42話「開演」
閑静な山奥に、小気味よい槌の音が響いていた。
華やかなる皇都より、わずかに徒歩で一日。
生い茂る草木に紛れるように、その東屋はある。
赤土で固めた原始的な炭窯と、簡素な造りの丸太小屋。
かつては地元の炭焼き達が、細々と炭を焼いていた設備であったが、
東西流通の発展に伴い、安価な木炭が市中に出回るようになり、現在は後継者を失っていた。
過去には食い詰めた槌振りの親子が住み着いて、勝手に炭を焼いていた時期もある。
父親に諭され、一人で焼き場に走ったあの日から、はや八年――
青年は
「ふっ!」
金床の上で白熱する鉄塊目掛け、手にした槌を勢いよく振り下ろす。
手槌での一撃、間をおかずタタラの向槌がそれに続く。
鈍い金属音が響き、薄暗い室内に赤々とした鉱滓が炸裂する。
二人の鍛錬は既に熟練の域にあり、阿吽の呼吸にも近い。
呼吸をするように槌を振るう。
一心不乱に、肉体は疲労も介さず精密に動き続けている。
視線は、意識は、ただ眼下の灼けた鉄にのみ注がれ続けている。
「うむ!」
息を止め、歯を食いしばり、掲げた右手に精魂を込める。
今、二人が無心で叩き続けているのは、全ての始まりとなった、あの隕鉄である。
かつて亡父、サイヅチが打ち、七割方まで鍛錬を終えていたが、その完成を見る事無く、背嚢の奥にしまい続けていた鉄だ。
鍛錬を後回しにしていたのは、初めから嵩が足りないと理解していたからだ。
この隕鉄がどれほどの可能性を秘めていたとしても、鍛え上がったのが短刀では世界は救えない。
だが今、ノヅチはその隕鉄の可能性を見極めたいと考えていた。
本気で鍛えたこの鉄は、どのような姿を見せてくれるのか?
どれだけの長さが残るのか?
合わせるべき金属には、どのような質が求められるのか?
結局、物語は振り出しに戻ったという訳だ。
本来、量を補うための金属が要ると分かっていたなら、真っ先にこなすべき作業であった。
八年、随分と廻り道をしてきたものだと思う。
だが、今のノヅチならば素直に認められる。
多分、自分は怖かったのだ。
幻想が崩れてしまう事が。
鍛錬の果てに、この鉄の限界を確認するのが怖かった。
自らの運命と見定めたこの鉄が、何の変哲もない、ありふれた鉄に過ぎない事を恐れていた。
その己の弱さ、卑怯さを認めるまでの八年だったと言ってもよい。
今はもう、現実と向かい合う事も怖くない。
多くの人々との出会いが、自分を成長させてくれたのか。
あるいは八年、世間に揉まれて擦り減って、幻想を見なくなっただけなのか。
鉄は、叩くほどに純となり、その身を細らせ鍛え上げられていく。
自分の右手もこのまま、振るう槌の一部となればよい。
「よし!」
幾たび折り返し、どれだけ叩き続けた事か。
長い時間の果てに、ようやくノヅチが声をかけた。
傍らのタタラが槌を下ろし、狭い仕事場に静寂が戻る。
――惚れ惚れするほど、良い鉄だ。
眼前で、白色から徐々に赤らめていく星の子を見ながら、しみじみと思う。
打てば響く、素直で強かな地金の感触。
亡父、サイヅチの見識に間違いは無い。
当初は脇差程度しか残るまいと思っていたが、この分ならもう少し長く仕上げられるだろう。
このまま鍛え続けたなら、この鉄は、古今の名刀を凌ぐ業物にも成り得るはずだ。
だが……。
「どう思う、タタラ?」
「ン……」
傍らのタタラに声をかけると、小人族の少女は額の汗を拭い、熟れ始めた鉄に視線を落とした。
常のノヅチならば、このような問いかけはしない。
タタラが自分を親方と呼ぶならば、ノヅチが銘を刻むべき刃は、全て自分の責任と判断の下で鍛えるべきと思うからだ。
だが、タタラは弟子ではない。
同士であり、相槌だ。
この鉄で、世界を救う剣を打つという途方もない大法螺に、ここまで付き合ってくれた相方だ。
ここから先に進むのに、彼女の意見を蔑ろにするワケにはいかない。
しばしの間、タタラは金床の上の鉄を見つめ続けていたが、やがて顔を上げ、ノヅチの方に向き直った。
「ボクの考えは、多分、親方と同じだと思う」
「
ノヅチの断定に、タタラが無言で頷いた。
その迷いの無い返答に、ノヅチもわずかに安堵した。
しなやかで粘り強い
折れず、曲がらず、強度と切れ味を高い次元で両立する、
目の前の隕鉄は全て心金に使い、皮金には別の鉄を用意しろ、そうタタラは言っているのだ。
タタラの見解は正しいと思う。
この隕鉄は、確かに素材自体も破格ではあるが、その本質は鍛えるほどに反応を増す打たれ強さにあるように思えた。
この鉄に見合う皮金をどのように調達するかは、また別の課題ではあるのだが。
少なくともこの鉄単体では、「過去の業物にも比肩しうる」名物の一振り止まりであろう。
目の前の鉄の芯の強さに負けないほどの、硬く、鋭い皮が欲しい。
それ無くして、世界を救う剣、などとは烏滸がましいにもほどがある。
(それに……)
ちらり、とノヅチの思考に影が差した。
鉄を観るタタラの感性は、経験だよりのノヅチの見識を凌ぐ鋭さがあるが、
それでも今の彼女には、ノヅチの胸中の寂しさまでは理解できないだろう。
――『奇跡』が足りない。
ノヅチが出会った頃の隕鉄は、このような槌振りの杓子で語れる程度の存在では無かった。
全身を叩く暴風雨と、視界を遮る熱風の渦。
どしゃりと崩れ落ちた大岩の中から、どろりと溢れ出した金色の光。
金属の内に確かに感じた鋼の赤子。
まるで出産の場にでも立ち会っているかのような、新たな生命のもたらす高揚感。
自分の人生が変わる、と確信するほどの鮮烈なる出会い。
あれは幻であったのだろうか?
例えば、あの小人族の大釜から、ノロが吹いた瞬間に立ち会った男たちの感動。
その延長上にある、単なる錯覚に過ぎなかったというのだろうか?
「あっ!?」
不意にタタラが素っ頓狂な声を上げ、ノヅチの意識が現実に引き戻された。
反射的に声の方を見やると、少女は窓の前で呆然と立ち尽くしていた。
炭に塗れた赤ら顔が、傍目にも分かるほどに青ざめていく。
そこでようやくノヅチも気づいた。
室内が暗すぎる。
確かに仕事場に籠ってからは、時を忘れ作業に没頭する事もあったが、今はまだ夕刻ではない。
慌ててタタラを押しのけ、窓の外をじっ、と睨みつける。
遥か上空では、既に半ばまで日輪が欠けつつあった。
『次の日蝕は三年後だ。
貴様の悪足掻きに期待しておるぞ、余の最大の理解者よ』
ワヤになったノヅチの脳裏に、いつぞやの女の台詞が甦る。
一命を賭して亡父の業に挑み、未来の勇者の剣を打つと大見得を切った。
あの約束の日から、はや二年……。
「~~~~~~ッッ!!
一年もズレてんじゃねえかッッ!! あんのぉクッソ
勢いのままに窓硝子をカチ割り、天を仰いでノヅチが声を振り絞った。
そうして思った。
悪魔の話を真に受ける莫迦があるか、と……
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皇記1082年――
この日の正午、実に307年ぶりに日蝕が確認され、同時に魔王を名乗る女の宣戦布告が世界各地に発布された。
皇都三百年の安寧は破られ、突然の侵略に対し辺境の地は為す術もなく陥落した。
血生臭い旋風が吹き、世界は再び混迷の時代へと突入していく……