夜――
ノヅチは一人、火の落ちた作業場で物思いに耽っていた。
テーブルの上には、日中デザイアより預かった聖剣がある。
この仕事を受けるべきか否か、ノヅチは未だ返答を先送りにしていた。
(俺は一体、何を迷っているんだろうか……?)
胸中に沸いた戸惑いを誤魔化すように、そっと剣の腹を撫でる。
死んだ剣に、再び光を与える。
神秘の類を知らぬ一介の槌振りに過ぎないノヅチにとって、不可能に等しい依頼ではある。
だがこれは、出来るかどうかの問題ではない。
「世界を救う剣を打て」と言う亡父の遺言を叶えるため、ノヅチは今日まで研鑽を重ねてきた。
今さら魔王との約束に意味などあろう筈も無いが、奴の前で「次の勇者の剣を打つ」と大見栄を切った事もある。
勇者自身もノヅチの力を信じ、自分の手で聖剣を鍛え直してくれる事を望んでいる。
今、ノヅチが迷えば、その分だけ多くの人間が死に、人の世の終わりが近付いてくる。
事ここに至って、自分は一体、何を恐れているのだろうか?
「らしくないんじゃないの、親方?」
不意に後背から声をかけられた。
声の方を振り返ると、そこではタタラが呆れたようにノヅチを見ていた。
「デザイアさん、ずっと親方の言葉を待ってるよ。
早く答えて安心させてあげなよ」
そう言って、タタラが大袈裟に肩をすぼめて見せる。
彼女からこのような軽口を叩かれるのは久方ぶりの事だ。
ノヅチの迷いに気付いて、敢えて気丈に振舞っているのだろう。
長年の相方の気遣いが分からぬほど、ノヅチも子供ではない。
「らしくない……、ってのは。
ずっと世界を救う剣を、次の勇者の為の剣をって大見栄切ってた俺が。
いざ現実になった途端、ブルッちまうなんざ、男らしくないって、そういう事か?」
「違うでしょ、全然」
躊躇いがちにこぼれた弱音に対し、タタラは再び大袈裟にため息を吐いた。
「親方が困ってる女の子を放っぽりだして、
一人でウジウジ悩んでるのが、らしくないって言ってるの」
「はあ?」
思いもよらぬタタラの言葉に、今度はノヅチの口から変な声が漏れた。
口元を尖がらせたタタラの顔を、改めてまじまじと見やるも、彼女の方には怯んだ様子はない。
「そんな男だったか、俺が?」
「そんな男だったの、親方は!」
あまりにもジロジロと観察されすぎて気恥ずかしくなったのか、タタラはぶんぶんと頭を振ると、強引に会話を打ち切った。
「そ、それじゃあ、ボクはもう寝るから!」
「タタラ」
足早にその場を立ち去ろうとしたタタラの背に、ノヅチが一つ問いかけた。
「この聖剣、お前だったらどう鍛え直す?」
「
ノヅチの質問に対し、タタラはきっぱりとそう答えた。
単純明快な回答に、ノヅチも一つ胸中で頷く。
「おやすみ、親方」
そう言うとタタラは、ぱたぱたとその場を後にした。
再び無人となった室内で、ノヅチが小さく嘆息する。
タタラが最後に示してくれた解法は、ノヅチの思考と完全に一致していた。
しなやかで粘り強い
折れず、曲がらず、強度と切れ味を両立する倭刀の秘訣。
古びた西方の聖剣を、
そして眼前の聖剣は、用いるならば外殻の方だ。
目の前の鉄は、刃としては何かが切れた「死んだ鉄」である。
たとえ一から
あそこまできっぱりと言い切ったタタラの事だ。
心金に何を用いるかまで想定した上での回答だろう。
ゴトリ、と聖剣の隣に、亡父から託された隕鉄を並べる。
死んだ聖剣とは逆に、こちらは心金にこそ用いるべき鉄と結論付けていた。
聖剣が死んだ鉄ならば、隕鉄は未だ眠れる鉄だ。
一見何の変哲もない鉄塊だが、この内側には強大な情熱を秘めた赤子が宿っている。
あの鋼鉄の赤子が、一たび眠りから目覚めたならば、
その魂の熱量は、死した聖剣をも地上に呼び戻してくれるのではあるまいか?
『――かつて、人類の叡智が切り出した
剛力無双の豪傑が、七日七晩かけて叩き上げ、
穢れ無き聖女の祈りを神秘に代えて、鞘へと納めた奇跡の剣。
その刀身には日輪の輝きが漲り、灼熱の斬撃は破邪の気に溢れ、
あらゆる悪逆を一刀の下に葬り去る』
以前、魔王の館で聞いた、聖剣の伝承を頭の中で諳んじる。
神鎮鉄、の下りについては問題はない。
今回の鍛刀に用いるのは、その人類の叡智が残した予備の神鎮鉄に加え、
出乃羽一族の鬼才、斎槌をして「世界を救える」とまで豪語された隕鉄だ。
これほどの素材を用いて先人を超えられぬようなら、槌振りの腕に問題がある。
その腕の方に関しても、不安要素は無い筈だ。
人類史上最強の
たかが素人に遅れをとって堪るかという意地だってある。
問題は――
(聖女の、祈り……)
ふっ、と思い出したかのように、胸元から霊銀刀を取り出し、隕鉄の脇にことりと置いた。
月光を携えた柔らかな刃紋を前に、ノヅチはわずかに眉をしかめた。
「剣よ、
お前はそんな殊勝な女、だったかなあ……」
・
・
・
翌朝。
ノヅチは下山の準備をしていたデザイアの下を訪れると、開口一番にこう尋ねた。
「野良仕事は好きか、デザイア?」
「えっ?」
「以前は君は農家だったんだろう?
俺は生まれてこの方、流れ者だったんで分からねえんだが。
一つの土地にしがみついて生きるってのは楽しいもんかい?」
「ええ、そうですね……」
ノヅチの質問に対し、デザイアは形の良い唇に人差し指を当てて、真剣に考えこみ始めた。
その素朴な振舞からは、辺境の勇者の姿は到底想像できない。
「ウルは山間の寒村で、暮らし向きは楽ではありませんでしたが。
けど、私は故郷での生活が好きでした。
移り変わる季節の風景を追い駆けるのも
親兄弟で寄り集まって、一つの仕事を進めていくのも」
デザイアの言葉に、ノヅチは一つ頷くと、改めて真剣な瞳を彼女に向けた。
「そうか……、だったら
全てが終わったら、もう一度、普通の農家の娘に戻れ」
「え……?」
再び目を丸くしたデザイアの顔を真っ直ぐに見据える。
誰の為、何の為に剣を打つのか、ノヅチの中で、ようやく答えが見え始めていた。
「三百年前に世界を救った伝説の勇者は、とうとう帰って来なかったって聞いたぜ。
戻る気の無い人間の為に剣を鍛えるなんざ、俺は御免だ」
「それは……」
「デザイア、俺には世界を救うなんて御大層な剣は無理だよ。
槌振りに護れるものがあるとすれば、せいぜい買い手一人が関の山だ。
だから俺は、君が帰ってこれるような剣を打つ……、それでいいか?」
ノヅチはそこで言葉を切り、デザイアの次の回答を待った。
世界を救う剣では無く、一人の少女を救う為の剣を打つ。
その一言は、自身の半生を否定するにも等しい行為である。
だがノヅチはどうしても、目の前の少女に、運命に縛られた生涯を歩んでほしくは無かった。
だから先に「次の勇者の為の剣を打つ」という自らの運命を否定した。
餓鬼の屁理屈ではあるが、ノヅチはこうでもしなければ、彼女の為に剣を打つ自分を許せない。
しばしの沈黙の後、デザイアは再び顔を上げ、ノヅチを見返し口を開いた。
「……戦場に、絶対はあり得ません。
今、私が貴方の前で、どのような誓いを立てたとしても
人類の仇敵たる魔王を前にして、貴方の約束を履行できるかは分かりません」
「…………」
「ですが、もしも、許されるならば
全てが終わったその後で、生き延びる事が出来たなら……
その時はもう一度、故郷のウルに、帰りたい」
「帰れるさ。
そういう剣を、俺が打つんだ」
聖賢を保ちきれなかった少女の不安を打ち消すように、短く、強く、ノヅチが言った
「前にダチが言ってたよ。
言葉ってのは一度形にすると、当人たちが思っている以上に、強い力を持つ、ってな」
「言葉の、力……」
「だから今は、嘘でも良いんだ。
今の気持ちを形にして、それを真実に変えてしまえばいい」
「帰ります。
もう一度、ここに、貴方の鍛えてくれた剣を持って」
ノヅチの言葉に縋るように、強い口調でデザイアが答えた。
その誓いの中に、運命に抗う村娘の必死さが見えた気がした。
それでノヅチも安心した。
これで自分も、もう一度本気で戦える。
世界だの人類だのを救う運命は無理でも、たった一人の少女の願いの為ならば、背負う覚悟を抱けるのだ。
なんだ。
ふっ、とどちらからともなく苦笑がこぼれた。
タタラの見解はいつだって正しい。
イズノハ・ノヅチは、結局その程度の男ではないか、と。