「どう? 美味しい?」
「…おう」
「そ、良かった」
そう言うと沙希は微笑んで、弁当のおかずを自らの口に運ぶ。
特別棟屋上、そこから更に梯子を上った先にある、給水塔下。沙希に連れられたその場所で、俺たちは並んで座っていた。
沙希の弁当は、それは見事な出来だった。
白米、卵焼き、プチトマト、ポテトサラダ、鶏の照り焼き…シンプルだが、栄養バランスが考えられており、味も美味しい。普段、購買のおかずパンで昼食を済ませている身としては、ご馳走といって差し支えなかった。
「…悪いな、わざわざ作ってもらって」
「別にいいよ、大志のを作るついでだしね。…それに、あたしがやりたくてやったことだし…」
「…そうか」
「そうだよ」
俺の言葉に、沙希はぶっきらぼうに返事をすると、頬を染め、照れくさそうに顔を背けた。
しかしそうか、こいつ弟の弁当も作ってるのか…。家庭の事情もあるのだろうが、流石のブラコンっぷりである。俺も負けていられないな…明日から、小町の弁当を作ることを検討してみるか…。
そうして、小町の弁当の献立に思いを馳せていると、こちらに向き直った沙希が口を開いた。
「八幡さえ良ければ、明日からも作ってこようか?」
「…それは有難い話だが、その…いいのか?」
「教室でも言ったでしょ、あたしは構わないよ」
そういうと、沙希はフッと微笑んだ。
あぁ、やはり。こいつはちゃんと分かっているのだ。分かって、こんな行動をしている。
川崎沙希が比企谷八幡と、「文化祭後」から一緒に弁当を食べ始める。そんなことが起これば、俺の「文化祭」に纏わるちんけな噂話など吹き飛んでしまうだろう。戸部あたりが好きそうな話だ、いくら相模が手を回そうと、葉山グループの発信力には勝てない。その上登場人物の「質」が違う。「比企谷八幡」と「川崎沙希」。噂の主役の「格」が違う。しかし、それは…
「…お前が被害を被(こうむ)る必要なんて、ないんだぞ。この件は、俺の、自業自得だ。俺のやり方が招いた結果だ。全ての責任は、俺にある。俺、一人が受けるべきものだ」
「…そうかもしれないね。でも、あたしがあんたを助けたいと思ったのも、『あんたのやり方』が招いた結果だよ。…それに」
そう言うと沙希は立ち上がり、そして、座っている俺に、微笑みながら右手を差し出した。
「『友達』を助けるのに、理由が必要?」
「…ほんと、敵わないな」
そうしてフッと息を吐くと、俺は、差し出されたその手を掴んだ。掴み、掴まれ、また掴み。初めは屋上、次にマック、そうして、またこの屋上で。掴んだ手から感じる温もりを、今度はしっかりと感じながら、俺は自らの足で立ち上がった。
「色々とやることが出来た。…協力してもらうぞ」
「うん、協力するよ」
いつか交わした、行動の報告と承認。以前と違い、互いの顔を見つめ交わした、そのやり取り。実際に見ることは叶わなかったが、あの時も、俺たちはこんな顔をしていたのだろうと、そう思った。
* * *
昼休みが終わり、沙希と一緒に教室へ戻ると、案の定クラスのあちらこちらから、好奇の視線が寄せられていた。理解していたこととは言え、これはこれでむず痒い…。悪意の籠ったそれには経験があったが、純粋なものとなるとまた話が違う。沙希は大丈夫なのだろうかとそれとなく座席に目を向けると、その様子は、いつもと変わらぬ自然体、のように思われたが、よくよく見ると、耳が根元まで真っ赤になっていた。そういうとこだよ! 川崎さん!
しかし、もう後には引けない。その後放課後まで、休み時間の度に俺の席まで来て、談笑する沙希と俺の姿は、クラスメイト達の好奇心をくすぐり続けることとなった。
* * *
そうして迎えた放課後、俺は満身創痍となっていた、精神的に。沙希との会話は決して退屈ではなく、互いの家族や勉学、その他諸々について話をするのは、楽しいと言ってよい部類ではあったのだが、いかんせん寄せられる視線の質に慣れておらず、動揺を隠すために多大な精神リソースを使用してしまっていた。同じく視線を寄せられていた沙希はというと、初めこそ動揺を隠しきれていなかったが、最終的には、全く気にしている様子は見られなかった。こればかりは、俺と沙希の経験の差が出た、といったところだろう。純粋に楽しくなっちゃって、周りの目を気にしなくなっちゃった! とかではないはず…多分。
そうして、減った気力を取り戻そうと机に突っ伏していると、トタトタと足早に近づいてくる足音が聞こえた。
「ヒッキー、お疲れ! そろそろ部室行く?」
「あぁ…あとちょっと休んだらな。つーか、教室であんま話しかけんな」
「…それ、今日のヒッキーにだけは言われたくないでーす」
そう言うと由比ヶ浜はむすっと頬を膨らませる。これを天然でやっているあたり、流石の由比ヶ浜っぷりである。中学校の頃の俺だったら確実に惚れていた。しかし、珍しく正論過ぎて何も言い返せないなこれ…どうしたものか…。
そうして、何とか由比ヶ浜を言い包める言葉を探していると、今度はツカツカと一定のリズムを刻む足音が近づいてきた。
「お疲れ、由比ヶ浜。八幡、そろそろ行く?」
「あぁ、もう少ししたらな」
「沙希! お疲れ様っ…て、え…ヒッキー、部室行くんじゃないの…?」
「あぁ、そのつもりだ」
「…?」
一瞬悲し気な表情を見せた由比ヶ浜が、俺の返答に首を傾げる。そして俺と沙希は、休み時間、世間話に紛れて打ち合わせていた事柄を告げた。
「喜べ由比ヶ浜、新入部員だ」
「ま、そういうわけだから。これからよろしくね、由比ヶ浜」
「……え――――――――ーッ!!!!」
* * *
「なるほどね…」
特別棟四階、東側。窓から差し込む夕日に照らされた奉仕部の部室内にて、部屋の主、雪ノ下雪乃はそうつぶやくと、一つため息を吐いた。
「大方、状況は理解したわ」
「えっ! ゆきのん、分かったの!? あたし、まだ全然分からないんだけど!?」
平然と答えた雪ノ下の言葉に、由比ヶ浜が驚きの声を上げる。
「…今日の昼から、この男と川崎さんが急に親密な態度を取り出して、その噂でクラスが持ち切り。挙句の果てには、川崎さんが奉仕部へ入部すると言い出した…由比ヶ浜さんの発言を纏めると、こういうことよね?」
「そう!」
「それで由比ヶ浜さんは、彼らがあんな態度を取っている理由と奉仕部に入る理由を知りたいと…そういうことよね?」
「なんかちょっと違うけど…大体そう!」
「はぁ…比企谷君。本来、あなたの口から説明されるべき事柄だと思うのだけれど?」
「俺もそのつもりだったよ…。ただ、由比ヶ浜がここまで暴走するとは思ってもみなかったんだよ…」
眉間を抑えながら問いかけてくる雪ノ下の言葉に、いつもの定位置に座っていた俺は、ため息交じりの声を返す。
そう、ブーブーと文句を垂れる由比ヶ浜を何とか丸め込みつつ、沙希を連れて部室に来たところまでは良かった。しかし、いざ部室に入り、雪ノ下に沙希のことを説明しようとする前に、雪ノ下に駆け寄った由比ヶ浜が、今日の出来事をまくしたてるように話し始めたのだ。
起承転結が滅茶苦茶な上に、やれ、ヒッキーがキモいだの、ヒッキーが冷たいだの、自身の感情を混ぜて話すものだから、初めは困惑しつつもにこやかに話を聞いていた雪ノ下も、途中からは困惑一辺倒の表情を浮かべ、時折頭痛を抑えるような仕草を見せていた。というか由比ヶ浜さん? 大体が俺への悪態なんですが、もう少しお手柔らかにお願いできませんかね…取り敢えず、箪笥の角に小指をぶつけるようお祈りしておきますね?
そうしてささやかな呪いをかけつつ、由比ヶ浜が話終えるのを待っていた、という訳である。
「ぼ、暴走って、そんなことないもん! ちょっと興奮しちゃっただけ!」
「あれでちょっとなのか…」
俺の言葉に対し、反論を口にする由比ヶ浜に呆れの言葉を返す。
本格的に暴走してしまったら一体どうなるんだ…巨大化して学校を破壊し始めても不思議じゃないな。助けて、ユキトラマン! …いや、この場合ユキトラウーマンなのか? …まぁ雪ノ下なら変身しても見分けつかんだろうし大丈夫だろう…どことは言わんが。
と、そんな益体もない思考を巡らせていると、由比ヶ浜に向き直った雪ノ下が口を開く。
「…つまりは、噂の変更よ」
「どういうこと?」
「由比ヶ浜、お前、他人の悪口と他人の恋愛話だったらどっちに興味ある?」
「そりゃあコイバナだけど…って、え! ヒッキーと沙希、やっぱつつつ付き合ってるの!?」
「落ち着け! …ここで重要なのは、悪口よりも恋愛話の方が興味をそそるってことだ」
「つまり、この男は川崎さんを利用して、自身の悪評を塗りつぶそうとしているってことよ」
呆れた表情をみせつつ、雪ノ下が俺の言葉を繋いだ。
「全く…あなたの悪評を消すためとはいえ、随分と横暴な手段に出たものね。川崎さんまで巻き込んで…」
「わかってる。だから、沙希を奉仕部に入部させたいんだよ」
「…????」
「はぁ、つまりは川崎さんがこの男と一緒にいたのは、奉仕部に入ったからだという話にしたいということよ。そうすれば、一応、色恋関係ではないと言い訳は出来る」
「その通りだ、話が早くて助かる」
川崎沙希と比企谷八幡が親密になりつつあるという根本を残しつつ、そこに奉仕部へ加入したという事実を添える。こうなれば、何も手を加えずとも、二人の親密さは、奉仕部への加入が影響している、というストーリーが出来上がる。その上で沙希が、由比ヶ浜や雪ノ下とも仲良くする姿が広まれば、更に色恋のニュアンスは薄まっていくであろう。これが、俺の考えた、「川崎沙希奉仕部仮加入大作戦」である。最終的に、噂が収まれば沙希が奉仕部にいる必要もなくなる。全ては元通り、というわけだ。
「えっと…つまり、ヒッキーと沙希は付き合ってないってこと?」
「…そういうことだ」
「…そっかー! そういうことかー!」
質問に言葉を返すと、由比ヶ浜は表情を明るくし、見るからに上機嫌になった。…ホントに理解出来てるのかしらこの子…。
そうして、由比ヶ浜の頭の出来を心配していると、雪ノ下が口を開いた。
「それで…川崎さん。あなたは、納得しているの?」
そういうと雪ノ下は、壁にもたれかかり、先ほどから黙って俺たちのやり取りを眺めていた沙希に言葉を投げる。自然と、全員の視線が沙希に向いた。
「…そもそも、噂の変更を企んだのはあたしだしね。納得も何もないよ。その後のことも考えて、奉仕部に入る提案をしてくれた八幡には感謝してる位。だから…」
そういうと沙希は言葉を切って、雪ノ下と由比ヶ浜を見据えてから言葉を繋いだ。
「あとは、あんたたち次第。あたしが奉仕部に、仮だとしても入ることを許してくれるのかどうか。それだけだよ。」
沙希のその言葉を聞いた雪ノ下は、少し考え込む様子を見せてから口を開いた。
「奉仕部は、助けを求める人を拒んだりしないわ。ましてや、そこに加わろうとすることもね。…それに」
「ヒッキーのことを助けようとしてくれたから、こうなってるんでしょ? だったら、あたし達も力になりたい!」
「…まぁ、大体由比ヶ浜さんの言う通りね。彼の現状は、文化祭での行動が原因。奉仕部での活動がきっかけで起こった出来事だとしたら、私達にも責任があるわ」
雪ノ下の声を遮って語られた由比ヶ浜の言葉に、雪ノ下は軽く笑みを浮かべると、そう言葉を繋げた。そして、沙希に近寄ると目の前に右手を差し出す。
「だから…改めて。ようこそ、奉仕部へ。歓迎するわ、川崎沙希さん」
「…うん、よろしく」
そうして、沙希は雪ノ下の手を握った。
かつて、その存在を尊重するからこそ、雪ノ下に対して、不干渉という選択肢を取っていた川崎沙希。そんな彼女が、その手を取った。きっと、彼女も欠片を見つけたのだろう。俺たちが見つけられたように。雪ノ下雪乃という人物についての、こぼれ落ちた印象の欠片を。それは、きっと像を結ぶ。今は無理でも、いつか、きっと。
* * *
第四話読了、有難うございました!
というわけで、あとがきという名の戯言をば。
祝!サキサキ奉仕部(仮)入部決定!
はい、というわけでサキサキが奉仕部に加わりました。作品説明に書いた「ふたりぼっちの物語」とは一体…?うごごご…
元々の構想では、奉仕部の活動で精神を乱される八幡を、第三者としてサキサキが支えていく展開を考えていたのですが、第二話でサキサキが告白してしまい、超積極的なサキサキになった結果、こういった形に落ち着きました。恋する乙女は無敵なんですねぇ(白目)
そういった事情もあり、第四話はかなりの難産でした。
色々と展開があっちこっちに行ったり、変な風が吹いたり、またまたサキサキが暴走して後半部分が全没になったり…
とは言え、無事に書き上げることが出来て良かったですホント。
ある程度、軌道修正出来てきたので、次の話は難産にはならないでしょう、きっと!ガハハ!ガハハ…
最後に、今回の難産の過程で生み出された、不思議な風と暴走するサキサキの没文をを載せて、締めくくりとさせていただきます。
というわけで、少々短いですが、以上あとがきという名の戯言でした。
ここまで読んで下さり、誠にありがとうございます!よろしければ感想・評価をしていただけますと、執筆の励みになります!これからもよろしくお願いします!
不思議な風
* * *
「…ほんと、敵わないな」
そうしてフッと息を吐くと、俺は、差し出されたその手を掴んだ。掴み、掴まれ、また掴み。初めは屋上、次にマック、そうして、またこの屋上で。掴んだ手から感じる温もりを、今度はしっかりと感じながら、俺は自らの足で立ち上がった。
「すまん、世話になる」
「うん、世話してあげるよ」
そうして手を繋ぐ俺達の間を、暖かな潮風が駆け抜けた。いつか感じた、暗幕を取り払うような、運命的な風。それは沙希の美しいポニーテールを揺らし、同時に、その腰布の奥に隠された夢を露わにした。
「……」
「……」
繋ぐ手の先から感じる温もり、それは今や、熱と言ってよい温度と化している。その上、繋いだ手はまるで万力に挟まれたかのようにびくともしない。俺は全てを悟った。
「川崎さん…落ち着いて聞いてください…これは不幸な事故なんd」
「~~~~~~ッ!」
そうして沙希が声にならない声を上げると同時に、俺の頬を強烈な衝撃が襲った。
消えかかる意識の中で、俺はその夢を思い返していた。
やっぱ黒のレースなんですね…
* * *
暴走するサキサキ(部室に到着する所から)
* * *
「ヒッキー、沙希も…ちゃんと説明してよね?」
「あぁ、部室に着いたら全部説明するよ」
「悪いね、由比ヶ浜。気を揉ませちゃって」
「ううん、全然! ちゃんと説明してくれるなら、それでいいの」
そうして俺たち三人は、特別棟四階、東側。奉仕部の扉の前に辿り着く。
コンコンと扉をノックすると、「どうぞ」と凛とした声が聞こえた。
「よう、お疲れ」
「やっはろー!お疲れ様、ゆきのん!」
「…お邪魔します」
ガラガラと扉を開け、声を掛ける。そうして部室に入ると、俺たちに加え、見慣れない来客を見つけた雪ノ下が、手に開かれていた文庫本を閉じ、口を開いた。
「お疲れ様、比企谷君、由比ヶ浜さん。そして…川崎さん、いらっしゃい。先週の文化祭ぶりね。…まずは、そこに掛けてもらえるかしら」
「…うん、ありがと」
そうして雪ノ下に促された沙希は、その正面に設置された椅子に座り、俺と由比ヶ浜はいつもの自分の定位置へと腰を落ち着けた。全員が椅子に腰掛けたのを確認してから、雪ノ下が口を開く。
「それで、今回はどういったご用件かしら?」
「用件というか…これを提出しに来たんだ」
「これは…」
そういうと沙希は、鞄から取り出した一枚の紙を雪ノ下に差し出す。それを受け取った雪ノ下は、見るからに怪訝そうな表情を見せた。
「入部届…なるほど。…比企谷君?」
「…なんだよ」
「説明してもらえるかしら?」
「なんで俺に聞くんだよ…」
「あら、あなたの企みなのではなくて?」
「…まぁ半分はそうだよ」
底冷えのする笑顔で問いかけてきた雪ノ下に、正直な言葉を伝える。実際に、これは俺一人の考えではないのだから。
「全く…川崎さん? この男にどんな弱みを握られたのか知らないけれど、あなたが奉仕部に入る必要などないわ。私の監督不行き届きでご迷惑をお掛けしてしまったようで、ごめんなさいね。この男には後で、いや、今から厳しく躾を行うから」
「おい待て、なんだ監督不行き届きって。俺はお前の部下じゃないぞ」
「あら、卑企谷君。文化祭期間中、あなたは正式に私の麾下(きか)にいたはずだけれど?」
「残念だったな、俺が沙希と話し合ってこの方法を決めたのは今日のことだ。よって、俺がお前に躾けられる必要などない! てかなんか俺の名前のニュアンス違くない? 絶対何か変な意味込めてんだろ」
「そんなことはないわ、卑企谷君、あなたの自意識過剰よ…というより、待って。あなた今なんて言ったの?」
雪ノ下の口撃を脊髄反射で華麗に捌いていると、俺の言葉を聞いた雪ノ下が眉を顰(ひそ)めた。
「いや、躾けられる必要はないって…」
「その前よ。あなたの言う沙希って、もしかして川崎さんのこと? どうしてそんなに堂々とセクハラ行為を行っているのかしら。弱みを握っているとはいえ、やってよいことと悪いことがあるのよ? 卑企谷君」
「お前が俺に下の名前で呼ばれたくないってことはよーく分かったよ…というか、これに関しては俺に聞かないでくれ、これは沙希の要望だ」
「…なんですって?」
信じられないという表情を浮かべる雪ノ下に、由比ヶ浜が声を掛けた。
「そうなの! ゆきのん! 二人とも、お昼からずっとこんな感じで…沙希、いつの間にこんなにヒッキーと仲良くなったの?」
「…どうやら、あなたにも詳しく説明を聞く必要がありそうね? 川崎さん」
そうして二人の問い詰めるような視線を受けた沙希は、はぁと一つため息をついた。…俺が関与しているのはここまでだ。二人に対する説得は、沙希がやると頑として譲らなかった。まぁ由比ヶ浜はともかく、俺が雪ノ下を説き伏せることなど到底無理な話であったし、適材適所といえばその通りなのだが…言い知れぬ不安を抱えながら、沙希が発するであろう言葉を注視する。
「まぁ、そう難しいことでもないんだよ。雪ノ下の言ってたことも、あながち間違いじゃないしね」
「それは、どういう意味かしら?」
「至極単純だよ、弱みを握られてる」
そう言いながら口角を上げる沙希を見た瞬間、俺の脳内で警報が鳴り響いた。ダメだ、これはマズイ…!
そうして、沙希が次に発する言葉を遮ろうと口を動かした俺より早く、沙希が言葉を繋いだ。
「惚れた弱みってやつだよ」
「はぇ?」「はい?」
瞬間、部室内の空気が凍り付く。由比ヶ浜と雪ノ下は間の抜けた声を上げ、俺はというと、予想通りの沙希の言葉に頭を抱えていた。
「え? 惚れた弱みって…へ? それってつまり…ヒッキーのことがす、好きってこと…?」
「そういうことだね」
「え? でもそれって、え?」
「比企谷君…? あなた、川崎さんに一体何をしたの…!?」
平然とする沙希と、動揺しきっている由比ヶ浜、そして体を小さく震わせ、何らかの感情が天元突破しようとしている雪ノ下。部室の中は、混乱の渦にさらされていた。
こめかみに青筋を浮かべながらこちらに顔を向ける雪ノ下の言葉に、何とか声を返そうと頭を捻らせる。いや、何言っても収拾がつく気がしないな、これ…。このままでは、雪ノ下に本気で、社会的に抹殺されかねん…。
どういうつもりだ、と言葉なく沙希に顔を向けると、その口が開いた。
「大丈夫だよ、ばっちり振られてるから」
「はぇ?」「なんですって?」
こいつは一体どれだけの爆弾を叩き落とせば気が済むのであろうか。俺はもはや全てを諦め、状況の行く末を見守っていた。
「まぁ正確には保留って感じだけど…ともかく、まずは友達から始めようってことで、あたしと八幡は友達になったってワケ。下の名前で呼び合ってるのはそのせいだよ、友達なんだし、それくらいは当然でしょ?」
「…? …?? …なるほど????」
「……一応、状況は理解したわ。それで? それがどうして、あなたが奉仕部へ入ることに繋がるのかしら。先に言っておくけれど、不純な動機で入ろうとしているのであれば、即刻お帰り頂いて結構よ」
沙希の言葉に、由比ヶ浜は未だ理解の追いつかない様子を見せていたが、雪ノ下は流石というべきか、言葉の持つ情報のみを飲み込んで、状況を理解したようだった。
そうして発した、雪ノ下の棘のある声に、川崎が言葉を返す。
「八幡の現状を解消するためだよ。この間の文化祭でのやり方のせいで、八幡に関する悪評が広がりつつあったのは知ってる?」
「…えぇ、知っているわ」「……」
沙希の言葉に、雪ノ下は先ほどと打って変わり語気を弱め、表情を暗くし、由比ヶ浜も黙って顔を下に向けた。
「それなら…あんたなら、もうわかるでしょ」
「…比企谷君を残しつつ、噂の主役をあなたにずらしたのね」
「そういうこと。ただ、このやり方にも弊害はある。それは、噂の内容自体はポジティブなものになっても、確実に色恋のニュアンスが強くなってしまうってこと」
「だからこその奉仕部、というわけね…」
川崎沙希と比企谷八幡が親密になりつつあるという根本を残しつつ、そこに奉仕部へ加入したという事実を添える。こうなれば、何も手を加えずとも、二人の親密さは、奉仕部への加入が影響している、というストーリーが出来上がる。その上で沙希が、由比ヶ浜や雪ノ下とも仲良くする姿が広まれば、自然と色恋のニュアンスは薄まっていくであろう。これが、俺と沙希が考えた、「川崎沙希奉仕部仮加入大作戦」である。最終的に、噂が収まれば沙希が奉仕部にいる必要もなくなる。全ては元通り、というわけだ。
「…それで、このやり方に、私と由比ヶ浜さんが協力するメリットは何かしら?」
「別にないね」
「……」
沙希のはっきりとした言葉に、雪ノ下が沈黙を返し、由比ヶ浜が真剣な表情でその顔を見つめる。暗にその意図を尋ねているのだろう。暫くして、沙希がまた口を開いた。
「あたしはさ、別に、このままでもいいんだよ。ただ、あたしは、あたしのやり方で八幡を手に入れたい。そこに、変な噂とかの不純物を混ぜたくないってだけ」
――そういう意味だと、あんたのさっき言ってた不純な動機になるのかもね――と沙希は笑うと、更に言葉を繋げた。
「でも、八幡にとっては違う。あいつは、友情とか色恋とか…そういったものに、これまでずっと振り回されてきたわけじゃん。だから…あたしはあいつに恋しているからこそ、あいつのそういった面には真摯でいたい」
そういうと沙希は、雪ノ下と、話に聞き入っていた由比ヶ浜を見つめた。
「あんたら、これまであいつに助けられて来たわけでしょ。じゃあ、次はあんたたちの番なんじゃないの?」
沙希のその言葉に、由比ヶ浜はハッとした表情を見せ、雪ノ下は真剣な表情で考え込んでいた。暫くして、意を決したように由比ヶ浜が立ち上がり、口を開く。
「あたし、やるよ! ヒッキーと沙希に協力する!」
「由比ヶ浜さん…」
由比ヶ浜の言葉に、雪ノ下が弱々しい目線を向ける。雪ノ下らしからぬその姿に、思わず声を掛けそうになるのをぐっとこらえた。すると、由比ヶ浜が雪ノ下に近づき、その顔に目線を合わせた。
「ゆきのん、あたしには難しいことは良くわかんないけどさ…でも、ヒッキーの力になりたいって思う! 助けられたからとかじゃなくて…ヒッキーが助けたいからあたしを助けたように、あたしが助けたいからヒッキーを助けたいの!」
由比ヶ浜のその言葉に、雪ノ下は目を見開いた。
「そう…そういうことなのね…」
そうつぶやくと、雪ノ下は沙希へと顔を向けなおした。
「あなた、中々意地悪な言い方をするのね。…全く、誰に似たのかしら」
「さぁ? 誰だろうね?」
そう言うと、沙希と雪ノ下は互いに笑い合い、そして、落ち着いたころに、雪ノ下が口を開いた。
「あなたの依頼、受けましょう、川崎沙希さん。ようこそ、奉仕部へ、歓迎するわ」
そうして、この日、奉仕部に新たなメンバーが加わることとなった。
このことが、今後の出来事にどう影響していくのか、それはまだ誰にも分からない。
「さて…比企谷君? というわけで、あなたに聞きたいことが沢山出来てしまったわ、詳しく聞かせてもらえるかしら?」
「ヒッキー! ちゃんと全部説明してもらうからね! 約束!」
…おかしいな、綺麗に纏まったはずでは? 纏まってない? あ、そうですか…。
そうして俺は、川崎沙希に纏(まつ)わる諸々を、根掘り葉掘り聞きだされることと相成るのであった。