ありがとうございます。
よろしくお願いします。
「レイヴンさん、シャーレはもう慣れた?」
「うん。シャワーもキッチンもしっかり使える。文字も平仮名は書けるようになった」
そう言って私は目の前で揺れる二つの髪束を眺めながら言った。
シャーレに来て数日、私は今までにない経験として『勉強』というものを教えてもらっていた。
ルビコンにいた時はACさえ動かして敵を倒せば終わりだったが今はそうもいかないからだ。
「よかった。はい、紅茶でよかった?」
「うん。ありがとう」
ユウカはニコニコとした笑顔でこちらを向くと私の前にもコップを置いてくれた。
なみなみと注がれた紅茶……点滴でやっていた水分補給を口からする時が来るなんて…と感慨深く思いながら口をつける。
いい匂い……がする気がするし、おいしい……と思う。記憶の中では口で食べた経験が皆無なため確信は持てないが。
「おいしい」
「本当に? よかった」
口をつける私の顔を覗いていたユウカは私の言葉に改めて笑顔になってくれた。
そして彼女は自分も飲み物を飲みつつ私に言う。
「驚いたわ、学校に行ったことないだなんて言うから、大変だったのね」
「うん……戦ったりで、そういう機会が無くて」
私がそう言うと、ユウカは私の隣に積まれたノートの山を見る。
「たくさん、練習したのね」
「ありがとう、なんとか」
ACで受け取れる文字情報を読める割に、私は文字を書くことまではできなかった。
ペンの持ち方から何から教えてもらいながら書いたへろへろ文字はここ数日で何とか読めるものになっていた。
その、努力の山が私の隣に高く積みあがっていた。
「みてみてもいい?」
「うん、確認してほしい」
そう言って確認するユウカは私の書いたヘロヘロ文字を確認していく。
「しっかり書けてると思う、これからも頑張ってね」
そう言って笑いかけてくれる彼女に私は頷く。
私のノートにまた顔を落とした彼女を見ながら考える。
これが、普通の生活……ということなのだろうか。
確かに穏やかで、先生もユウカもウタハも、他にシャーレに来ていた生徒も見慣れない私に優しかった。
けれど、そうしてみんながいると思えば思うほど。
かつて居たはずのルビコンでの彼らを思い出してしまう私がいた。
後悔はない…だが、どうしようもない仮定を考えてしまう。
『ウォルター、エア…みんながいてくれたら……もっと』
****
「先生」
「ユウカ、お疲れ様」
私はユウカの呼びかけに顔をあげる。
「そろそろ休憩にしませんか?」
そう言いつつ、ユウカは私にメモを差し出す。
『別で話たいこともあります』
それを読んで私は頷く。
「そうだね。ちょっと休憩にしようか。
コンビニに行くけれど、ユウカも来てもらえる?」
「はい、わかりました」
「レイヴン、何かリクエストはあるかな?」
私の呼びかけにレイヴンは少し顔をあげて首を振る。
「特にありません」
「了解、行ってきます」
「すぐ戻るわね」
「はい、行ってらっしゃい」
コンビニへ移動しつつユウカへ顔を向ける。
「何かあった?」
「これを」
そう言ってユウカが差し出したメモには文字の羅列。
「『うぉるたー』『えあ』『かーら』
『らすてぃ』『ちゃてぃ』……『そうちょう』
他にもあるね、名前かな?」
「だと思います」
私の疑問に頷きつつ、ユウカは教えてくれた。
彼女の練習ノートに書かれた文字で、消して上に別の文字を書いて隠していたのだと。
「詮索ですし、あまり良いことでは無いと思いますが……」
彼女の文字やシャワーの面倒を見てくれたユウカは彼女の来歴が心配も相まって気になるのだろう。
気まずそうな顔をしながらも続ける。
「彼女の過去に関係ある人物の名前だと思います、もし見つけたら注視してあげてください」
「わかった、教えてくれてありがとう」
メモをしっかりとスーツにしまい込む。
彼女について、自分が知っていることは本当に少ない。
明かされないのは、大人として、先生として、まだ信頼が足りないからだろう。
彼女に信頼たる安心を与えられていない事実に己の不甲斐なさを感じて悔しい。
「先生?」
「ああ、ごめんねユウカ。心配させて」
私の顔を覗き込むユウカを見て、眉間に寄っていた皴を自覚して笑顔を向ける。
焦るなと、自分に言い聞かせた。まっすぐ彼女を信じよう。
*****
治ったはずの私の体はまた悶えるぐらいしか動かなくなっていて、
周りを見渡す視界はカメラを通していないせいでぼやぼやとぼやけていた。
ああ、これは夢だ。
そう、思った。いや、思いたかった。
ACに乗り込むための車椅子にただ座っていて。
窓を見れば夜の部屋で私は一人だった。
一人でいるという状況と、元に戻ってしまった肉体に私は恐怖を感じた。
一度諦めた筈の生なのに、大事なものを殺したうえでの生なのに、
穏やかなあの数日が崩れた事実を認めたくなくて私はもう一度目を閉じて祈っていた。
『これは夢、これは夢、眠ったらまたシャーレのはず。眠れ、眠れ眠れ、眠れ眠れ眠れ!!』
カツッ
靴底の音がする。誰かがいてくれている。
その事実を認識した私は目を開けて音の主を探す。
誰かスーツの男がそこにいた。
「目覚めはいかがですか?」
私にその誰かは語りかけた。
答える声はないがもしあるならこう答える。
『最悪』
「それはそれは……星がきれいな夜だというのに気の毒ですね」
星がきれいなのか、私の視力では夜であることしかわからなかった。
『彼は……誰だろうか』
「私のことは『黒服』とお呼びください。あなたのことは何とお呼びいたしましょう?」
会話が……今の私からでも通じているらしい。
どういう原理かわからないがエアの交信などでこういうのはあり得ることだとも思う。
『……レイヴンで。何か話を?』
「承知しました。レイヴン。
頼みごとをされまして、伝言をお伝えしに来ました。
個人的にも話したいことはあったのですが、頼み事の関係上釘を刺されてしまったため、
頼まれたお話のみとなります。他の世間話であれば喜んでお相手いたしますよ」
『そう、そしたら少し付き合ってもらおうかな』
私の声に…声に黒服は嬉しそうに言葉を続けた。
「これは良かった。では、お伝えすることから……今からお話しする内容をどなたに頼まれたのか、
その方とどういった契約をしたのかの詳細は私からは話せません。ご了承ください。
得るものが非常に大きかったもので細かく契約を決められてしまったのです」
『そうなんだ、私みたいに約束して破るなんてのはしないんだね』
いつかの財務担当を思い出しながら答えてみる。
「契約とは守られるべきものです。私はそれを逸脱できません。
あなたは……そうでないかもしれませんが」
『どうだろう。さっきの口約束はともかく、仕事の契約は履行しているよ』
「クックッそうですね。ですが、あなたはそれが可能であるという点で我々とは違う」
『さっき言ってたできないってことだね』
「その通りです」
なんとなく楽しそうに話す人だと感じる。
さっきまでの話を合わせれば、秘密はあるが……話すことは真実を話す人だと私は考えていた。
『本題を、聞かせてもらえるかな』
「もちろんです。あなたの今の体についてですよ」
一番聞きたかったことを聞けるとなって私は少し驚いた。
黒服の次の言葉を待つ。
「今のあなたは…「ここで何してる?」おや、お久しぶりですね、小鳥遊ホシノさん」
銃を構える音と声が黒服の声に割り込んだ。低く威嚇する声。
「答えろ、二度は言わない」
「彼女に用があってきました、彼女の状態について伝えてほしいという依頼を受けまして」
「彼女……?」
声の主がスーツの影から出てきた。
小鳥遊ホシノはピンクの髪をした……女の子だというのはわかった。
彼女から驚いた声が聞こえる。
「起きてる……よかった」
そうして私の顔を見て声の気が抜けたのも束の間彼女はもう一度銃を構えた。
「要件の話、私にも聞かせろ」
「彼女の了承があればよいでしょう」
黒服は私の方を見た。
私は小さく頷く。
それを確認して、黒服は続けた。
「では、頼まれた文言をそのままお話しいたします。
『今のあなたはC4-621の肉体を楔として意識をこの世界に留めています。
しかし、あなたという個人を示す呼称は強化人間C4-621だけを示すものではないということをイメージしてください。
貴方は独立傭兵、ルビコンで最も名をはせた個人、ルビコンの災禍、自由の烏、イレギュラー、なによりACを駆るものです』
黒服はそこで一度言葉を切る。
「ここからは私個人の、この世界でのあなたについての見解です」
好意的に話してくださったお礼です。と黒服は付け加えた。
「では……二つの体は世界のルールの違いによるものです。
そして、肉体は意識の楔ではありますが意識の宿るものではありません。
先ほどの言葉にもこの事実は重要になるはずです」
『ありがとう、あとで整理して考えるよ』
そう思った私に、黒服は小さく私に会釈した。
「終わったか?」
銃を向けたまま警戒していた小鳥遊ホシノは黒服に聞いた。
「ええ、以上です。レイヴンさんありがとうございました。
ホシノさんもまたお会いすることがあれば、よろしくお願いしますよ。クックッ」
そうして黒服はさっさと部屋から出ていった。
ホシノが息を吐いたのが聞こえた。
私の方へ近づいてくる。
「体調、気分が悪いとかない?」
しっかりと頷く。
彼女は私の返答によかったともう一度息をつく。
「あいつのことは気をつけなきゃダメだよ」
ホシノは黒服をずいぶんと警戒しているらしい。
いい奴ではないが、個人的には信用できる部分はあると感じていたのだが。
「黒服は普通に話してるように聞こえたけれど……話せないってことでいいんだよね?」
もう一度頷く、変わらず私の喉はつぶれたままだ。
ホシノは「そっか……」と私の返答に一つ伸びをする。
「そしたら、色々聞くにも難しいし、また今度かな~」
伸びた後に聞こえた声は先ほどとは変わってふにゃふにゃと気の抜けるような声だった。
「もう夜も遅いし、ゆっくりお休みしてね」
ホシノはそう言って座る私を覗き込む。
そう言われて、次に出て行かれると思った私は思わず彼女に手を伸ばしていた。
いや、伸ばせないので悶えただけだったが。
ホシノが振り返る。
「ん? どうしたの~?」
もう一度こちらに近づいてきてくれるホシノに、今度はゆっくりゆっくりと頑張って手を伸ばす。
ホシノは私の手を握って問いかけてきてくれた。
「もしかして寂しいのかな?」
言い当ててくれた彼女に懇願するように何度も首を振る。
「うへ~」と気の抜けた声をしながら彼女は頬を掻く。
「仕方ないなあ、おじさんも夜遅くでもう眠いし、お泊りしちゃおうかな」
「椅子とってくるね~」なんて言って少し離れた彼女は、
私の車椅子の横に持ってきた椅子を置いて座ると、私の手をもう一度握ってくれた。
「621……ちゃん? レイヴンちゃんかな? 寂しんぼさんなんだねえ~」
その声にこたえるように頷いて握られた手に力を入れる。
「うへへ~にぎにぎされてる。照れるなあ~
お膝借りてもいいかな?痛かったら手握って教えてね」
一緒に寝ようね~なんて言ってホシノは私の膝に頭を乗せた。
手術後を隠すための包帯故に痛くはない。そもそも痛覚も私にはほぼない。
ホシノが私の手を握って私の顔を見上げているのわかる。
残った微妙な触覚が手と頭の暖かさを伝えてくれる。
気持ちが良い。
瞼が重くなるのを感じた。
「寝れそうだね。お休み、レイヴンちゃん」
そう言ってくれるホシノの声を聴きながら安心して私は眠りに落ちた。
黒服ってこういう世界の理屈部分を説明させるときに便利な人だなと考えているときに思いました。
レイヴンは現在エンジニア部、ユウカ、ホシノ、先生と関わってますが、
大体みんなから好意的に接されているのは個人的な上記キャラが世話焼き属性、
もしくは困っている人は助けるタイプっていう個人的解釈からです。
次回からアビドス編です。