星鍛目録ー野槌と隕鉄ー   作:いぶりがっこ

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18話「儀式」

漆黒の闇の世界に、ぼっ、と篝火(かがりび)が灯された。

足元の水面がオレンジの炎を映し、底深い碧と混じり合っていく。

 

ぼっ、ぼっ、ぼっ、と篝火の輪がそこかしこで灯り始め、広大な地底湖の全景が浮かび上がる。

存外に多くの尖耳族(エルフ)が集まっていた事に気付く。

これ程の人数が集まっても、なおもまばらにしか見えぬ、地底湖全体の広さにも。

 

鉱樹ジュエトネリコの地下深く。

完全に鉱と化した、幾重もの太い根の柱に支えられた、尖耳族の聖域――

大森林を巡る地下水脈の流れに乗って、初夏に似あわぬ冷たい空気が、ノヅチの肌を撫で付ける。

 

どれほどの時間が流れた事か。

尖耳の長老と思しき老人が、さっ、と右手を掲げた。

それを合図に各所の蟲篭が一斉に開かれ、無数の不知火(しらぬい)が地底湖全体に解き放たれた。

 

古来より闇夜に惑ろう淡い光で、現世と彼岸を繋ぐ存在と見なされてきた不知火の輝き。

束の間の伴侶を求める蟲たちのワルツが、

暗黒の水面を神秘的に染め上げ、地の底に星屑の大河を作り出す。

 

静寂の空間に、キィ、という櫂の擦れる音が微かに響いた。

視線の先、地下水脈の一本から、一艘の小舟が姿を見せた。

二名の従者を従えた小舟の舳先には、燐焦苔の灯篭が吊るされ、

先頭に立つ少女の姿を淡い緑に照らしていた。

 

伝統的な尖耳族の刺繡が施された純白のローブ。

真深に被ったフードに遮られ、その表情を読み取る事は出来ない。

それでも人々は、どこか切実な眼差しで、凛とした少女の立ち姿を一様に見つめていた。

 

水面を滑る不知火に導かれるように、小舟はゆっくりと湖の中央へと進んでいく。

群体の煌めきはやがて、湖の中心に一つの小島を照らし出す。

小島の中央には『樹』の彩りを残した太い根が、幾重にも絡み合いながら螺旋を描き、

さながら一本の大黒柱のように、遥かな上空まで立ち上っていた。

 

従者に手を引かれ、少女が小島へと降り立った。

不知火の星屑を供だって、島の中心へと歩みを進める。

根柱の前で足を止め、一呼吸置いて、ゆるりと右手をかざす。

 

一瞬の間。

 

少女が何事か呟くと、根柱の中枢から柔らかな光が溢れ始めた。

光は螺旋を内側から押し広げるように膨れ上がり、

絡み合う樹木の隙間から黄金色の輝きが周囲に拡散する。

 

黄金の光を生み出していたのは、樹木の螺旋の奥深くに隠された、中空に浮かぶ巨大な琥珀。

有史以来、悠久の刻を見守り続けた鉱樹の生命が、当代の白銀の巫女を穏やかに見下ろしていた。

 

「あの琥珀こそが、鉱樹ジュエトネリコの心臓部。

 樹と鉱の均衡を支える、大樹の命、そのものだ」

 

傍らのウジュが、そう簡潔に説明してくれた。

だがその大いなる奇跡は、ノヅチの心に何の感銘も与えなかった。

ノヅチはただ、黄金の光に照らしだされた少女の横顔を、喰い入るように見つめていた。

 

少女がフードを下ろし、ゆるりと琥珀に歩み寄った。

そっと差し出された掌が、中空に浮かぶ水面にでも触れたかのように、

とぷん、と琥珀の中に沈んだ。

白磁の指先に導かれるように、何か細長い影が、琥珀の水底より浮かび上がって来る。

 

少女が右手を引き上げると、黄金の輝きの中に、穏やかな銀の光が重なった。

少女が手にしていたのは、一振りの細身の剣であった。

 

「先代だ」

 

ウジュが短くそう言った。

ぞくり、とノヅチの体が底知れぬ悪寒に震えた。

美しい刀身の煌めきは、五百年の刻を過ごしたとは思えぬ冴えた輝きを放ち、

鍔元にあしらわれた白銀の薔薇は、見る者に永遠を想起させる。

けれどノヅチは、銀の花弁の光彩の中に、どこかくたびれたような印象を覚えた。

 

傍らの従者に銀剣を託すと、少女は身に纏うローブを緩やかに脱ぎ捨てた。

髪留めを外し、柔らかな金属のような白銀の毛髪を中空に躍らせる。

白く、細い、しなやかな少女の肢体が琥珀色に染め上げられていく。

水脈から吹き抜ける風が白銀の髪を揺らし、黄金の光を照り返して虹色の残像を描く。

 

後方に控えた二人の従者が、それぞれに異なる祭具を差し出してきた。

右手に剣。

左手に玉。

 

玉は、いつか少女に見せてもらった、霊銀(ミスリル)の結晶だった。

先程の銀剣に比して、更に明るく、白色にも近い無垢なる輝き。

穢れを知らぬ純粋な光が、巫女の掌の上で煌めき揺れる。

 

剣の方は玉とは対照的に、ひどく暗い地金であった。

(つか)(つば)も取り外され、(なかご)が剝き出しとなった抜身の刀身。

倭刀にしては短く、反りが浅く、肉の厚い大雑把な片刃。

漆黒の闇の中、連れ添う不知火の光を微かに灯す。

 

どくり。

心臓がうねり、臓腑を絞り上げるかのような焦燥が込み上げて来た。

白銀の巫女が手にした刃は、始まりの日に彼女から巻き上げられた、あの颪鉄(おろしがね)の脇差だった。

 

「白銀の巫女は儀式に際し、尖耳としての短い生涯を捧げ、

 己の心を映す金属を一つ、選び取る」

 

声を押し殺し、傍らのウジュが淡々と語りかけて来る。

 

「霊銀は無垢な赤子のような神聖なる金属。

 穢れを知らぬその光は、時に繋がる巫女の魂をも純白に塗り潰しかねない。

 故に、規範となる金属が要る。

 己の心を、最も強い感情を映す、確かな輝きを宿した金属が」

 

じくり。

焼け付くように胸が痛み、視界が滲んだ。

 

そんな鉄を、持っていくのか?

兜を割るためだけに生まれた失敗作を。

取り回しの悪い、大雑把な刃を。

若者の未熟さと愚かさを、灼いて叩いて固めただけの鉄塊を。

 

自分は何も出来ない。

今、目の前で繰り広げられている、忌まわしい茶番をぶち壊す事も。

生涯を賭した儀式に臨む少女に対し、まともな鉄を捧げる事すら。

 

無力さと嫌悪感の余り、瞳を閉ざしてしまいたかった。

けれど、そうすると少女の重ねた百十余年が、本当に全部、無駄になってしまうと知っていた。

 

ちらり、と振り返る少女と目が逢った気がした。

 

あの日と同じ紅玉(ルビー)の瞳が、自分の姿を捉えた気がした。

 

少女の唇が微かに動き、何かを囁きかけたような気がした。

 

このまま時を閉めてしまいたかった。

この瞬間が永遠であって欲しかった。

触れられなくても構わない。

たとえ声が届かなくても、何も聞こえなくても構わない。

 

 

今、この瞬間を以て、世界の終焉としたかった。

 

 

幻想は解ける。

少女はついと視線を外し、鉱樹の心臓と再び向かい合った。

微かに俯き、手にした玉と、剣を、胸元に押し抱き。

 

やがて、意を決したように顔を上げ、巨大な琥珀目掛け一直線に飛び込んだ。

 

少女の勇気を受け止めるように、琥珀が揺らぎ、両手を広げた。

とぷん、と――。

少女の腕が、顔が、体が、白銀の髪が、琥珀の海に沈んでゆく。

 

やがて少女の全身は、すっぽりと琥珀の中に包まれていた。

瞳を閉じ、両胸に剣と玉と掻き抱いて、少女はゆっくりと体を丸めた。

母親の胎内で眠る赤子のように。

 

琥珀の中で動きを止めた少女に対し、白銀の髪の毛だけが、

ざわざわと、別の生物のように律動していた。

銀の髪が広がり、うねり、少女の体に絡みついて、徐々にその全身を覆い隠していく。

いつしか少女の姿は、銀毛の繭の中に完全に埋もれてしまっていた。

 

「琥珀の海と銀の揺り籠の中で、白銀の巫女は夢を見る。

 白銀の繭を夢で満たして、己を溶かして霊銀と交わる。

 幼虫が蛹を破り蝶となるように。

 気の遠くなるような長い時間をかけて、やがて巫女は、鉱樹を支える剣へと変わっていく」

 

そう語るウジュの声色には、どこか自分に言い聞かせるような悲しさが混じっていた。

だが、ノヅチは言葉の意味すら理解できないでいた。

ノヅチは瞬き一つせず、琥珀の海に消えゆく少女の影を、喰い入るように見つめ続けていた。

 

やがて樹木の螺旋は収束を始め、琥珀は元の根柱の中へと消えた。

不知火の群体は螺旋階段を巡るように上方に舞い上がり、そこから四方の水脈に向かい拡散した。

地底湖から星屑が潰え、辺りを囲む篝火の、まばらな灯りだけが残された。

 

「あの娘はきっと、強い剣になるだろう……」

 

そう祈るように、ウジュが小声で呟いた。

五百年に一度の銀剣の儀式は、つつがなく終焉の時を迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

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