山中の隠れ里に、激しい槌の音が鳴り響いていた。
光を遮断した鍛冶場の中、熱気に満ちた室内で、一心不乱に二人が鉄を叩き続ける。
ノヅチの手槌が位置を定め、すかさずレインが
小気味よく金属音が反響し、その度に火花を散らして
鍛刀は既に本鍛えの段階に入っていた。
白鞘と赤錆の刃は今や存分に混じり、徐々に刀身の全貌が形どられ始めていた。
「よし!」
鍛着が十分に為ったのを見て、ノヅチが一声かけた。
徐々に柿色に変わり始めた鉄を再び火床に戻し、すかさず炭を投じ
炎の色を睨みながら風を送り続け、ようやく火勢が戻ったのを確認すると、
ノヅチはちらり、と後方に視線を向けた。
「……気になる?」
「ああ、いや……、すまない。
親方がこんな事に気を取られていちゃいけないよな?」
困ったように頭を掻くノヅチに対し、レインは無言で首を振った。
こうして鍛刀を続けている今も、ノヅチは常に、妖刀の見せる記憶の残滓に苛まれていた。
過去の亡霊に苦しむノヅチに対し、穏やかな口調でレインが言った。
「あの頃、狂気の世界に憑りつかれていた父も、
その狂気に振り回されていた私も、鍛冶場を覗く視線の存在に気付けなかった。
私があなたのように繊細だったら、その後の悲劇は防げていたかもしれない」
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父に殴られた姉が土間に崩れ落ちる姿を、少年は、壁の外から覗いていた。
そっと鍛冶場を離れ、物音を立てぬようにその場を後にする。
少年の名はヴィレジ。
狂乱に憑りつかれた鍛冶師の長男であった。
少年が六歳の時、彼の祖父と叔父に当たる人物が亡くなり、
それ以来、父親は次第に精神のバランスを崩していった。
元より陰気で、人付き合いの苦手な人物であったのだが、あの日以来、
父は人が変わったように気が短くなり、事あるごとに少年の姉に当たるようになっていた。
少年にとって母親代わりであった姉も、近頃は少年に構う余裕が無くなっていた。
全て、自分が幼な過ぎるのがいけないのだと少年は思った。
自分に大人なら、自分が代わりに槌が打てる。
自分に力があれば、これ以上、姉に手を上げさせたりしない。
涙を拭い、少年の足は里の北にある廃坑へと向かう。
常日頃から、姉に絶対に近づくなと言われていた悪魔の棲家。
だが、今の少年には孤独を塗り潰すための格好の隠れ家でしかなかった。
少年は幼く、槌を振るえるほどの体躯では無かったが、彼には一つ特技があった。
闇と交わる。
恐ろしく夜目が利き、人類の本能である闇夜への恐怖が一切無い。
夜の世界で、少年の肉体は解き放たれ、山猫のようにしなやかになる。
獰猛な夜行性の獣たちも、坑内に棲まう生物たちも、奔放な少年の動きを咎めない。
少年は、夜の世界の王だった。
それが彼の祖父から脈々と連なる、ヤサの猟犬の資質の顕れだった事を少年は知らない。
少年はまさに天才だった。
ただ一つ惜しまれるのは、少年の素養を正しく理解し、
正しい道に引き上げられるだけの『師』が、既に失われていた事だ。
ある日、複雑に入り組んだ坑道を抜けた先で、少年は見た。
天然の鍾乳洞と繋がった、ぽっかりと開けた地底湖。
広間の中央に、何か大きな巌が鎮座している。
深海を閉じ込め塗り固めたかのような異質な黒。
佇まいだけで、人を圧迫するかのような瘴気。
瑕付き破れた胸甲、足元に転がる
コイツだ……、少年は思った。
狂乱の中で、度々父が、呪詛のように声を枯らして叫ぶ『
祖父と叔父を殺し、父を狂わせ、優しい姉を傷つける物。
高鳴る鼓動を必死で殺し、少年はゆっくりと鎧に近づいた。
すっ、と右手を差し出した、次の瞬間、不意に鎧がばらけて崩れ落ちた。
凄まじい金属音が洞内に反響し、大兜が髑髏を押し潰し、少年の足元に転がった。
コイツ……、死にかけているのか。
徐々に薄れていく瘴気の影を、少年はそう理解した。
事実、鎧は瀕死だった。
宿主を失い、祖父に穿たれた一太刀が効いたのか。
身を削り妖刀を叩く、少年の父の呪詛にも等しい執念が鎧を追い詰めていたのか。
少年に全てを知る術はない。
ただ一つ、今ならば、この鎧を支配できると少年は直感した。
闇を恐れぬ少年にとって力を失った足元の鎧は、物影の
自分が鎧を制御できさえすれば、もう妖刀を打つ必要は無い。
父の暴挙を止める事が出来る。
優しい姉がこれ以上苦しむ姿を見ないで済む。
少年の胸よりも大きい漆黒の兜を、ゆっくりと両手で抱え上げた。
少年はまさに天才だった。
ただ一つ惜しまれるのは、少年の素養を正しい道に導ける師が居なかった事。
幼い少年は知らなかった。
闇の眷属の最も恐るべき所は、常人を遥かに凌ぐ膂力でも、底の知れぬ魔術でも無い。
詐術。
弱者を装い、強者に
少年は知らなかった。
悪魔との取引において悪魔は決して嘘を吐かない。
だが真実を語ることもない。
悪魔と取引した者の願いは、やがて本人が望まぬ形で実現する事となる……。