星鍛目録ー野槌と隕鉄ー   作:いぶりがっこ

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48話「雪」

ノヅチが瞳を開けた時、視線の先にはタタラの背中があった。

 

灯の落ちた山小屋。

火床(ほど)の温もりが残る薄闇の中、燐焦苔の光の下、少女一人、生まれたての聖剣と向き合っていた。

 

静寂の室内に、ショリショリと、刃を研ぐ心地良い音だけが響いてくる。

ピンと伸びた、少女の背筋。

 

彼女の背に、何か伝えたいと思い、結局何も出来ないままに口を閉ざす。

真っ直ぐに剣を正眼に構えた、達人の間合いの内に立ち入れぬように。

今の彼女の小さな背には、余人を寄せ付けぬ職人の(ひじり)が宿っている。

 

自分の鍛えた剣は、全て、彼女に砥がせると決めていた。

六年前、小人族(ドワーフ)の長老の伝手で、彼女と知り合ったその時から。

 

彼女はいつも自分の味方であり、互いの夢を共有する相方であった。

だから自分の刀はタタラが砥ぎ上げ、彼女の目で最初に確認してもらいたかった。

だが結局の所、自分は彼女のひたむきな背中が好きだっただけなのだろう。

 

『だったらさ。

 ボクは……、ボクはもう手遅れだよ。

 見たいんだよ、親方が、ノヅチが星鉄を打つ所を』

 

大盤鉱窟を発つ際に言った、彼女の言葉が甦る。

だが実際の所、彼女の仕事に酔っていたのは自分の方だった。

少女のひたむきさは、あの聖剣を仕上げるのに、絶対に欠かせぬものであったと今なら分かる。

 

ショリショリという、心地よい音を子守歌に、ノヅチは再び瞳を閉じた。

今の彼女に対しノヅチが出来るのは、仕事の邪魔をせず、体を休める事しかない。

 

 

 

ノヅチが再び瞳を開けたのは、木扉を叩く乾いた音が聞こえたからだった。

毛布代わりの外套(マント)を被り直し、白み始めた室内の様子を、じっと薄目で確認する。

 

タタラが扉を開けると、粉雪と共に一人の少女が入って来た。

雪に塗れたフードを脱ぐと、鮮やかな蒼穹の髪が室内に踊った。

 

少女とタタラは、暫く何事か話していたが、やがてタタラは一振りの長剣を差し出した。

少女が鞘を引き抜くと、一際、柔らかな光が室内に溢れた。

窓からの僅かな陽光を刀身に宿す、白昼の残月のような細やかな光。

 

少女は白刃を鞘に納め直すと、何度もタタラに頭を下げ、次いでノヅチの方に視線を向けた。

毛布代わりの外套を目深に被り、狸寝入りを決め込み様子を見る。

 

すぐにタタラが割って入り、戸惑う少女の背を押し始めた。

誰が来ても、何が起きても絶対に自分を起こすなと、タタラにはそう厳命していたのだ。

 

少女は後ろ髪を引かれるように、何度もこちらをチラチラと確認していたが、

やがて扉の前で向き直り、ノヅチに向けて深々と一礼して、そのまま山小屋を後にした。

 

 

「……彼女、もう行っちゃったよ、親方」

 

そうタタラに呼びかけられた所で、ノヅチはようやく体を起こし、大袈裟に一伸びして見せた。

ノヅチの動きに合わせ、バキボキと関節が悲鳴を上げる。

先ほどは寝た振りだったが、叶う事ならあと一日ほど、泥のように惰眠を貪りたかった。

 

大きく一つ欠伸をするノヅチの姿を、タタラが悲し気に見下ろしていた。

しばし、無言。

やがて大きく息を吐いて、咎め立てるようにタタラが呟いた。

 

「親方……、本当にこれで良かったの?」

 

「今更、わざわざ確認しなくたって、お前の腕は信頼してるよ」

 

「そういう事じゃ無いでしょ!」

 

ノヅチのふざけた返答に対し、タタラはふくれっ面で地団駄を踏んだ。

 

 

タタラを伴って外に出ると、既に粉雪は止んでいた。

雪化粧に染まった白一面の世界の中、小さな足跡が点々と麓まで続いている。

 

少女の姿は、もはや見えない。

それでようやく、全てが終わったのだと実感が湧いてきた。

 

結局、デザイアには、自分と魔王の関係を伝える事が出来なかった。

彼女に失望、あるいは軽蔑される事が怖かった訳ではない。

ただ、形にした言葉が力を持つ事をノヅチは恐れた。

 

これ以上、彼女たちに待ち受ける運命に対し、余計な干渉をしたくない。

運命に介入するのは、自身の持ち得る全てを託した、あの一振りだけで十分だ。

 

おもむろに、手にした甕の蓋を開け、直に口付け流し込んだ。

東島(アズマ)の水で磨かれた清酒が、胃の腑の熱を奪い去って行く。

ぶるり、と一つ体が震える。

銀世界で呑むような酒では無かったが、それでもじきに、体も温まって来る事だろう。

 

最終的に残ったのは、この酒甕一つであった。

隕鉄も、霊銀(ミスリル)も、魔蒼鉄(ブルーメタル)も、神鎮鉄(オリハルコン)も――

 

あの日、泰山の麓に隕石が落ち。

それから世界を彷徨い続けた、放浪の成果の全てを、蒼い髪の少女が持って行ってくれた。

 

不安になるほどに、体が、心が軽かった。

目の前の一面の雪化粧のように、頭の中も真っ白であった。

今の自分を縛る物も、依るべき標も、もはや、何も無い。

 

 

……いや。

 

 

最後の大仕事が残っていた事を思い出した。

両肩が、ずしり、と重くなったような気がした。

 

「タタラ」

 

傍らの少女の名を呼びながら、首筋にかかった革紐を外して軽く放った。

ぱしり、と、手の内に収まったそれを見て、タタラの体が、びくん、と震えた。

 

細やかな古代文字の刻まれた、冴えた輝き放つ指輪。

五年前、二人が大盤鉱窟を旅立つ契機となった、小人族の霊銀の指輪であった。

 

「魔王軍との戦いは、いよいよ佳境に入ろうとしている。

 全ての人類が一丸にならなきゃ、この窮地を乗り越える事は叶わねえ」

 

言いながら、実に下らない言い訳をしている、と思った。

けれど、大事な話だった。

今の彼女に、絶対に伝えなければならない事だった。

 

「大盤鉱窟に帰れ、タタラ。

 今の世界には、槌振りとしてのお前の力が必要だ」

 

「……親方、は?」

 

泣き出しそうな表情をこらえ、かろうじて、呻くようにタタラが問うた。

勘の鋭い彼女ならば、おそらくもう、全てを察しているだろう。

それでも次の言葉を待ってくれる健気な姿に、ずきり、と心が痛んだ。

 

ふう、と大きく酒気を吐いて、ノヅチは真っ直ぐにタタラを見つめ、言った。

 

「俺はもう、二度と槌を握らねえ。

 打つべき物は、全て打った」

 

 

 

 




第六章、これにて終了です。
次回最終章の予定です。
再開までしばしお待ちください。
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