――夜。
窓際に吊るした燐苔の灯の下に、傷ついた短刀をそっと落とした。
緑色の燐光を反射する、刃毀れした鈍色の刃の煌めき。
決して悪い地鉄ではない……、と、ノヅチは思う。
が、やはり昼間、その目に焼き付けた『本物』相手には比べるべくもない。
ちょっと思い出したかのように、ノヅチは傍らの引き出しを開け、
取り出した大ぶりの塊を、ごとりと短刀の隣に置いた。
塊を包む布地を解くと、ざらついた、灼けた鉄の素地が明かりの下に晒される。
あの日、少年の肚の中に、どろりと入りこんできた、真っ赤に沸いた鋼鉄の赤子。
五年前、鉄狂いの親子を魅了した惑星の欠片。
その名残を叩いて固めた延べ棒であった。
『逃げろ倅! そいつを持って、今すぐ炭焼き場に籠れ!』
鉄を見つめる幼い頃の少年の興奮は、いつしか父の、最期の言葉へと代わっていた。
『いいか?
七日七晩、焼き場に伏せて、それでも儂が来ん時はな……
その時は、お前がそれの続きを仕上げろ!
ゆめゆめ邪な者の手に渡してくれるなよ!!
倅よ! お前の手で、世界を救う剣を打つのじゃ!!』
――世界を、救え。
両手に余る程度の延べ棒に対し、あまりにも大袈裟すぎる亡父の遺言。
偉大なる勇者と、恐るべき魔王の死より三百年。
強大な魔物は既に地上から姿を消し、世界は様々な矛盾を孕みながらも、
三世紀に渡り平穏を保ち続けている。
倒すべき敵など、どこにもいない。
世界を救えと言い遺した父を殺したのは、
巨大な魔物の牙でも、国家を揺るがす陰謀でもなく、
とるに足らぬ人々の下らぬ諍いだった。
あの男はやはり、脳まで鉄に灼かれていたのだろうか?
あるいは、流星の到来を見事に予見してみせたあの日より。
彼には本当に全ての未来を見通せていたとでも言うのだろうか?
(洒落臭い!)
頭を振るい、くだらない妄想を吐き捨てる。
凡人がいくら頭を働かせた所で、狂人の思惑など理解できよう筈がない。
だが自分は、あの鉄狂いの父親の事が大好きだったではないか?
鉄を打つのが好きで、鉄を打つ事以外、何も学んでいない槌振りが、
最上の業物を仕上げ父親の遺言に報いたいと思う。
男の人生に、それ以上の動機が必要だろうか?
重要なのは真実ではない、手段だ。
今のノヅチにとって最も問題なのは、この鉄を鍛える手立てがまるで見えていない事だ。
今でも思い起こされる。
五年前、土砂降りの中、熱に浮かされたように、三日三晩かけて搔き集めた、
ありったけの惑星の欠片。
それが今や、わずか両手に余る程度の鉄塊でしかない。
沸かした鉄を叩く時、その内の不純物が火花となって弾け飛ぶ。
鍛錬を重ねる程に鉄は強く純粋になり、その強さと引き換えにして、体は細くなっていく。
この塊を、たとえ納得いくまで鍛え上げたとしても、
出来上がったのがほんの脇差程度では、到底世界は救えない。
惑星の欠片に合わせて叩き、それでもなお見劣りしない、強かな鋼が要るのだ。
その相棒を、一時は強靭で知られるドワーフ鋼に求めたノヅチであったが、
実際に
ドワーフ鋼の最大の魅力は、その純度の高さに尽きる。
巨大な大窯と圧倒的な火力。
三日三晩の狂乱によって育まれる、霊銀の如く冴え渡った、光り輝く綺羅鋼。
それこそが小人族の鍛える武具の強さの源である。
あの純な輝きに、また別の鉄の味を混ぜる。
その行為自体が、どうしてもノヅチには一種の冒涜に思えてならない。
果たして父親は、どう考えていたのであろうか?
自分の打った未熟な鉄と、ドワーフ鋼の光の強さを、どう評価してくれたであろうか?
あるいは、あの鉄に狂った男ならば、既に答えを見出していたのか……。
「ノヅチ、起きてる?」
控えめな呼びかけを耳にして、ノヅチの思考が現実に引き戻される。
振り向いた視線の先で、同居人のタタラがひょっこりと顔を見せた。
少女の手には、銀色の盆に酒器が一式乗せられていた。
「どうした、タタラ?」
「えっとね、眠れないならこれ、どうかなって思って。
父さんの好きだったお酒なんだけど……」
そこまで言った所で、タタラはやや気恥ずかし気に頭を振るった。
「ほら、父さんが居なくなってから、飲む人がいないから。
ずっと寝かせといて腐らせちゃったら勿体ないしね」
「ああ、そういう事なら有難く貰うよ」
ノヅチの承諾を受けると、タタラは隣に寄ってきて、ちょこんと椅子に腰を下ろした。
六歳も年下の子供に、随分と気を使わせてしまっていると思う。
ノヅチに酒を嗜む趣味など無い事は、この少女は百も承知だ。
だが、今はまずノヅチを慰めるための建前が必要なんだと、
目の前のお節介な少女は思ったかもしれない。
そう感じさせてしまうほど、自分の姿は落ち込んで見えたのだろうか。
銀色の椀に琥珀色の液体を注ぎながら、タタラがちらりと窓際の延べ棒に目を向ける。
「ノヅチ、お父さんの事を考えてた?」
「まあ、ちょっとはな……」
思わず次の言葉に詰まり、照れ隠し代わりに銀色の椀へと手を伸ばす。
大盤鉱窟に来てからこの方、鉄の話は誰彼ともなく繰り広げたが、
家族の話をしたのは少女とだけだ。
共に父親を亡くしたシンパシーが、そういう気持ちにさせたのかもしれない。
「……ッ!」
液体を口に含んだ途端、咽っ返るような酒気が口中で膨れ上がった。
舌先が反射的にビリビリと痺れる。
迂闊だった。
豪気な小人族の親爺らしい、如何にも強気な蒸留酒である。
並みの人間なら割って飲むのが常識の豪酒だ。
それが今、手にした椀になみなみと一杯……。
嫌がらせの類ではない。
酒の味を知らない少女は、在りし日の父親がそうしていたように、ノヅチの椀に注いだだけだ。
健気で気立てが良いといっても、片親を亡くした十二歳の女の子。
亡父に叩き込まれた鉄以外の常識が欠けている。
その年相応の未熟さに親近感すら覚えるのは、やはり自分も彼女と同じ、
歪な父親に育てられた自覚があるからなのだろう。
「それにしてもよ……」
と、誤魔化すように椀を置いて、ノヅチが話題を変えるように視線を泳がせる。
「銀色の盆に、瓶に、椀、なんもかんもが鉄製か。
ここの一族は、本当に心底、鉄が好きなんだな」
「うーん……。
好きって言うかさ、勿体ないからね、やっぱ。
どれだけ立派な大窯を拵えても。
どうしたって、いくらかは
「ああ……」
そう言う話か、とノヅチも一つ頷いた。
純度が売りのドワーフ鋼ともなれば、その選別もひとしおであろう。
鍛造に適さない銑は
小人族の生活基盤を支えていると言うワケだ。
「ま、ドワーフ鋼そのものならともかくさ。
余った銑なんて麓に運んだ所で、値段も付くもんじゃないからね。
結局、この鉱窟の身内で使い切るしか無いんだよ」
「ああ、違いない。
さすがは何百年も前から、この鉱窟で鉄と共に生き続け――」
言いかけた瞬間、不意にノヅチの脳内に天啓が疾った。
両手を卓に突いて目線を合わせ、その先にある酒器の輝きを、改めて神妙に睨み据える。
「ノヅチ、どうかした?」
「この鉱窟で、大窯に石炭を使い始めたのは、ほんの百年ほど前……
確か誰かが、そんな事を言ってやがったよな」
「えっ? ああ、うん、そうだね。
それ以前は確か、他所の窯場と同じ様に、木炭を使ってたって聞いてるよ」
「当時は窯の大きさも、今よりずっと小さかった?」
「うん。
と言ってもボクは、現物を見た事があるワケじゃないけど。
村長の話では、昔の窯の大きさは、今の半分も無かったんだって……」
「俺は――」
(なんて莫迦だ!)
憤りを蹴って体を起こし、なみなみと注がれた豪酒を一息に煽る。
たちまち胃の腑が石炭をくべた大窯の如く燃え上がり、
その勢いのまま、一気に階段を駆け下りる。
「ちょ! ちょっと待ってよノヅチ!
こんな時間にどこ行くのさ?」
「寝てろ、朝には戻る」
タタラの制止を一言で吐き捨て、よたよたと必死で坑道をひた走る。
たちまち息が切れ、己の愚かしさが汗と共に全身から一斉に噴き上がる。
そうだ。
初めから全て分かっていた筈だ。
小人族は、鉄を愛し、鉄と共に生きる一族。
あの大窯から生み落とされた巨大な
大窯から生み出された全ての鉄を、一片たりとも無駄にはしない……と。
「なんなんだよ、もう……」
明後日の方向に走り去るノヅチの背中を窓下に見つめ、タタラが唇を尖らせる。
が、ちらりと視界の端に件の延べ棒を捉え、呆れたように溜息を吐いた。
小人族の職人たちは、怠惰を美徳とする。
これは別に、彼らが怠け者だと言う話ではない。
一所懸命に働いたなら、後は良く食い、良く休む。
公私の切り替えがきっちり出来なければ、長く続ける事は出来ない稼業なのだ。
そう言う意味では、タタラの亡父は小人族の中でもとびきりの変わり者であった。
四六時中、鉄の事ばかり考え、一たび心が走れば、もう周りが見えなくなる。
不思議と、今のノヅチによく似ている。
そっと、ノヅチの打った刃を撫で、次いで指先を、彼の父が鍛えたという隕鉄の表面に移す。
多分だけど、きっとノヅチも自分と同じような、風変わりな父親の許に生まれたのだ。
だから、なのだろう。
だからタタラは、熟練の職人が鍛えたドワーフ鋼の、伝統的な冴えた白色よりも。
ノヅチの打つ渋い地金の方が、ずっとずっと好きになった。
この歪な味わいに、どうしようもなく心がざわめく。
だからもう、仕方ない。
あのどうしようもない槌振りどもは、結局自分が面倒を見るしかないのだ。
少なくともノヅチには、出された酒を飲み干してから、走り出すくらいの可愛げがある。
怠惰な小人族のタタラは、格言に従いちゃんとよく寝て、明日の仕事に備える他にない。
「おやすみ、ノヅチ」
無人になった室内でタタラは独りそう呟いて、
だらしない主人の代わりに、惑星の欠片を引き出しの奥にしまい直した。