09話「月光浴」
月光浴。
その言葉の意味を、今宵、初めて知ったような気がした。
深い闇の中、不意にぽっかりと視界が開けた。
鬱蒼と生い茂る密林の奥地に、突如、銀の輝きを携えた湖畔が現れた。
透き通るような満月の蒼い輝きが、水鏡を精緻な光に満たしていく。
――ちゃぷん。
爪先から広がった波紋が月光を孕んで、水面を緩やかに滑る。
月明りを纏った少女が一人、闇夜に煌めく舞台の中央に進んでいく。
神秘的な光に染められた肌は抜けるように白く。
白銀の髪は柔らかな金属のように磨かれた光沢を含んでいた。
とぷん、と少女の体が水に沈んだ。
月影が陰るように銀盤がまどろい、世界が静寂に包まれていく。
間。
ざばあ、と水音を弾ませ、時が動いた。
白銀の少女が水飛沫を上げ、舞台の中央に飛び上がった。
乙女の肢体は、若き入鹿のように生命に満ち溢れ。
千々に乱れた
少女の姿は生命を宿した金属のように艶めかしく動き、この世の物とは思えぬ輝きに息が詰まる。
ふっ、と少女の視線がこちらを向いた。
月光に満ちた湖の中心から、樹木の緞帳に覆われた自分を見ている。
眩い
動揺も怒りも無い、ただ真っ直ぐな意志を宿した少女の瞳。
その凛とした姿に惹き付けられ、視線を外す術がない。
「って、何やってんだよ親方ァ!
見ちゃっダメェ――――ッ!」
「う、うおわあぁああああ――っ」
不意に真後ろから、
パニックを起こしたノヅチが勢い余って緞帳を飛び出す。
二人の体がもんどり打って斜面を転げ、湖畔の縁の叢に落ちる。
間を置かず、どす、どす、どす、と、複数の矢が二人の眼前に突き刺さった。
突然の殺意に鼻白む二人の頭上に、樹上より一人の男が降って来る。
「
随分と面妖な取り合わせだな」
そう言って油断なく矢を番える、秀麗眉目な金髪の青年。
その外見、弓の腕、この身のこなし。
全てノヅチがかつて伝聞した、
「待てッ! アタタ、ちょっと待ってくれ。
俺だって別に、こんなトコまで覗きがしたくて来たワケじゃないんだ」
背に乗ったタタラをどかし、辛うじて身を起こすと、
ノヅチは頭を振るい、首にかけた指輪を尖耳族の青年に向けて軽く放った。
「これは……」
「その霊銀は、あんたらが細工した物だろう?
尖耳の鍛冶師とやらが霊銀を鍛える所を、一度見せてもらいたくてさ」
「そうだよ!
ノヅチの親方は、大盤鉱窟の族長も認めた槌振りの達人なんだ!
伝説の
慌ててタタラがしゃしゃり出て、舌足らずなノヅチの弁を取り繕う。
「確かに、この指輪は我々の先達が磨いた者のようだが……」
青年は、霊銀の指輪を月光に掲げ、次いで再び二人の姿を訝しげに見下ろしてきた。
鼻息荒く胸を張った少女の脇腹を、ノヅチが軽く小突いて耳打ちする。
(おい、達人ってのはなんだ……?)
(方便だよ方便。
タダでさえ今の親方は胡散臭いんだからさ)
「――それで今度は霊銀見たさに、ウジュの
東島人の親方どのは、まあ随分と、生き急いでおられるようじゃのう」
童女のような透き通る声で、老婆のような物言いが響いた。
振り向くと今度は件の白銀の少女が、薄手の布地一枚巻き付けた姿で、
こちらに近づいて来ている所だった。
「……お前はもう少し、巫女らしく貞淑には出来ないのか?」
「なんもかんも見られた後じゃ。
今更隠した所で何となる」
『ウジュの兄様』の小言を軽くいなし、銀の少女がノヅチの前で屈み込んだ。
目のやり場に窮し、ノヅチが思わず視線を外す。
「のう達人の親方どの。
その腰の立派な差料は、お主が自ら鍛えた物かね?」
「ああ」
「見せろ」
「……おう」
含みを持った笑顔を前に、ノヅチはすごすごと脇差を差し出した。
少女はすらりと刃を引き抜くと、湖畔を向いて月光に翳した。
刃紋を見つめる少女の顔に、先刻の凛とした銀の姿が宿る。
暫くの間、少女はそうして刀身を見つめ続けていたが、
その内にすっと刃を鞘に納め、そのまま自分の胸元にしまい込んだ。
「……って、おい!」
「見料じゃ、これでも随分と安いぐらいじゃ」
人を喰ったような少女の言い草に、ノヅチが返す言葉に詰まる。
確かに。
心の何処かでそう思った瞬間、横にいたタタラに思い切り頭をはたかれた。
「よかろう兄様、こやつらを連れて行こう。
よりによって今、この時期に、先達の指輪に導かれた物狂いがやって来た。
これは最早『
「……正気か、チャクア?
此度の儀式は一族の秘事だと分かっているのか?」
「主賓は妾じゃ。
客席に誰を呼ぶかぐらいは妾に一存させてもらう」
尖耳族の兄妹は、何事か言い争いを続けていたが、
それも一段落ついたのか、チャクアと呼ばれた白銀の少女は、改めてノヅチに向き直った。
「槌振り、名は何と申す」
「……ノヅチ、イズノハ・ノヅチだ」
「よかろう。
ならばノヅチ、星の巡りというものを信ずる気はあるかえ?」
「星の……、巡り?」
「我ら尖耳の一族はの、
五百年に一度だけ、母なる鉱樹に捧げる為、霊銀を用いて剣を打つ。
その『銀剣の儀式』が執り行われるのが、まさに今年。
今日より二月、先の話じゃ」
「そいつは――」
えらくツイている。
そう出かけた言葉が思わず詰まった。
縁。
それに星の巡りという言葉に、背負った星鉄の重さを意識してしまったのかもしれない。
五百年に一度の出会い。
その途方もない奇跡を、偶然と、運不運の話で済ませていいのか決めかねている。
「汝がもし、
妾が許そう。
白銀の巫女が霊銀を磨く晴れ舞台を、そなた達に拝ませてやってもよい」
「白銀の、巫女……?
そいつは一体、お前は一体なんなんだ?」
「霊銀を鍛え得るのは鍛冶屋の槌ではなく。
尖耳の巫女の祈りのみがそれを為す。
その者は生まれつき白銀の髪を生やし、鉱物と交わる力を宿すという」
何事かの一節でも諳んじるかのように少女が呟いた。
そこまで言われて、ノヅチもようやく気が付いた。
銀の輝きを宿す髪に、紅玉の如き赤い瞳。
それは彼女が兄と呼んだ尖耳族の特徴から、あまりにもかけ離れている、と。
呆気に取られたノヅチに対し、白銀の少女がにっ、と不敵に笑うと、
童女のように透き通る声で高々と言い放った。
「妾はチャクア。
五百年に一度、霊銀を剣に鍛える運命を背負った、白銀の巫女とは妾の事よ」