星鍛目録ー野槌と隕鉄ー   作:いぶりがっこ

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50話「獄中」

ピション、と冷たい雫が鼻の頭を叩いた。

 

たちまちノヅチが跳ね起きて、寝ぼけ眼で辺りを見渡した。

もっとも、この薄闇の世界には昼夜の別も無い。

頭上を見上げれば、天井間際に空いた通風孔よりわずかに光が差し込んでおり、それでかろうじて日中だと分かった。

ボロボロの外套(マント)を被り直し、あるだけマシの(むしろ)の上へと横になる。

 

瞳を閉じると、地上の物音が耳元まで届いてきた。

銃口に促される団体の足音。

すすり泣く人の声。

何事か諍いを始める男たちの会話。

半狂乱になった女の悲鳴。

 

騒がしい事だ。

大きく溜息を吐き出しゴロリと寝返りを打つ。

もっとも彼らは自分とは違う、特別な囚人たちである。

自分のように雑にほったらかしにされる事はないだろう。

彼らの辛気臭い空気が、地下まで降りてこないのだけは、せめてもの救いであった。

 

 

北辺での魔王軍との決戦より、およそ一年。

魔王の死により、地上に残った魔物たちも統制を失い、各地では順当に掃討が進んでいるという。

尊い勇者の犠牲により、世界は救われた。

人類は苦難を乗り越え、ようやく輝かしい復興の時代が始まった。

筈なのだが、この監獄までは、そのような喜ばしい話題も届かない。

 

 

ボルディノ要塞。

皇都に続く東方からの経路を塞ぐ要衝に在り、先の大戦においても魔王軍の猛攻を支え切った皇国の盾である。

現在は平時の役目に戻り、皇都に留め置けぬ特別な囚人たちを収監する監獄となっている。

 

かつてノヅチは、死刑執行人の一団に混ざり、この地でとある少年の最期を検分した事があった。

その彼も今は監獄の住人として、検分される時を待つ身であった。

 

 

 

――ちりん

 

 

通路の奥から、不意に鈴の音が聞こえた気がした。

怪訝に体を起こすと、鉄格子の向こうに小さな灯が見えた。

洋灯(ランプ)の火は鈴の音と共に次第にこちらに近付いて、やがて格子の手前でぴたりと制止した。

 

網膜を焼く洋灯の光を片手で遮り、来訪者の姿を忌々しげに見上げる。

黒い男であった。

黒の山高帽に、黒の外套、男の姿は闇に溶け込み、白い面立ちだけが洋灯の光に浮かび上がる。

黒塗の鞘に納められた倭刀の柄には、不釣り合いな白銀の鈴が煌めいている。

刑罰の公正さを示す無垢なる銀は、皇都の処刑人の証である。

 

マニング・マウンライルド。

ノヅチと旧知の青年であり、当代随一と業前と目される死刑執行人であった。

 

不意の死神の到来に、ノヅチはパチパチと目を瞬かせ、ポツリと口を開いた。

 

「こいつは驚いたな……。

 まさかアンタが来てくれるとは思わなかったよ」

 

「…………」

 

「へへ、だがまあ、アンタの腕なら断頭台より確かだ。

 手前(テメエ)の刀の切れ味を自分自身で試せるとは、刀工冥利に尽きるって話だ」

 

「……これが告発書に見えるようなら、貴方も相当、ヤキが回ったって事ですよ」

 

「おほ!」

 

マニングはしばしの間、薄汚れたノヅチの姿をまじまじと観察していたが、やがて大きく溜息を吐いて、手にしたバスケットを掲げて見せた。

たちまちノヅチが喜色満面、格子越しに差し出されたバゲットをひったくるように受け取る。

 

「正直、安心するより呆れましたよ。

 まるで貴方は独房の主だ。

 ここに放り込まれる人間というのは、もう少し、しおらしい表情を作るものでしょう」

 

「望みがあればな、悩みもすれば悔やみもするだろ。

 だが生憎と天下は泰平なこって。

 流れ者の槌振りなんぞ、生きてても死んでても同じ事さ」

 

マニングの言葉に軽口で応じながら、手にしたバゲットに齧り付く。

浅ましい話だが、死を恐れぬと気取った所で腹は減る。

ちょいちょいと指を振るノヅチの催促に合わせ、マニングが葡萄酒の瓶を差し込む。

水代わりに流し込むには勿体ない上物だったが、今のノヅチにはそれを惜しむ余裕も無い。

 

ようやく胃の腑が満たされ人心地つくと、ノヅチ改めて顔を上げた。

 

「ふう、とにかく助かったよマニング。

 こういう時、持つべき者は友人だな」

 

「そういう台詞は、もっと大事な友人に対して言ってあげたらどうです?」

 

「なに?」

 

言葉の意味を掴みかね、放り込まれた林檎を思わず取りこぼした。

マニングが洋灯を向けた方を見やると、壁際では険しい表情のロッカがノヅチを見下ろしていた。

どきり、とノヅチが内心委縮する。

 

「やあ、若旦那――」

 

「何をやってるんです! あなたはッ!!」

 

不意に怒声が爆発し、反射的にノヅチがビクン、と肩を竦める。

 

「再三警告はしていた筈ですよ!

 僕の手紙を読んでなかったんですか?」

 

「手紙、ああ、手紙ね、見たよ、いや……」

 

憤怒の形相の若旦那に対し、ノヅチはいかにも気まずそうに言葉を濁し、拾い上げた林檎の埃を払い始めた。

そう、確かに彼の言う通り、今日のような事態になるのは初めから明白だったのだ。

 

 

 

ロッカから警告の手紙が届いたのは、先の戦争の傷跡も癒えぬ秋口の事であった。

手紙には昨今の皇都の不穏な情勢が綴られ、ノヅチが拘束される可能性を上げ、しばらく都を離れるべきと、丁寧にも幾許かの路銀まで包んであった。

尋常ならざる文面に、さすがにノヅチも慌て、急ぎ山小屋を発つべく荷物をまとめようとしたのだが、そこでふっ、といつもの悪い癖が出た。

 

持っていく荷物など、何も無い。

当代の勇者の為に聖剣を打ったあの冬以来、ノヅチは一度も槌を握っていなかった。

山小屋の食料が尽きたその後は、木の実や魚や山菜を取り、時に炭焼きの真似事で小銭を稼ぐなどして、ただ死なないだけの暮らしを続けていた。

 

槌を振れない槌振りなんぞ、生きている価値は無い。

そんな自分が今更になって、あくせくと生き汚く動き回るなど、実に馬鹿げた事ではないか?

それでいっそ、自身の最期を見定めてやるつもりになって、貰った路銀を酒代に変え、のうのうと逮捕の時を待ち続けたのだ。

個人の心情はともかくとして、長年の友情に泥を塗った事だけは間違いない。

 

 

 

煮え切らないノヅチの態度に対し、ロッカはずいと歩み寄り、格子の隙間に顔面を押し付けるようにして言った。

 

「今すぐにでも、ここを出ましょう。

 あなたほどの人間が、こんな所に閉じ込められてて良いワケがない」

 

「出るったって、無理だろ、そりゃ……。

 ただの喧嘩や掻っぱらいなら、こんな所にブチ込まれたりしないよ」

 

そう言って、ノヅチは困ったように頭を掻いて、目の前の林檎に齧り付いた。

 

「知ってるんだろ、俺の罪状?

 警告をくれたのは君じゃないか」

 

ノヅチの反論に対し、今度はロッカの方が言葉を失った。

ふうっ、と傍らから溜息がこぼれ、押し黙ってしまった両者に代わり、壁際のマニングが次の台詞を引き継いだ。

 

「――昨年の魔王城での戦いの後、

 もぬけの空となった玉座の間から、一振りの倭刀が発見された」

 

「…………」

 

「折れた刃の(なかご)には『野槌』の銘が刻まれており、皇国はこれを魔王の剣と断定した。

 魔王に与する者は、国家に反逆するにも等しい……、極刑が妥当ですね」

 

「ロクでもない話ですよ、まったく。

 一時の政局の安定のために、罪なき人々を陥れるなどと」

 

「政局?」

 

憤懣やる方ないと言ったロッカの言葉に、思わずノヅチは首を傾げた。

自分の罪の方はともかくとして、それが国家の運営にどう関係するというのだろうか?

 

「先の戦乱は、いわば魔王軍の侵略に対する防衛戦。

 勝利した所で得る物は無く、戦後処理の苦難が残るばかりです」

 

ノヅチの疑念に答えるように、再びマニングが口を開いた。

 

「税への不満が蔓延すれば、それに乗じて民衆を先導しようとする輩も出て来る。

 共和主義者や不平貴族、過激な異教徒にテロリスト……。

 国家運営を阻む不届き者を、魔王の信徒と『認定』しては見せしめとする。

 恐怖政治の類ですが、斯様に政情が不安定な時期には有効でしょうね」

 

「それが上の団体様って事かい?

 ようやく魔王を倒した後がこれじゃあ、先が思いやられるな」

 

「……随分と他人事のように言いますね。

 貴方だって被害者の一人なんですよ。

 後ろ盾のない異邦人ほど、面倒の無い生贄は、他にありませんから」 

 

「絶対に許される事じゃないですよ、こんなのは。

 あなたが鍛えた聖剣が無ければ、世界は闇に包まれていたと言うのに。

 誰も真実を知ろうとしない。

 世界を救った英雄を、ありもしない罪で弑そうというんだ」

 

「……ああ」

 

そこまで説明されて、ようやくノヅチにも合点が言った。

ようするに、二人は誤解しているのだ。

確かに今の皇国は最低かもしれないが、それはノヅチの現状とは、何の関係も無い話なのだ。

 

一瞬、次の言葉を告げるのを躊躇った。

だが、己の立場も顧みず窮地に駆け付けてくれた友人たちに対し、不実を働く訳にはいかない。

 

「二人には悪いが、残念ながら身に覚えがありすぎる。

 確かに俺は四年ほど前、魔王を名乗る女の為に、倭刀を一振り仕上げたよ」

 

「――!」

 

「ば、馬鹿な!?

 何を、一体何を言ってるんです、ノヅチさん」

 

思いもよらぬ告白を受け、二人が一斉にノヅチの方を振り返った。

立ちはだかる鉄格子をすがるように握り締めたロッカに対し、ノヅチは静かに首を振った。

 

「事実さ。

 その金で親父殿の仕事場を買い戻したんだ」

 

「そんな……、なぜ、何故なんです?

 あなたほどの槌振りが、よりによって、魔王などと!」

 

何故?

そう問われ、ノヅチの次の言葉が止まった。

 

一体、何故あんな事になったんだったろうか?

率直に思い返してみれば、単に脅されていたから、という話になろう。

それも自分一人の命だけではない。

ともすれば相方の命まで奪われかねない窮地であった。

正直にそれを告白して、泣きながら友人たちに謝罪すれば、彼らは許してくれるだろうか?

 

いや、だがしかし、自分は金を受け取ってしまっている。

自身の作に絶対の自信があったから、思い切りふんだくってやったのだ。

あまつさえ、茎に銘まで刻んで来た。

力尽くで脅されて仕方なく打った、などとは口が裂けても言えまい。

 

……いい加減、正直になるべきだと思った。

ノヅチが魔王の刃を鍛える気になったのは、そのような表面的な理由ではない。

 

「ヤツは……、魔王は、親父殿の作刀のファンだったんだ」

 

「えっ?」

 

「言った通りさ。

 この地上でただ一人、あの女だけが、流浪の刀工、出乃羽斎槌(イズノハサイヅチ)の業を正しく評価してくれた。

 不世出の鬼才と、乱世に生まれるべき槌振りとまで絶賛したよ」

 

「…………」

 

「俺にはそれが嬉しくて、同時に激しく嫉妬したんだ。

 俺だって東島(アズマ)の子だ、サイヅチの子だ、俺にだって打てるんだ、って。

 だからアイツに認められたくて、全身全霊で鍛え上げたんだ。

 魔王の為の倭刀をな」

 

「それは……、けど、だけど……」

 

「わかっただろ?

 俺は、俺の鍛えた剣で、自身の唯一の理解者を殺し、

 同時に俺の剣を信じて戦った、何の罪も無い少女の心を裏切った!

 それが俺の全ての罪だ。

 今さら罰から逃れようとは思わねえ」

 

「だけどッ!」

 

ダン、とロッカの拳が石畳を叩いた。

突然の剣幕に、思わずノヅチも閉口した。

崩れ落ちる青年の懐から、一本の短刀が、カラン、と音を立てて大地に転がった。

 

「……だけど、そんなのは、どうしようもないじゃあないですか?

 剣の罪は、仕手にこそある。

 剣、それ自体に善悪なんて、あろうハズが無い……」

 

青年が震える手で、短刀の鞘を抜き放つ。

たちまち澄み切った蒼穹のような刃が現れた。

 

惚れ惚れするほど、良い鉄だ。

この牢獄では、あの日の空ももう見えない。

 

「あなたの……、あなたの剣は、美しい……」

 

胸中の言葉を絞るようにして、かろうじてロッカが呻いた。

鮮やかな蒼の地金の上に、ボロボロと大粒の涙が落ちる。

 

いいじゃないか。

ノヅチの中で、ストン、と何かが腑に落ちた。

親父殿の時は、一人だった。

その最期を知る者も、自らの作の評価を知る術すらも持ちえなかった。

 

鉄格子を挟んで、ノヅチはドカリと胡坐(あぐら)を掻き、俯くロッカの肩を軽く叩いた。

 

「君がそう言ってくれるなら、俺にはもう、他に何もいらないよ」

 

「…………」

 

「ありがとう、友よ」

 

ノヅチの言葉を受け、静寂の監獄に、再び嗚咽の声が洩れ始めた。

皇都の死神は独房の壁に体を預け、向かい合う槌振りたちの姿を、無言で見つめ続けていた。

 

 

 

 

 

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