星鍛目録ー野槌と隕鉄ー   作:いぶりがっこ

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17話「怒塊」

再び瞳を開けた時、鉱樹の麓は濃密な朝靄に包まれ始めていた。

 

目尻の涙を拭い、頭を振って叢から体を起こす。

ずきり、と首筋に鋭い痛みが走り、反射的に首の根元を抑え込む。

 

「何をやっているのだ、貴様は?」

 

頭上より、呆れたような物言いが響いた。

ノヅチは鈍い痛みの残る首をさすりながら、忌々しげに顔を上げた。

視線の先で、美麗衆目なる青年の顔が影を為す。

 

「アンタか……」

 

「銀剣の儀は、鉱樹五百年の未来を支える一族の悲願だ。

 地勢に疎い流れ者が、闇夜の森に白銀の巫女を伴って、

 本当にそれで、我々の目から逃れられるなどと思っていたのか?」

 

「……それならよ。

 なんでチャクアと逢う前に、俺の息の根を止めなかった?」

 

ぎろり、と鋭い眼光を青年に向ける。

尖耳(エルフ)の青年、ウジュは、ノヅチの行為を咎めはせず、ただ無言で首を振った。

 

ノヅチとて馬鹿ではない。

ウジュが冷徹な仮面の下で、巫女の兄という私情で行動していた事を理解している。

彼がもし、尖耳族の伝統に忠実なだけの男ならば、自分は殺されていたであろう事も。

 

そうでなければ、まともに木登りも出来ぬ素人が、誰に見咎められる事も無く、

巫女の私室まで辿り着ける筈がない。

それでも今は、恨み節をぶつける相手が欲しかった。

 

「尖耳族ってヤツは、少し冷徹過ぎるんじゃないのか?

 たった一人の兄妹なんだろ?」

 

「槌振り、貴様は何者だ?」

 

冷然と、突き放すようにウジュが訊ね返した。

 

「白銀の巫女は、既に己の往く道を見定めている。

 たとえ古の聖人であろうとも、稀代の詐欺師であろうとも。

 一度こうと決めた彼女の決意を、翻す事の出来る者など居はしない」

 

「…………」

 

「工房に戻れ、槌振り。

 貴様に出来るのは、槌を振る事だけだ」

 

そう言い捨てて、青年は朝靄の中へと消えて行った。

ぐっ、と足元の土を握り締める。

遠ざかる背中を見つめる漆黒の瞳の奥底に、ちろちろと熾火が息吹き始めていた。

 

 

折返し、二十八回目。

霊銀(ミスリル)の呼吸が変わった。

 

「オオッ!」

 

短く吠え、振り上げ、打ち下ろす。

バシュゥ!と爆音が轟き、白色に輝く霊銀から、黄金色の火花が弾け飛ぶ。

びりびりと右手に伝わる反動に、確かな粘りと力強さを感じる。

 

霊銀は、神聖にして無垢なる赤子のような金属。

打ち手の意志が、情念が、無垢なる金属に、使命を、役割を、あるべき形へと導いていく。

いつか当代の白銀の巫女が、賢しらにそう嘯いた。

 

今、霊銀は学びつつある。

元より純粋な存在であった筈の金属が。

身に纏う過剰な神秘を、金糞混じりに弾き飛ばし。

折れず、曲がらず、実戦あるのみ。

愚直な鉄狂いの教鞭によって、鉄よりも鉄らしい銀に変わろうとしている。

 

だが、足りない。

これでは未だ、凡百の鉄塊に過ぎない。

あの『小人族(ドワーフ)の霊銀』の冴えた輝きの足元にすら及ばない。

曰んや、白銀の巫女が捧げた百十余年の歳月になど対抗出来ようものか。

 

折返した層の数は、鉱樹の年輪を遥かに上回っている。

打ち始める時には水晶球ほどもあった霊銀は、

辛うじて短刀が打てる程度の嵩にまで縮んでしまった。

 

もはや向槌(むこうづち)もままならない。

交代で粘り強く鍛着を続けるべき工程に達していたが、

それでもノヅチは手槌を譲りたくなかった。

 

全身が悲鳴を上げ、ぶっ倒れて何も考えられなくなるまで、

一心不乱に槌を振い続けていたかった。 

 

振り上げる右手に呪詛が宿り。

打ち下ろす槌に籠めた怒塊が、火花を散らして爆散する。

 

『ホー! ホー!』

 

糞!

またか!

鉄狂いの声が聞こえる。

槌を振い続ける限り、どれほどの金音も、爆音すらも、あの男の狂喜を搔き消す事は叶わない。

 

『そうじゃ倅!

 怒れ怒れ!もっと怒れ!

 怒って怒って狂い死ぬまで一心不乱に鉄を叩けい!

 ちっぽけな人間が如きが、どれほどの感情をぶつけたところで

 ままならぬのが鍛錬よ!』

 

やかましい!(ガンッ)

 

消えろ!(ガンッ)

 

アンタのせいで!(ガンッ)

 

俺は今!(ガンッ)

 

こんな目に!(ガンッ)

 

あってん!(ガンッ)

 

だろうがッ!(ガンッ)

 

『――貴様に出来るのは、槌を振る事だけだ』

 

死ね!!

 

死ね!! 死ね!! 死ね!!

 

ああ、そうだろうとも。

お前は賢しく、俺には学が無い。

だが、賢しさの導く最善が、どれ程に人の心を殺すか知っているか?

 

お前の妹は、賢しさ故に死のうとしている。

最善と云う名の、自決の道を選ぼうとしている。

お前の賢しさは、あの娘を一人にしただけではないか。

 

『――それだけでもう、妾は他に何も要らぬ』

 

おい!

違うだろ!

そうじゃないだろ、お前は!

 

認めるな!

受け入れるな!

諦めるな!

許すな!

怒れ!

猛り狂え!

 

人の生き方を踏み躙るもの。

俺達の前に立ちはだかり、ワケの分からない理屈を押し付け、雁字搦めにしてくるもの。

尊厳を、心を、命を殺しにくるもの。

そんなものを受け入れるのが、賢明だと、分別だと、大人だというのならば。

 

そんな生物は糞だ!

(…………)

 

運命(さだめ)だのと、意味の分からぬ言葉で濁すな!

(……しかし)

 

そいつは敵だ!

(けれど、それならば)

 

運命に怒れ、唾を吐け、己の命の全てを賭けて捻じ伏せろ!

(何故、俺は――)

 

 

――彼女を、選べなかった?

 

 

本当は、分かっているんだろ?

(…………)

 

運命など、この世に存在しないと言うのなら。

(……ああ)

 

お前はクソだ!

(俺は、クソだ)

 

お前が殺した!

(……まだ)

 

大好きな女の子を!

(死んではいない)

 

大好きだと、そう言ってくれた女の子を!

(諦めていない)

 

彼女を殺したその腕で、世界を救う鉄を打つのか?

(今、出来る事をやるしかない)

 

ああ、そうだろうとも!

(まだ、チャンスはある)

 

所詮、お前は――!

(結局、俺は――)

 

 

俺には、他に何も無い。

 

 

「こん畜生ゥッ!!」

 

腹の底からありったけの憎悪を振り絞り、力一杯に霊銀に叩き付けた。

ガツン!と火花が弾け、ビリビリと鍛冶場の空気が震える。

 

「ゼァッ! ハァッ! ハッ!」

 

大きく息を吐いて、徐々に柿色に熟れていく霊銀を睨み付ける。

二十八回目の鍛着が成った。

すかさず火床(ほど)に放り込もうとして、熾火が衰えている事に気付いた。

 

「炭――」

 

そう言って、後背を振り返ると、タタラは無言で首を横に振った。

カッ、と頭が真っ白になった。

引っぱたいてやろうかと、反射的に右手を振り上げかけた。

タタラは何も言わない。

悲しみを押し殺したような瞳で、ノヅチの仕草を真っ直ぐに見つめている。

 

じくり、と胸が痛んだ。

少女の瞳は、かつての自分だ。

亡父が最も荒んでいた頃、幼少の自分も彼女のような瞳で、父の一挙手一投足を見つめていた。

たとえこの世の全てが憎くても、彼女だけは殴れない。

 

「親方、食事にしようよ」

 

聞き分けの無い幼子に言い含めるように、穏やかな声で少女が言った。

心金が冷めた。

ノヅチは無言で肩を落とし、少女の提案に頷いた。

 

 

茹でた芋。

茹でた虫。

山菜と何かの煮汁。

塩。

 

十分に人間らしい食卓だ。

塩が効いて腹に溜まれば、とにかく今だけは人間らしい姿で居られる。

 

先日以来、食事の仕込みはシバが日中にしてくれるようになっていた。

タタラがすれば、尖耳の少年よりは凝った献立を考えるのだが、

今の彼女は四六時中、ノヅチの傍らを離れようとしない。

 

傍にいて、いつも以上の働きをするワケではない。

だだ、ノヅチが食事を摂るまでは、彼女も食べない。

ノヅチが床に就くまでは、彼女も寝ない。

少女の献身が、今のノヅチを辛うじて人間の境界に留めてくれている。

 

「あの霊銀、さ……」

 

「うん?」

 

「だいぶ感触が変わって来たよね?

 最初に槌で抑えた時には、不安しかなかったのに。

 今はまるで、本物の鉄みたい」

 

「ああ」

 

「親方の槌は、まるで魔法だよ」

 

「……錬金術、ならぬ錬鉄術ってか?

 地上に稀なる霊銀に、ありったけの炭と労力をぶち込んで。

 見事、あり触れた鉄に変えてみせます、て」

 

「アハハハ」

 

あっけらかんとした少女の笑い声に、つられてノヅチも、くつくつと苦笑をこぼす。

何でもない食事に、他愛のない会話。

救われていた。

自分の事を親方と呼ぶ少女に対し、何ら報いる事も出来ず、一方的に支えられている。

情けない姿に胸が痛む。

 

「大丈夫、だよ」

 

ノヅチの傷心を打ち消すように、タタラは真摯な瞳を向けた。

 

「親方の打つ鉄は、銀なんかより、ずっと良いから……」

 

祈るように、自分に言い聞かせるように、少女は言った。

その仕草に、ちらりと疑念が走る。

 

あるいは彼女は、おおよその事情に感づいているのではないか?

元よりタタラは勘の良い少女だ。

仕事をほっぽって飛び出して行った親方が、翌日、憤怒の形相で帰って来た。

何も無いと考える方がおかしい。

 

ノヅチは何か言おうとして、結局は何も思いつかず、ただ無言で頷き返した。

 

そうだ。

出来る筈だ。

あの霊銀が、鉄を学んで生まれ変わると言うのであれば。

鉄狂いの鍛えた本物の鉄の剣が、そこいらの銀如きに敗ける筈がない。

 

ふっとノヅチが窓の外を見上げた。

闇夜に浮かぶ月は半分に欠け、廃墟の街並みを見下ろしていた。

 

銀剣の儀式まで、残り二週間を切ろうとしていた。

 

 

 

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