俺の左目のみに注がれている。

 先ほど『大海の染獣』を見つめていたのと、全く同じ、情熱的に燃える瞳で。

 

「……は、はは。そういうことかよ……」

 

 驚くほどに冷たい雨が、呆然とする俺の顔をひたすらに横殴りにしていた。

 怒りも、熱も消え。足元に溜まる水の底に意識が沈んでしまいそうだった。

 

 ――多分俺は、ずっとどこかで期待していたんだ。

 

 家族を、記憶の全てを失った俺は、きっと()()で。

 家族殺しや禁忌の実験すら簡単に成してしまう程の『敵』が、国を追われてまで追い求める程の何かが俺にはあるのだと。そう、心のどこかで期待してしまっていたんだ。

 夢見ていたとすら言っていいのかもしれない。

 

 だって、そうじゃなきゃおかしいじゃないか。

 なんで俺がこんな目にあわなきゃならない?

 こんな男の狂気に付き合わされ、全てを失い、こんな必死になって迷宮に潜り続けて――。

 その結果が、これか?

 

 俺は、そもそも最初からこの左目の餌だったっていうのかよ?

 そんなこと――許されていい筈がない。

 

 

「……殺す」

 

 腹の奥底から、熱がふっと沸き上がる。

 狂ったように暴れ回るそれが、冷え切った筈の全身を満たしていく。

 踏ん張る足に血が通い、短剣を握る手に力が籠る。

 そして、左目まで到達して。俺の視界は、迷宮へと暗く暗く沈んでいった。

 

「……ぶっ殺してやる」

「何を喚いている? 良いから、さっさと死んで明け渡せ――っ!?」

 

 俺の短剣が、奴の脇腹を切り裂いた。

 上等な装備の様だが、手入れが甘い。

 奴らもちゃんと強行軍らしい。脆い部分が丸わかりだ。

 

「貴様……!! なんだその目は……!?」

 

 知るか。お前が埋め込んだんだろうが。

 既に視界は迷宮側に深く潜った。きっと奴の目にも、眩く光って見えることだろう。

 頭に鈍い痛みが走るが、無視をする。

 だって、もう――どうでもいいだろ?

 こいつを殺すこと以外、何も。

 

「ゼナウ、それは駄目――!!」

 

『大海の染獣』も、仲間ももう関係ない。

 俺がここまで培ってきた全てを注ぎ込んで――殺してやる。

 

 叩きつける風雨の下、水嵩が増し始めた塔の中。

 俺は黒剣の男との、最後の戦いを始めるのだった。

 

 

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