「街の名前になっているヤサの女神ってのはですね。
今でこそ山岳信仰の象徴として知られていますが、
元々はこの地方のまつろわぬ神々を習合していった結果誕生した、
複数の神格を持った存在だった、なんて言われてやすね」
自称「しがない行商人」ヒウマンは、小休止の最中、
額に滲む汗を拭いながら、そのような事を説明し始めた。
「山河に住まう山の民が信仰していた、狩猟と採集と採掘の神に、
修験者たちの目指す古の仙道の上人。
山禍を抑えるべく奉られた古の祟り神やら、
果てには山賊だの咎人だの反乱勢力だのを庇護する邪教の徒まで……
ヤサ信仰には清も濁も併せ吞んだ、
謂わばこの地のアウトローたちの総本山、って一面もあったんでさあ」
「…………」
「三百年前の魔王軍侵攻により、山地は凶悪な魔物蔓延る根城となり、
山岳信仰自体が廃れちまったが。
そう言った意味じゃあ、この地には無頼の輩の残した暮らしの跡が、
いくら残っていてもおかしくねえって事ですかね?」
「いや、そんな事より、アンタは何処までついてくる気なんだ?」
疲労も気にせず舌を回すおしゃべりな行商人の姿に、呆れたようにノヅチが溜息を吐き出す。
明朝にヤサの街を発ち、北方の山中に分け入る事半日。
既に獣道と呼べるほどの
一行の行く道は、先導するレインの記憶一つに委ねられる所となっている。
昨夜の魔王の鎧騒動より、既に事態は、
好奇心で首を突っ込めば命に関わる状況にまで陥っていると言うのに、
目の前の鷲鼻の男には、そう言った危機感の類が微塵も感じられなかった。
「まま、そう邪険にせんでもいいでしょう、旦那。
このうだつの上がらねえ商人風情にも、
ようやく人生再建の
「好機?」
「かの魔王の鎧と因縁を抱えた謎の少女に、
野に埋もれた財宝の匂いがプンプンしますぜ。
このヒウマン、こうなったら無理矢理にでも同行して、
事の顛末を見届けさせて頂きますよ」
「……顛末を見届ける前に、首が落ちてなきゃいいけどな」
「そいつはお互い様ですよ。
旦那の方こそ、なんで昨日出会ったばかりの素寒貧の少女の為に、
命を賭けようって言うんですかい?」
「そりゃあ……」
問われ、思わずノヅチは言い淀んだ。
なんで、なのか?
ノヅチの中で、あの褐色の少女に力を貸すのは当然の成り行きだと感じていたが、
なぜ彼女に対しそのような感情を抱いたのか、ノヅチ自身、問われるまで考えもしなかった。
ノヅチは槌振りだ。
一介の鍛冶師風情に怪物退治は手に余る。
昨晩被害に遭われた衛兵の方々の事は憐れと思うが、そんな理由で命を賭けるほど、
ノヅチは義侠心に厚い男ではない。
「親方には、血沸き肉躍る大冒険が必要なんだよ」
言葉を失ったノヅチに代わり、傍らのタタラが独り言のように呟いた。
「親方、昨日あの化物の剛剣に刀を折られかけて、
それが凄い悔しかったんでしょ?」
「そんなのは当たり前だろ?
自分の手で世に送り出した刀だぞ。
それをああも好き放題にやられれば、マトモな槌振りなら誰だって憤慨するさ」
「マトモじゃないよ、全然。
人知を超えた怪物に遭遇して、危うく命まで落としかけたのに。
剣に付けられた
「…………」
「けど、ボクは嬉しいよ。
親方はもしかしたら、そんな激しい感情、
二年前に全部、失くしちゃったんじゃないかって思ってたから」
「……お前だって、昨日は死にかけたんだぞ」
「それでも、鍋や鎌を叩いているよりは、ずっといい」
そう言って、タタラは少し恥ずかしそうにそっぽを向いてしまった。
すとん、と、何かがノヅチの中で腑に落ちた気がした。
昨夜以来、視界が随分と鮮明になっているのが分かる。
死にかけていた肉体に、急速に血液が巡り始めた錯覚を憶える。
そっと、腰の白鞘に手をかける。
山登りの邪魔になると知りながら、物の役に立たない刃が捨てられなかった理由も今なら分かる。
決して、悪い鉄では無かった。
それでも銘は刻めなかった。
恐らく刀の
この刀は、何の為に生まれたのか?
何を斬り、何を守る為に存在しているのか?
道具としての使命を忘れ、ただただ面白くて鍛えただけの刃だった。
生き死にのギリギリの領域で、到底通用する筈がない。
己の不甲斐なさに、どうしようもなく腹が立つ。
確かに自分は、この偶然を探していたのだと思う。
この偶然の出会い探して、二年間、あてどなく世界を彷徨い続けて来た。
己の全霊を賭けて、打ち倒すべき敵を。
もう一度、己の命を燃やすほどの過酷な試練を欲していた。
(ぶった斬ってやる!)
がさり、と
腰を上げ、再び荷を背負う。
彼女の導く先が、何処であろうと一向に構わない。
『――人は己の
糞喰らえだ。
不意に
・
・
・
一行は程なく、険阻な山中にぽっかりと開いた広陵地へと辿り着いた。
伸びるに任せた雑草の道の先に、二、三軒、苔生した石造りの廃墟が見えた。
建物の奥には荒れ果てた坑道があり、脇から落ちる滝には、壊れた水車が据えられていた。
隠れ里。
まるで御伽噺の1ページ目を紐解くような、非現実的な言葉が浮かんだ。
「ここ……、鍛冶場だったみたいだね」
廃墟の一つを指し示してタタラが言った。
確かに、そこは狭いながら奥には
手を加えれば今でも使えそうな様子であった。
「旦那、こっちに来てくだせえ!」
蔵の跡を見ていたヒウマンが、大声でノヅチを呼んだ。
蔵は屋根壁が破られ、長い風雨に曝されていたが、
成程、ヒウマンが示した先には、頑丈に蓋された地下室があった。
「こいつは、炭蔵か」
「木炭も良い感じで、大して湿気ってもいないようだ。
何ならここで一本、仕上げられるんじゃないですか?」
ヒウマンの軽口を受け流して蔵を出ると、そこにはレインが待ち構えていた。
逆光を背負った色素の薄い蒼の瞳が、何か言いたげにノヅチを見ていた。
「そろそろ教えてくれ、レイン。
この廃墟は一体何なんだ?」
「……ここは、かつて魔剣士と呼ばれた戦士たちの修練場。
負の感情を制御し、闇の力と同調する事を目指した者の、夢の跡」
そう一言答えると、レインは再び踵を返し、いずこかに歩き始めた。
一行が、慌てて少女の後を追う。
「魔剣士っていうと、かの有名なヤサの猟犬ってやつですかい」
「猟犬? 何だいそりゃ」
「かつてヤサ神に仕え、
この辺りの山河を修行場にしてたっていう剣士たちの総称ですな。
ほら、皇都の童歌にもあったでしょう」
「――日輪の剣掲げし金髪の青年、光の道に集いし仲間は四人」
ヒウマンの言葉を引き継ぐ形で、タタラが詩人の一節を諳んじ始めた。
それは西方に住まう者なら誰もが知る童歌。
三百年前、魔王に立ち向かった勇者たちの物語であった。
「豪放磊落なる雄々しき戦士
地母神の御使い、慈悲深き聖女
叡智と右目を引き換えにした、隻眼の錬金魔術師
そして紅の剣を携えた、名も無き漆黒の剣士――」
「その、紅の剣士こそが、ヤサの猟犬の一族の一人。
彼らは人の心の闇を克服する事で、世に妖刀、魔剣と呼ばれる、
忌まわしき武具の数々を鎮める術を修めていた」
「妖刀、魔剣……、まさか!」
「そう。
あの『
彼らが鎮め損ねた、負の遺産」
そこまで語った所でレインは足を止め、一行は小高い丘の上に辿り着いた。
振り返る少女の傍らに、一振りの刀が突き立っていた。
赤錆に塗れ、古びた刃であった。
柄は無く、
かろうじて
紅い――。
近付くほどに違和感を憶える。
見た目の錆の酷さに比べ、刀身は意外にもしっかりとしているように見える。
それに、赤錆と呼ぶには、この刃の紅さは鮮やか過ぎる。
まるで地金の内から血液が滲み、刃全体を染め上げているような錯覚すら憶える。
「闇を以て、闇を制する。
一族の鍛冶師は、魔剣と対となる妖刀を奉ずる事で、
武具に宿る漆黒の意志を、削ぎ落す術を心得ていた」
「……その赤錆びた刀が、魔王の鎧と対の妖刀、か?
妖刀が錆びついちまって力を失い、
それであの化物が、再び動き始めたって事なのか」
ノヅチの断定に頷くと、レインは刀の茎を握り締め、
一息に引き抜いてノヅチの前に差し出した。
「月齢が衰える度に、魔王の鎧は再び動き始める。
次の新月までに、貴方の腕で、
この妖刀にかつての力を与えて欲しい」