小一時間後
手狭な山小屋のテーブルを挟み、ノヅチは件の蒼髪の少女と対峙していた。
「お初にお目にかかります。
私はデザイア、北方の寒村、ウル出身の剣士です。
三日前に、こちらのロッカ親方を頼り、皇都に落ち延びて参りました」
「落ち延び……
北方の辺地は、既に魔物どもの手に落ちたって事かい?」
「粗方は」
ノヅチの問いに対し、デザイアを名乗る少女は言葉少なに頷いた。
その落ち着き払った態度に、思わず心中で鼻白む。
ノヅチの怪訝な表情に気付いたのだろう。
傍らのロッカが少女の言を取り繕うように口を挟んだ。
「こう見えて彼女は、辺境では若き勇者と称えられるほどの凄腕の剣士なんです。
僕自身、彼女の助けがなければ、向こうで命を落としていたかもしれません。
現在、北方で皇国軍が辛うじて持ち応えているのも
彼女が殿に留まり、後退の時間を稼いでくれたおかげなんですよ」
「北方の、若き勇者……」
旧友の賛辞を、オウム返しに口中で呟く。
改めて間近で見た蒼髪の少女は、ノヅチの想像よりもあどけない容貌をしていた。
だがその眼には凛とした強い光が宿り、声色には人を落ち着かせる穏やかさがある。
整った顔立ちには傷一つない。
未だ十代と思しき少女が、故郷を魔物に蹂躙された後で、このように感情を殺して話せるものなのだろうか?
「その、デザイア、か。
いつ頃から君は、剣を振るっているんだ?
悪いが俺は、君を知らない。
若旦那の言葉を疑うつもりはないが、だとしたら市井にはもっと、
君の評判が伝わっていてもおかしくないハズだ」
ノヅチの言葉に、デザイアは今度は静かに首を横に振った。
「私が剣を握ったのは、本当に、つい最近の事なのです。
それまではずっとウルの村で、農夫の娘として平凡な暮らしを送っていました。
私自身、自分の中にこのような力が宿っているなど、ずっと知りませんでした」
「……その話が本当なら、まるで三百年前の勇者の再来だな」
「実際に彼女に会い、話をして、その剣の腕を見たならば。
誰もが彼女が真の勇者である事を疑わないでしょう。
世界中の人間に、勇者の再来を信じさせる事さえ出来たなら
この現状を打破する事も可能だというのに……」
そう言って、ロッカが小さく嘆息した。
その姿を前に、ノヅチが怪訝に眉をしかめる。
「ちょっと待て、ロッカ
真の勇者ってのは、どういう意味だい?
彼女が辺境で勇者と称えられていると言ったのは君じゃないか」
「……強者を称える称号としての勇者と、
教皇庁にその奇跡を認められた『神の子』としての勇者では
その意味合いは天と地ほども違いますよ。
「神の子?」
「三百年前、かつて伝説の勇者は、当時の教皇の前で奇跡を示し
自らが大いなる主から遣わされた存在である事を、万民に知らしめたと伝えられます。
言い方は悪いかもしれませんが、人々の心をまとめ上げるには
然るべき権威と後ろ盾が必要なんですよ」
「そりゃあ、なんて言うか、随分とみみっちい話じゃないか?
こんな時代なんだ、教会の奴らも融通を聞かせて
最前線で頑張っている無名の勇者たちを、片っ端から『認定』してやった所で
大したバチも当たらねえだろうによ」
「流石にそんなに簡単には行きませんよ。
奇跡もみだりに乱発すれば、その尊き価値を失います。
万が一にも、教皇が認めた勇者が魔王の刃に斃れる事があれば
民衆の信奉する神の権威すら、地に落ちかねません」
そう呆れたように答えたロッカに対し、不承不承、ノヅチも頷く。
実際の所、
だがそれでも『錦の御旗』の持つ価値は分かる。
もし眼前の少女の持つ神性を、万人に認めさせる事が出来たなら。
民衆は共通の大義の下、今度こそ一丸にまとまる事が出来る。
例え彼女が戦闘の素人で、実際の軍隊の指揮はベテランの将校たちが執るのだとしても。
一人のカリスマを共有し、てんでバラバラに動いている各陣営の統制を一本化出来るのは大きい。
問題は、彼女の奇跡を、いかにして万民に提示して見せるかなのだが……
「……何となく、話が見えて来たけどよ。
それでお前ら、俺に一体、何をさせようって言うんだ?」
そう不貞腐れたようにノヅチがぼやくと、デザイアは腰元の長剣をテーブルの上に置いた。
察するに、これが奇跡の種、という事なのだろう。
意を決し、ノヅチが鞘から刃を引き抜いた。
使い込まれた、鈍色の鋼の刀身あった。
少女が剣を手に取ったのが、つい最近だと言うのならば、この年季の入り方は、それだけで潜り抜けた修羅場の数を証明している。
それでいて地金の輝きには、くたびれた様子は微塵も無い。
手入れも十分に行き届いている、率直に言って良い剣である。
だが、それだけだ。
この程度の剣であれば、過去に幾度となく手に取った事がある。
一目見ただけで槌振りの心を震わすほどの衝撃は無い。
年季の入った、丁寧に鍛えられただけの西洋剣。
確かに良い剣ではあるが、伝説の勇者が帯びるには、今一つ物足りない品である。
……本当に、それだけか?
ノヅチの胸の奥で、ちくりと違和感が疼いた。
自分は今、何かを見落としているのではないか?
違和感というよりは、むしろ
そう、確かに自分は以前、このような違和感を感じた事があった。
目の前の剣の凡庸さに対する、憤りにも等しいもどかしさ。
胸に募る、言葉にしがたい、不安に近い焦燥感。
このような思いを抱いたのは、いつ以来であったか。
あれは――
「……もしかして、
ぽつり、と自問するように呟いた。
思わずはっ、とデザイアが目を丸くした。
「分かるんですか!? これが神鎮鉄だと!?」
「いや……、前に似たような剣を見た事があるってだけだよ」
言葉を失ったデザイアに代わり、傍らのロッカが身を乗り出すようにして叫んだ。
しどろもどろになりながら、困ったようにノヅチが応じる。
「アイツは……、そいつの持ち主は、
ちょうど今みたいに、何でもない鋼の剣を俺に見せて言ったよ。
これは神鎮鉄の剣だと、既に役割を終えた、死んでしまった鉄、だってな」
「死んだ鉄……、ですか?」
言い訳のようなノヅチの言葉を、ロッカが呆然と反芻する。
ようやく平静を取り戻したデザイアが、ほう、と大きく息を吐いた。
「その剣は、私の故郷の教会に眠っていた物です。
村が魔物の群れに襲われたあの日、私は逃げ込んだ地下室で、その剣と出会い。
そして、自分自身の秘めた力に気が付きました」
「……なぜ君は、この剣が神鎮鉄だと思ったんだ?」
「教会の古い記録に、書き付けが残っていたのです。
その剣が、かつて伝説の勇者の一行が残した、聖剣ソルスティアと同質の剣である、と。
この通りの有様ですので、誰一人、まともに信じていませんでしたが……」
聖剣ソルスティア。
思いもよらぬ言葉を受け、改めて目の前の剣を見つめ直す。
確かに、そう言われれば通ずる所もある。
先ほどは地金の風格ばかりに目が行っていたが、この刃渡り、そして肉の厚さ。
柄拵えの違いを除けば、デザイアの剣は見れば見るほど、あの魔王の持つ聖剣と瓜二つであった。
(兄弟刀……、この場合は影打の類か?)
ちらりと頭の内でそのような事を考えた。
東島の刀工は倭刀を打つ際、複数の刀を製作し、最も出来の良い一振りを真打とする。
三百年前、聖剣を鍛え上げた勇者一行は、不退転の決意を持って魔王との決戦に臨んだという。
敗ける事の許されぬ戦いだが、自分たちが生還出来ない可能性も考えていた筈だ。
伝承におけるソルスティアは、仕える主を自ら選び出す剣である。
ならば地上に残されたこの一振りは、最悪の事態に際し、次の勇者を見出す為の、予備の聖剣だったのではあるまいか?
「今の私に、その剣を振るう資格があるのかどうかは分かりません。
ですが聖剣ソルスティアは、自らに相応しい主を探す剣……
この剣に、かつての聖剣にも等しい輝きを与えられたならば」
「聖剣を所有していること自体が、勇者の神格の証明になるって……?
バカな! そんなのは鍛冶屋の領分じゃないぜ!」
真っ直ぐにこちらを見つめる少女に対し、困惑のあまりノヅチが叫んだ。
過去にも様々な無理難題を受けたノヅチであるが、剣に『奇跡』を与えろ、などという依頼は聞いた事がない。
聖剣ソルスティアは、穢れ無き聖女の祈りを神秘に代えて、鞘へと納めた奇跡の剣。
ならばそれは鍛冶屋ではなく、それこそ高名なる神官たちの領域ではないのか?
「だいたい俺は刀鍛冶だ、西洋の剣は本業じゃない。
こういう正統派を鍛えるのは、それこそアムルソンの――」
「ウチの工房は今や、前線に武具を届けるだけで手一杯です」
そう言ってちらりと視線を向けたノヅチに対し、ロッカは首を振ってぴしゃりと言い放った。
「今の皇都の職人に、このような御伽噺に付き合っていられる暇人は居ませんよ」
(……っと)
手厳しい若旦那の物言いに、ノヅチは思わず絶句した。
だが、こう冷たくあしらわれてしまうのも仕方のない話であろう。
魔王軍の侵攻以来、ノヅチの下にはロッカより、再三に渡り招聘の手紙が届いていた。
前線を支える冒険者たちには、倭刀を嗜む物も多い。
アムルソンの工房にて、後進たちの指導を行ってほしいという依頼であった。
その依頼を黙殺して、ノヅチは今日まで独りよがりな作刀を続けてきたのだ。
人類の未来の為に精力的に駆け回っているアムルソンの若旦那から、軽蔑されるのも当然である。
ロッカは静かに立ち上がると、剣の腹にそっと指を重ねて言った。
「あなたが神鎮鉄だといった、この剣……
僕には何の変哲もない、ただの鋼にしか見えません。
彼女の剣に命を救われ、その使命を確信までしているというのに。
どれほどに目を凝らしても、どうしても僕には、この剣が聖剣には見えませんでした」
「…………」
「悔しいけれど、これを鍛え直すのは、やはりあなたの仕事ですよ。
自分の剣を必要とする人間に、無理難題を挑まれながら、
歯を喰いしばって立ち向かうのが好きなんだと、そう言ったのはあなたじゃないですか?
いい加減、腹を括ってくださいよ。
あなたがただの偏屈じゃないって事を、彼女の前で証明して下さい」
・
・
・
ひとしきり言いたい事を言い放った後、ロッカは振り向きもせず山小屋を後にした。
閉ざされた扉の前で、ノヅチが一つ溜息を吐く。
「……随分と嫌われちまったもんだな」
「貴方の事を、心から尊敬しているんですよ。
どれほど困難な依頼であっても、泣き言を言ってほしくないんです」
バツが悪そうに頭を掻いたノヅチの横顔に、傍らのデザイアが苦笑して答えた。
「ロッカ殿は貴方の事を、鉄に仕えている、と評していました」
「鉄に……、仕える?」
「『私』が一切無い御仁だと。
鍛え上げる剣に対し、富も、名声も、野心も理想すらも求めていない。
ただ、良い倭刀を仕上げる為だけに自分がいる。
貴方の前では、人々の役に立つ武具を作りたいという、僕の信念すらも
「莫迦な、世の中にそんな狂人がいるもんか。
俺だって
大袈裟に頭を振るい、呆れたようにノヅチがぼやいた。
前々から分かっていた事だが、ロッカ・アムルソンは自分を買い被り過ぎている。
本当のノヅチは、ロッカの抱く理想像よりも、遥かに卑小な人間だ。
確実に訪れる世界の終わりを前に、何ら行動する事無く、漫然と日々を費やしてきた。
大勢の無辜の命よりも、世界を救う鉄を打つという、馬鹿げた夢想を優先した。
人命よりも、ちっぽけな自身のプライドの方が大切な男だ。
ここ数か月、皇都の職人たちの代表として駆け回り続けていた、ロッカの無私に値するほどの人間ではない。
「……ロッカ・アムルソンは、今や皇都で一番の鍛冶職人だ。
現在の皇国に、彼ほど立派な槌振りは他に居ないよ」
「私もそう思います」
真剣なノヅチの言葉に対し、デザイアは一つ頷くと、少し悪戯っぽく微笑した。
「その皇都一の職人が、絶対に貴方だと言うのです。
権威の衣に塗れた神官どもや、頭でっかちな学者連中に何が分かる。
その聖剣の真贋を見極められる者が居るとすれば、イズノハ・ノヅチの他には無い、と」
そう言うとデザイアは、一本の短剣を鞘から引き抜いた。
たちまち二人の眼前に、蒼穹のように鮮やかな青の地鉄が現れる。
ぴくん、とノヅチの眉がわずかに上がた。
デザイアが手にしているのは、かつて、ノヅチ自が魔王の館で鍛え上げた、
皇都を離れる際、ロッカに託した餞別の一本であった。
「ロッカ親方の眼力は正しかった。
確かに彼は私の突拍子のない言葉を、全て信じてくれましたが。
それでも聖剣の神性を、一目で見極める事が出来たのは貴方だけです」
「……甘っちょろい幻想を見ているだけだよ、俺も、お前も」
まっすぐな視線から逃れるように、頭を掻いてノヅチがぼやいた。
「その魔蒼鉄の真打は、今は魔王の手元にある」と率直に伝えるべきかと思ったが、結局口に出せなかった。
微笑を携えた少女の姿は、先ほどまでの聖賢ぶりが嘘のように素朴である。
田舎上がりのおのぼりさん、といった少女の姿に、ちらりと一抹の不安が走った。
「その、デザイア……、君は、それでいいのか?」
「えっ?」
「ワケの分からない力に振り回されて、自分が何者なのかも分からないまま
くだらない神輿に祀り上げられて命を落とす。
そんな一生で満足かと聞いているんだ」
辛辣なノヅチの言葉の意味を咀嚼するかのように、デザイアは無言で俯いた。
しばしの沈黙の後、再び顔を上げた少女の瞳には、先刻の凛とした輝きが宿っていた。
「なぜ私にこのような力があったのか。
この力で何を為すべきなのか、今の私には分かりません」
「…………」
「一つだけ確かなのは、私の力に、かつての勇者の軌跡を見ている人が居るという事です。
まだ地上には希望が残っている、勇者の物語は続いていると、
人々が、かつての伝説を糧に、もう一度、団結する事が出来たなら……
やってみる価値は絶対にあります。
命を賭けるに値するだけの、十分な理由です」
ぐうの音もない正論であった。
いい加減、ノヅチも気が付き始めていた。
最初に会った時に感じた、既視感の正体。
少女を包む穏やかな空気は、かつて夢に見た、金髪の青年の纏う聖賢と同じものだ。
鳶色の瞳に宿る強い意志の光。
人の心に柔らかさを与える、博愛の精神。
あのロッカもまた、少女の中に勇者の伝説を見ているのだろう。
少女の尊き魂を、世界に知らしめる事が出来たなら。
彼女の言う通り、人類は再び一つに団結出来るかもしれない。
(だが、その気高さは、初めから彼女の中に宿っていたものなのか……?)
ちらり、とノヅチの胸中に疑念が走った。
この年齢で初めて剣を取るまでは、単なる農家の娘だったという少女。
先ほど見せた、悪戯っぽい年相応の少女の微笑。
あれこそが、本来のデザイアのあるべき姿ではないのか。
とくん、と一つ心臓が震えた。
胸の奥で、何か言い表し難い、ちっぽけな怒りが沸いた。
魔王にでも、ロッカにでも、目の前の少女に対してでもない。
おそらくは、運命、と呼ぶべき存在に対して――