「暇じゃ、ノヅチ、供をせい」
そのような事を宣いながら『白銀の巫女』チャクアは今日もノヅチの所にやって来た。
がくり、とノヅチが大きく肩を落とす。
五百年に一度、
その開催まで二月を切り、傍目にも周りの
この主賓殿には他にやるべき事も無いのか?
今年で百十余歳を数えると言う目の前のお子様に対し、どうしても怪訝な瞳を向けてしまう。
「んん? なんじゃそのツラ? 文句でもあるんか?」
「いや……、行くよ」
諦観を吐き出して重い腰を上げる。
元より、ここジュエトネリコに来て以来、尖耳の方々には良くしてもらっている。
何か自分に出来る事があるならば、子守ぐらいはやぶさかではない。
第一、ここには鍛冶場がない。
こんなのを相手でも暇を潰していかなければ、退屈に殺されてしまいそうだ。
ちらり、と横目でタタラを見れば、何やらぐっと拳を握り、こちらに無言でエールを送っている。
そんなにやる気があるなら代わってくれと、一度聞いてみたのだが、
『チャクアさんはボクじゃなくて、親方を虐めたいんだよ』と、
よく分からない回答ではぐらかされてしまった。
まあ、社交性の塊であるタタラは、同年代(あくまで外見上の話だが)の
尖耳の少女たちの仕事の手伝いをしているようなので、
これもまた適材適所という事なのだろう。
働きと呼べるほどの役目で無くとも、働かざる者、食うべからず、という話だ。
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とかくチャクアと言う女は、傍若無人で気まぐれな少女であった。
一応、巫女の勤めを果たしていない事を気にしてはいるのか、
女官たちを目に留めれば「気配を殺せ」だの、ウジュの
「うまいこと注意を逸らしてこい」だのと無茶ばかり言う。
そうして外に出た所で、何かこれと言った目的がある訳でも無い。
適当にその辺をぶらぶらしては「おいそこ、山芋が出るぞ、掘れ」だの、
「その蛇、焼酎に漬けるぞ、獲れ」だの訳の分からん事を言って、
ノヅチの担いだ
他人事だが、返す返すも他にやる事は無いのかと考えてしまう。
あるいはタタラの言う通り、彼女はノヅチの困り果てた姿を見たいだけなのかもしれないが。
そして、今日もまた、彼女の我儘は冴え渡っていた。
前々から「釣りじゃノヅチ、渓流の主を釣る準備をしとけ」と言い渡されていたので、
仕方なくノヅチはここ暫く、適当に竿を見繕い、鉱樹の外皮を削り釣り針などをこさえていた。
が、いざ渓流に着いてみると気紛れな巫女は
「こんなデカイ針で山女魚が釣れるか!」とわずか十分ほどで投げ出してしまわれたのだった。
ノヅチは鍛冶師だ、釣り師ではない。
針をこさえる事は出来ても、そもそも釣りにどんな針が要るのか知らない。
まあ、そんな事を今更嘆いても仕方ないので、
取り敢えず石ころで浅瀬を塞いで手掴みで魚を獲る事にした。
「……何をやってるんだ、俺は」
濡鼠になりながら、黙々と川魚を追う。
いや、この程度の子守で尖耳族の秘奥を見せてくれると言うのだから、
願ったり叶ったりではあるのだが。
こんな我儘な巫女の従者をしていては、その内に自分が何者なのか忘れてしまいそうな気がする。
兎にも角にも、ようやく岩魚だか山女魚だかが捕れたので、焼く。
職業柄、火を熾すのは得意だ。
しかし、調理というのが分からない。
この山女魚だか岩魚だか、血を抜かなければいけないのか、内臓も抜かなければいけないのか。
一人旅の時は、取り敢えず食えれば何でもよかった。
二人旅になってからは、面倒臭いのは全部タタラがやってくれた。
結局自分は、鉄を灼く事以外に興味の無い人間なのだと自覚する。
とにかく、適当に棒をぶっ差し表面を焼いていく。
手持無沙汰になり顔を上げると、チャクアは右膝を抱えて手ごろな岩に腰を下ろし、
左の爪先で、パシャパシャと水面を弄んでいた。
その表情から人を喰ったような態度が消え、いつぞやの澄んだ瞳の色が宿る。
時折チャクアは、あの銀盤の湖畔の光景ように、風景画の一部に溶け込む事がある。
黙ってさえいれば、乙女は木漏れ日の下にあっても月精のようだった。
尖耳の糞餓鬼と白銀の巫女、どちらが本当の姿なのか、ノヅチは知らない。
「魚、焼けたぞ…多分」
「うむ、ようやくか!」
躊躇いがちに声を掛けると、チャクアはパッと顔を上げ、しかる後、怪訝に眉を歪めた。
「ノヅチ……、貴様またしても妾の裸体に耽っておったか」
「なっ! 莫迦か! 誰がそんな事」
「してたろ」
「いや……!」
「してたよな?」
「…………」
「ニッヒヒヒ! この下郎め!」
くるくると表情を変えるチャクアを追って、倒木に腰を下ろす。
鉱樹に来てからこの方、調子を狂わされる事ばかりだ。
この女と一緒にいる時は、特に。
「はんも、はんも」
こんなにも浅ましい飯の喰い方をする女を、ノヅチは知らない。
そもそもノヅチは物心ついてこの方、父親と共に流浪の旅の中に居た時間の方が長く、
まともな友人というものを持ったことが無い。
同年代(外見上の話だが)の異性ともなれば、殊更何を考えているのか分からない。
タタラの時はそうでも無かった。
少女はノヅチより六歳下で、生まれも育ちも目指す夢も、ノヅチとよく似ていた。
ノヅチは時に彼女の姿を幼少の自分に重ねていたし、
短い付き合いでありながら、本当の兄妹のようにすら思える事があった。
チャクアは違う。
見た目の年齢に比べ、大人びた表情と酷く幼い矛盾した性格を合わせ持ち、
何を考えているのか分からない。
彼女の傍らにいると、長年培ってきた自らの価値観が揺らぐような錯覚を覚えてしまう。
心魂の繊細な部分を、ごりごりと
言葉にしがたい居心地の悪さを感じてしまう。
「――此処での生活は、そんなに退屈かね?」
「なに?」
バリバリと背骨を食い破りながら、チャクアが上目遣いに尋ねてきた。
「近頃の主は、てんで冴えない有様じゃのう。
最初にあった頃は、もう少しばかり跳ねっ返った所があったろ」
「いや……、別段、今の暮らしに不満なんてないぞ」
「ほんなら、原因は妾かの?」
「……そんな事は、ない」
真っ直ぐにこちらを見つめる
チャクアが旨そうに貪っていたので平気かと思ったが、炭と白身の味しかしなかった。
塩の偉大さを今更ながらに思い知る。
「ここに来てから慣れない事だらけで、ちょっとばかり戸惑っているだけだ。
お前の遊びに付き合うのだって、別に嫌いじゃない。
ただ……」
「ただ?」
「……鉄を、ずっと打ってないからな」
ちょっと困ったように、ノヅチが焚火に視線を落とす。
鉄を打ちたい。
それは確かに気鬱の原因ではあったが、彼女の瞳に対し、何か言い訳をしているようにも感じた。
「槌振りの仕事がそんなに良いものかね?
炭に塗れ、着物を穴を開け、拳骨をごつごつとした岩みたいに豆だらけにして……。
火傷と生傷を絶やさず、ぶっ倒れるまで汗を掻くのが左様に楽しいか?」
「俺には他に何もねえ」
嘲るようなチャクアの声色に対し、今度はノヅチも顔を上げて答えた。
久しぶりにまともな口が利けた。
「俺にとっちゃあ、槌を振るう事が人生で、他の時間は全ておまけだ。
こんだけ世話になっておいて難だが、
今の暮らしは所詮、
「…………」
「一日打たねば、それだけ腕が錆びる気がする。
ぬるま湯みたいな日々が続くと、どんどん未来が遠ざかる気がする。
ただ二月も待つだけの時間が嫌で、焦れっついた気持ちになってるんだ」
「……その、お主の目指す未来とやらは。
背嚢の奥に大事そうにしまっとった、あの大雑把な鉄と関係があるのかえ?」
チャクアの何気ない一言に対し、思わずノヅチは瞠目した。
こちらに来てから、確かにノヅチは幾度となく自室で隕鉄を見返していたが、
彼女の前でそれを見せた記憶はない。
「ふふん、何を驚く事がある?
鉱物を知り、金属と交わるのが白銀の巫女。
特に鉱樹の中にあっては、異質な鉄はよう匂う」
チャクアはそう言って体を起こすと、満足げな笑みを浮かべ、ノヅチの全身を見下ろした。
「どうやら我らは同類のようじゃのう、ノヅチよ。
妾は
お互い手にした金属の内に、己が
「俺のは、そんなに大したもんじゃねえ」
少女の微笑の意味を掴めず、困ったように頭を掻いた。
少なくともノヅチには、目の前の白銀の巫女よりかは、
真面目に鉄に向き合っているという矜持くらいはある。
だがそれは、単に好きでやっているというだけの話だ。
尖耳族五百年の大儀を背負う少女の語る運命ほど、御大層な存在を背負ってはいない。
「ニッヒヒヒ!」
不意に少女が大股を広げ、一足飛びに焚火を飛び越えてきた。
ノヅチの前に乱暴に着地し、二人の距離が一気に迫る。
ふわり、と鼻先を撫でた白銀の髪に、ノヅチの心臓がどくりと唸る。
「のう、ノヅチよ。
健康的な生活は退屈よの? 退屈よなあ?
肝心の鉄が打てていないんだものなあ?」
「な、なんだよ……?」
戸惑いがちに視線を逸らしたノヅチの耳元に、
チャクアはそっと唇を寄せ、睦言のように悪戯っぽく囁いた。
「小娘が寝たら夜這いに行く。
せいぜい心待ちにしておれ」
ざらり。
ノヅチの心魂の繊細な部分が、一際荒い鑢で颪される音がした。