♢和三盆茶々
真っ先に駆けていったあかりと、あかりを追いかけて行った花子を見送り、茶々とすみれの2人はとりあえず病院の周囲をぐるりと巡ってみることにした。外に敵が潜んでいる可能性も否定できない。茶々は元々細い目をさらに細め、注意深く辺りを見渡しながら歩いて行く。
そして、病院の裏手へと回った時、茶々の視界にはキティ・ギルが乗っていた赤いソリが飛び込んできた。「おっ!」と小さく声を上げ、心の中でガッツポーズをとる茶々。敵の移動手段を見つけたのは大きい。運が良ければここに敵が隠れている場合もあるし、そうでなくともこれを破壊すれば相手の足を奪うことが出来るのだ。早速ソリの破壊を提案しようとし、横に居るすみれを見た茶々は、すみれの視線がソリではなく、その奥の花壇に向けられていることに気が付いた。
「薔薇、薔薇は、ダメだ⋯⋯。壊される、何もかも⋯⋯! 薔薇、薔薇は、危険だ⋯⋯!」
茶々は、一瞬自分の耳を疑った。今まで、茶々と一緒に居るときは一度だって声を発することのなかったすみれ。夜に一緒の布団の上で寝る時さえ声を出さなかったあのすみれが、花壇一面に咲く薔薇を見て恐怖に声を震わせている。茶々は初めてすみれの声を聞けたことで、喜びと驚きが入り交じった複雑な感情のまますみれを見つめる。何故すみれはここまで薔薇に恐怖しているのか。しかし、その疑問は、すみれが発した次の言葉によって一気に吹き飛ぶこととなった。
「薔薇はダメなんだ! もう嫌だ、私は何も知らなかったんだ!! どこまで私を追い詰める⋯⋯音楽家!!」
──『音楽家』。その言葉を聞いた瞬間、茶々の頭に激しい痛みが襲いかかる。この痛みは以前も何度か体験したことがある。そして、それは決まっていつも、自分の失った記憶を思い出そうとした時だったはずだ。それに気付いた時、茶々は反射的にすみれの肩を掴んでいた。
「⋯⋯なあ、すみれちゃん。音楽家って、一体誰なんどす? うちの記憶がないのと、その音楽家には何か関係があるん? すみれちゃんは、何を知っとるんどす!?」
茶々に詰め寄られたことで初めて自分が喋っていたことに気付いたのか、すみれは顔を真っ青にし、茶々から視線を逸らそうとする。しかし、茶々もこれ以上モヤモヤしたままでいるのには耐えられそうにない。追求しようと口を開いたその時、突然何かを破壊するような音が響いたことで茶々は一瞬その音が聞こえてきた方向、病院の方へと視線を向けてしまった。その一瞬の隙を突かれ、すみれは茶々の腕を振りほどく。それと同時にすみれは筆を構え、戦闘態勢をとっていた。
「⋯⋯そうか。そこまでして教えたくないっていうんやな。すみれちゃんの気持ちはよお分かりましたわ。けどな⋯⋯うちも、もうしんどいんどす。あんたがそのつもりなら、力尽くでも教えてもらいます!!」
茶々は、頭の上に乗った急須の蓋を開け、中身の茶をすみれ目掛けぶちまけた。水気は、すみれの魔法にとっては何よりの天敵だ。当然すみれはこのお茶を回避する。その動きを予期していた茶々は足を引っかけすみれを転ばせることに成功した。立ち上がろうとするすみれの関節を上から押さえ、身動きを封じる。
しかし、すみれにはまだ自由に動かせる髪の毛が残っていた。すみれが髪で地面に『穴』と書いたことで地面には大きな穴が空き、茶々とすみれの身体は穴の中へと落ちていく。そして、地面が消えたことで茶々が関節を封じていたことも意味をなくし、すみれは再び自由の身となってしまった。すみれは髪を穴の底に付け、バネのように反動をつけてから茶々を穴の外へと蹴り飛ばした。蹴りは咄嗟に腕を交差させることで防いだ茶々であったが、最初の不意打ちで勝負を決めることが出来なかった以上、最早茶々に勝ち目はないだろう。茶々とすみれでは、魔法のスペックがあまりにも違う。
穴の中から軽々と跳び上がってきたすみれが、茶々の元へと近づいてくる。すみれの顔には先程見せた動揺は既になく、今はもういつもの無表情へと戻っていた。いつもならばその無表情すら愛おしいと思えるのだが、今はただただ不気味でしかない。すみれが何を考えているかが全く分からない。すみれは一体、自分に何を隠しているのだろうか?
⋯⋯思えば、茶々はすみれのことをほとんど知らない。すみれの変身前の姿も知らなければ、すみれの好きな食べ物も知らないし、声だってさっきまで知らなかった。それなのに、夜になれば一緒の布団で寝るという、何とも歪な関係だ。茶々は、もう何が何だか分からなかった。すみれは自分のことをどう思っているのか? そもそも、すみれとはどこで、いつ出会ったのだ? そして、『音楽家』とはいったい?
しかし、茶々のそれらの疑問に答えが返されることはなかった。なぜなら、先程よりも大きな破壊音と共に、病院の壁が崩れ、その割れ目からこれまでに感じたことのない邪悪な気配が漏れ出してきたからだ。
「な、なんなんこれ⋯⋯!? 中の2人はどうなったん!?」
恐怖と混乱によって声を荒げる茶々。それに対し、すみれは邪悪な気配にも一瞬眉をピクリと動かしたのみで、それどころか隙ありとばかりに茶々に筆を振るってきた。咄嗟のことに避けきれずに、背中に何やら文字を書かれてしまった。そして、その直後茶々の足は自分の意志とは無関係に動き始める。その足が向かう先は、病院のある位置とは正反対の場所。徐々に遠ざかっていくすみれの姿に、茶々は自分がすみれによって無理矢理逃がされていることにようやく気付いた。
「待って!! どうしてそない卑怯なことすんのやすみれちゃん!! まだ聞きたいことがいっぱいある、話したいことがいっぱいあんのに、どうして⋯⋯どうして!?」
そう叫ぶ間にも、茶々の足は止まらない。必死で止めようとしても己の足は全く言うことを聞かず、今にも病院の敷地内から出る寸前だ。すみれの姿ももう少しで見えなくなるその時になって、すみれは口を覆っていたマスクを外し、小さな声で何かを呟く。その声は茶々に届くことはなかったが、その唇の動きは、確かに茶々にこう伝えていた。
『さようなら』
「すみれちゃーーーーーん!!!!!」
茶々の悲痛な叫びが闇夜に溶け、消えていく。1人裏庭に残ったすみれは、もう少しでここにやって来るであろう敵に備え、黙々と準備を進める。まず、キティ・ギルの乗っていたソリに『毒』という文字を書き、次に自分に『隠』という文字を書き、隠密状態になったところでソリのすぐ傍の木の後ろに身を隠した。その後、その場所で戦闘に備え大量の紙に文字を書き連ねていく。
ほどなくして、へそからおぞましい触手を生やした魔法少女と、その魔法少女に連れられてキティ・ギルの魔法少女2人がソリの停めてある裏庭にやってきた。罠の仕掛けてあるソリに近づいてきた魔法少女は1人。すみれは毒によってその魔法少女の身動きが取れないのを確認し、影から飛び出し確実にその首をはねたのであった。
♢賽ノ目チロリ
ソリの近くの木に違和感は覚えていたが、チロリが止めるよりも先にソリのガキは白袴を着た魔法少女によって殺されてしまった。このガキが死んでしまうとソリが使えなくなる点はマイナスだが、カボチャのガキが死ぬよりはいいだろう。あのガキが死ぬと、面倒臭い魔法少女が蛙から元の姿に戻ってしまう。チロリは強い魔法少女と戦うのは好きだが、アレだけは別だ。アレの厄介さは、例えるなら愉しいカジノ会場をつまらないダンスパーティーに変えてしまうような感じといったところか。兎に角、アレとは根本的に合わないのだ。
その点、目の前にいるこの白袴の魔法少女はなかなか面白そうな奴だ。何より、チロリのこの姿を見て恐怖を感じていないように見えるというのが素晴らしい。
「私のコレ、魔法少女でもなかなか正気を保つのは難しい姿みたいなんですが⋯⋯貴女はどうやらまだ正気のようですね。それとも、既に狂っているのでしょうか?」
チロリの問いかけにも答えを返すことはない。まあ、元より答は期待していない。チロリはカボチャのガキを死なない程度の速度で後ろに放り投げ、目の前の魔法少女に向かい殴りかかった。その拳が相手に届く前に、『盾』と書かれた紙が大量に展開され、チロリの拳を防がんとする。成程、この魔法少女は字を書いてその文字に応じた効果を与えることが出来るのか。一目見てすみれの魔法を看破したチロリの拳は、紙を軽々と突き破り、その後ろのすみれを殴り飛ばした。
正直なところ、豆腐にかすがいを刺すより手応えがなかった。身体能力“6”は、ほとんどの魔法を力業で何とかしてしまう。相手がどんなに策を講じたとしても、拳1つで全てぶち壊すことが出来てしまうのだ。その時の爽快感ほど心地よいものはない。
さて、吹き飛んでいった魔法少女はどうなったか。流石にあれだけで死ぬことはないだろう。もし死んでいたらガッカリどころの話ではない。チロリは追撃をかけようとし、その時初めて自分の身体が動かないことに気付き、首を捻った。
これはあの魔法少女の仕業か? 原因を探るべく、チロリは触手の上で百面ダイスを振る。『目星』⋯⋯文字通りめぼしいものがないか発見することの出来るシークレットダイス。この判定は50以上が出れば成功となり、成功した場合探したいモノを何でも発見することが出来る。チロリの魔法の副産物であるこの能力には、他にも『聞き耳』や『幸運』などが存在するが、今は使う必要はないだろう。
『目星』の判定は成功。チロリは、地面に散らばる紙の中に、『止』と書かれた紙があることに気が付いた。どうやら、先程の『盾』に紛れさせていたようだ。
「ほお、なかなか賢いじゃないですか。ですが⋯⋯」
チロリは、止まっている身体を無理矢理動かす。これも、魔法少女離れした身体能力がなせる技だ。そうやってゆっくりと身体を動かし進んだ先には、先程のパンチの衝撃で右腕が折れた様子のすみれが、地面に座り込みながらも鋭い表情でチロリを睨み付けていた。その表情からはまだすみれがチロリに敵対の意志を持っていることを示しており、その事実はチロリを激しく興奮させた。
(嗚呼、いい、いいですよ!! その瞳⋯⋯その瞳が今から恐怖と絶望に染まるかと思うと、とてつもなく興奮します⋯⋯!!)
そっと股間に手を当てると、いつの間にかぐっしょりと濡れていた。性的興奮も相まって息は荒くなり、可愛い触手たちもチロリの気の高まりに応えるように激しく蠢く。すみれは動けないのか、逃げる様子はない。それならば、美味しく頂こうとチロリは舌なめずりをし、触手をすみれ目掛け伸ばしていった。先ほど2人食べたばかりでそこまで空腹ではないが、デザートは別腹なのだ。
ふいに、すみれが笑みを浮かべる。直後、すみれは驚くべきことに、髪の毛で自身の腹を貫くという暴挙に出た。
殺されるくらいならば自分で死のうと思ったのか? そうだとするならなんとつまらない。結局、この魔法少女も他と大して変わらないではないか。そう思いすみれに対する興味を失ったチロリは気が付かなかった。すみれの筆を模した髪の毛、その先端が真っ赤に染まっていることに。
「ちぇすとぉぉぉぉ!!!!」
突然大声を上げ、立ち上がったすみれが地面に字を書くのを、チロリは止めることが出来なかった。真っ赤な血の墨で地面に書かれた文字は、『遅』。直後、チロリは自分の足が鉛のように重くなるのを感じ、チッ!!と大きな舌打ちをした。
「朱墨⋯⋯。成程、うかつでした。そんな奥の手があるとは、参りましたよ。しかも、私に直接書いても防がれるから、敢えて地面に書いたのでしょう? どうやら、これは無理矢理解除するのも難しそうですね。まさに、魂を込めた一字というわけですか。敵ながらあっぱれです」
チロリの視線の先には、大量の血を流しすぎたことによって既に人間の姿に戻ってしまったすみれが居た。その姿は思った以上に若い。せいぜい中学生、下手をすれば小学生くらいではないだろうか? そんな子供が最期までこの形態の自分に屈せず、あがいてみせたことには素直に驚いたし、賞賛したい。
「もったいないですが、貴女は食べないでおいてあげましょう。私、子供は好きなんですよ。扱いやすい点と、それから⋯⋯時々、大人でも出来ないことをやってのけるところがね」
そう言い残し、チロリは重い足を引きずり、廃病院を後にする。目指すは勿論、ブルジョワ―ヌⅢ世の屋敷だ。チロリはまだ満足したわけではない。いや、この魔法少女が満足することなど、永遠にないのだ。
悪夢はまだ、終わらない。