あれから1年がたった。学校では相変わらずの私だったけど、クラブでは雲泥だ。
クラブのお姉さんは優しい。なんでも教えてくれるし、なんでもしてくれる。
私が走れば褒めてくれる。私が勝てば褒めてくれる。私が居れば褒めてくれる。
「テンマちゃんはすごいね、もっともっとすごくなろうね」
私はすごいというのがよくわからなかったけど、お姉さんが喜ぶのは嬉しかった。
クラブの子達も優しい。彼女達と走るのは楽しいし、勝っても怒らない。
普通に走って、普通に話して、普通に遊んで。
私の行動範囲はこの1年ですごく増えた。
お祖母様の所で走って、お姉さんの所で走って、気ままに走って。
そうする内にクラブへ大人の人達が現れるようになった。
大人の人達はお姉さんと何度か話をして、遠巻きに眺めてくる。
私にも何度か話しかけてきて、箸にも棒にもかからない話をして帰っていく。
不思議だったけど、それだけだ。
それよりも気になる事がある。そう、私がクラブに来てからずっと。
「オイ」
クラブで走るためにシューズを履き替えていたら、隣に影がさした。
「もう走ンのか?」
「うん」
「そォか」
それだけ。私も喋るほうじゃない、彼女もそうみたいで、大体こんな感じ。
彼女の名前はエアシャカールと言った。なんとお姉さんの娘らしい。
黒髪が狼みたいにツンツンしていて、歯はギザギザしていて、目はギラギラ。
そう、ギラギラしているのだ。彼女は一貫してずっと、私をそんな目で見る。
私はその目が苦手だ。あの目に晒されると居心地が悪くなる。
それがなぜかはよくわからないけど、ロジカルといえない事は確かだ。
「1200m、差し」
「わかった」
彼女が提示して、私が受ける。それが何時ものルール。
そして私達は走って、私が勝つ。それも何時もの事。
私はこの1年で様々な事を学んだ。走り方が最たる例。
逃げ、追い込み、差し、そういったウマの基本の走り方。
お祖母様はいらないと言ったけれど、お姉さんは率先して教えてくれた。
これがなかなか面白い。勝ち方にも色々あるのだとわかった。
結局の所は最後に1番になっていればいいのだけれど、それでも。
1バ身でも勝ちは勝ち。
シンザンというすごいウマ娘の事らしい。私には目から鱗だった。
レースといえば、全力だ。だって勝負なんだから。
皆私が勝つと怒った。それはきっとすごく勝ったからなんだ。
そんな中でのこの言葉、私は震えあがった。
――別に全力じゃなくてもいいんだ。
だってシンザンはすごいウマ娘で、そのウマ娘がやっているのだ。
それがいいのかは、実のところよくわからない。聞いてもそうだった。
お祖母様はニコニコしていた。お姉さんはちょっと困ってた。
エアシャカールは「弱ェ奴が悪い」そういった。
レースで手を抜いて負けたら自分のせいだ。疑いようがない。
それを覚悟して手を抜いて勝てるなら、それでいいのかもしれない。
――だって怒られないし。
「まだ走る?」
「 あ゛ぁ!?」
まだ走るらしい。一度走っただけで彼女は汗まみれで、手をついて喘いでいる。
先のレースではきっかり1バ身で差し切った。我ながら上手く言ったと思う。
「ロジカルじゃねぇ……物が違ぇのか?」
彼女はいつもそうだ。走って、負けて、ギラギラしている。
変な子だと思う。ひょっとしたら、負けるのが好きなのかもしれない。
「……なぁ、オレは速いか?」
「速いんじゃないかな?」
少なくとも他の子達よりは速いと思う。
「速いよ。がんばってれば、絶対速くなる」
私がそうだったから。だからこれは応援なのだ。その、友達として。
「速くなるよ。私はそう信じてる」
「……そォか」
受け取って、くれただろうか?私の言葉は届いたろうか?
なんだか恥ずかしくてドキドキする。やっぱり走るのは楽しい。
「もう一回だ!」
エアシャカールはそう言って、スタートラインに走っていく。
これが私の日常だった。
◆
変なやつが来た。最初の印象はそんな物だ。
白い毛、青い目、すらりとした足。ツンと済ました顔。
クラブの連中は甘くねぇ。初めて見るそいつに全員が品定めしてた。
そして、アイツはそんな期待をぶっちぎった。
自分が1番じゃないとダメな奴。
噛み付いて暴れてどうしようもない奴。
おどおどして顔色伺うしかできない奴。
皆アイツを見るようになった。アイツの一挙一動に媚びるようになった。
走るために飢えてたココは、一転して負け犬の集まりになった。
「ロジカルじゃねぇ……ロジカルじゃねぇけど」
変な奴は化け物だった。どんな走りでも悠々抜き去っていく。
冗談見てぇな存在だった。オレが理論的に覚えたそれを、アイツは一足飛びに覚えてく。
データと向き合う時間が増えた。寝る間も惜しんで毎日毎日アイツを見る。
「シャカール、まだ起きてるの?」
母親が声をかけてくる。母親だけど、とっくに母親じゃねぇ奴が。
コイツはアイツが来てからおかしくなった。同じ勝利至上主義だったはずが、やけにこっちを構うようになった。
あなたは頑張ってるわ。あなたはテンマちゃんとは違うのよ。
家ではアイツの話でもちきりだ。話題に上がらない日の方が少ない。
耳が腐るほど聞いた事だ。それが事実を言っているようで、負け犬のようで。
「選考はどうなってんだ?」
「それは……その、ダメだったわ」
「アイツは?」
「え?」
「アイツはどうだったんだ?ハ、聞くまでもねぇか」
「……」
トレセン学園祭。毎年広く募集をかけているそれ。
その実態は青田刈りだ。めぼしいウマに招集をかけつばを付ける。
学園として青ガキに色々と見せつけて脳を焼くのだ。
内約には上級生とのレースもある。今からスカウトは始まっていた。
「テンマちゃんはほら、まだ色々初めてでしょ?レースは一人じゃできないし、上には上がいるって今のうちにわかった方がいいの」
「わざと負けさせるってか?心にもないこと言いやがって」
「私は、その、一人で走るのかわいそうだなって……」
沈黙が支配する。わかってんだよ、アイツがすげぇ事くらい。
アイツは速い。一緒に走れるだけで、他と比べてすごい事なんだろう。
だから努力すんだろ?血反吐はいて、泥水啜って、凡人が天才に勝つためには。
それなのに。
「ねぇシャカール。あなたがテンマちゃんと同年代でも、走るレースまでは何年もあるわ。今から無理しても体が持たない。後で勝てばいいのよ、本気で勝ちたいならじっくり鍛えなきゃ、ね?」
「オレは今勝ちてぇんだよ!」
母親なら……。なんでそんな簡単に言えるんだよ。
「走ってくる!」
「シャカール、待ちなさい!」
やるしかねぇんだよ。凡人が勝つには、これしかねぇんだ。
「ロジカルじゃねぇ……ロジカルじゃねぇぞ!」
ゼロより低い可能性だとしても、信じてるんだよ。だってそれがウマ娘だろ?
◆
「テンマちゃん、選考会に出てみない?」
「え?選考会ですか?」
「うん、トレセン学園って知ってる?毎年開催されるんだけど……」
「そういうのって、基準とかあるんじゃないんですか?」
「そのへんは大丈夫よ。テンマちゃんは大丈夫。余裕で合格だから」
選考会。そういうのもあるのか。実を言うと、ちょっと興味がある。
トレセン学園といえば名門も名門だ。きっと皆速いのだろう。
「興味あります。いつ行くんですか?」
「来月の中頃ね。実はもう用意はできてるの」
「へ~、私こういうの初めてだから楽しみです!」
そうなのだ、私は学校ではぼっちだ。ワイワイなんてのとは程遠い。
だから少しだけ、そうほんの少しだけ皆とお祭りなんてのに憧れていた。
「?行くのはテンマちゃんだけよ?」
「え?」
「?」
「皆行かないんですか?」
「テンマちゃんだけよ」
「……エアシャカールとかは」
「あの子はダメだったわ」
「……」
行くのは私だけ。なんだろうそれは、ちょっと、いやかなり気まずい。
やっぱり断ろう。走るのは楽しいけど、1番になりたいわけじゃないし。
そう思って口を開こうとしたのだけど。
「シャカール、怪我したの」
「え?」
「だから、シャカール怪我しちゃったの。ちょっとがんばりすぎたみたい」
「え?え?大丈夫なんですか?」
「心配しなくても大丈夫。すぐ良くなるわ」
心臓が止まるかと思った。そっか、エアシャカール、怪我しちゃったのか……。
「……」
気まずい沈黙が降りる。こういう時なんて言えばいいかわからない。
「その、お見舞いとか……」
「本当に大したことないよの。ただ、あの子トレセン学園楽しみにしてたから……」
お姉さんがこっちを見てくる。なんだか今はそれが怖い。
「シャカールの代わりにでも、学園祭に行ってくれないかしら?」
うーん……。
「トレセン学園は名門だから、速い子もいっぱいいるわよ?テンマちゃんもきっと楽しいと思う」
「クラブの子達よりも?」
「えぇ、ずっとずっと速いわ」
「エアシャカールよりも?」
「えぇ、ずっと」
「……」
「大丈夫、テンマちゃんの心配するようなことは起きないわ」
本当、なんだろう。走る上では速い子との衝突はさけられない。
なら、今のうちに経験してみることは重要なのかもしれない。
「わかりました。行ってみようと思います」
「本当!?責任持ってがんばるから、お姉さんにまかせてね!」
「はい、お願いします」
「全部まかせていいからね」
「はい」
こうしてトレセン学園祭への参加が決まった。夏の猛暑も陰りをみせた頃。
青い空を眺めて思う。名門という学園、どんな所だろう。
エアシャカールの怪我はショックだったけど、彼女の分もがんばってみよう。
エアシャカール、早く良くなると良いな。友達だもん。