♢レイニー・ブルー
目の前で繰り広げられるのは、魔法少女から見ても別次元の戦いだった。目にもとまらぬ早さで舞い踊り、鋭い蹴りを放ち続けるモルジャーナと、その攻撃を6本の触手を使い巧みに防ぐ賽ノ目チロリ。素早さだけで言えばモルジャーナが完全に勝っているが、チロリは化け物じみた耐久力でもってその攻撃のほとんどを無力化しているように見えた。
最初はチロリに対する恐怖で動くことすら出来ず、雪を降らせるだけであったレイニーがこうやって状況を冷静に分析出来るようになったのは、間違いなくモルジャーナのおかげだ。出来れば助太刀したいところだが、レイニーの魔法だとモルジャーナまで巻き込んでしまう危険がある。それに、このバケモノに雷が効くかすら怪しいところだ。
「す、助太刀するよ!! えいっ!!」
レイニーが躊躇っている間に、隣で一緒に震えていたビスケも多少平静を取り戻したらしく、トリモチ銃をチロリ目掛け放っていた。しかし、チロリはこちらの攻撃など眼中にないとばかりに触手で軽々とその銃弾を弾き飛ばす。そうしている間も視線はモルジャーナに向けられたままだ。
「今折角良いところなのですから、邪魔しないで貰いませんか? もし次何かしたら、貴女たちから先に殺しますよ?」
未だ余裕のあるチロリのその声に、レイニーとビスケは再び恐怖で身動きを封じられてしまう。その様子をちらりと見たチロリは嘲笑を浮かべ、レイニー達への興味を完全に無くしたようであった。
「いい加減触手が邪魔です⋯⋯! 『開け、ゴマ』!」
モルジャーナが呪文を唱えると、チロリの身体を守るようにクロスさせていた触手たちが無理矢理広げられる。ようやく崩れた鉄壁のガードの下に、すかさず鋭い蹴りを突き入れるモルジャーナ。その蹴りはチロリの喉を的確に突き、初めてチロリは苦しげなうめき声を上げた。しかし、チロリはその直後には先程よりも瞳孔が開いた瞳でモルジャーナを見つめ、愉しげに笑い声を上げるのであった。
「まさかこの状態でまともなダメージを食らうとは!! これが痛み!! 生きている証!! なんと素晴らしいのでしょう!! ははははは!!」
心なしか先程よりも激しくなった動きで触手を振るうチロリ。そして、それにより攻守が一変する。モルジャーナは怒濤の触手攻めを回避するので精一杯になり、攻撃の頻度は見るからに減ってしまった。その上、やはり強引な覚醒が響いているのか、既に若干息が上がっているように見えた。しかし、そんなモルジャーナの状態を見ても、レイニーは手を出すことができない。モルジャーナは今も命がけで戦っているというのに、レイニーは死に対する恐怖から動くことすら出来ない。
なんて情けない。これでも監査部門所属の魔法少女なのか? こんな時、もしクレラだったら⋯⋯。
「がはぁっ!?」
その時、チロリの操る触手の1本が、モルジャーナの腹を鋭く貫いた。そのまま宙に持ち上げられ、激しく吐血するモルジャーナ。チロリは、触手を操りゆっくりとモルジャーナを自分の顔の方へと近づけると、その頬を自らの手でそっと撫でた。
「ふふふ⋯⋯。貴女は私を随分愉しませてくれましたが、付け焼き刃の力では所詮この程度、ということですか。貴女の肌はチョコのようで美味しそうですね。愉しませてくれたお礼に、たっぷりと味わってから死なせてあげますよ」
「だ、黙れ⋯⋯! この身体はブルジョワーヌ様以外に差し出すつもりはない⋯⋯!! お前に食われるくらいなら、舌を噛み切って死んでやる!!」
その言葉通り舌を噛み切ろうとしたモルジャーナであったが、それはチロリが口の中に触手を入れ込んだことによって阻止されてしまう。絶望の表情を浮かべるモルジャーナと対照的に、頬を上気させ息を荒げたチロリは、モルジャーナの身体を再び触手で運ぶ。その先は、チロリの6本の触手の根元、深淵より深き漆黒の闇。その闇が今、モルジャーナを呑み込まんとばかりに大きくその口を開いた。
そのおぞましき光景を見るだけで、レイニーの身体からは震えが止まらないのだから、当事者であるモルジャーナは一体どれほど恐怖しているか想像もつかない。ただ分かることは、モルジャーナが殺された後は、レイニーやビスケはまるでアリを踏みつぶすかの如く簡単に殺されてしまうということだ。
「ち、千夜ちゃんを離せ、このバケモノぉぉ!!」
モルジャーナが今にもチロリの闇に取り込まれそうになったその時だった。その叫び声は唐突に響き、チロリの触手にコツンと音を立てて枝が当たる。愉しみの最中で水を差されたチロリは憤怒の表情で振り返り、チロリの触手に捕らえられたモルジャーナは信じられないモノを見る目でチロリに枝を投げたその人物を見つめた。
「く、日下部!? それにメアリーも⋯⋯。あ、あなた達、とっくに逃げたはずじゃ⋯⋯?」
そこに居たのは、震える手にモップを構え立つブルジョワーヌ邸の執事長の日下部と、頭にヘルメットを被って枝を投げた姿勢のまま固まっているメアリーだった。信じられないとばかりに声を震わすモルジャーナに、日下部もまた震えながらも必死にこう答える。
「千夜ちゃんを残して逃げるなんて出来るわけないじゃないか!! だって、僕達もお嬢様とこの屋敷を守るために居るんだ!! 僕達が少しでも時間を稼ぐ、だから千夜ちゃん達は今のうちに逃げ⋯⋯」
しかし、日下部が最後までその言葉を言い終えることは出来なかった。無情にも振り下ろされた触手を当然避けることは出来ず、日下部とメアリーは2人揃って触手に押しつぶされてしまう。
「はあ⋯⋯。なんとも興ざめです。こんな雑魚が私の愉しみを先延ばしにしたかと思うと、本当に腹が立ちますね」
「き、貴様、よくもあの2人を!! ゆ、許さない⋯⋯!! 殺してやるぅぅぅ!!!!」
モルジャーナは同僚を殺された怒りに顔を真っ赤にして暴れるが、チロリの触手の中から逃れることは出来ない。そんなモルジャーナを見て、チロリは馬鹿にしたような笑いを浮かべた。
「ははは!! あんな雑魚が殺されたところでどうもならないでしょうに。確か時間稼ぎするとか言っていましたっけ⋯⋯? 笑わせる、時間稼ぎすら出来ずに死んだじゃありませんか!! あれほど『無駄死』という言葉が相応しい死に様もありませんね!!」
チロリの笑い声と、モルジャーナが心底悔しげに泣き叫ぶ声が入り交じり響く。そして、相変わらずレイニーは見ることしか出来ない。このまま、自分たちはこのバケモノに殺されてしまうのだ。そう確信し、絶望にうちひしがれたその時だった。その声は凛と響き渡った。
「──いや、無駄などではない。その者たちの美しき勇姿は、吾が眼にしかと焼き付けた」
その美しい声を聞いた瞬間、レイニーの心臓はドクンと激しく脈を打つ。一度聞けば絶対に忘れないその声。聞き間違いようのないその声に、レイニーの心を埋め尽くしていた不安や恐怖は一瞬のうちに晴れていった。雲が晴れた空に浮かぶは、黄金に輝く満月。その月明かりに照らされ、美しいポージングを決めた魔法少女が、レッドカーペットを広げ、チロリへと続くランウェイを自らの手で造り上げた。その上を彗星の如き早さで疾走しながら、レイニーの美しき上司、クレラは再び凜とした声でこう告げる。
「吾が来た! 吾が見た!! 然らば、貴様らが胸に抱くは『絶望』ではなく、美しき『希望』の二文字だ!!」
驚きに目を見開くチロリを、スカートを華麗に翻し蹴り飛ばしたクレラは、お姫様抱っこでモルジャーナを回収する。遠くの方でチロリが何かにぶつかる音が響く中、バサッと髪をかき上げたクレラは、呆然と立ち尽くすレイニーに向かい眉を上げてみせた。
「どうだ、最高に美しいタイミングだとは思わぬか? ⋯⋯それとも、少々美し過ぎたかな?」
そんな、普段と全く変わらない上司の態度に、レイニーは深い安堵感を覚える。涙で顔をグシャグシャにしながら、レイニーは上司の名前を叫んだのだった。
「ぐ、グレラざまぁぁぁぁぁ!!!!!!」