♢クレラ
クレラは、自身に与えられた事務所、そのテーブルの前に腰掛け、先程渡されたばかりの書類を前に眉間に皺を寄せていた。書類には、先日起こったばかりの囚人脱走事件の事細かな内容と共に、囚人を逃がした犯人と思われる魔法少女集団、通称『キティ・ギル』とその逃げた囚人を捕まえるようにという上司からの指示が記されている。
魔法の国の監査部門に所属してから十年以上が経過し、自他共にベテラン魔法少女と認めるクレラだが、今回の指示に対しては不機嫌さを隠すことが出来ない。別に、罪を犯した魔法少女を捕まえろという上からの指示に対しての不満はないのだ。罪を犯した者は、それが人間であれ魔法少女であれ、しっかりとその罪を裁かれるべき。それが一番美しいシステムだとクレラも思っている。
ただ、指示が出たタイミングが問題であった。本来なら、クレラはこの後自分の下につく新人魔法少女の歓迎会を開くため、分刻みのスケジュールを計画していたのだ。まず事務所に入ってきた新人をクラッカーのサプライズで出迎え、その後すぐに遊園地、動物園、博物館の個人的お気に入り三大スポットを順に回る。最後に夕日の綺麗なレストランで一緒に食事を取り、新人はクレラに対し絶対的な忠誠を誓うはずだったのだ。
そのクレラの美しいスケジュールは、この一枚の書類のせいで完全に崩されてしまった。クレラがこの世で最も嫌うモノは、美しくないモノだ。そして、その美しくないモノには、魔法少女なのに悪事を働く『キティ・ギル』も、乱されたスケジュールもどちらも含まれる。
クレラは壁にかけられたアンティーク調の振り子時計をちらりと見て、さらに眉間の皺を深くする。時計は既に事前に伝えていた時間を指していた。新人魔法少女は約束の時間一つ守れないのか、やはり顔の美しさだけで選んだのは早計であったかと苛立ちを募らせるクレラの耳に、タッタッタ⋯⋯と駆け足で近づいてくる足音が聞こえてきた。恐らくこれは新人の足音であろう。
約束の時間に遅れてきたことに関しては後でたっぷりと指導をしなくてはと心に決めつつ、クレラはとりあえず歓迎のクラッカーをドアに向けて構えたのであった。
♢レイニー・ブルー
クレラという魔法少女について大抵の人物が抱いている評価は、『実力は高いが性格は最悪』というモノであった。プライドが高く我が儘。好き嫌いが異様に激しく、気に入らない魔法少女を見かけると再起不能に陥るまで徹底的にいじめ倒す。しかし実力だけは高いので辞めさせることもできない。監査部門で働くことが決まった直後、そんな魔法少女の下につくことになったレイニーの心情を察してほしい。
今日はそんな上司と顔合わせをする予定であったが、行きたくないという想いが強すぎたせいか見事に寝坊をしてしまった。いくら相手が最悪な性格の持ち主だったとしても、約束の時間すら守れないようでは魔法少女として⋯⋯いや、社会人としても失格だ。
それ故に、レイニーは気持ち駆け足でクレラの待つ事務所へと向かっていた。ただ、遅刻を理由に解雇されないかなぁ~などと淡い期待を抱いていたのは許して欲しい。
ようやく事務所の前に着いたレイニーは、どんな罵詈雑言が飛んでこようと決してくじけない覚悟を決めてからドアを開く。しかし、その瞬間飛んできたのは予想していた罵詈雑言ではなく、色とりどりの紙テープだった。
予想外の事態に呆然と入り口で立ち尽くすレイニーに対し、初めて会う上司は、満面の笑みで手招きをしてくる。その手には、先端から煙を立ち上らせるクラッカーが握られており、レイニーはようやく先程の紙テープの出所を理解したのだった。ただ、何故クレラがクラッカーを持っているかは理解出来そうにないし、理解したくもなかった。
「ふむふむ、遅刻してきた時は即クビにしてやろうとも思ったものだが、なかなかどうして、実物は写真よりも美しいではないか。その美しさに免じて今回は許すとしよう。さあ、いつまでそこに突っ立っているつもりだ? 早くこっちに来ないか」
レイニーは、この日ほど魔法少女の優れた容姿を恨んだことはなかった。心の中で悪態をつきながらクレラの座るテーブルへと近づいていこうとしたが、その途中で急にクレラが眉間に皺を寄せ、不機嫌さを露わにする。
「⋯⋯ちょっと待った。何故紙テープを頭に乗せているのだ? それでは、折角の美しさが台無しではないか!!」
思わず「お前がやったんだろ!」と叫びそうになるのを必死でこらえるレイニー。ただ、怒りの感情だけは抑えきれずに、窓の外でピカッと稲光が走ったのが見えた。数秒後、部屋全体に轟く爆音に、レイニーは顔から血の気がさーっと引いていくのを感じた。
レイニー・ブルーの魔法は、『気分次第で天気が変わるよ』というモノだ。魔法の効果が及ぶ範囲は自身を中心とした半径1キロメートル圏内の上空。説明の通り、その時のレイニーの気分⋯⋯例えば、嬉しい時は「晴れ」、悲しい時は「雨」といった風に天気が変化する。普段は魔法が発動しないよう意識的にセーブしているのだが、さっきのように感情が激しく変化した時には無条件で発動してしまう。「雷」が落ちるのは、レイニーが怒りの感情を抱いた時だ。
レイニーを部下にしようとしているくらいだから、当然クレラはレイニーの魔法のことも知っているだろう。そのため、レイニーがクレラに対して苛立ちを感じたことを悟られてしまったかと思い焦ったのだが、クレラは特に表情を変える様子もなく、指をパチンと鳴らしただけであった。
「よし、これで完璧だ。今度こそこっちに来たまえ、レイニー・ブルー」
レイニーはいつの間にか頭の上に乗っていた紙テープがなくなっていることに気づき、目を丸くする。消えた紙テープの行方を捜し部屋を見渡そうとしたレイニーだったが、手招きするクレラの目がすうっと細められたのを見て慌ててクレラの元へと駆け寄ることにした。こんな面倒くさい人を怒らせたらますます面倒なことになってしまう。それは避けておきたい。
クレラは、レイニーの全身を改めてまじまじと眺めると、おもむろにレイニーの肩にかかった水色の髪の毛をすっとその綺麗な手ですくい上げる。
「こうして近くで見ると、ますます美しい⋯⋯。やはり、吾の目に狂いはなかったようだ」
うっとりとした口調でそう呟いたかと思いきや、クレラは突然レイニーの髪の毛にキスを落としてくる。レイニーは、思わず全身に鳥肌が立つのを感じた。ちらりと窓の外を見ると、季節外れの雪が舞い始めている。
自分は、これからこんな変態上司の下で働かないといけないのか? 魔法少女の強靱な精神力を持ってしても、あまりにも絶望的な未来に涙がこぼれるのを止められなかった。
「どうしたのだレイニー・ブルー!? 何故泣く!? そんなこの美しい吾の下で働けることが幸せなのか?」
突然泣き出したレイニーに、流石のクレラも動揺したようで慌てて声をかけてくるが、全く見当違いのその言葉にまたしても涙があふれ出す。ああ、この上司は変態な上に阿呆だ。ヤバい、死にたい。
「ほう、貴様は泣き顔さえも美しいな。思わず嫉妬してしまいそうだ。だがしかし、レイニー・ブルーよ、貴様は泣き顔よりも笑った時の顔の方が美しいはずだ!! さあ、吾を真似て笑うがいい!! クハハハハハ!!!」
そう言って、クレラは無駄に身体を斜めに傾けたポーズで高笑いし始める。それでもレイニーが反応しないとみるや、次々に妙なポーズをとっていくクレラ。その間も、高笑いは止まる気配はない。
そんなクレラを見てレイニーは気付いた。この上司は真性の馬鹿なのだと。その魔法から、普段はなるべく感情をセーブしているレイニーとは違い、この上司は自身の感情の赴くまま自由に生きているのだ。だからこそ、身勝手なことばかり言うし、ここまで自分に自信が持てるのだ。
クレラのポーズが30個目を越えたところで、とうとうレイニーは吊られて笑い出してしまった。めざとくそれに気付いたクレラが、ニヤリと口角を上げる。
「うむ、やはり貴様はそちらの顔の方が似合っているな。美しい⋯⋯」
最後は至近距離でそう囁かれ、思わず顔が赤くなる。だが、次の瞬間にはもうすました表情で椅子に座り、「何をやっている、君も座らないか」などと言うのだから、やはりこいつは好きになれない。
渋々椅子に座ったレイニーに、クレラは綺麗に端がそろえられた書類を手渡してきた。
「早速だがレイニー、君には吾と共に仕事をしてもらいたい。今渡した書類を読めば分かると思うが、任務は美しくない魔法少女集団『キティ・ギル』と其奴らが逃がした美しくない囚人の確保。美しい吾々は、迅速かつ美しく任務にあたる必要がある」
聞いているだけで「美しい」がゲシュタルト崩壊しそうだ。しかも、クレラはレイニーが書類に目を通す前に椅子から立ち上がり、外出の準備を始めている。
「なにをしているのだレイニー。迅速に任務にあたると言っただろう? 君も早く出かける準備をしたまえ」
「えっ⋯⋯。出かけるって、一体どこにですか?」
こんなのでも一応上司なので敬語は使っておく。しかし、先程のレイニーの質問の何が不満だったのか、クレラは大きなため息をついてこちらを呆れた目で見てくる。
「君は書類を読んでいないのか? 最後のページに広報部門の奴らに詳しい話を聞いてこいと書かれてあるだろう?」
レイニーはピキッと額に青筋が浮かぶのを感じた。やるせない怒りは雷となって窓の外で降り注ぐ。その間にも優雅なモデルウォークで事務所を出ようとするクレラの背中に向け、レイニーはそっと中指を立てたのであった。
♢サンベリーナ
「はい? ちょっと待ってくださいよあかり先輩。そんな急に言われてもよく分からないですし⋯⋯。っていうか、取材に行くんなら私も連れて行って⋯⋯あ、切られた」
山のように積み上げられた書類に囲まれたデスクで、呆然と握りしめた受話器を見つめる魔法少女の名前はサンベリーナ。いたるところに花があしらわれたクリーム色のドレスは華やかで、足下まで伸ばされた若草色の髪は本来なら綺麗に編み込まれているのだが、ここ数日寝ずに編集作業に追われているためか今は乱雑に振りほどかれている。
いくら魔法少女に睡眠が必要ないといっても、数日間休むことなく働き続ければ精神的に疲れるものだ。しかし、サンベリーナにはそんな無茶なことが出来る理由があった。
「くぅ⋯⋯!! ほ、放置プレイとはまた高度な⋯⋯。しかし、このサンベリーナ、あかり先輩のためならなんだってしてみせますよ!! そう、愛故に!!」
自分の身体を力強く抱きしめ、息を荒くして身もだえするサンベリーナ。若干マゾっ気のある彼女にとっては、一週間連続徹夜作業など全く苦ではなかった。むしろ、敬愛するフラッシュあかりの役に立つと思えばご褒美とさえ思えるほどだったのだ。
「よっしゃー!」と気合いを入れ直し、再び編集作業に入り出したサンベリーナ。あかりが取材するという『キティ・ギル』事件のために、さっきまで作っていた記事を全部白紙に戻し、棚から『キティ・ギル』が過去起こした事件がまとめられたフォルダを引っ張り出そうとする。この部屋に置かれた書類を全て把握しているサンベリーナは、『キティ・ギル』の名前が出た時すぐそのフォルダの場所が脳内に浮かんだが、そのフォルダはサンベリーナの背では届かない場所にしまわれていた。
うんしょっというかけ声と共に背伸びしてフォルダを取ろうとしたサンベリーナ。しかし、その表紙にバランスを崩した棚がサンベリーナ目掛けて倒れてくる。
「ひょええええ!? ちょ、流石に圧死は勘弁!!」
体格が小さい上に力もないサンベリーナは、魔法少女の耐久力も忘れ、思わず死を覚悟して目を瞑る。しかし、サンベリーナの身体に予想していた衝撃が襲ってくることはなかった。
「怪我はないか? 小さな美しき姫君よ」
聞き覚えのない凜々しい声に、サンベリーナはおそるおそる閉じていた目を開く。するとそこには、世界中の『美』を凝縮したような容姿の魔法少女が、こちらをじっと見つめていた。
「きゅ、きゅん⋯⋯!!」
あまりの美しさに、すっかりその魔法少女に見惚れてしまったサンベリーナ。そのまま何故か数分間お互いにじっと熱い視線を交わし合うサンベリーナとクレラを、レイニーは一人離れた場所から冷ややかな瞳で見つめていたのだった。