三か月後。
ノヅチは打ち終えた新刀を携え、改めて魔王と対峙していた。
場所は件の蔵の最奥。
真っ二つに両断された、座る者亡き玉座の前で、再び両雄が向かい合う。
あの夜会以降、ノヅチは魔王と一度も顔を合わせて居なかった。
久方ぶりに目にした魔王は、どこか不機嫌に見えた。
この女にしては地味な黒のドレスに身を包み、
鋭い眼光を隠すように、レース地のヴェールを被っている。
あるいは、喪服のつもりなのかもしれない、とふと思った。
この新刀が失敗している事を見越し、手間を省いて来たというワケだ。
冗談じゃねえ、と内心で舌打ちする。
己の不手際で果てるのは槌振りの本懐だが、
今、後背で心配そうに見守る少女まで巻き込むわけにはいかないのだ。
「成ったか?」
「ああ」
短いやり取りの後、ノヅチが差し出した白鞘を受け取ると、
魔王はまるで手慣れた手付きで刃を引き抜いた。
すらり、と青白い直刃が、魔王の眼前で垂直にそそり立つ。
刃渡り、およそ三尺。
打刀としては規格外の長刀だが、それでも亡父の黒刀の長さの半分にも満たない。
刀身の反りは浅く、更に先反りの黒刀に対し、ノヅチの打った刃は重心を手元に残していた。
重心が根元にある刃は取り回しが良く、直刀に近い刀身は刺突の精度を引き上げる。
湾刀の『引き斬る』特性を知悉し、最大の破壊力を引き出す事を目的とした黒刀に対し。
ノヅチの新刀は扱い易さ……『決闘』における信頼性を旨としているようだった。
蔵の中の仄かな光を取り込むように、爽やかな蒼穹のような地金が光沢を放つ。
仕上げた刃は不思議な事に、あの妖刀の黄昏の紅と、対を為すかのような色をしていた。
惚れ惚れするほど良い鉄だ、と思う。
この刀身の鮮やかさに対し、残念ながら今のノヅチは、自らの技を誇る事は出来ない。
単純に、元の素材が良かったのだ。
事実、ノヅチは自らの手で
あの重厚な魔王の鎧の下に、このような蒼が潜んでいるなど想像だにしなかった。
むしろ、これほどに潔い蒼を深海の黒になるまで染め堕とした、
先人の執念こそ称えられるべきなのかもしれない。
「
忘れたつもりは無かったが、そうか。
そう言えば、本来の色は、こう言った蒼であったか」
そう独り言のように呟くと、魔王は刃を水平にかざして片目を閉じた。
――ぞわり。
刹那、魔王から体から発せられた重圧が、左手を介して刀の柄に吸い込まれ、
やがて、蒼い地金がじわじわと深海の黒に侵され始めた。
「ふっ」
刀身が漆黒に染まった頃合いを見て、魔王が袈裟懸けに刃を振るった。
軽々と片手で放たれた斬撃は、玉座の分厚い背もたれを、まるですり抜けるかのように走った。
一瞬遅れ、石造りの背もたれが音もなく分かたれ、断面を斜めに滑り落ちていく。
「成程な。
余の気分次第で、ある程度、刃の強度を弄れるワケだ。
元の鎧の性質を鑑みれば、修練次第で修復も可能か?」
言葉を失った一堂に対し、魔王は淡々と一人、手にした刀の本質を探る。
あるいは自分は、とんでもない得物を献上したのではないかと、
一瞬、ノヅチの脳裏に苦い後悔が走った。
だが、魔王の出した結論は、ノヅチの思考よりも、遥かに残酷なものであった。
「くだらぬな。
生まれついての強者には、斯様な小細工は必要ない」
「……ッ」
「この刀が本当に必要なのは、非力な人間の魔導士、と言った所であろうよ。
よもや、我が力をそこいらの人間扱いしてくれようとは、
どうやら余は、随分と貴様の事を買い被っていたようだな」
魔王の言葉に、不承不承、内心でノヅチが頷く。
目の前の怪物は、そもそも生物としての強度が違い過ぎる。
極端な話、目の前の女には武器など必要ない。
そこいらの大木を引き抜いて振り回すぐらいの事は易々とやってのける女だ。
微に入り細に至る鍛冶師の工夫など、この女の前では塵芥に過ぎまい。
皮肉な話ではあるが、唯一つ、目の前の怪物に釣り合い得る得物があるとすれば、
それは亡父が強大な敵を葬り去る為に鍛えたあの黒刀、という事になるだろう。
「我ながら、無駄な時間を使ったものよ。
貴様の才など生涯賭けても、あの黒刀の潔さの足元にも及ぶまい」
そう言って、魔王が手にした刃をノヅチの喉元に突きつけた。
ピクン、と背後のタタラが震えたのを、ノヅチは背中越しに感じ取った。
「その、親父殿の黒刀なんだがよう……」
思わず飛び出しかけた少女を片手で制し、ノヅチどこか、ふてぶてしくも言い返した。
「鞘が無かったようだが、どこにやった?」
「――!」
ノヅチの言葉に、ピクリ、と魔王が僅かに眉を歪めた。
切先が微かに震えたのを見て、ノヅチの中で、疑念が確信に変わる。
「あの黒刀、僅かだが腰が伸びておったぞ!
それで元の鞘に収まらなくなって捨てたんだろう?
当たり前だ!
いかに親父殿の作であっても、いかに無敵の
剣の素人が
「片手……?」
むっつりと押し黙った魔王に代わり、後背のタタラがオウム返しに呟いた。
言われてみれば、確かに魔王は、あの黒刀も、今のノヅチの新刀も、左手一本で振るっていた。
もっとも、タタラはそれを魔王の余裕の顕れと考え、さして気にも留めていなかったのが……。
「三百年前、勇者を相手に不覚をとった、とお前は言ったよな?」
言いながら、ノヅチは突き付けられた刃先では無く、
だらりと垂れ下がったままの魔王の右腕に視線を移した。
「やられたのはもしや、右腕ではないのか?
お前の右手は、見た目ほどまともに動かせるのか?」
ギロリ、と魔王の視線が鋭さを増し、ノヅチは己の正しさを悟った。
剣呑な空気が一段と濃くなり、死の予感が皮膚をビリビリと叩く。
今、自分は魔王を追い詰めながら、同時に追い詰められてもいる。
それでも言わずにはいられなかった。
三百年前、人の紡いだ奇跡の輝きに魅入られるあまり、
鎧も纏わず飛び出して行った魔王の迂闊さに、なぜかムシャクシャと腹が立った。
「魔王! 今のお前にあの黒刀は無理だ!
あれは人間の勇士が巨大な怪物を屠る為に生まれた刀だ。
あんな大雑把な刃で本物の達人と立ち合ったなら、今度は本当に首が――」
ひゅん!
鋭い太刀筋が中空で弧を描き、ノヅチの額の際でぴたりと制止した。
気配すら気取らせぬ神速の刃に、ノヅチの減らず口が思わず止まる。
にわかに緊迫した空気を踏みにじるように、魔王が一歩、間合いを詰める。
「人間風情が余に対し、天晴な口上ではあるが……
余は好きに喰い、好きに着飾り、好きなように振る舞うのだ。
一介の槌振り如きに斟酌される謂れは無いわ!」
「…………」
「……遠く
貴様がそこまで絶対の自信を持つのであれば、
この刀の格は、貴様の身を以て目録に遺してやるとしよう」
「親方!」
タタラの悲痛な叫びと同時に、ぶしゅう、とノヅチの額から鮮血が吹いた。
それでもノヅチは怯まなかった。
流血に赤く染まる視界の中、真っ直ぐに魔王を捉え、尚もふてぶてしく言い放った。
「そいつは刀工冥利に尽きる話だが……
やめとけ、今後の愉しみが一つ減るぞ」
「一体、何をほざいておる?」
「俺が死んだら、誰が次の勇者の剣を打つんだよ?」
「……はあっ?」
余りにも要領を得ぬノヅチの言葉に、魔王も思わず間の抜けた声を上げた。
タタラもヒウマンも、その場の誰もが目を丸くして、ノヅチを見つめる。
「この土壇場に、何をたわけた事を……」
「お前自身が言ったんだろうが。
聖剣ソルスティアは役目を終えた、と、聖剣を鍛えた英傑たちも、もはや居ない、と。
だから親父殿が必要だったのだ。
そして、それすら叶わなかったから、俺にまでお鉢が回って来たんだろう?」
魔王の言を遮って、更にノヅチが捲し立てる。
あるいはそれは、魔王自身も気付いてすらいない、
餓鬼のようなちっぽけな願望であったかもしれない。
彼女自身は、本当に退屈凌ぎのつもりで、ノヅチを呼んだだけだったのかもしれない。
だがノヅチは既に確信している。
槌振りとして見定めた、看過できない魔王の弱点。
人を、愛し過ぎている。
か弱き人間の中に垣間見た、束の間の鮮烈なる輝きに、脳髄の奥までやられてしまっている。
腕一本失うほどの失態を犯しながら、目の前の女は全く凝りていない。
退屈な日々に殺されるよりも、強敵との灼熱の瞬間の中で踊りたいのだ。
ノヅチが鍛えた蒼の倭刀は、そんな乙女の傲慢を断つ為にある。
「言いたいことはそれだけか?」
ようやく平静を取り戻した魔王が、くっ、と刃先に力を籠めた。
「あの聖剣の真の輝きを知らぬ槌振りに、一体何が出来ると言うのだ?
不世出の鬼才、出乃羽斎槌ならばいざ知らず、
貴様如きが勇者の剣など、世界を救う剣などと片腹痛いわ!」
「いいや」
激昂する魔王を真っ直ぐに見返して、ノヅチが静かに首を振った。
「俺が親父殿を超えられる可能性が、一つだけある」
「……その世迷、遺言で良いなら聞いてやろう、申せ」
魔王の言に頷くと、ノヅチは一つ深呼吸して、言った。
「――俺はまだ、女を知らねえ」
「……ッッ!?」
愕然と、魔王が両眼を見開いた。
腹の底から噴き出す衝撃を押し殺さんと、ぎりりと奥歯を噛み締めた。
必死の殺意を篭めた刃が、ノヅチの額の上でカタカタと震えた。
ノヅチは怖じず、気張らず、恬然として己が生き死にを魔王に委ねた。
魔王の一挙手一投足を捉える青年の瞳は、どこまでも澄んで真っ直ぐであった。
痛いくらいの沈黙が、静寂が、空気を――。
「カッッ!!」
堪え切れず、とうとう魔王が決壊した。
膝が砕け、無様にも引っ繰り返って喉を震わした。
「カカッ! カーッカカカッカヒャッカカカカハヒャッ!!」
嗤う、嗤う、魔王が嗤う。
甲高い笑声がビリビリと蔵全体を震わせた。
それが決着の合図であった。
呆然とする一同を尻目に、魔王はまるで日照りの
「……俺は、真面目な話をしてるんだ」
「あ、ああ……、知っておる、余が言ったのだ。
貴様が親父に勝るとすれば……」
「…………」
「カヒャッ! ハヒッ ヒッヒイイイィィッ!!」
魔王はノヅチを一瞥すると、再び身を丸め、バンバンと石床を叩いて爆笑した。
有史以来、魔界の王をここまで追い詰める事が出来た人間は、
あるいはノヅチが初めてであったかもしれない。
ひとしきり大笑すると、魔王は乱れた呼吸をようやく整え、ヤケクソ気味に言い放った。
「ええい! わかった、余の負けじゃ!
ノヅチよ、貴様の大たわけに免じ、三年の猶予をくれてやる」
「三年?」
「ああ、期限は今よりきっちり三年だ。
三年の内に、次なる勇者の為の剣を打て。
それ以上は待てぬ」
魔王が切り出した条件に、ノヅチが内心で首を傾げる。
死刑執行から一転、期限付きでの放免となったのだから、条件自体に不服は無い。
だが「待てぬ」とはどういう意味だろうか?
目の前に居るのは、三百年の時を忍び続けた執念深い女だ。
人の仔にとって三年は長いが、永劫の時を生きる魔王ならば、
十年、二十年待つぐらいの余裕を見せても良いのではないか?
ノヅチの微妙な表情を見て、魔王はわずかに余裕を取り戻したようだった。
髪を掻き上げ額の汗を拭うと、ノヅチに対し白い歯を見せた。
「ノヅチよ、
余は三度、日蝕が起こる度に人間の前に姿を現した。
何故だと思う?
人々の恐れる大魔王は、なぜ日蝕を契機として軍を動かすのであろうな?」
「そいつは……」
魔王の問いに応じながら、ノヅチがその心胆を探る。
魔王軍と日蝕の関係。
酒場での話の種として、そう言った四方山話は幾度となく耳にした事がある。
世界が暗黒に包まれた時、魔界の住人が真の力を取り戻す、と力説する者もいれば、
迷信が社会不安を呼び、闇の眷属が蠢動する綻びを生むのだ、と分析する学者もいた。
だが、いずれも違う。
短い付き合いではあるが、ノヅチは既に、魔王という女の本性を完全に理解していた。
「……フェアじゃないから、だ。
お前にとって日蝕ってのは、人類全体に対する宣戦布告の狼煙なんだろ?
合図自体は何だっていい。
だが人々が結束する暇も与えず一方的に切り崩すなんて、強者のする事じゃない。
そんなんじゃゲームにならないって、そう言いたいんだろ、お前は?」
「で、あるか!」
ノヅチの回答を受け、魔王は心底嬉しそうに笑った。
同時に、ぞくり、とノヅチの脳裏に不吉な思考が走った。
だとすれば、魔王が三百年待ち続けていたのは、
伝説の剣を打ち直す刀工でも、ましてや、自身の力の回復などですらなく――
「次の日蝕は三年後だ。
貴様の悪足掻きに期待しておるぞ、余の最大の理解者よ」
「…………」
ノヅチの沈痛な面持ちを確認すると、魔王は満足げに一つ頷き、そのままくるりと背を向けた。
が、途中でふと足を止めると、振り返りもせずに口を開いた。
「ああ、それとな――」
――斬ッ
刹那、凄まじいばかりの殺意が爆発した。
振り向きざま、石火の一太刀。
神速の斬撃が縦一文字に解き放たれ、ノヅチの頭の天辺から、正中線を一息に走り抜けた。
ノヅチが斬られた!
傍から見ていたタタラもヒウマンも、対峙したノヅチすらそう思った。
だが、直後に予期した惨劇は、いつまで経っても訪れなかった。
見れば、魔王の手にした打刀は、どうした事か、柄から先が無くなっていた。
愕然とするノヅチの前で、魔王が自慢気に
いつの間にか、器用にも魔王は、右手一つで刀の目釘を抜き取っていたのだ。
すっぽ抜けた刀身が、二人の頭上でくるくると踊っている。
胆を潰し、すっかり腰砕けとなったノヅチが、どっかと地面に尻餅を突いた。
間を置かず落ちてきた蒼色の刃を、魔王は右手でぱしりと掴み取ると、
そのまま手の内でくるりと返し、ノヅチの頭部に
「自慢の一振りなのであろう?
だったら不精せず、