星鍛目録ー野槌と隕鉄ー   作:いぶりがっこ

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39話「斜陽」

生涯に、ただ一度きりの太刀。

それは果たして、如何なる代物なのだろうか?

 

元来、刀剣の冴えは時代を超えて生き残るものだ。

刀工を志す者はそれを習うし、時を超えて残り続けられる名物を志す。

 

無論、形ある物はいつかは壊れる。

戦場で激しく打ち合えば、刃は欠けるし刀身も曲がる。

返り血を浴び、風雨に曝されれば、地鉄は錆び付き、やがて朽ちる。

どんなに大事に使い続けたとしても、砥ぎの度にその身は痩せる。

 

だがそれでも、持ち主が丁寧に扱う限り、定命の者より長い時を保ち続ける事は間違いない。

かつて尖耳(エルフ)の森で出会った少女も、金属の持つ永遠を目指し、その身を一振りの刃へと変えた。

 

ただ一度きりの使命の為に、その身を燃やし尽くすような太刀。

そんな得物が果たして歴史上に存在するのであろうか?

 

……一つだけ、ノヅチはその剣の実在を知っている。

 

聖剣ソルスティア。

かつて、伝説の英雄たちが一心に鍛え上げ、仇敵の最期と共に役割を終えた、太陽の剣。

抜け殻のようになった鋼を、現在の所有者は「死んだ鉄」と呼んでいた。

 

伝説と謳われた英雄譚のクライマックスである。

世界を救うほどの使命を帯びた剣ならば、奇跡と引き換えに生涯を終える事もあるかもしれない。

だがノヅチは、その聖剣の全盛の姿を知らない。

そして、ノヅチが次に打つ太刀が帯びるのは、世界を救うなどという、崇高な使命でもない。

 

処刑刀。

心優しき死刑執行人が、救いきれぬ恩人に捧げる、生涯に一度、せめてもの太刀。

 

ただの一振りで役目を終える刀の姿とは、どう在るべきなのか?

その形状や性質については、当の依頼人より事細かな指示を受けている。

刃の長さ、地金の固さ、反りの深さに至るまで……。

 

それでも今のノヅチは、これから数奇な運命を背負って生まれて来るであろう

歪な刀の全貌を、見定める事が出来ずに居た。

 

・

・

・

 

第三城壁の向こう側に日が落ちる。

盛夏の長い夕暮れが、市中を流れる運河を橙に染め上げ、陽光の残滓を反射して千々に煌めく。

ゆったりと水面を行く舟の動きと、対岸の行き交う人の波を、ノヅチは運河の縁で見つめていた。

 

「仕事の方は、随分と難航しているみたいですね」

 

傍らに腰を下ろしたロッカが、ノヅチの横顔を見ながらそう言った。

 

「……そう見えるかい?」

 

「仕事が順調だったら、こんな所で油を売っていないでしょ、あなたは」

 

「違いない」

 

若者の率直な指摘を受け、ノヅチは今更気付いたように自嘲した。

確かにロッカの言う通り、黒づくめの処刑人と出逢った二週間前より、

工房での鍛冶仕事はすっかり滞ってしまっていた。

 

マニングの指定した三カ月の期限の内、三分の一が過ぎ去った。

そろそろ方針を定め、本格的に動き出さねばならない時勢である。

 

せっかく小割りにしていた南方鉄の欠片も、一旦仕事場の片隅にしまい直している。

マニングの依頼に対し、一度は南方鉄を用いて刀を打つ事も考えたノヅチであったが、

結局それも、すぐに断念してしまった。

 

南方鉄は確かに魅力的な素材ではあるが、今はそれを扱うノヅチの経験が不足している。

皇都一の処刑人が「生涯ただ一度」とまで言い切った儀式に、不確かな鉄を使う訳にはいかない。

 

「僕はあまり、倭刀については詳しくはありませんが……

 マニング殿の依頼は、そんなにも難しい内容なのですか?」

 

「単に依頼に応えるだけだったら、そんなに大した仕事でもないさ。

 奴の指示した鉄を使い、指示通りの長さと形に整えるだけだ」

 

ロッカの問いかけに対し、ぶっきらぼうにノヅチが応える。

事実、依頼自体は別に大層なものではない。

だが、単に依頼人の言うがままに鉄を打つだけなら、槌振りの値打ちなど皆無に等しい。

 

「……以前、砥ぎの最中に、地金が割れた事があったよ」

 

ノヅチがそうポツリとこぼすと、ロッカは驚いたように目を丸くした。

だがノヅチから言わせれば、そんなのは別に大した話ではない。

どれだけ偉大な工匠にも未熟な時代はあるし、数を打てばどうしたって仕損じる事もある。

ノヅチが知る限り、最高の槌振りであった亡父ですら、そうした失敗は一度や二度ではない。

 

あえて他所の職人に口外するような話ではないだろう。

だが傍らの若者は、ノヅチの人と為りを、いささか買い被り過ぎているきらいがある。

くだらない幻想は早い内に潰しておいた方が良いというものだ。

 

言いながら、ノヅチ自身も過去の苦い記憶を思い出していた。

三年前、小人族(ドワーフ)の族長の下で『課題』に挑んでいた時の事だった。

 

先人の古斧に追いつこうと気を張り過ぎたのだ。

張り詰めた弓の如き堅苦しい刃は、砥ぎの最中に、ビギン、と鈍い音を上げた。

タタラはボロボロと大粒の涙を流しながら、何度も何度も「ごめんね」と謝った。

大泣きする少女を慰めながら、ノヅチは自分の愚かしさにどうしようもなく腹が立った。

 

しなやかでしぶとい心金を、硬く鋭い皮金でくるむ。

折れず、曲がらずを体現する倭刀の秘訣である。

どれだけ立派な皮金を仕立てても、心金をおろそかにした報いは必ず己に還る。

 

今ならば、あの時と同じ過ちは繰り返さぬと固く誓える。

しなやかな心金を残したまま、限りなく鋭い皮金を仕上げる。

黒衣の青年の望む通り、ただ一度の機会に相応しい切れ味の太刀が作れよう。

 

だがそれは、決してノヅチにとってのベストでは無い。

マニングは一度きりしか使わぬ太刀、と言ったが、

武器と言うのは不測の事態でこそ役立たねばならない。

 

ある日突然、暴漢に襲われる。

二度とは抜かぬと決めた刃であっても、抜かねばならぬ時はある。

その時、刃の脆さで不覚を取って死ぬのは、マニング本人では無いかもしれない。

 

それでも、役目を果たせた後ならばまだマシであろう。

槌振りが最善とは呼べぬ刃、どこまで鍛えても不安は拭えない。

万に一つの悪夢と言えど、その一度が、一世一代の舞台に巡って来る可能性はゼロではない。

可能性が残る以上、そのような太刀を依頼人に渡す事は出来ない。

 

「……ノヅチさんは、どうしてそこまで今回の依頼に拘るのですか?」

 

むっつりと押し黙ったノヅチに対し、ためらいがちにロッカが尋ねた。

 

「余計なお世話かもしれませんが、今回の依頼は普通じゃありません。

 処刑の為の刀……、それも、あんな不可解な条件を付けて。

 鈴鳴り役人の差料なんて鍛えた所で、周りからは恐れられこそすれ、

 あなたの将来の為になるとは到底思えません」

 

「……次の奉武祭(ほうぶさい)に献上する武具の評判次第では、

 未来の御用鍛冶の栄誉も夢ではない、だったか?」

 

「そうですよ!

 そこまで大袈裟な話でなくても、ノヅチさんの腕だったら、

 きっと大衆の話題に上る作刀が出来るハズです」

 

「だが、あの黒づくめの兄さんは、俺に一切嘘をつかなかったんだぜ」

 

「え……?」

 

脈絡のないノヅチの言葉に、ロッカが思わず疑念を挟んだ。

確かに、旧侯爵家と亡父の関係を知らない部外者には、伝わらない一言であろう。

 

だが、侯爵家に深い繋がりを持ったマニングなら、

ノヅチの素性も調べがついていた筈である。

迂闊に旧侯爵家への恩義を口にすれば、ノヅチの心象を落としかねない事も。

あるいは、もっと悪辣な男であれば、

ノヅチの知らない侯爵家の情報をダシに、交渉を仕掛けてきたかもしれない。

 

マニングはそれをしなかった。

くだらぬ打算も思惑も無く、ただ恩人のため、ノヅチの太刀が要るとだけ言った。

それは人として大事な美徳であると思う。

 

ノヅチは運命を信じない。

だが、ノヅチの倭刀を求める人との出会いには、何かしらの意味を見出したいと思っている。

皇都に舞い戻ってからは久しく忘れていた『縁(えにし)』を、あの漆黒の青年に感じていた。

 

「結局ね……、好きなんだよ、こういうのが。

 俺の刀を求めて来たヤツに、無理難題を吹っ掛けられながら、

 なにくそって、一振りの出来不出来に挑むのがね。

 自分自身の為に富や栄光を求めて槌を振うよりか、よっぽど性に合ってるんだ」

 

「…………」

 

「だが、御用鍛冶ってのは、そういう遣り方じゃダメなんじゃないか?

 明日、戦争になる。

 すぐに百本、二百本の剣が要る、となれば俺には無理さ。

 俺には弟子たちの面倒を見る甲斐性も無けりゃ、仕入れに飛び回るような生真面目さも無い。

 そんな事より、今、目の前の一振りの出来栄えの方が大事なんだ」

 

ノヅチはそう言い切ると、傍らのロッカの顔を見据え、更に言葉を重ねた。

 

「アムルソンの旦那方は立派だよ。

 先代の遺した工房と人材を、どう後世に残していくか。

 今の自分に出来る事を、ちゃんと真面目に考えて行動している。

 その為に自分自身で槌を握るかどうかなんて、些細な問題じゃないのかい?」

 

「それは、そうかもしれませんが……」

 

「不満があるなら、二代目の剣は君が打てよ。

 アムルソンの工房が侯爵家の後釜なら、文句を言う職人は皇都にはいないさ」

 

ノヅチが言い終わると同時に、運河の向うから騒がしい鼓笛の音が聞こえてきた。

物音につられて対岸を見やると、皇都直属の制服に身を包んだ軍楽隊が、

重厚な軍歌を鳴らしながら市中を練り歩いている所であった。

 

「軍事演習……、またぞろ何処かで戦争でも始まるのかい?」

 

「まさか、秋口の奉武祭に向けた予行練習だと思いますよ」

 

言いながら、二人が過ぎゆく一団に視線を向ける。

重厚な楽団が通り過ぎた後には、長槍を掲げた歩兵の部隊。

更に火縄銃を抱えた部隊が長い隊列を作る。

 

「……もっとも、御用鍛冶なんて大層な肩書に、あと何年、値打ちがあるものか。

 この分じゃあ分かったもんじゃないけどな」

 

ノヅチがそう呟くと、ロッカも複雑な表情で頷いた。

 

伝説の勇者と魔王が相対した時代より、はや三百年。

戦場の色は変わりつつあった。

 

かつて、超人英傑と謳われるほどの圧倒的な個の力が、戦の中心だった時代がある。

 

怪力無双の豪傑の一撃は大地を砕き。

穢れ無き聖女の涙は、地平を埋め尽くす亡者の魂を立ちどころに清め。

隻眼の叡智は古の巨神たちをも塵芥に還し。

闇夜を跋扈する外道の群れは、闇夜を制するヤサの猟犬の牙を濡らした。

 

理外の力を持った悪鬼羅刹を前にしては、弱者の群れなど意味を為さず、

ゆえに人々は、運命に導かれし救世主の到来を誰もが心から願った。

奇跡に等しき神秘を宿し、過酷な試練を乗り越えた、真の勇者の登場を。

 

時代が英傑を求め、そして英傑の退場を以て、一つの時代は終わりを告げた。

神代の魔物の消えた地上では、人知を越えた超人が世に現れる事は、久しく無くなっていった。

国家は不確かな英雄の誕生に見切りを付け、軍隊という制度の充実に手を付ける。

 

剣と魔法の抜けた穴を、数と物資と戦術が埋める。

徴兵制度の確立と共に居場所を失った猛者たちは、冒険も浪漫も希薄な世界で、

尚もしぶとく地上に残った小鬼(ゴブリン)や猪鬼(オーク)どもの相手をしている。

 

黒鋼(アダマンタイト)の剛刀を振るえる英傑など、もはや地上のどこにもいない。

一の名刀より十の長槍、百の長槍より一の大筒、の時代を迎えつつある。

技術が進めば、やがて各地の工房は工廠に統合され。

工匠たちは細々と、かつての伝統を伝えるだけの語り部に落ちぶれる運命かもしれない。

 

怪物なき世界で軍隊が相手にするのは、もっぱら同じ人間である。

人類の心の光に魅せられた魔王が嘆息するのも、分からないでもない。

 

隊列が通り過ぎた後も、二人はしばらく無言で運河を見つめ続けていた。

どれほどの時間が経った事か、不意に上流より馴染みのある少女の声が聞こえてきた。

 

「おーやーかーたー!」

 

声の方を見やると、黄昏に煌めく浮舟の上で、喜色満面、タタラがぶんぶんと諸手を振っていた。

 

「間に合ったか!」

 

ノヅチは膝を叩いて破顔すると、すぐさま身を起こして桟橋へと走り出した。

急に威勢を取り戻した槌振りの背中を、息せき切ってロッカが追う。

 

「先ほどあなたは、自分には甲斐性が無いと言ってましたが、

 ノヅチさんにも立派なお弟子さんがいるじゃないですか?」

 

「タタラは弟子なんかじゃない、盟友だよ」

 

二人が桟橋に降り立つと、既に舟は荷下ろしを始めていた。

ノヅチの姿を認めると、船頭の小人族は見憶えのある禿頭を撫でにやりと笑った。

 

「ヒッヒッ!

 まだくたばっちゃいなかったか、ええ、倭刀の。

 相変わらず物好きな仕事をしてるみてえじゃねえか?」

 

「ハハ、面目ねえ。

 おっちゃんも息災そうで何よりだ」

 

「族長から言伝を預かってきたぜ。

 こんな所で足踏みしてねえで、早いとこ土産話を聞かせてくれ、ってよ!」

 

小人族の長老から痛い所を突かれ、困ったように頭を掻く。

ともあれ、試みに木箱の一つを開けると、たちまち箱いっぱいの銑(ずく)がざらりと音を立てた。

 

「ノヅチさん、この銑の山は、一体……」

 

「結局、俺もまだまだ修行不足って事だよ。

 どうしても仕事に工夫が付かねえなら、最後は素材に頼るしかないのさ」

 

言いながらノヅチは腕を捲ると、パンと両手で頬を張って気合を入れ直した。

 

「とは言え、ちょっと時間を食い過ぎちまったからな。

 若旦那も少しばかり、手を貸してくれるかい?」

 

「えっ? ええ、それは勿論、僕としては望む所ですが……。

 よろしいんですか?

 こう言うのって普通、門外不出の技術にするもんでしょう?」

 

「構わないさ、元々俺が編み出した業じゃあないし。

 皇都の名工が継いでくれるって言うなら、古の先人たちも喜ぶだろうよ」

 

ノヅチはそこまで言った所で、ちょっと皮肉っぽい苦笑をこぼした。

 

「もっとも、小人族の族長には、商売の役に立たねえと言われちまった技術さ。

 真面目なお兄様たちには嫌われちまうかもなあ……」

 

 

 

 

 

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