認めない子   作:アイらゔU

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第4章 「ファーストステージ編」
第42話 それぞれの場所へ


ミヤコはテーブルに置いていた資料、レイの今回の仕事の資料を軽く揃えると、一度だけ息を整えた。

その仕草に、場の空気が自然と更に引き締まる。

 

 

「今回の案件だけど……これまでみたいな単発の撮影仕事、ってわけじゃないわ」

 

 

ミヤコは淡々とした口調だったが、その一言だけで、ただ事ではないと察せられる。そして自然と賑やかだった場が引き締まる。

 

 

「そして正式に――宮崎県とのコラボ企画になる」

 

 

その言葉に、周囲の気配がわずかに動いた。先ほどまでの騒がしく、賑やかなものとは違うタイプのものだろう。予想以上に大きな案件故に。

 

いつの間にか、またアイはレイの後ろに回って椅子の背もたれに手を置いている。

ミヤコは更に説明を続けた。

 

 

「県の観光関連部署が主導してて、所属タレント個人の規模としては、これまで苺プロが受けてきた地方案件の中でも、かなり大きい部類ね。いわゆる“PR動画を一本撮って終わり”じゃないわ」

 

 

手早く資料に視線を落としながら、言葉を選びつつ続ける。

 

 

「テーマは勿論音楽関連。具体的には、レイの十八番、ピアノを軸にした映像企画よ」

 

 

舞台となる場所について、ミヤコはここで初めてはっきりと口にした。

 

 

「ロケ地は、宮崎県の――高千穂」

 

 

その地名は説明的に発せられたはずなのに、不思議と余韻を残す。

地理に詳しくなくとも、名くらいは聞いたことがある程には有名な場所だろう。

 

 

「ご存じの通り、あそこは観光地として有名なだけじゃない。神話の舞台としても知られてる場所よ。芸能、音楽、それらの相性が良いとも言える場所ね」

 

 

古代の音楽は娯楽じゃなくて「祈り」「鎮魂」「招来」

楽器とは神と人をつなぐ“媒体”

 

そう言う意味でも打ってつけだと言えるだろう。

 

 

「県としては、そういう“土地が持ってる空気”を、音楽と一緒に切り取りたいらしいの。観光案内っぽいものじゃなくて、もっと感覚的な――静かな映像になる。まあ、使われるのは観光案内系なんだけどね。人を引き寄せる題材の一つになる、ってわけかな」

 

 

そこで、ミヤコは資料から目を外して一度視線を上げて、真っ直ぐにレイをみた。

 

 

「だからこそ、レイ、あなたに声がかかった。そして、苺プロは自信を持ってあなたを送り出します。ですから、あなたも自信を持って、よろしくお願いします。──なんの心配もしてないですけどね」

 

 

そう言ってミヤコは微笑んだ。

仕事の内容はピアノだ。そして対人関係でも申し分ない程に成熟している。

技量的には最早釈迦に説法のレベルにいるレイだが、それでもまだまだ高校生で子供。ミヤコにとっての子供だから。言わなきゃダメなことは必ず伝える。それを常に思い、暗にレイだから大丈夫だとは思わないようにしているのである。

 

 

誰も口を挟まず、ただレイを見る視線だけが集まっていた。

その沈黙を、最初に破ったのは――やはりアイだった。

 

 

「……はぁ〜〜!」

 

 

大きく息を吸って、大きく息を吐く。

真剣な面持ちで聞いていたはずなのに、次の瞬間には隠しきれない満面の笑みが浮かんでいた。

 

 

「レイーーッ!!」

「わぁ!?」

 

 

離れてたのに、いつの間にやら椅子の後ろに回り込み、またレイの肩に腕を回した。さっきの捕まえるというより――これは抱き寄せるに近い。

 

 

「凄いよ! 凄すぎだよ!!」

 

 

言葉にすると軽く言ったその一言が、やけに重く感じられる。

怒涛の波のようにアイは止まらない。凄い凄いを連呼したあと。

 

 

「ほらほら! 県と正式コラボなんて! しかも単発じゃないんでしょ!? それって観光大使とか、PR大使に就任! とかになっちゃわない!??」

 

 

言葉を切り、少し考えるように視線を泳がせてから、くすっと笑う。

 

 

「私もやったことないよ、レイの歳でそんなの!! 凄い凄い!! 流石私のレイだ〜〜っ!!」

 

 

抱きしめる腕に力が入る。

自分のこと以上に嬉しいという気持ちが出るのは、【親】だから当然なんだろうとアイは思いながら、とびきりの笑顔を見せるのだった。

 

アイのはしゃぐ声のおかげで、刺激となり思考停止してた頭が復活し、ある程度の整理をすることができた。

場の空気は、決して静まったわけではなかった。

むしろ――違う種類のざわめきが、遅れて波打つ。

最初の波、口を開いたのは、かなだった。

 

 

「……まぁ」

 

 

 

短く息を吐く。

その声音は軽いのに、視線だけはレイから外れない。

 

 

「そういう規模の話が来ても、不思議じゃないとは思ってたけど」

 

 

言葉を選ぶように、一拍置く。

かつてのレイを知っている。傍で、誰よりも傍で見ていた1人としては。

ただ、それを口に出したりはしないが。

 

 

「それにしても……県、ね。高校生で、しかもソロで、地方自治体と正式コラボ………ね」

 

 

かなは流石ねと肩をすくめてみせるが、表情は複雑だった。

驚きと納得、そして――ほんの少しの、どうしようもない感情。

 

 

「……ほんと、凄いわよ」

 

 

ぽつりと落ちたその一言には、

称賛も羨望も、ほんのわずかな悔しさも、全部混ざっている。

レイの実力を傍で見てライバル視もして、隣で走ってて。

 

知りすぎていると言っていい。

 

 

だからこそ――

 

 

これが「出来過ぎ」だなんて、言えなかった。

寧ろ、漸く歯車がはまり、回り出したと言って良いのかも知れない。失われた彼が齎していた筈のものが、今時空を飛び越えて来た。来てくれたと言う感じがするのだ。

 

無論、羨む気持ちは拭えない。

 

けれど、それは無粋で無礼だとも思う自分もいる。レイが、頑張ってきた。失われても歯を食いしばり前を向き続けてきた結果なのだから。

 

 

「え、ちょ、ちょっと待って待って待って」

 

 

両手を軽く振りながら、MEMちょが割り込んでくる。

 

 

「あのーぅ、情報が……情報量が多すぎて、脳が追いついてないんだけどぉ………そろそろ、ちょっと教えてほしい、と言うか整理したくて、時間ちょうだいください!!!」

 

 

МEMちょは視線をあちこちに泳がせながら片手で頭を抱えつつ、片手の指を折り始める。

 

 

「まず、今日から私があのB小町加入でしょ? で、推しも推し、トップな推しのアイさんの職場と一緒でしょ? で、その上で……ひかりんが、県とコラボ??」

 

 

指折り指折り衝撃度を数えていく。そしてすーはーと、何度も深呼吸を繰り返し、さっきからまとまってなかった情報を言葉にする。

 

 

「……で、さ」

 

 

恐る恐る、かなを見るМEMちょ。

 

 

「ひかりん……“ひかり”って、芸名だったの?? 本名じゃなくて??」 

「え?」

 

 

かなとМEMちょは顔を見合わせての一瞬の沈黙。

あ、そう言えば説明されてなかった? と思い始めると同時に、МEMちょが続ける。

 

 

「え、待ってまって。 そのひかりんが“ひかるん”の中の人で、それでレイって名前で、……えと、つまりまとめると〜〜」

 

 

МEMちょの声が、少しずつ上ずっていく。

 

 

「ひかりんは三つ子?」

「全く掠ってないぞ」

 

 

МEMちょの十八番? なボケは早々にアクアに突っ込まれて消える。

 

気を取り直して、真面目に考え抜いた結果。現実を捉えることが出来た。

 

 

「──今、熱いピアノ系YouTuberの? 登録者数上昇中で、結構えぐいことになってる、あの? ピアノライブ配信で平気で数万人集める――」

 

 

確認するように、答え合わせするように、夢じゃないと確認するように。МEMちょは言葉が途中で詰まらせながらも、結論を答えを言う。

 

 

「……ひかりん、ひかるんチャンネルの、ひかるん?」

 

 

МEMちょの中ではかなりの衝撃だったりする。

配信ジャンルは違えど、急上昇の話題やチャンネル名くらいは確認してる。その中にいたのを知ってる。確か、最近でもっとも伸びていたのが、覆面筋トレ系YouTuberぴえヨンとのコラボ。  

 

 

 

 

──あ、そーだ。確かぴえヨンも苺プロだ。

 

 

 

 

やがて、ゆっくりと息を吐いた。

 

 

「……ああ。なるほど、そりゃ知らなかったら混乱するわよね。アイツ、色んな名前があるんだもの」

 

 

額に手を当てる。

恋愛リアリティショーの今ガチ♡の時は、レイはずっとひかりだった。

故に、МEMちょの中では、当然ひかりが名前になってる。でも、今日ここではずっとレイ、と呼んでいる。それだけなら、まだギリ良い、かもだったが。ミヤコの発表で、もう一つの名前、【ひかるん】が出てきた。加えて、そのひかるんとは、ピアノ系YouTuberで、人気急上昇中。МEMちょクラスなら、チェックしてても不思議じゃないわけで。

 

 

「だから、妙に話が噛み合ってなかったのね」

 

 

そして、かなは小さく苦笑した。

その後は、МEMちょに色々と掻い摘んでではあるが、説明・解説はする。無論、センシティブな内容は避けて、МEMちょの回答が正しかったと説明した。

そして、答え合わせが出来たMEMちょはと言うと、解説解答聞けてばっちり! と言うわけにはいかず。

そんな簡単なことではなく、とにかく完全にパンク寸前だったのだ。

 

 

 

「ちょちょ〜〜っと、待って待って。いやいやいや、無理無理無理…………! 今ガチ終わって、25婆の私がアイドルでB小町で、アイさんも一緒で甘やかしてくれて、ルビーが手を取ってくれて、あったかくて、あったけーで、その上で、ひかりんはひかるんで、レイで、実はひかるんチャンネルのYouTuberで、ピアノで、県コラボで……」

 

 

 

解答は聞いた。

理解は出来るけれど、追いつかない。頭を抱える、割れる。

 

 

 

「いや、ちょーーーっと、流石に今この瞬間での人生イベント、詰め込みすぎじゃないかなぁ!!? 現実味ない!! って思っちゃうよ!!?」

 

 

 

その言葉に、かなが小さく苦笑いをした。

 

 

「気持ちは分からなくないけど、落ち着きなさい。……私も同感っちゃ、同感だけど。そんなので驚いてたら、これから身が持たないかもしれないわよ」

 

 

二人の視線が、同時にレイへ向く。

アイに抱かれてジタバタしている。

まだ、本人は多くを語っていない。

 

 

かなはともかく、МEMちょは目をグルグル回しながらも、ある意味覚悟を決めなければならないと思い始めるのだった。

 

 

そんな様子を、ただ黙って見ていた者がいた。

 

 

 

 

 

 

「────」

 

 

 

 

 

 

ルビーである。

かなやМEMちょも、今回のレイの仕事内容、そのインパクトに気を取られたが為に、ルビーの様子に気付いていなかった。

 

アイの弾む声が、部屋の空気を一段高いところへ押し上げていたが、乗ることはなく、ただ一段下で見てる感覚。

かなとMEMちょも、まだ情報の整理が追いつかないまま、それぞれの言葉を交わしている。

 

前向きで、騒がしくて、明るい。

未来の話しかしていない空間だった。

 

ポツンと残されてる。そんな様相。

 

そして――少し遅れて、視線を上げた。

 

 

 

 

──……宮崎

 

 

 

 

誰に向けたわけでもない、独り言に近い声だった。

皆の視線が集まるまでに、ほんの一拍。

ルビーはそれを待つこともなく、続ける。

 

 

──私が生まれて……死んだ場所。

 

 

言い終えた後も、声は揺れなかった。

感情を込めたわけでも、突き放したわけでもない。

ただ、事実を一つ、静かに置いただけだった。

 

前世には思う所は沢山ある。

でも、今は……星野ルビーは泣かないし、俯かないし、過去に引きずられることもない。

 

 

 

 

――胸を張って言える。今の自分は満たされていると言ってもいい。

 

 

 

生きている。

夢見た舞台に立ち、仲間に囲まれ、光の中を歩いている。

だから、かつての失ったものは、その人生はもう戻らない。

だから、今更自分のルーツに、過去よりも遠いそこに縋る必要もなかった。

 

 

それでも。

胸の奥に、ひとつだけ。

まだ、はまっていないピースがある。

 

 

そのピースの形は分かっている。

名前も、顔も、声も、全て覚えている。魂に刻まれている。最後の最後の……一欠片。

でも、それがどこにあるのかが分からない。

 

【宮崎、高千穂】それらの地名が、その欠けた輪郭を一瞬だけ浮かび上がらせてくれた。

掴もうとしたわけではない。ただ、そこに「ある」かもしれない、と思わせてくれた。

 

 

 

 

 

「ほらほら〜! 皆皆!」

 

 

 

 

 

そんな時、レイに抱きついていたアイが振り返り、かなやМEMちょ、そしてルビーを見て、手招きした

 

 

「……よしっ!」

 

 

集まってきたところで、明るい声をあげると同時に、ぱっと手を離す。

さっきまでレイを抱きしめていた腕を広げて、今度はくいっと指を曲げて、皆を包み込むように抱きしめた。

 

 

「わっ!」

「ちょっ!!」

「!!!!」

 

 

かな、MEMちょ、そしてルビー。

戸惑いながらも視線を向ける三人に、アイは満面の笑みを向ける。

 

 

「今ね、苺プロ! 絶対めちゃくちゃ大きな波に乗ってる! 乗れてる! 大きな風、吹いてる! 間違いなくっ!」

 

 

胸を張って言い切る。

目を見開き、あのキラキラした瞳で見つめられ、吸い込まれそうになる。

 

 

「だからさ! レイだけじゃなくて、みんなも一緒に頑張ろうね! 新生B小町も! いけるよきっと!!」

 

 

そう言って、考える間も与えず――抱きしめ続ける。

 

 

かなは一瞬、身体をこわばらせ、

MEMちょは完全に想定外で声が裏返り、

ルビーは驚きながらも、目を瞬かせる。

 

 

でも、拒む者はいなかった。

温かくて強引で、迷いのない腕。

それは“演出”でも“仕事”でもない、ただのアイの抱擁だった。

 

 

【大丈夫だよ!】

 

 

アイは何度も何度も、そうやって明るく言う。なんにも考えてなく頭が空っぽ状態なのかもしれないけど、不思議な力がある。これぞアイ。それだけで説得力は十分だった。

 

それは少なからずあったレイに対する憧憬──。

それをも飲み込み、かき消してくれる、そんな優しさがそこにある。

 

 

「はわ、はわわわわわ!! ま、またまたまたまたまた〜〜〜!!」

「ちょっと、いい加減慣れて、落ち着きなさいよ……」

 

 

МEMちょが大興奮の中、かなはそう言いながらも、全く抵抗はしなかった。できないということではなく、しなかった。

 

むしろ、その表情は――ほんの少し、緩んでいる。

こんなふうに、何の見返りもなく、

ただ「一緒にやろう」と抱きしめてくれる存在を、その温かさを、かなは、知らなかった。

 

だからこそ、その腕の中にあるものが、

どれほど特別なのかを、誰よりも分かってしまった。それがどれだけ多くのものを救っているかなんて関係なく、ただやりたいように、ただ、笑って抱きしめて、前を見るだけだ。

 

 

「うん!! 新生B小町も早くYouTubeでチャンネル作って活動だね!! すーぐ、追いついて、追い抜いちゃうよーーー!!」

 

 

ルビーも本当の意味での笑顔を見せた。

また、いつかは………。

いや、いつかではなく、近い内に。

 

 

 

あの地へ向かおう。

 

 

そう、心に決めながら。

 

 

 

 

「ほらほら〜! アクアもおいでよ!」

「……いや、俺はちょっと」

 

 

 

アクアも一緒に〜! とアイが言い、かなはアクアもくっついてくれる!? と顔を赤くさせ、МEMちょはまだまだトリップしてて、ルビーはテンションあげあげ。

 

そんな渦中に突っ込んで来いと? 無理ゲーが過ぎると、アクアは後ずさりした。

 

 

背中越しに聞こえるアイの笑い声。

かなの慌てた声。

MEMちょの混乱と興奮が入り混じった叫び。

ルビーの、弾けるような声。

 

 

――いや、どう考えても無理だろ。

 

 

物理的な意味でも、精神的な意味でも。

あの輪の中に今、踏み込めと言われるのは無理、と結論。

 

 

「もー、アクアってば恥ずかしがり屋なんだから。レイは抱きついてくれたのにー」

「いや、捏造するなって。レイはアイが捕食しただけだろ?」

 

 

ぶーぶー、とブーイング気味なアイに苦言を呈するアクア。

 

それはそうと、アクアの胸中にも、宮崎の事がある。

だから、アクアは思考を切り替えた。

 

 

 

 

 

――宮崎、か。

 

 

 

 

 

その県名が出た瞬間から、頭の片隅に引っかかっていた。

 

 

 

 

【始まりであり、終わりの地】

 

 

 

 

いや、少し違う。

 

 

 

 

【始まり、終わり──また新たに始まった地】

 

 

 

 

とは言えど、そこまでの執着はない。

 

 

「(……気になる、程度か)」

 

 

そう、正直なところ、それくらいだった。

感情が揺れるというほどでもない。

ただ、確認したいものがあるだけ。

 

 

――自分の、かつての自分だった遺体。

 

 

淡々とした思考の中で、その言葉が浮かぶ。

恐怖も嫌悪もない。

どこか、他人事に近い感覚すらあった。

調べてみても行方不明のままでそのまま未解決になってる。つまり、まだ何処かにある可能性は高い。宮崎の高千穂に。

 

 

「(──あれ以来、行ってないな)」

 

 

脳裏に浮かぶ「あれ」が、何を指しているのかは、自分でも曖昧だった。

生まれ変わったあの日のことなのか。

それとも――前世……雨宮吾郎として、終わった日のことなのか。

 

 

どちらにせよ、確かなのは一つ。

宮崎は、過去の延長線上にある場所だということだろう。

 

 

 

「ぶー、捕食ってなによぅ! それにレイ喜んでたしー!」

「捕らえられてた、の間違いだろ? なぁ、レ────」

 

 

 

この時、アクアは語尾が、わずかに宙に浮いたような感覚がした。

その視線は言葉の続きを探すように、自然と隣へ流れてる。

ただそれだけの動き。

意識して向けたわけでも、何かを探したわけでもない。

 

 

 

 

――それなのに。

 

 

 

 

その横顔だった。それを見た瞬間から、空気が変わった。

アイに抱きつかれているメンバーの世界と、少し離れた所で座ってるあの場所の世界が、まるで違うかように感じる。

 

 

ほんの一瞬だけ、どこにも属していない顔。

笑っているはずなのに、笑ってない。

得体のしれない矛盾を感じる。

緩んでいるはずの輪郭の奥で、何かが噛み合っていない。

 

 

まるで空気が薄い。

 

 

息を吸ったはずなのに、肺の奥まで届かない感覚。

背中に、冷たい指でなぞられたような――ゾワッ、と感じた。

それは音もなく、何かが剥がれ落ちたような感触だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

──…腹が立ってないのか? レイ

―――アクアは、さ

 

 

 

 

 

 

 

 

不意に、脳裏で浮かぶのはあの時の光景。

 

なぜ、今思い出す?

理由を探す前に、理性が一歩引いた。

理解より先に、身体が答えを出しているのだ。

 

 

だけど、その結論は形になる前に、遮られた。

 

 

 

「レイお兄ちゃん! 直ぐに追いつくから! 首、洗って待っててね!!」

 

 

 

弾けるような声。

ルビーの宣言が、空気を切り裂き、アクアが形成していた場の温度を一気に引き戻したから。

ざわめきが重なり、笑いが起き、空気は元の柔らかさを取り戻した。

 

 

 

 

――霧散。

 

 

 

 

さっきまで、そこに“あったもの”が、最初から存在しなかったかのように。

 

目を擦ってみても、レイはいつもの笑顔になっている。

まるで白昼夢をみていたように。何事もなかったと言わんばかりに。

 

 

「うーん……ルビー? 女の子が『首洗って待ってろ』は、ちょっと乱暴気味じゃない?」

「えー!? 勢い大事じゃん!」

「勢いと品は、別問題かなぁ」

 

 

和やかなやり取り。

アイドルらしい、明るい空気。

アクアはそれ以上、何も言わなかった。

ただ、胸の奥に残った言語化できない違和感だけが、

静かに、沈殿していく。

 

 

 

 

 

 

―――パリッ

 

 

 

 

 

 

そう、あの時に感じたあの感覚の再来。

空気が割れた? 弾けた? どう表現して良いか解らない形容しがたい何かが今起きたのを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

──僕が怒ってないって本気で思ってた?

 

 

 

 

 

 

 

どこまでも温度の無いその瞳は、アクアの中の何かを呼び起こした。

 

そう、あれは怒りの感情。

間違いなく怒りの感情。途方も無く大きな、大きな、怒りの感情。普段のレイからかけ離れたと言って良いほどのもの。

 

 

それがほんの一瞬。ほんの一瞬だったけど、紛れもなく、そこにあったから────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

床に映る照明が、やけに白く感じられた。

 

 

人の流れは一定で、足音とキャリーケースの転がる音が、規則正しく重なっている。少し前の賑やかさは、もう随分昔。過去のことのように。

 

代わりにあるのは、出発前特有の、どこか現実味の薄い時間だけだった。

 

 

「……人、多いなぁ。流石は羽田空港」

 

 

レイがぽつりと呟く。

それに対して、隣を歩くミヤコは慣れた様子で周囲を見回していた。

 

 

「ひかるんチャンネル的には、【空港ピアノ】もした方が良かったですかね?」

「地方ロケとはいえ、県との正式企画だもの。そちらの方に集中する方が無難よ。あなたなら、余裕かも知れないけど、万全に……ね?」

「はい、りょーかいです。ミヤコ母さん」

 

 

ミヤコと2人なのは随分久しぶりに感じる。これもまた、親孝行と言えるのかもしれないともレイは思う。それならば、父の壱護も同行した方がより良いかも?とも思ったりする。仕事のタイミングなどのせいで、壱護との絡みが少ないので、親孝行と言う意味では、よりそう思うのだが、致し方ない。ミヤコもそんな事は気にしなくて良し! とドライだ。

 

家族内ヒエラルキー、壱護は結構下なのかも知れない。社長なのに。

まあ、アイやミヤコ、苺プロは女性陣が極めて強いから仕方ないとも言えるが。

 

 

「それにしても……流石に、アイ母さんは乗り込んできません、よね?」

「これる訳がないわ。と言うか、もし来たらペナルティ強め、って言ってるから大丈夫。距離的にも仕事的にも、今回は無理だから、安心して」

 

 

実際、実はアイはかなり粘った。

レイにとって大きな仕事だと聞いた瞬間、

「え、私も行く!」と即答していた。

安全にはめちゃくちゃ配慮するし、変装も完璧にしていくし、と。 

更にはスケジュール表を前に、無理やり隙間を探そうとしたほどだ。

 

だが、今のアイは普通に日本のトップ。

現役のトップタレントとして、撮影、打ち合わせ、収録が隙間なく詰め込まれている。近場ならまだしも、ここまで遠い遠征。前もって事前準備なしで、急遽で出来るわけがない。

 

つまり、物理的にも自分の仕事量的にも、時間が取れないから宮崎行きは不可能なのだ。

その現実をはっきりと言葉にして止めたのが、ミヤコだった。

 

 

今回のはフリでもフラグでもなく、無理だと言い切った。

アイがポキっと、折れてたのは何だか笑えてしまった程だ。同じ母でも、ミヤコの方が強いのだろうな、と何処となく思ったのはレイだけではないだろう。

 

だから、安心できたのである。

 

 

 

 

 

 

そして搭乗案内の電光掲示板が切り替わる。

宮崎行きの便が、静かに表示された。

 

 

 

 

 

「まだ時間、余裕あるわね。少し、席を外すわ」

「はい」

 

 

ミヤコが場を離れて、荷物番とミヤコの帰りを待ってた時だ。

 

 

「ん? あれ?」

 

 

それは見覚えのある姿。人の姿だった。

人混み激しいこの空港でも、誰かと間違えるわけのない人物がいて、その先で、こちらに手を振っていた。

 

満面の笑みを向けているその人は。

 

 

「……あかねさん?」

 

 

驚きを隠しきれないレイ。

そして、早足で距離を詰めると、あかねはサングラスを少し外して。

 

 

「えへへ。偶然、だね?」

 

 

その笑顔はあまりにも自然。

ここにいる、と言うことは行き先も同じだろう。同じく、宮崎へ向かうとのこと。

 

 

――いや、偶然なわけなくない?

 

 

けれど、その言葉を誰も口にしない。

それはあかねは勿論レイ自身も────。

 

 

 

 

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