星鍛目録ー野槌と隕鉄ー   作:いぶりがっこ

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16話「初恋」

柔らかな月光が、窓辺より室内に差し込んでいた。

清澄な光が、漆黒の床を四角い窓の形に切り取り、冴えた白に染め上げている。

 

すらり、と白い指先が鞘を引き抜いて、抜身の刃が月下に伸びる。

暗い地金が月の光に照らされて、深海のような仄かな碧へと変わり、朧の光が刃紋を滑る。

 

真紅(ルビー)の両眼が、闇の中より刃を捉え、次いでちらりと天を向いた。

闇夜にぽっかりと浮かぶ、澄み切った望月。

 

月光浴。

白銀の水面で、暗い瞳の奥底に熾火を残した若者と出会った、あの日――

あれから月齢は一巡し、運命の刻は、残り一月を数えていた。

 

キィ、と微かに木戸が軋む音が聞こえた。

脇差を鞘に納め、紅い瞳が後方の闇を凝視する。

 

「――そろそろ、お主が来る頃合いかと思っておったよ」

 

童女のような透き通る声で、老婆のように少女が嗤う。

少女の言葉に応じるように、闖入者が一歩、闇の中より踏み出した。

あの日よりも更に暗い、漆黒の意志を宿した瞳。

 

「……ノヅチ」

 

白銀の巫女、チャクアは、ややもどかしそうに、闇の中に居る青年の名を呼んだ。

 

 

「その分だと、流石ここまで難儀したようじゃが。

 今宵はなんとか、迷わず一人で登ってこれたようじゃの」

 

肩で大きく息を吐く青年の姿に、呆れたように悪態を放つ。

清澄な月明りに満ちた空気が、若者の存在だけで、幾分蒸したような息苦しさを覚える。

 

「にしてもよ、まさかこのような夜更けに、

 斯様に大胆な行動に出ようとは、流石に妾も思わなんだぞ。

 まあ、お主の如き下賤の輩とは言え、

 一人の殿方にそこまで強く想われている言うのも、悪い気はせんがの」

 

「くだらねえ事を言っている場合か」

 

短く言い捨てて、ノヅチがチャクアの足元に空の背嚢を放り投げた。

 

「今すぐにここを発つ。

 要るもんがあるなら、そいつに詰めろ」

 

「なんと、夜這いに飽き足らず駆け落ちかえ?

 本当に呆れた男じゃのう、お主は」

 

「今の自分が置かれた立場、わかってんのか?」

 

ぎろり、と漆黒の瞳がチャクアの姿を睨み据える。

白銀の巫女は小さく頷き、まるで悪戯がばれた子供のように苦笑をこぼした。

 

「その様子だと、大方の見当はついとるようじゃな?」

 

「ああ」

 

ノヅチは短く言葉を切り、チャクアの顔を正面から見据えた。

眼前の少女の、表情の僅かな変化すらも見逃さぬように。

 

「五百年に一度の銀剣の儀で、白銀の巫女は剣と『成る』

 霊銀(ミスリル)と交わり、自らの体そのものを銀の刃に代え。

 そのまま巫女は鉱樹の中心に捧げられる……、そう聞いたよ」

 

「捧げられる、というのは違うの」

 

チャクアは伏し目がちに視線を外し、傍らの淡い輝きを保つ銀水晶に瞳を向けた。

 

「鉱樹ジュエトネリコは鉱にして樹……

 しかし、生命ある樹と無機物の鉱、両方の資質を保ち続けるのは矛盾を孕む。

 そのままにすれば鉱樹は、鉱か樹かいずれかに偏り、やがて最後は生命を失う。

 周囲の生態系の天秤と尖耳族(エルフ)の伝統、諸共にな」

 

「…………」

 

「ゆえにこの世界には、鉱と樹の間を取り持つ調停者が要る。

 鉱樹と同じ、悠久の銀と、森の裔の知性。

 両方の資質を併せ持ち、鉱樹を調律する存在、白銀の巫女がな」

 

「贄だろ、そんなのは」

 

淡々とした少女の言葉に耐え兼ね、ぶっきらぼうにノヅチが言った。

真っ直ぐに突き付けられた舌鋒を受け流すように、チャクアがそっと銀水晶をなぞる。

 

「ノヅチよ、尖耳族は森じゃ。

 鉱樹が朽ち、大森林が終焉を迎えれば、早晩森の民も滅ぶ。

 鉱樹が世界を調律する限り、我らも悠久の刻を生き続ける。

 霊銀の剣(ミスリルソード)と重なった巫女は、別にそれで果ててしまう訳ではない。

 鉱樹を慰める剣と成りて、人よりも永い悠久の時を見守り続ける。

 単純に、生命の在り方が変わるだけじゃ」

 

「詭弁だ」

 

チャクアの言を、一刀の元に斬り落とす。

ふつふつと胸中に怒りが沸いた。

あの傍若無人な少女が、聖人ぶってその身を捧げようとする姿に無性に腹が立った。

臆病で嘘つきな自分を、涙目で叱り飛ばすまでしたこの女が、

詭弁を弄し、自らの心に嘘を吐いて、粛々と運命を受け入れようとする様に裏切りを感じた。

 

チャクアはふっと微笑をこぼすと、顔を上げ、ノヅチに対し改めて真っ直ぐに向かい合った。

 

「一命を賭して霊銀を為すのが、そんなにもくだらぬ事か?

 お主の持つ、世界を救う星鉄ほどではないが、

 妾が打つのは正真正銘、鉱樹五百年の未来を救う伝説の剣じゃぞ?」

 

「くだらねえさ」

 

「古の時代、東方では名工の妻がその身を大窯に投じ、

 後に乱世をも治むる神刀を鋳したというの」

 

「…………」

 

「剣は凶器。

 そうであろう、ノヅチ。

 古今も東西も正邪も問わず、あらゆる聖剣、魔剣の類には血生臭い伝承が付き纏う。

 お主がこれまでに鍛えた剣とて、

 今頃はどれほど無辜の民の血を吸うておるか、分かったもんではあるまい。

 それを――」

 

「道具は、あくまで只の道具だ」

 

チャクアの言葉を遮って、強い口調でノヅチが云う。

 

「包丁や鋸と同じ、人を斬る為の刃物に過ぎねえ。

 刀は人を斬る為に存在するが、人を殺してまで求めるほどの道具じゃねえ。

 道具の出来に迷信や犠牲を求めるのは、扱う槌振りの怠慢だ」

 

槌振りとしての矜持を篭めて、絞り出すように言葉を紡ぐ。

ノヅチに槌を教えた亡父は、鉄狂いであり、鉄に生涯を捧げていた。

誰に強いられたワケでもない、鉄が好きだからそうしたのだ。

 

ノヅチ自身も父と同じだ。

父が好きで、鉄が好きだから、父の遺言に従っている。

誰に何を強いられたのではなく、それが自分で選んだ道だ。

訳の分からない理屈を強制し、必死の決断から報酬だけを奪い取ろうとする、

運命(さだめ)という言葉がノヅチは嫌いだ。

 

ノヅチの潔さに、チャクアは一つ頷いて。

しかしすぐに憐れむような視線を向けた。

 

「ノヅチ……、お主は今まで世界を回って、何を見て来た?」

 

「何を……?」

 

「明日の糧にも窮する乞食が居た筈じゃ。

 重い租税に苦しむ百姓が居た筈じゃ。

 親を失い鎖に繋がれた奴隷の子が居た筈じゃ。

 けれど、彼らの事を見ておらんかったよなあ、お主は?

 鉄の事しか見ておらんかったであろう」

 

「そんなのは」

 

当たり前の話だ。

誰だって自分の事で精一杯だ。

ノヅチは別に聖者ではない。

誰も彼も救える力があるわけではない。

自分の手の届く範囲で、せめて後悔しない生き方をしたいと思っているだけだ。

彼ら有象無象の命と、目の前にいる少女の命は、ノヅチの中で等価ではない。

 

「真に救いを必要しているのは彼らじゃ、妾ではない。

 何故に妾の運命だけを見過ごさぬ?

 斯様な些事に、自身の未来まで投げ捨てようとするのじゃ?」

 

「俺の、未来……?」

 

口中に疑念が走った。

チャクアに指摘されるまで、ノヅチはそんな事にすら気付いていなかった。

自分は今、確かに、今日までの培ったあらゆるものを捨て去ろうとしている。

 

夢も、鉄も、遺言も、約束も。

尖耳の恩義に泥を塗り、鉱樹の未来を地獄に落とし。

唯一人、目の前の少女を選ぶ生き方をしようとしている。

 

 

「――そんなにもお主は、妾の事が好きか?」

 

 

「ああ、好きだ」

 

チャクアが問い、迷う事無くノヅチは答えた。

そう答えると、じくりと心臓が痛んだ。

口にした言葉は、目の前の少女を繋ぎ止めたいだけの勢いだったが、

口にしてみて漸く分かる事もある。

 

悔しかった。

あれ程に傍若無人で、奔放で、プライドも見識も深い少女が。

『運命』などと言う訳の分からぬ存在に、抗おうともせず蹂躙されていく姿が耐えられなかった。

 

「そうか……」

 

と、小さく呟いて、チャクアは静かに瞳を閉じた。

その仕草が何を意味しているのか、ノヅチには皆目見当もつかない。

 

ノヅチは恋を知らない。

彼女が何を望んでいるのか、自分が何をするべきなのか。

動き出す事も出来ないまま、ばぐん、ばぐん、と異常な動悸が体を揺する。

ぎりり、と奥歯を噛み締めて、緩慢な時間が流れていくのをひたすらに待つ。

 

「よかろう」

 

どれほどの時間が経ったものか。

チャクアは一言そう言って、真紅の瞳を再びノヅチに向けた。

 

「ノヅチ、一つだけ誓うてくれるか?」

 

「ちかう?」

 

「ただ一つ、妾の事を想う、と」

 

「お前の事を……」

 

「鉄よりも、父親よりも……

 無論、あの小娘よりもな」

 

「それは――」

 

なんだ。

簡単な話だ。

とにかく何も考えず「誓う」と口にしてしまえばそれでいい。

けれどならば、なぜ彼女は今、この程度の条件を?

 

「ノヅチ。

 言葉と云うのは、一旦形にすると、

 当人たちが思っている以上に強い強い力を持つ」

 

ノヅチの疑念を透かしたように、淡々とチャクアが心胆を語る。

 

「もしも今、お主が何より妾を想うと言うのであれば……

 それだけできっと、妾はこの先、何があっても生きていける」

 

「…………」

 

「その言葉が、たとえ一時の気の迷いであったとしても。

 尖耳族の仲間、兄様(あにさま)を、多くの人々、鉱樹の未来を地獄に落とす事になろうとも。

 この駆け落ちが、惨めな末路を迎えようとも。

 お主が老いさらばえ、くたばって、妾一人になったとしても……

 今、この瞬間の、お主の気持ち。

 それだけできっと、妾は何があっても大丈夫だと思う」

 

真っ直ぐこちらを見つめる、紅玉の瞳。

強い意志を宿した強い光の奥に、どこか不安の翳りを見た気がした。

 

言葉の力。

分かる気がする。

この誓いを口にしたなら、きっと自分は、もう二度と鉄を打てなくなるだろうという予感がある。

 

生まれてこの方、鉄を打つ事だけを考えて生きてきた。

今、この瞬間、自分は彼女の事しか考えていない。

 

あの隕鉄が、世界を救う事はもはや無い。

亡父の遺言も叶わない。

 

それも仕方ない。

親父殿は、もういない。

だがチャクアはまだ、自分の目の前に確かにいるのだ。

今の自分が、何を優先しなければならないかは明白だ。

 

『ホー! ホー!』

 

どくり。

心臓がうねり、息が詰まる。

鉄狂いの歓喜の声が、耳元でガンガンと残響している。

 

『星じゃ! 星の欠片が降りよるぞ!!』

 

親父殿。

ぐらり、視界が揺らぐ。

なんで、こんなタイミングで?

消えてくれ。

俺は今から、ただ一人の少女の事だけを想い、彼女を守る事だけを考えて生きていくのだ。

 

『ボクは……、ボクはもう手遅れだよ。

 見たいんだよ、親方が、ノヅチが星鉄を打つ所を』

 

じくり。

胸が痛む、腸が焼け付くように悶えている。

少女の夢が叶う未来は、もはや無い。

お前の夢は、自分一人で見つけてくれ。

 

『生まれる! 生まれるのか! でかしたぞミネよ!

 儂の子じゃあ、儂の玄翁を継ぐ倅じゃあ!

 この子は必ずや天下に鳴り響く槌振りになろうぞ!』

 

……嘘だッ

 

こんな場面は知らない、知る筈がない。

本当の俺は、母親の顔すら憶えていないのだ。

 

こんな幻に振り回されている場合ではない。

今、こうしている時にも、時間は無常に過ぎてゆく。

 

『いいか?

 七日七晩、焼き場に伏せて、それでも儂が来ん時はな……

 その時は、お前がそれの続きを仕上げろ!

 ゆめゆめ邪な者の手に渡してくれるなよ!!

 倅よ! お前の手で、世界を救う剣を打つのじゃ!!』

 

 

――親父、殿。

 

 

「……泣くな、ノヅチ。

 すまぬ、意地悪な事を云うた」

 

「ぅえ゛」

 

頭上から、ひどく穏やかな童女の声が響いてきた。

それで漸く、自分の両目から、ボロボロと大粒の涙が零れている事に気が付いた。

見上げると、白銀の少女は再び大脇差を引き抜いて、その地金を愛おしげに見つめていた。

 

「剣と言うのは、本当に打ち手の心をよく映しよる。

 こんなにも愚直で、一本木で、何よりも純粋な鉄の地金……

 こんな鉄を打った男が、父親のくれた生き方を、簡単に捨てられる訳が無いではないか」

 

そう呟いて、少女は刀を収め、白い指先でノヅチの頭をそっと撫ぜた。

 

「妾も、妾もそなたが好きじゃ……

 百十余年も生きてきて、こんな気持ちは初めてじゃ」

 

「あ゛っうぁ」

 

じくり。

再び胸に激痛が走った。

彼女を止めなければならないのに、崩れた膝を起こす事すらままならない。

 

「人は、己の運命を知る事は出来ぬが、運命の意味を変える事は出来る。

 そなたに出会えた事で、妾の運命の意味も、確かに変わった。

 今宵、そなたが妾のために、自らの運命を捨てようとしてくれた。

 それだけでもう、妾は他に何も要らぬ」

 

いやいやと、ぐずるように頭を振って、差し出された手を振り払う。

違うのだ。

言わなければならない言葉は他にある。

だが声にならない、ただ嗚咽の音のみが洩れる。

 

そっと少女が膝を突いた。

目線を合わせ、両の掌でノヅチの頬を包み、指先で涙を拭い取る。

 

「そなたに見てもらいたいのじゃ、妾の全て。

 それはもう、鉱樹の為でも、里の為でも、兄様の為でも無い。

 妾は……、妾はそなたの剣に成りたい」

 

そう言って、少女は祈るように瞳を閉じて、

自らの額を、こつん、とノヅチの額に重ねた。

 

 

「大好きじゃよ、ノヅチ。

 そなたの(しるべ)になる事を、妾の運命(さだめ)とさせておくれ」

 

 

 

ノヅチの意識は、そこで途絶えた――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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