星鍛目録ー野槌と隕鉄ー   作:いぶりがっこ

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24話「纐纈」

二日後。

火床(ほど)の修繕を終えたノヅチたちは、

レインから手渡された『妖刀』を改めて鍛え直す作業に入ろうとしていた。

 

鍛え直す、と簡単に言っても、刀身全体が錆び付き、

朽ちかけていた鉄を修繕する方法などは無い。

一度、鉄を(おろ)し直して、最初から鍛刀をやり直す必要がある。

 

古鉄颪(ふるがねおろ)しは、東島(アズマ)の槌振りの十八番。

工程自体にさしたる不安はない。

 

「けれど親方、あんなに痩せた鉄をもう一度叩き直すんじゃあ、

 どうしたって(かさ)が足りなくなるよ?」

 

「それについては、アイツを合わせて颪し直すさ」

 

タタラの疑問に対し、ノヅチは部屋の隅に立てかけた白鞘を指して言った。

 

「アイツだって、あの化物にもう一度、雪辱したがっているからな」

 

「分かるの、刀の気持ち?」

 

「いいや、俺がそう思いたいだけさ」

 

大真面目に聞き返してきたタタラに苦笑して、改めて火床を覗き直す。

初めて使う火床だが、火勢は十分にある。

あの赤錆も炎の中で、存分に沸き始めた頃合いであろう。

 

一つだけ問題があるとすれば、ノヅチ自身が、

妖刀とは如何なる存在なのかを知らない事だ。

 

妖刀。

東島の歴史に度々登場し、血塗られた惨劇と共に語られ、

持ち主に不幸をもたらすと云われる忌まわしき刀。

使い手の心を狂わす得物の存在、それ自体をノヅチはさして疑わない。

 

刀はあくまでも只の道具。

だが完成された道具と云うのは、それ自体が一種の美を宿す。

まして一流の刀工の鍛えた刀というのは、人を斬る為に完成された究極の機能美。

その切れ味を実際に試してみたい、という誘惑をもたらすのは不思議ではない。

 

そして誘惑に負け、悪戯に他者を傷つけた者が没落の道を辿るのも、

当然の帰結であると言える。

かくてその名は喧伝され、倭刀はやがて妖刀に為る。

 

だが、レインの語る妖刀は、実際に闇の眷属の力を封ずるほどの妖力を宿していたと言う。

その妖力とやらは、単に同じ鉄を使っているというだけで甦らせる事は出来るのか?

鉄を砕き、颪し、一から鍛え直したならば、それはもう別の刀に違いない。

 

ノヅチは(まじな)い師でもなければ、神に仕える身の上でもない。

鬼神の類を語れぬ一介の槌振りに出来るのは、鉄を叩く事だけである。

 

(せがれ)よ、鉄は不死身だ!

 たとえ一たび死した鉄も、火を入れれば何度でも蘇る!』

 

不意に亡父の嬌声が聞こえた。

今はその言葉を(しるべ)にする他にない。

 

赤錆は今や、存分に沸いた。

炭を崩し鉄を引き出すと、地金は赤く染まり高熱を放っていた。

すかさず灼けた鉄を水船に突っ込む。

 

ドジュウゥと蒸気が立ち上り、水の中でビキッ、ビキキッと鉄の哭く音が響く。

急冷した鉄を金床に据えると、油断なくタタラが槌を構えた。

ぐっ、と右手を振り被り、次の打撃の位置を指し示す。

手槌の一撃、更に向槌(むこうづち)での一撃。

 

ギンッ、と響いた音を立てて刃が破断し、瞬間、視界が揺らいだ。

 

「――!」

 

不意に眩暈を憶え、周囲の風景が朧な霧に包まれ始める。

必死で目を凝らすその先で、砕けた鉄の断面から、どろり、と赤黒い血液が溢れ出した。

 

『糞ッまた失敗かッ!』

 

金切り声を上げ、ノヅチが叫んだ。

いや、違う、これは俺自身の声ではない。

戸惑うノヅチの心を置き去りにして、怒りのままに体が動く。

 

一回、二回、三回――!

衝動のままに手槌を振り上げ、叩き付ける。

刃が粉々に打ち砕かれ、弾け飛んだ欠片が頬を掠める。

 

『お父様! もうお止めください』

 

向槌を打ち捨て、タタラが……、いや、

いつの間にか目の前に居た、褐色の肌の少女が縋るように叫んだ。

端正な顔立ちは疲労にやつれ、色素の薄い瞳が微かに濡れている。

 

『これ以上は、お父様の体がもちません。

 山を下り、誰か、然るべき人間の力を借りるべきです』

 

『何だと……』

 

ギロリ、と鋭い眼光が少女の姿を睨み据えた。

大きく肩で息を吐き、手槌を捨て、少女の黒髪に掴みかかる。

 

『ふざけるな! 貴様ッ、俺の腕では不足と言うか!

 一族の、父の、兄の無念が、貴様には分からぬのかッ!』

 

叫びながら、癇癪のままに拳を振るった。

強かに頬を打ち据えられ、少女の体が土間に転がる。

 

「何しやがるッ」

 

総身を震わせ、必死でノヅチが叫んだ。

その瞬間、ふっと体が軽くなり、不可解な霧が消え去った。

男の姿も少女の姿も何処にもない。

 

「タタラ!」

 

土間に倒れていたのは、褐色の少女ではなくタタラであった。

慌てて駆け寄り、小柄な体を抱え上げる。

外傷はなく、呼吸も落ち着いている事を確認して、一つ安堵の息を吐く。

 

「すまねえヒウマン! ちょっと来てくれ!」

 

表に居るであろうヒウマンの名を呼び、気を失ったタタラを背負う。

ここは、何かがおかしい。

ひとまずこの場を離れるべきと本能が告げている。

ちらり、と金床の様子を確認して、ノヅチの背筋に悪寒が走った。

 

刃は未だ、砕かれてすらいない。

水舟から出された姿のまま、くすんだ色で冷え固まっていた……

 

 

タタラが目を覚ましたのは、日が傾き始めた頃であった。

 

ゆっくりと天井を見上げた少女は、それから周囲を見渡し、

傍らにノヅチの顔を確認して、少し悲し気に表情を曇らせた。

 

「……ごめんね、親方」

 

「何だよ、謝る事なんか何も無いだろ?」

 

「だけど、私のせいで……」

 

「……ここしばらく、色んな事があり過ぎて疲れが溜まってたのさ。

 くだらねえ事を気にしてないで、とにかく寝てろ」

 

そう言って、ほつれた赤毛を撫でつけると、

タタラはくすぐったそうに頭を振って笑顔を作った。

 

「親方、優しい……、変なの」

 

「変じゃねえや」

 

「まあまあ、この世の大抵の不安はね、旨いモンを喰えば忘れちまいますからね」

 

少女の無事を確認して、ほうっと溜息を吐くと、

ヒウマンはそう言って立ち上がった。

 

「表で晩飯の支度でもしときやすよ。

 何かあったら呼んでくだせえ」

 

「ああ、すまねえ、恩に着るよ」

 

ノヅチの言葉に振り向きもせず、ヒウマンはヒラヒラと片手を振って扉を閉めた。

室内に子弟が残され、微妙な沈黙が流れる。

ほどなく、タタラは気持ち真剣な瞳をノヅチに向けた。

 

「ねえ、親方……」

 

「ん、なんだ?」

 

「あの女の子、やっぱりレインさんだったのかな?」

 

「……何が見えた、タタラ」

 

「多分、親方が見たのと同じ光景だよ。

 鬼のような形相の槌振りと、褐色の肌の女の子」

 

「…………」

 

「あの風景は、妖刀が生まれるまでの鉄の記憶……、

 そういう事なのかな?」

 

そう独り言のようにタタラが呟いた。

ノヅチには、何も答える事が出来なかった。

全てを断定するには、あまりにも分からない事が多すぎた。

 

 

――夜。

 

ノヅチは一人、あの赤錆を抜いた丘の上に来ていた。

一寸先もまともに見えぬ深い闇の中、タタラの眠る部屋だけが、

ポツンと生活の光を灯している。

 

妖刀の置かれた鍛冶場には、まだ戻れていない。

どの道、今のノヅチは相槌がいない。

夜風に辺り、考えを整理する時間が欲しかった。

 

日中、陽の下で見た赤錆の鉄の色を、改めて思い出す。

単なる錆でくすんだ土色のような赤ではない。

刀身の内側から滲み出すような鮮烈な紅。

どろり、と地金の断面から溢れ出た赤黒い血液。

 

(あれは……、あの紅は或いは『纐纈刀(こうけつとう)』という奴ではないのか?)

 

不意に嚢中に、突拍子も無い妄想が湧いた。

 

古代、東国の宮廷で纐纈布と呼ばれる、

人の生き血で染め上げたかのような、妖艶な紅色の反物がもてはやされた時期があり、

身に纏うものに絶大な運気をもたらすと、大層な評判を呼んだと言う。

 

纐纈刀はその逸話からくる造語であり、各地に伝わる妖刀伝説の中でも、

特に作刀に辺り、何らかの犠牲を払った倭刀に刻まれた忌み名である。

 

『――古の時代、東方では名工の妻がその身を大窯に投じ、

 後に乱世をも治むる神刀を鋳したというの』

 

耳元に、不意にいつかの少女の言葉が甦った。

そう、剣は凶器。

古今も東西も正邪も問わず、あらゆる聖剣、魔剣の類には血生臭い伝承が付き纏う。

 

幻の中に垣間見た、狂気を孕んだ刀工の瞳。

だがもし仮に、あの赤錆が、人の生き血で染め上げられた紅だと言うのなら。

 

(しぼ)られたのは、果たして……

 

「この辺りは、夜に一人で出歩かない方がいい」

 

不意に後方から声を掛けられた。

暗闇の中で目を凝らすと、そこにはやはり褐色の肌の少女、レインが、

色素の薄い瞳を煌めかせてノヅチを見下ろしていた。

 

「滅びたとはいえ、ここは魔剣士たちが心身を磨いた修養の地。

 闇の中に一人でいると、良くない物に囚われてしまう」

 

「そうかい、だったら少しの間、隣で護衛をしててくれよ」

 

そう切り返すと、少女は一つ頷いて、ノヅチの隣にそっと腰を下ろした。

ノヅチは何かを問おうとして、しかし結局、何から聞いてよいか分からぬまま、

少女の次の言葉を待った。

高山の肌寒い夜風と、鈴虫の声だけが、漆黒の世界を支配している。

 

「ごめんなさい」

 

どれ程の時間が流れたか。

やがて少女が、ぽつり、と零した。

 

「妖刀を打ち直すというのは、刀に宿る他者の記憶も、垣間見るという事。

 その幻は現実を侵食し、打ち手の心に多大な負荷を与える。

 特別な加護を宿した人間にしか、あの刀を鍛え直す事は叶わない」

 

「特別な加護ってのは、こいつの事か?」

 

そう言って、ノヅチが胸元の霊銀刀をわずかに抜いて見せると、

レインは無言でこくりと頷いた。

 

「ヤサの街で、初めてあなたを目にした時、

 あなたの傍にぴったりと寄り添う、剣精(けんせい)の幻が見えた」

 

「剣精?」

 

「透き通るような紅い目をした、銀色の髪の少女。

 こうしている今も、片時たりとも、あなたの傍を離れようとしない」

 

「…………」

 

「あなたと出会い、期待が確信に変わり始めた。

 あの妖刀を託せる人に、ようやく巡り会えたと思った。

 けれど、向槌を務める彼女の事までは考えていなかった。

 ……本当に、ごめんなさい」

 

「そうか……」

 

ちらり、と寂し気に俯く少女の横顔を捉える。

レインの正体は、未だに謎だらけだ。

問い質さねばならない事、知らねばならぬ事はいくらでもある。

だが今、彼女にかけるべき言葉は、ただ一つだった。

 

「あの妖刀を鍛え直すには、どうしたって向槌が要る。

 けれど、こうなっちまった以上、

 もう今のタタラに槌を預けるワケにはいかねえ」

 

「…………」

 

「だから……、力を貸してくれるか、レイン。

 打てるんだろ、お前も?」

 

「えっ?」

 

望外の言葉に、レインは初めて驚きの声をあげた。

すっ、と差し出されたノヅチの手に、戸惑いの表情を見せる。

 

「けど、どうして……?」

 

「どうしてもこうしてもあるか。

 妖刀だが何だか知らねえが、ここまでいいように虚仮(こけ)にされて、

 すごすごと山を下りるほど、俺は人間が出来ちゃいないぜ」

 

そうしてノヅチは未だ躊躇い気味なレインの右手を無理やり握り締めた。

 

「やるんだよ、俺とお前で。

 妖刀も魔王の鎧(リビングアーマー)もまとめて捻じ伏せて、

 東島の刀工の末の意地を見せてやる」

 

「うん、分かった。

 ……ありがとう、ノヅチ」

 

そう言って、レインもノヅチの右手を握り返してきた。

ようやく闇夜に慣れた目で見下ろすと、

無表情の少女の口元に、微かな微笑が宿っていた。

 

 

――(えにし)

 

 

褐色の少女の輪郭に、一瞬、いつかの少女の白い頬が重なった。

 

かつて死ぬ物狂いで鍛え上げた霊銀(ミスリル)の刃が、

巡り巡って、今日の出会いを導いたと言うのならば。

 

あの日、(しるべ)になると言った彼女が、もう一度、自分に好機(チャンス)をくれたのだ。

今度こそ、目の前の少女を救ってみせろ、と。

 

ノヅチは運命を見ない。

運命などと言う曖昧な言葉は信じないが、

偶然を積み重ねた日々の中に、特別な意味を見出したいと思っている。

 

(糞ッ喰らえだ)

 

捻じ伏せてやる。

 

纐纈刀も。

魔王の鎧も。

タタラに手を上げたクソ野郎も。

賢しらに運命とやらをチラつかせる小鬼(ゴブリン)のような女も。

 

きらり、と一つ、二人の頭上に星が降った。

死にかけていた流浪の槌振りの魂は、ようやく回復し始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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