星鍛目録ー野槌と隕鉄ー   作:いぶりがっこ

27 / 52
27話「姉弟」

夕刻。

 

ノヅチは一人鍛冶場に在り、火床(ほど)に揺らめく炎を見据えていた。

ここまで相槌を務めあげたレインの姿は、今は無い。

既に鍛錬は為り、後は火勢の中で赤らめた鉄を焼入れする段階まで来ていた。

 

火床を満たした炎の中に、ふっ、と槌を振う鬼の貌が見えた。

ここに至るまでノヅチは昼夜を問わず、常にこの男の幻影と立ち合い続けていた。

掲げる右手に呪詛を篭め、打ち下ろす槌に怒塊を叩き付ける。

身を削るように鉄を打ち、執念の刃を叩き上げる。

 

かつてノヅチにもあった。

この世の全てが敵に視え、どうしようもない怒りを鉄にぶつけた時が。

 

だが、人で無しとなるほど鉄を叩いても、結局ノヅチは少女を殴れなかった。

己を支えてくれる者、己に祈りを捧げる者の存在を知っていた。

多くの人の助けを得て、ギリギリの境界で、ノヅチは辛うじて人間の側に踏み止まる事が出来た。

 

闇を滅ぼす為に、自ら闇に堕ちた者の刃。

人の境界で(あやかし)の存在を観測する者の刃。

 

本当に折れぬ刃はどちらなのか。

これは、少女と鎧の因縁だけではなく、ノヅチと先達との戦いでもあった。

 

火床より鉄を取り出し、満遍なく熱が通った事を確かめる。

薄い塗土を通し、夕暮れの如く赤く染まった刀身。

色合いの変化を睨みながら、水舟に漬ける頃合いをじっと待つ。

 

……この刃はやはり、冷めても血のように赤いのだろうか?

 

ぬっ、と見据える刃の上に影が差した。

おもむろに後方を振り返る。

 

夕焼けを反射し、血のような光沢を背負った漆黒の鉄。

ただでさえ狭い室内を圧迫する、巌の如き巨躯の大鎧。

大兜に隠れた暗闇の奥底に、生贄を品定めするように鬼火が燃える。

 

魔王の鎧であった。

一撃で倭刀のしぶとさをも砕く剛剣が、今、ノヅチの頭上に掲げられていた。

 

 

鍛冶場の方から、凄まじい断末魔の絶叫が響き渡った。

夕餉(ゆうげ)の支度をしていたレインは手にした鍋を打ち捨て、反射的に表に走った。

 

じくり。

鋭い後悔の痛みが胸中を貫いた。

油断していた。

いかに憔悴していたとはいえ、いかに日中、まだ新月の刻ではないとはいえ。

あの状態の父親を、鍛冶場に一人きりにしてしまうなど。

 

走りながら周囲を見渡す。

そう言えば、弟のヴィレジの姿も見当たらない。

どくん、どくん、と焦燥が早鐘を打つ。

夕暮れの丘稜を、父のいる鍛冶場に向かいひた走る。

 

「お父様!」

 

室内に飛び込むと、むせ返るような血臭が鼻を突いた。

部屋の奥では、玄翁(げんのう)ごと袈裟懸けに斬られた父が血溜まりの中に斃れている。

そして、少女の声に反応するように、鋼鉄の巌がゆっくりとこちらに振り返った。

 

「魔王の、鎧……」

 

どくり!

 

レインの心臓が、一際高い悲鳴を上げた。

少女の眼前で、鎧は全盛の力を取り戻していた。

返り血を浴びた胸甲は、祖父が一命と引き換えに負わせた筈の傷跡すらなく、

夕日を浴びて卸し立ての装甲のように輝いている。

 

ばぐん、ばぐんと、心音が少女を叩く。

この間合い、もはや逃げる事は叶わない。

目の前の悪鬼は自分の体を容易く両断し、最後に残った弟を殺すであろう。

魔剣士の血は耐え、殺人衝動に駆られた悪魔が下界に解き放たれる事になる。

 

絶対にさせない。

ヤサの猟犬、最後の血脈として、自分がここで悪鬼を喰い止めなければならない。

だが、どうすればいい?

力無き人の子が、どうすれば目の前の鋼鉄の巨体を止められるというのか?

 

錯綜するレインの瞳が、金床の上の刃を捉えた。

亡父の鍛えた執念の刃は、金床の上で赤々と燃え、焼入れの時を今か今かと心待ちにしていた。

 

反射的にレインが跳んだ。

悪鬼の脇を潜り抜け、一直線に刃に向かう。

祖父から、叔父から、父親から教え込まれた知識が、

闇に生きる魔剣士の血脈が、自分に何をするべきなのかを告げていた。

 

纐纈(こうけつ)刀。

剣は凶器。

古今も東西も正邪も問わず、あらゆる聖剣、魔剣の類には血生臭い伝承が付き纏う。

捧げられた贄を産声に変えて、刀は真の妖刀となる。

 

高熱を放つ刃の(なかご)を、躊躇いもせずに握り締めた。

ジュウ、とちまち掌が(ただ)れ、鋭い痛みが細い体を震わせた。

 

「アアァゥアッ!!」

 

甲高い悲鳴を上げながら、少女は尚も鉄を手放さず、両手で高々と抱え上げた。

紅く染まる視界の中、未だ砥ぎも終わらぬ刃を、自らに向ける。

 

(ヴィレジ――)

 

弟の事を想いながら、レインは自らの腹部に刃を突き立てた。

ドジュウッ、と刺し貫いた刃が背中まで抜け、

血液が一瞬にして蒸発し、灼けた脂がぼたぼたと零れ落ちる。

 

どかり、と少女の体が父の亡骸の上に重なった。

激痛が、少女の意識を一瞬で灼き切った事だけが、唯一の幸運であったかもしれない。

 

この時、レインは一つ、過ちを犯した。

目の前に居る鎧の中身が、何者なのか。

 

悪魔の最も恐るべき武器は、詐術――。

悪魔との取引において、悪魔は決して嘘を吐かない。

だが、相手の祈りを汲み取る事も絶対にしない。

 

狂気に駆られた父を止め、心優しい姉を救うという、

少年のささやかな願いを、鎧は暴力で以て仕果たした。

もしこの時、レインが悪鬼の正体に気付き、鎧を抱き止めていたならば、

少年は人の世界に踏み止まり、悪鬼は主を失っていたかもしれない。

 

だが、少年の目の前で、姉は自らに刃を突き立て、父の骸を抱き止めるように倒れ込んだ。

闇を統べる素質を持った少年の、小さな器が、ひび割れ、砕けた。

 

 

『キョウアアェアアァアアアァァァァ――――!!』

 

 

凄まじい金切り音を響かせて、鎧が哭いた。

絶望がビリビリと空気を震わし、部屋全体を共鳴させる。

 

その時、信じ難い事が起こった。

鎧の絶叫に反応するかのように、焼け爛れた少女の指先が、ピクン、と動いた。

 

「ヴィ…レ、ジ……ヴィレ……」

 

両眼から血涙を流しながら、骸と化していた筈の肉体がゆるりと立ち上がった。

腹部に刺さった刃をむんずと掴み、一息に引き抜く。

血と脂が舞い、刀身が蒸気に(くゆ)る。

穢れ無き少女の血潮で焼き入れした刃は、地金の奥の奥まで紅に染まっていた。

 

無人の室内に、主なき二つの器だけが残された。

器に宿る殺意と情念がぶつかり合い、ぐにゃり、と大気が歪んだ。

 

見守る者なき世界で、戦いの最終局面が始まろうとしていた。

 

 

 

――ドジュウゥゥ

 

 

灼けた地金を水舟に漬けると、魔王の鎧(リビングアーマー)も少女の骸もたちどころに消え去った。

立ち上る水蒸気が、血生臭い室内を浄化していく。

水の中で冷された鉄が、急速に刃に変わる気配を、手鋏を通して感じ取る。

 

「終わったの?」

 

いつの間にか入口に居たレインが、背中ごしにノヅチに問いかけて来た。

 

「鍛刀はな。

 だが、どう仕上がるかは砥いでみなけりゃわからねえ」

 

言いながら仕上げ場に向かい、刃にこびり付いた土を荒砥(あらと)で落としにかかる。

 

「タタラを呼んでくれ。

 ここから先はどうしたって、アイツにやってもらう他ねえ」

 

「けど、彼女は……」

 

「やるさ。

 それに俺が鍛えた刀は、全部アイツに砥がせるって決めてるんだ」

 

そう言うとノヅチは、あらかた土を落とした刃を掲げ、舐めるように見渡した。

刃の隅々、(きず)の一本、(ひび)の一筋も見逃さぬよう。

 

 

夕日の下に晒された妖刀は、やはり鮮やかな真紅であった。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。