♢ジングル・ティンクル
ティンクルは震える手で手綱を握りしめながら、無心でソリを走らせていた。そうでもしなければ、とてもじゃないが耐えられそうにない。今だって気を抜いたら涙が溢れそうだ。視界の端には、声を上げて泣きじゃくるパンプキン・パンプティが見える。そして、姿は見えないが、真後ろに賽ノ目チロリがいることは独特の気配で分かる。恐らくだが、こんな状況でも一人あの薄気味悪い笑みを浮かべているに違いない。その姿を想像するだけでティンクルの身体は恐怖で震えてしまう。
行きの時は5人が乗っていたソリに、今は4人しかいない。キティ・ギルのリーダーだったキャットミィは、ブルジョワ―ヌⅢ世の誘拐に成功した直後、現れた金色の髪の魔法少女に殺されてしまった。あの時、ティンクルはキャットミィを助けようとしたが、チロリに止められ結局彼女を置いていくことになってしまった。その時はもうティンクルは頭の中がごちゃごちゃで、一体自分がどうやってソリを走らせていたかもよく分からないくらいだった。脳裏に何度もキャットミィの苦しげな表情と、血の海の中に沈んだ子猫の姿が浮かび恐怖で頭が埋め尽くされたかと思えば、仲間を置いて逃げてしまった罪悪感で胸を掻きむしりたくなるような衝動に襲われる。
ただ、悲劇はこれだけで終わらなかった。訳も分からずソリを走らせるティンクルや、パニックになって泣きじゃくるパンプティとは違って、ビスケにはまだ怒るだけの余裕があったのだ。そして、ビスケはその怒りを最悪な相手にぶつけてしまった。
「⋯⋯ねえ、何ティンクルに命令とかしてるわけ? 私たちのリーダーはキャットちゃん、そのリーダーを置いて逃げるなんて出来るわけない!! 私だけでも今から助けに行くから!!」
ビスケは怒りで顔を真っ赤にしながら、チロリに向かってそう叫んだ。その声に反応して思わず振り返ってしまったティンクルは、この後の展開の一部始終をしっかりと脳裏に焼き付けることとなってしまったのだ。
「じゃあ、ソリから飛び降りて助けに行けばいいんじゃないですか? 最も、今ソリはかなりの高度を飛行中ですから、いくら魔法少女とはいえ無事に着地出来る保証はありませんけれどね」
興奮するビスケに対し、チロリはあくまで落ち着いた様子で答える。そう指摘され改めて高度を確認したビスケはその高さに一瞬言葉を詰まらせた後、それでもなお顔を真っ赤にしてチロリに突っかかる。
「じゃ、じゃあ戻って皆で助けに行こうよ!」
「運良く逃げられたというのにまた捕まりに戻るのですか? それに、今戻ったところで、あの猫はもう⋯⋯」
「キャットちゃんはまだ死んでない!! あのキャットちゃんがあれくらいで死ぬもんか!! あんたがなんて言おうと私は絶対にキャットちゃんを助けに⋯⋯」
「そうですか。じゃあ逝ってらっしゃい」
ビスケの言葉を遮ったチロリは、淡々とした口調でそう告げると同時に、ビスケの身体をソリから蹴落とした。あまりにも突然の出来事で止める暇すらなく、ティンクルはビスケが驚きに目を見開きながら落下するのをただ呆然と眺めることしか出来なかった。
「あれだけ仲間思いな彼女のことです。きっとあの猫を助けて私たちの元に笑顔で戻ってくることでしょう。決して、分かりきった事実を受け入れようとしない馬鹿に嫌気がさしたわけではありませんよ? さあ、あなたもぼんやりしていないでソリを走らせることに集中しなさい。こんな高さから墜落とか洒落にならないでしょう?」
そう笑顔と共に告げられたティンクルは、仲間が二人も居なくなった悲しみよりもこのバケモノに対する恐怖が勝り、震えながらソリを走らせることしかできなかった。
ただ、ティンクルがチロリに恐怖を感じていることに気付いていないのか、また気付いた上であえてそうしているのかは知らないが、チロリはソリに乗っている間やたらティンクルに話しかけてきた。それにティンクルが答えることはなかったが、チロリも返事を期待していたわけではなかったのか、ただ独り言のような呟きが続けられる。
「そういえば、あの猫はお前たちのリーダーだったんですよね? じゃあ、お前たちはいつもあの猫の指示で動いていたってわけですか」
「お前たちが言うお母さんに会ったのって偶然ですか? いや、偶然にしては需要と供給がマッチしすぎているなって思いまして。ああ、気にしないでください、唯の独り言です」
「あの猫の死体⋯⋯おっと、口が滑りました。あれの言い分だとまだ死んではいませんでしたね。で、あの死体もどきですけれど、一瞬だけ首輪をはめていたように見えたんです。でも、再び見たときには消えていました。おかしいですよね?」
チロリの独り言と、パンプティの泣き声だけが虚しく響くソリは、やっとのことでキティ・ギルのアジトである廃病院へと到着した。いや、メンバーの二人が欠けてしまった以上、もうキティ・ギルのアジトとは呼べないかもしれない。そんなことを考えてティンクルはまたしても泣きそうになった。
「⋯⋯ねえ、ティンクルちゃん。お母さんに会う前に、ちょっとやりたいことがあるの。裏庭の皆の花壇の前に下ろしてくれない?」
と、そこで今までずっと泣いてばかりであったパンプティがティンクルに話しかけてきた。パンプティの言う『皆の花壇』とは、キティ・ギル皆で廃病院の敷地の裏に作った花壇のことだ。だが、なぜこのタイミングでその花壇に行きたいと思うのか。ティンクルにはパンプティの考えていることは分からなかったが、今となっては最後の仲間かもしれないのだ。出来るだけ願いは叶えてあげたい。
「私は別に構いませんよ? 個人的にあの母親もどきはあまり顔を合わせたいタイプではないですし」
どうやら、チロリも特に異論はないようなので、ティンクルはソリの軌道を若干修正し、廃病院の裏へとそっとソリを着陸させた。ソリを降りて少し進むと、パンプティの言う『皆の花壇』がある場所に到着する。ティンクルやパンプティにとっては既に見慣れた光景だが、初めてその『皆の花壇』を見たチロリは、珍しく目を見開いて「おお!」と感嘆の声を漏らした。
「素晴らしい⋯⋯! 子供4人でここまで見事な薔薇園を造り上げるとは、なかなか出来るもんじゃあないですよ!」
そう、『皆の花壇』に植えられている花は、薔薇のみであった。何もないのは寂しいからという理由で、花を植えようと言い出したのがキャットミィで、薔薇を持ってきたのは確か、パンプティだったはずだ。パンプティが持ってきたその薔薇をビスケが魔法で増やし、花屋から盗んだ肥料などを使って枯らさぬよう交代制で丁寧に手入れを続けてきた。しかし、人数が半分に減ってしまった今、この花壇の手入れも難しくなるかもしれない。
パンプティは、花壇から薔薇を二輪だけ摘み取り、何も植えていない部分の土を盛り上げ、その上にちょこんとその薔薇を乗せる。ここにきて、ようやくパンプティがやりたかったことがティンクルにも理解出来た。涙で目を真っ赤に腫らしながらも、手を合わせて黙祷を捧げるパンプティの横に座り、ティンクルもそっと手を合わせる。
「はあ、あの馬鹿とは違って、お前らはなかなかに賢いようですね。ただ、こんなくだらないことのためにあの薔薇を摘み取るのは少々もったいなかったのではないですか?」
背後から投げかけられたチロリの声に、ティンクルとパンプティの2人はビクリと肩を震わせ、慌てて立ち上がった。こいつの機嫌だけは決して損ねてはいけない。ティンクルは、よろけそうになったパンプティの手を取り、既に歩き始めていたチロリの後を追いかける。
「ティンクルちゃん、あの、えっと⋯⋯ありがとね?」
その途中、パンプティがティンクルの顔を見上げ、若干照れた様子で礼を言ってきた。パンプティは4人の中でも一番精神年齢的に幼い。2人が欠けてしまった以上、彼女を勇気づけるのは必然的にティンクルの役目になるだろう。そう思ったティンクルは、恐怖を押し殺して無理矢理笑みを作り、先程よりも強い力でパンプティの手を握りしめたのであった。
♢♢♢♢
♢ビスケ
全身のあちこちがとてつもなく痛い。左腕は本来あり得ない方向に曲がっているし、下半身は全く動かすことが出来ない。それでも、落ちる途中で木にぶつかったおかげか、なんとかビスケは一命を取り留めていた。しかし、このまま放置していれば、いくら魔法少女の身体が頑丈とはいえ無事では済まないことは確実である。一刻も早く治療する必要がある。
だが、ビスケは自分の身体のことなど全く考えていなかった。その心に燃えたぎるのは、自分を殺そうとしたチロリに対する激しい怒り。そして、何が何でもキャットミィを助けるのだという強い決意であった。
「待っててキャットちゃん⋯⋯!! 今助けに行くからね!!」
ビスケは、唯一まともに動く右腕を使い、這うように地面を進んでいく。ここがどこかは分からない。本能だけを頼りに、ビスケは身体を動かし、キャットミィの元へと向かう。身体はボロボロになりながらも、その瞳には決して諦めない強い意志が燃えていたのであった。