♢和三盆茶々
カボチャの魔法少女息の根を止めたあの時から、どれほどの時間が経っただろうか。いつの間にか、茶々は脱ぎ捨てたはずの服も回収して、すみれと2人暮らしていたボロアパートへと戻ってきていた。
いつもの習慣で無意識のうちに夕食を2人分作ったところで、最早茶々の作った夕食を食べてくれる人はこの世に存在しないことを思い出して先程作ったばかりの夕食をゴミ箱へと投げ捨てた。もう何もしたくない。寂しい、寒い。誰か傍に来て自分の冷え切った身体を温めて欲しい。茶々は部屋の明かりすら付けずに、部屋の隅で膝を抱えてうずくまった。
どれくらいの時間そうして蹲っていたのだろうか。もしかしたら、既に三日ほど経過したかもしれない。いくら魔法少女に食事の必要はないとはいえ、流石にこの体勢でずっといるのがキツくなり、茶々は随分と久しぶりに身体を動かした。
一瞬、もしかしたらすみれが帰ってきているかもしれないという期待を込めて部屋を見渡したが、部屋にいたのは茶々が投げ捨てて放置していた夕食に群がる蝿だけであった。
「⋯⋯いい加減、切り替えんとあかんのかもな」
すみれが死んだことはもう分かっているのだ。ただ、その事実を認めたくなくて、認めるのが怖くて、現実逃避を続けていた。しかし、現実逃避ももう終わりだ。こういう仕事をしていれば命の危険も伴うことは、茶々も、勿論すみれも承知していたはずだ。廃病院で見つけたすみれと思われる死体は、中学生くらいの年齢だった。まだ幼い彼女でさえ自分の死を覚悟していたというなら、とっくに成人している茶々がいつまでも現実を受け止められなくてどうするのだ。
その時、茶々の頭にふと小さな疑問が浮かんだ。何となく自分が成人だと考えていたが、茶々自身自分の変身前の姿を見たことがない。いや、本当は見たことがあるのかもしれないが、茶々にその記憶は存在しなかった。茶々の、すみれとこの部屋で暮らす以前の記憶は未だ欠如しており、すみれと一緒に暮らしてからは変身を解除したことがなかったからだ。
しかし、茶々に変身することを禁止していたすみれはもういない。若干申し訳ない気持ちはあるが、このまま1人で生きていくならずっと変身したままというわけにもいかないだろう。少し緊張しつつも、茶々は記憶の中で初めて自分の意志で変身を解除した。
「おぉ⋯⋯。なんかうち、思ったよりも美人さんやない?」
鏡の前で自分の姿を確認した茶々は、そこに映る黒髪ロングの美人を見て、これが本当に自分なのかと素直に驚いた。個人的には常時糸目の魔法少女の時の姿よりよっぽど美人に見える。そして、正確な年齢は定かではないものの、その見た目はおそらく20代後半くらいに思えた。
自分の予想が当たり、ほっと息をついた茶々。しかし、その直後自分の薬指に銀色の指輪がはまっていることに気付き、心臓が大きく跳ねるのを感じた。
「⋯⋯え? なんなんこれ。もしかしてうち、結婚しとったん?」
薬指にはめた指輪。記憶が欠如している茶々でも、その意味は当然分かる。しかし、もし茶々が結婚しているのだとするならば、どうしても見落とすことの出来ない疑問が出てきてしまう。
──自分の結婚相手は、どこに居るのだ?
茶々は、震える手でそっと指輪を外した。何故指輪を外そうと思ったかは分からない。しかし、どうしてもそうしなければならない気がしたのだ。
小さなダイヤモンドが中央に飾られたシルバーの指輪。その裏側には、2人の人物の名前が彫られていた。
『
その名前を見た瞬間、茶々の身体に雷に打たれたかのような衝撃が走る。それと同時に襲い来る、今までの比ではないほどの激しい頭痛。堪らず座り込んだ茶々の頭にフラッシュバックするのは、見覚えのない光景の数々。
痛みはかなりの時間茶々を苦しめた。しかし、痛みが消え去ったその時、茶々の失われた記憶は完全に元に戻っていた。震える腕が伸ばす先は、ズボンのポケット。そこから取り出したのは、皺だらけの一枚の写真。その写真に映っているのは、3人の魔法少女だ。1人は勿論茶々。そして残る2人は⋯⋯。
「うらら、転々⋯⋯! いや、違う! この2人は。私の夫の春、そして私の娘の
そうだ。茶々には愛する夫、そしてその夫との間に出来た可愛い娘がいた。裕福ではないが毎日笑顔で溢れていて、幸せな家族だった。そんな家族で唯一変わっているところがあるとすれば、それは家族全員が魔法少女だったということだ。そして、そのせいで家族のささやかな幸せの日々は見事に崩れ去った。
春うらら、ナナ転ビ
森の音楽家クラムベリーによる試験。その試験において、茶々の夫と娘を殺した魔法少女、その魔法少女の名前は⋯⋯。
「──按怒露芽蛇墨恋。私の夫と娘の仇で、私の愛する相棒。貴女は、いったいどういうつもりで、私と一緒に居たの!?」
記憶が戻った今なら、すみれが頑なに茶々に変身を解除することを禁じていた理由が分かる。先程の茶々のように、指輪を見て記憶が戻ってしまうことを恐れたからだろう。
ただ、記憶が戻ったからこそ分からないことも多い。最も謎なのは、何故すみれが茶々と一緒に居たのかということだ。いくら記憶がないとはいえ、自分のことを確実に恨んでいるであろう相手を傍に置いておくなど、普通なら考えられることではない。しかも、茶々とすみれは肌を重ねたことさえあるのだ。マトモな精神状態の人間に出来ることではない。理解不能を通り越し、茶々は恐怖すら感じていた。
「それに⋯⋯昔の貴女は、もっと良く喋る子だった」
思い出すのは、すみれが茶々の家に遊びに来た時のことだ。あの時初めて見たすみれはとても明るくて、友人の母親である茶々にも元気に挨拶してくれた。
『点子ちゃんのママですか!? うち、一瞬お姉さんかと思っちゃいましたよ~!! こんな美人な妻を持って、点子ちゃんパパも幸せ者ですな~!!』
無邪気な笑みを浮かべながらそう言っていた彼女と、魔法少女のすみれはどうしても結びつかない。一体彼女に何があったのか。どうしてすみれは茶々の夫と娘を殺したのか。分からない、分からない。記憶が戻ったというのに、分からないことが多すぎる。
「調べるしか、ない⋯⋯!」
今のままでは、茶々はすみれにどんな感情を抱けばいいのか分からない。怒りか、憎しみか、悲しみか、愛しさか。それをはっきりさせるためにも、茶々はどうしても自分の過去を調べる必要があった。そうしなければ、茶々は過去に囚われたまま、いつまでたっても前に進めない。
茶々は、適当に荷物をまとめて、すみれと2人住んでいたボロアパートを飛び出した。もう二度とここへ戻ってくることはないだろう。たった1人の追憶の旅が、今始まろうとしていた。