星鍛目録ー野槌と隕鉄ー   作:いぶりがっこ

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25話「追憶」

――その日、男は初めて、聖賢という存在を知った。

 

穏やかに自分を見つめる、澄み切った青の瞳。

人の悪意を疑う事を知らぬ、ごく自然な佇まい。

陽光を孕んでそよぐ、金色の髪。

 

生まれが悪い。

宿命が悪い。

この身に脈々と連なる血統が悪い。

 

全て違った。

正道を目指す黄金の意志。

一日たりとも弛む事無く、積み重ねられた努力の跡。

他者の痛みを己の糧に変えられる器。

 

何もかもが、足りなかったのだと気付かされた。

単純に自分の中に、暗闇を抜け出すだけの志が欠けていた。

 

「――それでも、時間の全てが無駄だったわけでは無いでしょう?

 鍛えた武器も修めた技も、使うのは人の心次第です」

 

諭すように、年下の青年が言う。

彼の言葉が、自分の魂を日の下に引き戻す物だと理解してる。

 

「貴方の力を、僕たちに貸しては頂けませんか?」

 

そう言って、青年が右手を差し出してきた。

じわり、と涙が滲んだ。

彼が言う通り、確かに、重ねた時間は無駄では無かった。

それがたとえ忌まわしき力であったとしても、

これからは彼の行く道を掃き清める、露払いくらいにはなれるだろう。

 

深々と(こうべ)を垂れ、その手を受けた。

今日から自分は、彼の一振りの剣となるのだ。

 

 

「ノヅチ」

 

傍らのレインに肩を揺さぶられ、そこでノヅチは目を覚ました。

 

火床(ほど)の支度が出来た」

 

「ああ、すまねえ」

 

そうレインに謝り、両頬を叩いて火床の様子を睨み据える。

古鉄を投じる前とは言え、木炭を熱している最中に眠りこけるなど、

普段のノヅチならば考えられぬ事であった。

 

「……何が見えた?」

 

(ふいご)を受け渡しながら、レインがそっと訊ねてきた。

目尻に残った涙を拭い、鞴を受け取る。

 

「青い目をした、立派な青年が居たんだ。

 彼の為になら、俺は死んでもいいと思ったよ……」

 

「それはきっと、私の祖父の記憶。

 彼が後に、救国の勇者と呼ばれる青年と出会った日の出来事」

 

「勇者?」

 

「後に魔王を退治する勇者と、彼の仲間の一人、

 紅の剣士が初めて出会った時の物語」

 

「…………」

 

ちらり、とノヅチの脳内に疑念が走った。

勘定が合わない。

伝説に謳われる勇者が魔王を退治したのは、三百年も昔の出来事だ。

 

だが今は、火床の様子の方が大事だった。

赤々と燃え上がる炎を見据え、頃合いと判断し、手元の(ざる)に視線を移す。

笊の上には、小割にした赤錆の成れの果てが盛られている。

その金属は、砕かれてもやはり、断面までもが紅く染まっていた。

 

「レイン」

 

一掴みの鉄を投じ、更に炭を重ねながら、ノヅチが少女の名前を呼ぶ。

 

「何か手伝える?」

 

「いや……、さっきの続きを聞かせてくれ」

 

「今?」

 

「ああ、今だ」

 

火床の火勢から目を反らさず、ノヅチが応えた。

本来ならば雑音に囚われず、炎の色と鉄の沸く音に集中しなければならない工程だ。

 

だがノヅチの師は、鉄を打ちたければ良く鉄を識れと、生前よくそう言っていた。

今、この鉄が血の色に染まったルーツを知る必要がある。

ノヅチは直感的にそう感じていた。

 

レインは一つ頷くと、ノヅチの傍らに膝を突いて、訥々と語り始めた。

 

 

かつてヤサの猟犬と呼ばれる魔剣士たちは、

己が身に宿る闇の力を制御する術を求め、山野に籠り修行を重ねていた。

闇を知ろうとする者は、闇と交わり、時に敗れて魔道に落ちる。

 

闇を以て、闇を制す。

正道とかけ離れた異形の剣士たちは、それゆえ世間の人々から忌避され、

大半の者が歴史の表舞台からほど遠い、社会の影に従事する所となっていった。

 

暗殺、斥候、破壊工作――

 

魔王軍の襲来により、一族の大半を失った「彼」もまた、

生き残った幼子たちを養うべく、裏仕事を続けながら、各地の戦場を転々としていた。

彼が、後に勇者と呼ばれる青年と出逢ったのは、その頃の話である。

 

勇者と出会い、彼は再び陽の下へと戻って来た。

研鑽を重ねた自らの力を、正道を行く勇者の為に役立てられる事を知った。

勇者に仕え、彼の剣になろうと心に固く誓った。

 

 

「――けれど、最終的に、彼は心酔する勇者を裏切る事となった」

 

 

事が起きたのは、魔王殿での最終決戦の渦中であった。

戦いの最中、仲間たちとはぐれた彼は、どこをどう歩いたか、

魔王殿の宝物庫に辿り着き、そしてそこで、()()と出逢ってしまった。

 

漆黒の甲冑。

禍々しき装飾を施した大鎧。

光届かぬ深海のように、世にまつろう負の感情を幾重にも塗り重ねたかのような、底深い黒。

 

一目見て彼は直感した。

この忌まわしき大鎧を魔王に纏わせてはならない、と。

そして同時に、自分がここに辿り着いた理由にも。

 

闇を以て闇を制す。

己の魔剣士としての力があれば、この鎧に纏わりつく、悪しき邪念を封じる事が出来る。

この鎧の力を我が物と出来たなら、魔王を倒す大いなる助力となれる事だろう。

一族の無念も報われ、ヤサの猟犬は栄光の名として後世にまで刻まれよう。

 

……気持ちがはやる余り、彼は、初歩的な過ちを犯した。

大志と責務の奥底に、慢心と我欲の紙魚(しみ)が浮き、

その弱さを、魔王の鎧に逆襲の牙を突き立てられた。

 

鎧の封印は不完全に終わり、彼は以後、月が欠ける度に鎧の放つ殺人衝動に苛まれる事となる。

死闘の果て、勇者は魔王と相討ち、残された彼は仲間と再会する事もなく、

二人の子供を伴って、再びヤサの修行場に籠った。

 

魔王の鎧に囚われた彼の心は、鎧の力を封じるどころか、

月毎に心身を襲う狂気を抑えるだけで精一杯となってしまった。

魔王の鎧の封印は、彼の二人の息子の成長に託す他に無くなった。

 

長男は父に似て正義感が強く、神経質なほどに己に厳しい男だった。

次男は父兄に比べ繊細で、日に日に狂気に駆られていく父の姿に耐えられず、

一度は山を下りたが、やがて伴侶を流行り病で亡くした事に絶望し、

幼子たちを連れて再び帰って来た。

 

長男が猟犬の業を修め、次男が鎧を抑える為の刀を打つ。

個々の才覚に合わせ役割を分担する。

鎧の封印は時間の問題に思えた。

 

けれど敵もまた人類を震撼させた、おぞましき魔王の置き土産。

親子が鎧の対策を研鑽する間に、鎧もまた息を殺し、一族の急所を探っていた。

 

一見、真面目で隙が無いように見えていた長男の欠点。

それは皮肉にも、彼自身の正義感の強さの中にあった。

 

長男は心の奥底で、魔王の鎧に心の隙を突かれた父親を恨んでいた。

狂気に憑かれ、日に日に衰弱していく父の姿を軽蔑していた。

 

勿論、父親の弱さ、苦しさは、彼自身も十分に理解していたし、

常ならばそれは何の問題も無い、本人ですら自覚していない、小さな小さな虚穴だった。

相手があの『魔王の鎧(リビングアーマー)』でさえ無ければ……

 

とある新月の夜、惨劇は起こった。

取るに足らない口論から、鎧の仕掛けた悪意の罠が解き放たれた。

 

父と息子は、互いの刃の下に斃れ。

(きず)ついた鎧は長男の骸を抱えたまま、坑道の地下深くに消え去った。

 

後には力無き槌振りの次男と、彼の子供たちだけが残された……

 

 

「――こうして、全ては終わった筈だった。

 残された次男……、私の父は、無力と絶望と憎悪の中、

 次第に精神のバランスに、異常をきたし始めていた。

 けれど、彼は狂乱に満ちた世界の中で、一つの奇策に思い至った」

 

「奇策?」

 

「闇を以て、闇を制する。

 父は敢えて狂気の世界に身を置く事で、鎧への憎悪を極限まで引き出し、

 殺意と執念で打ち鍛えた、真の妖刀を仕立てようと企んだ」

 

「真の妖刀……、

 それが、あの赤錆の前身か」

 

ノヅチの断定に、レインは一つ頷いて、そこで再び口を閉ざした。

ほうっ、と大きく溜息を吐き出す。

鉄は今や、存分に沸いた。

今頃火床の奥底では、真っ赤に蕩けた鉄が血溜りの如く滴り落ちている筈である。

 

「レイン、もう一つだけいいか?」

 

火勢を睨み据えたまま、ノヅチがレインに再び問うた。

 

「魔王の鎧は、骸を抱えて坑道に消えた、と言ったな?

 あの鎧は、今も長男、屍となったお前の叔父さんの執念で動いているのか?」

 

ノヅチの問いに、レインは静かに首を横に振った。

 

「あの日、祖父が身命を賭して放った一太刀は、

 魔王の鎧を、叔父の体ごと存分に斬り裂いた筈だった。

 今、あの鎧を動かしているのは、彼の意志とは別の人間の情念」

 

「別の、人間?」

 

そこでレインは一度言葉を切り、ある種の覚悟を宿した瞳で、火床の奥を睨み据えた。

 

「鍛冶師の息子、ヴィレジ。

 私の弟、私の、過ち――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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