49話「舞踏」
天地の狭間に、凄まじい爆音が轟いた。
横一列に並んだ砲列が次々に火を噴き、舞い上がる雪煙に風穴をこじ開ける。
三百年。
人界から緩やかに失われ始めた奇跡を補うべく研鑽された重砲の戦列。
魔導や神秘の類に代わり、徐々に戦場の主力となりつつある、鉄と火薬の賜物。
だが今、その砲塔が向いているのは、兵隊の群れでも堅牢な城壁でもない。
雪煙の向こうで砲弾が炸裂し、鋼鉄の巨体が軋みを上げる。
古の魔導士が生み出した鋼鉄巨神、その鋼の腕が、脚が砕けて弾け飛び、
バランスを崩した巨体がドウッと大地を揺るがした。
通用する。
力無き人の子の生み出した兵器が、太古の怪物をも打倒し得るのだ。
信仰が確信に代わり、群衆の中から自然と鬨の声が上がる。
鳴り響く
皇紀1083年、夏――
日蝕の訪れと『魔王』の復活より一年。
人類と魔族の抗争はいよいよ激しさを増し、戦いは正に佳境を迎えようとしていた。
半年ほど前には、異形の群れの跳梁に対し、皇都の檻の中で身を竦ませていた、か弱き人々。
その情勢を劇的に変えたのは、輪郭にあどけなさを残した蒼い髪の少女であった。
少女は群衆の前で一振りの剣を抜き放ち。
その月光の冴えを前に、時の教皇は深々と首を垂れた。
そうして皇帝から借り受けた精兵を以て、魔物どもに占拠された南方の諸都市を瞬く間に解放してみせた。
伝説の勇者の再来に、人々は熱狂し、そして反攻が始まった。
各地で急速に息を吹き返した人類の攻勢を前に、魔王は皇都の封鎖を解き、北方の根城に戦力を結集させる動きを見せた。
狂信。
自分達は今、大いなる運命の導きの只中にある。
そう思う事が、信仰の力を確信に変える。
パパパパ、と各所で銃声が響き、硝煙と絶叫と血臭が混じり合う。
元は対人戦を想定した小銃といえど、数と士気と采配が揃えば、十分に異形の群れを掃討し得る。
いかに闘争本能に漲る魔獣であれど。
いや、その本能あるがゆえに、轟音が与える死の恐怖からは逃れられない。
だが、信仰の力は時に恐怖をも凌駕するのだ。
彼らの戦いの先には後に続く者の未来があり、死の先には約束された楽土がある。
魔獣よりも鋭く、不死者よりも情熱的に。
近代の芽生えたる新たな兵器と、翳りを見せつつある神秘の世界。
遷りゆく時代の狭間に、今、相反する矛盾を呑み込む奇跡の軍隊が完成しつつあった。
・
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ズン、と一際重い衝撃と共に室内が揺れた。
天井からパラパラと舞い落ちた埃が、赤黒い液体の上へと落ちる。
チィッ、と短く舌打ちして、魔王が上等な葡萄酒をグラスごと投げ捨てた。
思ったようにならない。
無人の玉座で頬杖を突いて、一人小首を傾げる。
有史以来、魔王は日蝕の度に軍を起こし、三度、人類の前に立ちはだかった。
だが、人類と魔族の戦いが今日のように推移した事はただ一度もない。
三百年前、人類側の勇者との最後の死闘以来、魔王は人類の観察を怠った事は無かった。
勇者の死後、徐々に『奇跡』の失われていく世界。
その繁栄と裏腹に頽廃し、策謀と政治闘争に明け暮れる国家。
傑出した天才の不足を、ちゃちな玩具と頭数で補う哀れな軍隊。
個の力の喪失と共に、魂の活力までもが薄れていくように見える群衆たち。
率直に、人類は三百年の時をかけ、緩やかに衰退しているように見えた。
事実、開戦からの半年間、迫りくる魔物の大群を前に、人類は為す術も無く、自分たちが作り上げた皇都という名の檻の中で、肩を寄せ合い震えていた。
人の心の輝きを誰よりも愛する魔王にとっては、落胆するほどにあっけなく。
それゆえに、自分たち魔族の間でも衰退が始まっている事に気付かなかった。
『将』が足りない。
三百年、傑出した個の力を失いつつある人類に対し。
魔族からは寧猛なる怪物を束ね、時に魔王すらも畏れさせる程の強力な指導者が、久しく現れなくなっていた。
無論、ヒウマンのように用心深く情勢を探れるだけの手駒はいたが、彼らは人類に溶け込もうとする余り、その根底の価値観までもが人間に毒されつつある。
むしろ、そうなるように魔王自身が仕向けたと言ってもよいだろう。
如何に小才があろうとも、知恵なき怪物どもを魂から屈服させ得る器ではない。
かつて、強大なる魔族の群れに対抗できる軍隊など地上にはなく、ゆえに人類の勇者たちは、その身に宿した愛と勇気のみを頼りに、身一つで魔王の居城に殴り込んできた。
現在の情勢とはまったく逆である。
強力な爪も牙も生かせぬまま、哀れな狼たちが、訓練された牧羊犬の群れに刈り取られていく。
ちくり、と右腕の付け根に僅かな痛みが走った。
三百年前、時の勇者に屈辱を刻みこまれた古傷の跡だ。
傷口が完治した現在になってなお、ありもしない痛みを覚える事自体が、魔王という存在の衰えなのだろうか?
フン、と一つ鼻を鳴らす。
魔王は、生まれついての強者である。
好きに食い、好きに寝、好きに着飾り、奪い、殺し、気ままに振る舞う。
日が欠ける度に人の世にちょっかいを出し続けるのも、か弱き人の内に宿る魂の輝きに魅入られたがゆえの、偏愛の為せる所業に過ぎない。
しかし、どうだろうか……?
その『偏愛』に至るまで、何か見え去る者の思惑が働いているとしたならば。
魔王は、勇者は、生物の特異点は、何故この世に生まれるのか。
勇者は人類の希望である。
人類の最も美しい姿を魂に宿し、人々の心を一つにまとめ、新たな時代の礎となる。
ならば魔王は、人類の敵であろうか?
否。
魔王なくして勇者は存在しない。
かつて魔王自身が嘯いたように、人は外に共通の敵を持つ事によって団結し、ついに国家と呼べる組織を形成するに至った。
魔王と勇者。
幾度となく破壊と再生を繰り返しながら、人の世界は拡大を続け。
ついに今日、彼らの生み出した文明は、奇跡無くして太古の怪物を克服するにまで至っている。
今日までの人類の営みに、何か大いなる存在の導きがあったというならば。
『奇跡』も『魔性』も、緩やかに失われつつあるこの時代。
魔王は既に、役割を終えたという事なのか……?
ズン、と再び室内が揺れ、正面の鉄門に一筋の閃光が走った。
斬撃が分厚い鉄扉を斜めに走り、倒れた先に、一人の少女が影を成す。
蒼天で染め上げたかのような柔らかな髪。
あどけない面立ちに宿る、決意を秘めた眼光。
振り抜いた剣先に、穏やかな月光の煌めきが灯る。
ニィ、と口角が吊り上がり、たちまち魔王の心がざわめいた。
そうだ。
いかに時代が遷ろい、人の世の在り方が変わろうとも、その最前線にいるのはいつもアイツだ。
「待ちかねたぞ! 当代の勇者よ!」
身を乗り出し、歓喜の声を爆発させた魔王に対し、蒼髪の少女は、手にした聖剣にぐっ、と力を籠めた。
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「勇者よ、此度は一人か?」
ちらり、と少女の左右に視線を泳がせ、浮かせかけた尻を玉座に戻す。
あえて勇者に問うまでもなく、報告はヒウマンから届いていた。
当代の勇者には、仲間と呼べるほどに釣り合いのとれた従者は居ない。
彼女の役割は偶像であり、人々を結集させるための歩く軍旗であると。
――何故に人の子に生を受けたのか分からない、人類史上屈指の
――神の実在を認めざるを得ないほどに追い詰められた、穢れなき純白の乙女。
――腸が焼き切れんほど幾度となく煮え湯を呑まされた、悪逆なる人類の叡知。
――深海より暗き闇の底から心胆を寒からしめた、常闇の猟犬。
一瞬、憎たらしき強敵たちの姿がちらりと浮かび、目の前の少女、ただ一人の姿へと変わる。
「かつて、人類の未来を牽引する勇将たちは、強く、逞しく、美しかった。
三百年……、人も魔族も、随分とみすぼらしくなったものよ」
「一人ではないわ」
魔王の言上を遮って、ずいっと一歩、少女が距離を詰めた。
「今日、この場に駆け付けた人々、彼らを支え、送り出してくれた人々。
平和を求め戦う人々、全てが等しく勇者です。
私は彼らの振るう、剣の一振りであればいい」
嗚呼。
ほう、と小さな溜息が漏れた。
刻も、姿も、性別も越えて、彼らは何度でも自分の前に現れる。
今日、目の前に現れた勇者は、三百年前の金色の青年よりも、更に幼く、華奢で未熟に見える。
その儚さ故に、彼女の口から発せられる凛呼とした意志に、殊更胸を掻き立てられる。
彼女たちの
「彼奴ら有象無象の勇気は、四半世紀と保たんぞ」と出かけた毒舌をそっと呑み込む。
勇者の到来が魔王の胸を情熱で満たし、勇者の死と共に失望を吐き出す。
有史以来、魔王は延々と同じ円環の中を踊り続けてきた。
強大な外敵を失えば、人々の武力はたちまち内側に向く。
神代の怪物をも屠る近代兵器の威力が、同じ人類に向けばどうなるものか。
魔王らしからぬ老婆心が、ふと胸を過った。
「あなたの瞳に映るのは、対等の力を持つ者だけ。
彼ら幾千、幾万の人々が、何を思い、命を賭して戦っているのか。
あなたには理解すら出来ないのでしょう」
鋭い舌鋒が、刃と共に魔王に突き付けられる。
此度の勇者は、かつての英霊たちよりも、やはり若く、青臭い。
『手前は所詮、薄汚く浅ましいだけの化物だ!
何千何万年生きた所で、化物風情に人の心が理解できるものか!』
ふと友人の言葉が甦り、嗤いがこぼれた。
同じような事を口にしている筈なのに、やはり奴は育ちが悪い。
「この地上には、魔王も、勇者も、もう必要ありません。
今日、この一戦をもって、全ての因果を終わらせます」
「――滅せぬ者など、あるものか」
トン、と
纏う空気の変化に、少女も油断なく剣を構え直す。
「
タダで死んでやるのも癪ではあるな」
「…………」
「今生の名残だ。
人指し舞おうか、小娘」
言いながら、魔王が玉座の傍らに立て掛けていた倭刀を掴んだ。
手慣れた手付きで鞘からすっぱ抜くと、少女の髪の色にも似た、鮮やかな直刃が中空に踊った。
吸い込まれるような蒼穹の刃。
その煌めきを目にした瞬間、少女は手にした聖剣の光が、あの倭刀には通用しないと直感した。
闇夜に浮かぶ、月影の如く。
聖剣の帯びる柔らかな光は、常に少女の
白銀の純なる輝きは、眼前に立ちはだかる、あらゆる魔性を退け少女を護る。
だが今、魔界の首魁たる女が握り締めた刃には、祓うべき邪悪が微塵も感じられない。
あの蒼き倭刀の潔さを前に、破邪の光は一切通用すまい。
純粋に、剣と剣との勝負になる。
同時に少女は、あの偏屈な槌振りが時折自分に対して向けていた、どこか後ろめたいような視線の正体に思い至った。
ロッカ親方のくれた澄み切った短刀と、同じ色をした蒼の倭刀。
人類に対する裏切り、などと謗るつもりは毛頭ない。
イズノハ・ノヅチは鉄に仕えている。
故に善も悪も超え、手にした剣の本質を見極める事が出来るのだ。
そんな人でなしが、あの日は旧知の魔王より、未熟な勇者の行く末を憂いてくれた。
彼には結局、まともな挨拶も交わせぬままに山を下りた。
全てが終わったその時には、この感謝の想いを今度こそ彼に伝えよう。
そこまで考えた所で、ふっ、と小さく苦笑が漏れた。
人類の命運この一戦にありと、己が一身を賭す覚悟で、目の前の天魔に相対していると言うのに。
今の自分は、生きて帰ったその後の事を考えている。
(帰るよ――)
少女の心を投影するように、手にした刀身が、純白の輝きを増していく。
眩い光の中に、少女は聖剣の声を聴いた。
(その為に、
少女に語り掛ける聖剣は、時に賢しい姉のようでもあり、時に危なっかしい妹のようでもあった。
あのぶっきらぼうな男の手から、なぜこのような、こまっしゃくれた聖剣が生まれたのだろう。
再会の暁には、この剣精との馴れ初めを問いただしても怒られないだろうか?
人類の仇敵と相対する少女の唇に、ふっ、と微笑の蕾が咲いた。
少女の正眼からわずかに固さが抜けたのを見て、フン、と魔王が鼻を鳴らした。
真っ直ぐに突き付けられた月光の刃。
正直に言えば、その程度かと失望もした。
かつて、聖剣ソルスティアは太陽であった。
ただそこにかざすだけで、邪なる者はその身を灼かれ、ひとたび振えば地上の闇は存在する事すら許されない。
あの恐ろしいまでの眩さに比べれば、目の前の月影などは児戯にも等しい。
三百年、剣も勇者も弱くなったものよと嘆息もした。
だが、改めてこうして向かい合う事で、その印象がまた変わる。
与し難い。
ソルスティアは太陽の如き剣であったが、人の子が太陽を振るうのには、やはりどこか無理があり、そこに魔王の付け入る隙があった。
今、目の前にある聖剣の冴えは、三百年前の圧倒的な熱量とは比べるべくも無いが、それが少女の華奢な指先には、却ってしっとりと馴染んでいる。
油断すれば、まさに月影の如く、何の熱も感じぬままに、自分の首は胴を離れているだろう。
かつての聖剣には、古の巨竜だろうと、実体無き怨霊の集合体だろうと、一刀の下に葬り去れる強さがあった。
魔王という未知なる存在と相対する為に、絶対的な輝きが必要だったのだ。
対し、当代の聖剣は、人型の魔族を相手に、一対一で果たし合う事を前提に鍛え上げられている。
手の内を晒し過ぎたという訳だ。
「小癪な小娘
小さく口中で呟きながら、手にした倭刀の鞘を無造作に放り投げた。
黒鞘は中空でくるくると踊り、やがて対峙する両者の中央で、カコン、と乾いた音を立てた。
同時に二人が大地を蹴った。
瞬く間に距離が詰まり、必殺の間合いが迫る。
一直線に突き出された白刃に対し、地摺りの蒼刀が跳ね上がる。
ギン、という鈍い交錯が、たちまち大気を震わせた。
・
・
・
立ちはだかる魑魅魍魎を退けて、漸く魔城の中枢に突入した精兵たちが目にしたのは、凄まじい破壊に見舞われた玉座の間であった。
深々と斬撃の刻み込まれた内壁に、不揃いに跳ね上がった石畳。
夥しい破壊の爪痕は、室内で行われたであろう、壮絶な戦闘の経過を想起させた。
その後、三日三晩に渡り、瓦礫を除ける作業が行われたが、懸命な捜索にも関わらず、室内には勇者の姿も、魔王の亡骸すらも見当たらなかった。
瓦礫の跡から回収されたのは、ただ二振りの剣のみと伝えられる。
一方は刃が半ばで砕け散った、蒼い地金の倭刀。
一方は所どころ刃毀れし、すっかりくたびれてしまった、何の変哲もない鋼の長剣だったという。