ヘッツァーは森を抜けると北西へ進路をとった。左手に三段山を望み、大きな円弧を半時計回りで描くように進んでいる。このまま行けば選抜隊の背後から奇襲できるはずである。三段山との距離は今は1000m程。気付かれずに単独で平野を行くには近すぎる距離だが、選抜隊は三段山頂上の207地点を攻撃中でいわば死角を移動しているし、なにより相手が味方の本隊にたどり着くまでに奇襲を仕掛ける必要があったので、これはやむを得ない。
装填手を務める河嶋桃は、戦闘室上面の右後方にある車長用ハッチから207地点を見ていた。相変わらず30秒程の間隔で砲弾が撃ち込まれ、そこにいるはずの味方の車輌が見えないほどに白い煙に包まれている。また、山の斜面には重々しく行軍する4輌の戦車があり、中腹辺りにまで達しようとしているのが確認できた。桃は1分ほど眺めていたが、やがて戦闘室の中へと戻っていった。
選抜隊の一人がヘッツァーの姿を確認したのはちょうどハッチが閉められようとした時だったのだが、勿論彼女がそれを知る由もなかった。
「河嶋ぁー、どうだった?」
車長用ハッチが閉じられると同時に、砲手席に座った角谷杏が口を開いた。
「はっ、変わらずです。それにしても、あれほどの発煙弾を持ち込んでいるとは……」
「こっちがあそこを要塞にするのを見越していたようだねー。まぁ当然か」
杏は肩をすくめた。大洗のスタート地点は選抜隊の初期位置よりも207地点に近く、従って一足先に到達することができる。戦車性能に差がある大洗が最初に目指す場所を推察するのは難しくない。それこそ試合前から対策を講じているのは必然だろう。
とはいえ、この時点では彼女も楽観的だった。少なくとも背もたれに寄りかかって干し芋を食べるくらいには。相手の車輌のうち発煙弾を装備できるのはシャーマンと四式だけだ。搭載する砲弾の半分以上をそれにするような極端なことをしていない限り、敵フラッグ車はあの林の中にいる。西住ちゃんの作戦通りに進めば勝ち目は十二分にある、例の一仕事もする必要がなかったかもしれない――。
だがそんな考えはすぐに消し飛んだ。先ほどまで等間隔で聞こえていた砲声が
「小山! 左!」
ヘッツァーは急旋回し、三段山を正面に見据えるような方向を向く。その直後に右側面の方から高速で飛んできた砲弾の物騒な飛翔音が轟いた。もしあのまま進んでいれば間違いなく命中していただろう。間一髪で避けたわけだが、しかし結果から言えば、それは撃破されるまでの時間をほんの少し先延ばしにしただけに過ぎなかった。
「会長、12時方向に2輌! こちらを狙ってきてます」
操縦手の小山柚子が悲鳴をあげた。
「……やられたね。こりゃ」
照準潜望鏡で同じく前方を視認していた杏も、むしろ淡々とした口調で応えた。斜面を登っていた敵の4輌のうちP40とファイアフライが動きを止めていて、照準器からはその砲塔の旋回する様子までもがくっきりと見えていた。さらに、姿は見えないものの敵は林の中にも最低2輌はいるはずである。障害物もない平野にいる以上、これから苛烈な集中砲火を浴びることになるのは、必定だった。
「小山、出来るだけ避けて!」
「はい!」
指示を出すと杏は喉元のマイクに手をかけた。少しでも相手に無駄弾を使わせることと、せめて一刻でも早く報告すること。彼女たちが今できることは、そのくらいしか残されていない。
4本の砲身がヘッツァーを捉えるのには、そう時間を要しなかった。
各車に指示し、いつ発車してもいいように準備を整えていたみほを待っていたのは、意外とすぐに勝てるかもしれないという希望的な推測を打ち砕く報告だった。
『西住ちゃん、そっちに向かってるのは2輌だけ! 残りは山腹にいるよ! ……ごめん、後は頼んだ!』
所々に雑音が入り、最後に一際大きい轟音とともに途絶えたその無線を聞いて、みほは思わず両の拳をぎゅっと握りしめていた。
「嘘、何で気付かれたの!?」
沙織が驚いたように声をあげた。
「もしかして無線傍受してるんじゃ……」
華は眉をひそめて言った。あまりにもタイミングがよすぎることや、彼のチームがつい1ヶ月程前の準決勝でまさしくその機器を用いていたこともあって、彼女がそう思うのも無理はない。ただ、みほはやんわりと否定した。
「……多分、偵察用の人員を配置してたんだと思う。島田流はそういうのが得意だから」
話している間にも、彼女は視線を少し下げて思考を巡らせている。その脳裏に挨拶のときに見た、相手の隊長の穏やかな顔がよぎった。あの丁寧な物腰の裏で一体どこまで計算しつくしているんだろう。試合前に調べたとおり、あるいはそれ以上に抜け目のない人だと、みほは思った。どこまでも用心深く、見透かすようにこちらの手の内を読み、そして冷淡に銃口を胸元へと突きつけてくる。
「何とかここから脱出しないと……」
周囲の白い煙を見つめながら頭の中を整理するかのように呟いた。みほは先ほどからずっと考え込んでいたが、まだ有効な手が浮かんでいなかった。いずれは三段山を駆け下るのだが今すぐにこの白煙から出ていくと、中腹と麓にいる敵戦車の包囲網の真っただ中に飛び込むことになってしまう。それではまずいのだ。
もし、相手が例えばサンダース大付属やプラウダ高校のような場合なら問題はなかった。実際1回戦や準決勝で無事に包囲を突破できたように、補足射撃をたやすく成功できる砲手はそんなにいない。1チームに一人か二人いればいいほうだろう。しかし今日の相手は違う。停止中なら補足・偏差射撃は当たり前、長距離射撃や行進間射撃もやってのける砲手が全車輌にいる。まともにいけば今残っている車輌の半分も生き残ればいいほうだろう。そうなっては撤退できたとしても勝算は低い。
やっぱりここに留まって、近づいてくる2輌を撃退したほうがいい? 彼女はその考えを読み直そうとして、それまでと同じくすぐに捨て去った。おそらく来ているのはJSー3とヤークトパンター、撃ち合いで勝てるはずがないし、回り込もうとしても下からの砲撃があって危険である。どうしても正面突破しかない。何かしらの工夫が必要だったが、考え出すには時間がなかった。
彼女は決断を迫られていた。もう発煙弾の弾着音はなく、いつこの煙がなくなるか分からない。相手は既にすぐ近くにいるだろうし、晴れてしまえば嫌でも敵の照準に晒されることになる。みほはやむなく前進の号令を出そうと、口を開こうとした。
『あ、あの』
この時、躊躇いがちの声が無線に流れた。三式中戦車に乗っている、ねこにゃーの声だった。
『ボクに考えがあるんだけど……』
P43仕様に改造されたP40は、空を仰ぐように90mm高射砲を上に向けていた。大戦時のイタリアにおいて最良と言われるその砲はティーガーⅠの88mmと遜色ない性能を持っており、大洗女子学園の戦車相手には大抵が正面から貫通判定を出せるだろう。
「晴れへんなー」
パスタは砲塔上面のハッチから身体を出して、相手の戦車が姿を見せるのを待ちわびていた。砲声はすっかり途絶えているが、視線の先にある207地点はいまだ白色に包まれている。
『なぁなぁ、この煙ってどれくらいで消えるん?』
『知らないわよ、そんなの。……着弾してから45秒間だけ発煙するタイプだけど、今は風がなくて留まってるから』
『もう目的は果たしたし、榴弾で吹き飛ばしてくれないかしら?』
『嫌よ。装填し直してる間に飛び出してきたらどうしてくれるわけ?』
先ほど発煙弾を撃ち込んでいた物量主義は、途中で割り込んできた二枚舌の要請にも素っ気なく応えた。彼女は相変わらず気まぐれで、隊長の命令以外には強情を張ろうとする。だが、不意に何かを思いついたようで、
『……榴弾だから狙いがぶれるけど、それでもいいなら撃つわよ。目標に近づいてるスターリンとか、途中にいるイタリア製の近くに落ちるかもね』
『やめて。お願い』
『撃たんといて。絶対撃たんといてや』
『あんたがそう言うと振りにしか聞こえないんだけど』
『いやこれはマジや』
震えた声でパスタは応えた。容赦なく過去のトラウマを抉られた彼女はあっさりとこのまま待機する方向に傾いた。
『どっちでもいいけど、早く出てきてくれないかな。次こそ撃破してみせるんだから』
『まださっきのこと気にしてんの? さっさと切り替えなさいよ』
『そうそう。ヘッツァーならちゃんと私たちが撃破してあげたじゃない』
『それが悔しいんだって。もう』
レジスタンスが口をとがらせて言った。ポルシェティーガーに続き、ヘッツァー相手にも突然方向を変えられて外してしまったからか、珍しく不機嫌気味になっている。
『まあしゃーないって。ついてへんときはそんなもんや』
『日頃の行いもあるかもしれないわ。何か悪いことでもしたの?』
『むぅー、品行方正な優等生に向かってなんてことを。……あっでも、最近私、戦車道ショップでレアパーツ見つけて店員さんに長々と値引き交渉しちゃったような……』
『それね』
『それよ』
『あかん、それや』
『とりあえず砲手の子に一言いうべき』
無線機の向こう側から、離れた声で「ごめんねー」「あ、いえ、大丈夫です」という会話が聞こえた。その後、
『待って。みんな酷くない?』
『自覚はめっちゃあったやん』
『長々ってどれくらいかかったのかしら』
『えと、2時間はかかったと思うんだけど……』
『長いわね』
『長すぎるわよ』
『だって、欲しかったんだもん。仕方ないじゃない』
『開き直っちゃだめ』
『とりあえずもういっぺん謝っとき、な?』
無線機の向こう側から、離れた声で「やっぱりごめんね」「え、えっと、次は当てますから!」という会話が聞こえた。その後、ぷつりという音とともに、今まで黙っていたファシストの荒々しい声が無線に乗った。
『おいお前ら真面目にやれ。隊長、作戦に変更はないか』
『予定通りお願いします。お二人はそのまま突入、他の皆さんは引き続き照準を合わせてください。仲良しなのはいいことです』
『この段階で無駄話するのは良くないだろう。締めるところは締めてくれ』
『す、すみません』
『ふふ、しっかりしてくれないと困るよ』
『お・ま・え・も・だ』
通信がはたと途絶える。パスタは苦笑いを抑えきれない顔で207地点を見つめ直した。いささか話しすぎていたかもしれないが、彼女はあまり反省をしていなかった。試合中のこうした何気ない会話が、いい意味で力を抜くのに一番効用があることを知っているのだ。そしてなによりも、彼女たち戦車長の仕事は一段落ついており、すでに次の役割を砲手に一任している。
ヤークトパンターとJSー3は、遅々とした速度ながらも確実に坂道を登っていく。もう1分もすれば目標と接触するだろう。あの2輌相手に正面から挑むのは流石に無謀というものだ。大洗がなるべく被害を出さないようにするならそうなる前に撤退するしかない。選抜隊の面々はその瞬間を今か今かと、手ぐすねを引いて待っていた。
突然、1輌の戦車が煙の中から飛び出し、速度を上げて駆け下りようとした。無線で連絡が交わされるよりも、パスタが命じるよりも早く、P40の砲手は砲塔を動かしてその行く先に照準をつけ始めていた。腕のいい乗組員というのは時として命令される前に自ずから為すべきことをするものである。砲手は驚異的な反射神経と機械的な正確さをもって三式中戦車に徹甲弾を撃ち込み、撃破数を一つ増やした。
衝撃と轟音がやみ、静かになった狭苦しい砲塔の中で、パスタは砲弾の装填を急いだ。P40の砲塔は二人乗りで通常は車長兼砲手と装填手という構成だが、この車輌の場合は砲手を専属にして車長が装填手を兼務している。6秒ほどで装填を終え、彼女は再び前方を確認した。先ほどよりも味方の2輌が少し目標に近づき、白旗をあげた戦車が1輌増えている。白い煙の中は依然として不明である。たった1輌だけが飛び出してきたのは何を意図しているのかと、彼女は首を傾げた。
『……こんだけ?』
『偵察のつもりかしら? どちらにせよ――』
訝しむような無線の声は、207地点から聞こえてくる砲声に中断された。轟音は間髪入れずに5回。砲弾はこちらの戦車からだいぶ外れて麓へと過ぎ去っていった。発砲焔が見えれば直ちに応射できたのだがあいにく白煙によって覆い隠されていて、砲手も沈黙を保っている。
この砲撃は狙って撃ったものではない。しかし、やはりその意図が見えなかった。なぜこの状況でそんなことをするのだろうか。そして彼女は、不意に擱座している三式へと注意が向き、ついに思い当たって驚愕の息を呑んだ。それを代弁するかのように、隊長の鋭い指示が無線機から飛び込んできた。
『二枚舌とパスタ、直ちに移動してください! 次に間接射撃が来ます!』
P40は頂上に正対する状態からS字を描くように右後方へ動いた。ファイアフライも同じように移動していた。この2輌は装甲が薄めで、万が一にも敵弾が当たってしまえば撃破される可能性が高い。精度は悪くても間接照準で狙われている現状では、少しでも相手の照準をかわす必要があった。
あの三式中戦車は観測班だ。ルールでは競技続行不能となった後は一切戦車の操作をしてはならないとあるが、無線機を使ってはならないとは書いていない。今大会においても撃破されてから少しの間なら情報を提供しても何ら問題にはなっていないし、選抜隊も2回戦で実際やっている。あの戦車はあえて外に出て、こちらの動きを報告しているはずだ。そしてその情報を得た敵の指揮官は、選抜隊の予想よりも遙かに狡猾に動き始めた。
中腹の2輌に対し再度、敵の砲撃があった。間接照準なので限度があるのだろう、直撃弾とはならず手前で落ちる。ただ放たれたのが徹甲弾ではなく榴弾で、爆発とともに土砂が巻き上がった。噴煙により照準がとれなくなり、その少しの間が相手に逃げる時間を与えてしまった。
次いで大洗女子学園の残り5輌が姿を現し、勢いよく速度を上げた。近づいていたヤークトパンターとJS-3の合間を縫い、走りながら隊形を整えている。ポルシェティーガーを先頭にして直後にフラッグ車のⅣ号戦車、それを守るように左右後ろに3輌を配した十字型の隊形を組み、一気に坂道を下っていった。パスタはそれを追うように砲身を振り回す指示を出したが、立ち直りに時間がかかったため僅かの差で照準が間に合わなかった。
『やるね、でもまだ私たちが――うひゃあ!?』
無線機からは悲鳴と榴弾の炸裂音が聞こえる。走行中に麓の2輌へ狙いをつけて撃ったに違いなく、三度目の砲声も轟いていた。シャーマンとARLー44は穴に入って上向きの照準をしていたので、戦闘に復するのに時間が掛かる。少なくとも坂道を下り終えるまでは砲撃を期待できない。
ここで逃げられてたまるかと、P40の車体自体も左旋回をして、ようやく砲身が既に中腹より下を走っている大洗の車輌をとらえたときには、またしても先手を打たれていた。十字型を組む5輌のうち、後続の3輌の背後から煙幕が射出され、照準がまったくできなくなっていた。一応砲撃は指示したものの、これこそ盲射というもので、むなしく空を切った。
「前進や、追うで!」
P40はすぐさま動き出して斜面を下り始めた。他の3輌も同じく後を追おうと動いている。目指す相手の車輌はもう平地まで下りていて、煙幕をまき散らしながら1時の方向に旋回、平野の東の方へ向かって疾走していた。
(こちらには来てくれませんか)
次第に遠ざかる大洗の車輌を見つめながら、隊長は心の中でつぶやいた。もし敵がフラッグ車を狙って林の中へ来てくれれば完全にしとめることが出来ただろう。シャーマンとARLー44では5輌を一度に相手にするのは流石に無傷というわけにはいかないが、登坂中の車輌が戻るまでの時間は稼げる。そしてこちらのフラッグ車がとっくに別の場所へ避難していると気付いたときには既に遅く、後ろから強襲を受けて壊滅の憂き目を見る――こうした罠を見抜いて撤退するのは至極当然ではあったが、彼女としてはやはり残念な気持ちがないとはいえなかった。
また、ここで逃がしてしまったことも痛手だった。高台の陣地は一般に有利とされているが戦車戦においては問題を含んでいる。実に簡単にその位置を観察することを許してしまうのだ。さらに、そうした防御陣地で絶対的に必要となる有効射程と装甲が、大洗には欠けていた。なおかつ今回の場合は逃げ場が一つしかなく、攻撃側から見れば絶好な、まるで檻のような地形条件でもあった。これらの点からいえば、相手が207地点へと逃げ込んだのは他に選択肢に乏しかったとはいえ、こちらからすればまたとない機会だったのである。詰めが甘かったと、彼女は悔やんだ。
とはいえ、好機は逸したとしても、依然有利であることには変わりがない。
『相手は東へ移動しています。全車追撃。主導権は我々にあります、この勢いのまま勝負をつけましょう』
隊長は小型無線機で連絡を入れると、腰掛けていた背の高い木の枝から素早く降り立った。ここは乱立する林の中の一つで、先ほど榴弾が撃ち込まれた林とはまた違った場所にあった。自車の四式中戦車は発煙弾を撃った後に三段山の西側へと避難していたが、直に迎えにくる。
待っている間、彼女は今後の試合展開について検討をしていた。これからは逃げる相手を追う展開になる。今の戦力差なら立ち直る隙を与えずに更に打撃を加えられるし、どのみち大洗が目指そうとする場所はひとつしかない。その場所に入られてしまったらまずいが、今のところ心配になるようなことは見当たらなかった。猟犬のように追い立てるなり、待ち伏せするなり、いずれにせよいくらでも対処できる――。
「……?」
そこまで考えたところで、隊長は不審の面持ちになって虚空を見つめ直した。上手くいきすぎている。相手の指揮官はそう簡単に勝たせてくれるような人だろうか? いや、そんなはずはない。
彼女はこれまでの大洗の戦いぶりをつぶさに検証していて、その油断ならないことをとうに知っていた。素人の集団を率いて強豪と接戦を演じた聖グロリアーナ戦、不利な状況でも最後まで諦めずに勝利を掴んだサンダース戦、相手の作戦を見抜いて華麗に攻めきったアンツィオ戦、そして相手の油断に助けられたとはいえ昨年の優勝校に逆転を果たしたプラウダ戦。いずれも勝負の機微をとらえて、臨機応変に対応した見事な戦い方だった。今し方も、こちらの隙を的確に咎められ、包囲網を突破されたばかりである。そんな相手がこのまま引き下がるわけはなく、必ずどこかで勝負手を放ってくるか、逃げ切るための策を講じてくるはずだ。しかし、それが具体的に何かというのがまだつかめない。
隊長は自車が来るまで頭を悩ませていたが、結局答えが見つからずに、漠然とした予感を拭えないまま搭乗して、大洗の後を追った。
三段山と煙幕を背にして5輌は急いで東へと突き進む。平地に入ってからは車間を大体30~50mに維持し、隊形を若干変更させていた。十字の右翼にいたⅢ号突撃砲と左翼のM3中戦車を少し後退させて、T字型隊形になっている。Ⅳ号戦車の後続は八九式中戦車のまま変わっていない。
みほはⅣ号戦車の中で地図を見返していた。後方の監視は八九式に任せて、今後の展開を再検討している。さっきは危なかった。彼女としてはあそこで少なくとも1、2輌は撃破できればと考えていたが、逆に必死の逃走劇となってしまったのである。あまり使いたくなかったが準備してきた作戦を使うしかないと、彼女は覚悟を決めた。
『ごめんね、西住さん』
三式中戦車のねこにゃーからの無線が届く。そろそろ回収車が来てもおかしくないので、これが最後の通信になるだろう。みほは顔をあげた。
『これくらいしかお役に立てなくて……』
『ううん、助かりました。ありがとうございます』
申し訳なさげなその声に、みほはかぶりを振りながら慌ててお礼を言った。三式をあえて外に出して、得られた情報を基に間接照準を行うという彼女の提案がなければ、今頃どうなっていたか分からなかっただろう。
『間接射撃なんて、よく思いつきましたね!』
『ゲームだと味方が見える範囲なら、それが撃てたから……』
優花里の言葉に、ねこにゃーは照れたように応えていた。
「でも、これで5対7ですか……」
通信が終わった後、華がぽつりとこぼした。なんとか脱出に成功したもののここまでで3輌も撃破されてしまっている。しかも相手はまだ無傷。思っていた以上に厳しくなった状況に、優花里も心配そうな顔になり、みほの方へ向いた。
「本当に隙がありませんね。このままだと……」
「うん。正攻法だと、やっぱり無理かな」
みほはあっさりと認めた。相手は個々の性能と練度が高い上に、それらが一つの指揮統制下で緊密に連携をとって攻めてくる。もし戦車の性能が同じであれば、あるいは1回戦か2回戦で戦っていれば正攻法でもやりようがあるのだが、現状では逃げるだけで手一杯だった。しかも、大洗にとって唯一の目標とすべきフラッグ車は決して表に出てこず、反撃の糸口をつかむことすら難しい。
フラッグ車を倒すには先ず敵の連携を崩す必要があり、そのためにはなんとしても何輌かは撃破しておかないといけない。しかし、まともに挑もうとすると地の利をもってしても無理だった。やはり奇策が必要となる。それも、敵に対策されないような奇策が。そして、彼女はもうその布石を打っていた。
「でも、これで
今回彼女がとろうとしているのはハイリスクな戦術だ。わざと相手に追撃させてその位置を随時把握するとともに罠を仕掛けた場所へと誘導する。リスクに見合ったハイリターンな作戦でもあり、何輌かを戦闘不能にして、かつ目的地へ逃げる時間を稼ぐことができるだろう。そしてみほは、この作戦が見破られることはないと確信していた。
この作戦を選んだ一番の理由は、相手に有利だと思わせることにある。人は苦境な時は必死に思考を巡らすが、順風に運んでいるときはどうしても考えが抜ける。老獪な敵の隊長に奇策を通すにはわずかに生じるこの隙につけいるしかない。一瞬ひやっとする場面はあったが、ここまで持ち込むことができれば勝算はまだ十分にある。
しかし問題は全くないともいえなかった。
『来ました!』
八九式の磯辺から緊迫した報告が流れた。みほは直ちにキューポラから顔を出して、後方を確認する。煙の中から相手の車輌が次々に姿を現し、走りながら砲焔を閃かせたのを見た瞬間、彼女は勢い込んで無線機に声を出した。
『全車輌、この隊形を維持したままジグザグに走行してください!』
砲弾が飛んでくる中、5輌は一斉に之字運動を開始する。相手との距離は1000mもなく、油断してそのまま走行しているとたちまち何輌かが停止射撃に移行するだろう。またそうでなくても、行進間のはずなのにやたらと精度がよく、掠りそうになることもあった。
これからこの追撃を避けながら罠のあるところまでおびき寄せなければならない。いうなれば、彼女たち自身が疑似餌だ。幸いそこまで遠くなく、途中で森に入れば当たる可能性も低くなるが、それも300mまで追いつかれたら駄目だろうと、みほは思った。味方がジグザグで走っているのに対して、敵は直進してどんどん距離を詰めてくる。
追いつかれるのが先か、逃げきれるのが先か、それはみほにも分からなかった。ただ漠然と、みんなと一緒に、それぞれが支え合っていけば、この危機を乗り越えられるだろうと思っていた。そしてそのためには、何よりも自身の指揮がしっかりしなければならないという重圧も、また感じていた。
『これよりアンコウ作戦を開始します!』
みほは自分を叱咤するように、各車に作戦の開始を告げた。