認めない子   作:アイらゔU

46 / 50
第45話 大成功

 

陽東高校の昼休み。

 

芸能科の教室は、今日も平和だった。

机をくっつけてお弁当を広げる女子たち。

購買のパンを巡る小さな戦争。

容姿や芸能の身に置いてる人材が集ってるために、色々と華々しい光景が予想されていたのかも知れないが、その光景は一般的な高校生のそれと何も変わらない。

 

窓の外では一般科の運動部が昼練に声を張り上げている。

 

今日も今日とて平和な日常の1ページが繰り広げられていた最中ルビーはスマホが震えたのに気付き、そしてその中身を暫く見て――固まった。

 

 

「……は?」

「どうしたん? ルビー」

 

 

素っ頓狂な声を上げたルビー。それに今まで話していた小首を傾げるみなみ。

ルビーは少し震える指で画面を向ける。

そこに映っていたのは。

 

 

【ぴえヨン】

 

 

よく見知った顔だった。

でも、拭えない違和感がある。

ぴえヨンとは覆面筋肉系YouTuber。同じ事務所で稼ぎ頭のYouTuber。ルビーも何度か会ってるからよくわかるが、彼のスタイルは海パン姿にぴえヨンマスク。どう見ても変質者にしか見えない格好、と言うのは初対面のかなの意見だが、今の画面の彼はビシッと正装で固めてる。

加えてピアノの前に座っている。

 

更に更にテロップ――ピンポン♪

と場違いなくらい軽快な通知音。

 

 

同時に、画面の中央にすっと文字が浮かぶ。

 

 

【先に言いますが中身は斎藤ひかりです】

 

 

フォントはやけに事務的。

装飾ゼロ。

感情ゼロ。

一拍。

そしてルビーの中のナニカが決壊した。

 

 

「────ぶはっ!!!」

 

 

教室に響く大爆笑。

それは、その音は、普通はアイドルが、アイドルを目指す事務所タレントがしちゃダメなやつ、である。でもこれは仕方ない。致し方ない、と言えるだろう。勿論身内贔屓が入ってる上での意見ではある

昼休みで注目が集まるのもルビーは構わずに続けた。

 

 

「ちょ、ちょっと待ってムリムリムリムリムーーーリーーーーー!! 止まらなーーーーい!!!!」

 

 

机をばんばん叩くルビー。そしてスマホをみなみに向けた。

みなみも覗き込む。

 

 

「え、えーっと、確かぴえヨンやっけ? 知っとるけ………ど…………?」

 

 

その動画は実は少しルビーの指で数秒戻していた。丁度ぴえヨンマスクを被ったレイがどアップになり、そしてグランドピアノの前に佇んでいた姿。

みなみもぴえヨンの名と姿は知っている。確か筋トレ系だから、ピアノ? と疑問符があがって────あのテロップを見てしまったのである。

 

 

 

【先に言いますが中身は斎藤ひかりです】

 

 

 

「ちょ、待って!? 先に言いますがってなに────!?」

 

あはははは、と大笑いするルビー。

見事にいろんな意味でツボにハマった、と言う感じだろう。

コンセプトは聞いた通り、神話をクラシック系のピアノの旋律で彩る感じなのは聞いている。

それがぴえヨンが絡んでくると、【なんで!??】となるのだ。

そして、ミヤコもレイではなく、ひかりの名をテロップしているのも中々。ルビーが大笑いして、皆に見られるのを想定していたんだろう。お見事である。

 

 

大笑いするルビーを他所に、みなみは――まだ声を出さない。

で、ゆっくりとした動きで口元に手を当てる。

ぷるぷる、と肩が揺れる。

 

 

「……っ、ちょ……まっ……」

 

 

ぎゅっと、口が真一文字となり、ぷるぷると震えてる。そして目が潤んでいる。

笑いを堪えすぎて。

 

 

「ダメ……、あかん、むり、ムリムリムリムリ! ……真顔なのが一番ダメっ!! 顔見えへんけど、真面目なひかり君の顔想像したらムリムリムリぃ~~!!」

 

 

とうとう陥落したみなみ。

背中を丸め、机に突っ伏しながら悶え始めた。

 

 

「中身がひかりくん、そう言われても……その姿で荘厳な空気出すの反則やわ……」

「いやほんと! その姿で真面目な感じやめてーー!? ぴえヨンで空気重いのやめてーーー!?」

 

 

ルビー自身がぴえヨンと共にマスクを被ってブートキャンプしていた。だからこその空気感を知っているのだ。そうじゃない、ぴえヨンはそうじゃない!と。だからこそ、笑えてしまうのである。

 

 

「ひかり君、大きな仕事って言っとったけど、これは盛り上がる感じするなぁー。なんで、この格好なの? ってのはさておき」

 

 

みなみも、ひとしきり笑う。

涙がにじんでいた目尻を拭う。一足先に大きな仕事へ、と言うちょっとした嫉妬心も勿論あるが、それ以上に友達が活躍しているのを観るのは応援したくなる、と言うものだろう。全く違う活躍の場だから、というのもあるかもしれない。綺麗事じゃないから

 

 

 

 

 

──けれど。

 

 

 

 

 

最初の一音が鳴った瞬間。

ルビーの喉が、すっと静まった。

みなみの視線も固定された。

 

 

「……あ」

 

 

低音が、画面越しに落ちてくる。

ふざけた見た目なのに。

音は、真剣だった。

教室のざわめきが遠のく。

 

 

ぴえヨンのまま、指が動く。

 

 

音が重なる。

強く、速く、まるで燃え盛る炎のように。

 

 

「…………すごい」

 

 

みなみが、思わず呟く。

音楽、全く知らないわけじゃないけど、間違いなく素人だけど……届く、届いた。

 

 

そしてルビーも笑っていなかった。

 

 

目だけが、画面を追っている。

あのマスクの下で、どんな顔をしているんだろう。

ふと、そんなことを考える。

最後の高音が伸びる。

 

 

残響。

静寂。

 

 

軈て動画が終わった。まだまだ第一章。始まりに過ぎない。だと言うのにこれほどの濃密な旋律の波に溺れそうになる。けど、心地良い。心に響いてくる。目尻に浮かぶ涙の種類が変わってる。

 

 

濃密な数秒、ふたりとも何も言わなかった。

生み出される旋律の世界へ惹き込まれていた。

 

 

やがて、ルビーはふっと笑う。

これもまた、さっきみたいな爆笑じゃない。

やわらかい笑み。

 

 

「(レイは、レイお兄ちゃんはやっぱりすごいな………。うんっ、私も負けてられない、だね!)」

 

 

声には出さない。

みなみがちらっと横を見る。

彼女もまた、圧倒されているのだろう。

 

 

くすっと笑う。

 

 

でも、ルビーの胸の奥には、ほんのりとした誇らしさが灯っていた。

 

ぴえヨンマスクをかぶってる理由は自分だけはわかってる。レイはYouTuberひかるんでもあるのだ。そして、ひかるんは顔出しをして無いVチューバー。だからこそのぴえヨン。丁度ぴえヨンとのコラボしている際に、ひかるんが近々何かをする、と告知されていた。

それらを鑑みると、より宣伝にもなる。

 

 

「────いいね」

 

 

不意に背後から声が漏れてくる。

それがフリルのものである、とルビーもみなみも気づいた。いつの間に? と思わなくもなかったが、直ぐにそんな事は些細なことだと些末なことだと考えない様になった。フリルもまた、魅入られた仲間の一人だと直ぐに気付いたからだ。

 

 

 

 

ただ────フリルの場合、その想いの深度が2人よりも更に深い。

 

 

 

ルビーたちのスマホの画面を見つめるフリル。まだ、アクアやあかねから連絡来てなかったから、恐らくは苺プロからの映像で、他にはまだ出回ってない代物だと理解できる。

そして、気づく事が出来た自分自身を褒めてあげたくもなってくる。

 

 

そこに映るひとに、目が奪われてしまう。

覆面(ぴえヨン)で顔は見えないが、紛れもなくその姿は自分のよく知る人物だと確信が持てる

そして、フリルの目には、別の姿にも重なって見えていた。

初めて見た、あの旋律を奏でるその姿。そして自分と変わらないはずなのに大きく見えたその背中。

まだ名前も知らなかった頃に観たあの姿。

ただ圧倒されて見つめたあの横顔。

 

 

 

 

【北斗レイ】

 

 

 

 

もう、いなくなってしまったはずの名前。

けれど今、過去のものじゃない。間違いなく今のものに、画面の中に彼はいる。

 

鍵盤の上を走る指先も、

溜める呼吸も、音の置き方も。

 

何一つ遜色がない。

というより――もう彼だ。彼自身。本人だ。

そう言ってしまってもいいほど、そこにいる。

ぴえヨンの丸いマスクが揺れる。思わず笑みが漏れるシーンな筈なのに。フリルはただただ外側ではなく、内側に目を凝らしていた。

 

その奥にいる“彼”がはっきり分かる。

戻ってきてくれたみたいに、感じられたのだ。

 

 

そんな言葉が、胸の奥でそっと形になる。

自然と、頬が緩んでいた。

もちろん、ひかるんとしてのピアノも素敵だ。

ひかるんチャンネルは全て制覇してきている。欠かさずに観て聴いている。

 

 

けれど。

それと今のとは、何か少し違う。同じ音階でも何かが違う。言葉には表せない。けれども、説明できない何かが、心がそう訴えている。

これは、あの頃の彼なのだと。

 

 

音の熱が、同じだ。

画面の中で、最後の高音が伸びを見せた。心地良い余韻が周囲に漂うのが画面越しでもわかる。

アンコールをしたい。してもらいたい。自分も強く思う。……だけど現地ではきっと誰も声を上げられなかっただろう。きっと自分自身も例外ではないはずだ。

 

それはまるで一度きりの神域。

一時の泡沫の夢のよう。胡蝶之夢のよう。

 

 

息継ぎをするために、フリルは、そっと息を吐いた。

 

 

その時。

 

 

ふと、フリルの視界が捉えたもの。

映像の端に揺れる光が映った。

カメラの角度がわずかに変わる。

焚き火の反射、その奥が確かに映った。

随分と見慣れた横顔は、旋律の世界から現実の世界へと戻されるには十分過ぎるもので。

 

 

「あ……」

 

 

小さく、声にならない声が漏れる。

 

 

 

 

【黒川あかね】

 

 

 

 

その姿が端に、ほんの少しの間だけ、確かに見えた。真剣な横顔で、彼を見つめていた。今ガチの影響もあって最低限の変装をしているが、確かにあかねの姿で、そのサングラスの奥が、その瞳がどうなっているのか、見なくても手に取るように解る。

同じ人種だもの。

私達は、同じものに惹かれて、導かれた者同士。

 

 

「──────ずるい」

 

 

フリルの胸の奥が、きゅっと縮む。

自分は、行けなかった。そこは割り切れてた筈だった。だから次回の予定は絶対に空けておくし、必ず合わせてもらうように、とアクアにもお願い……注文をした。

 

それでも、あの瞬間を現地で堪能出来たものと、レンズを通した先で体感出来たものとでは、その距離は果てしない。

ゼロとイチくらい違う。

 

スケジュール。

距離。

タイミング。

 

 

理由はいくらでもある。何度も思った。仕方のないことだと。それに諦めるつもりもないし、何かあったとしても受けて立つつもりでもいた。

 

 

それでも、湧き上がる感情を御し切ることが出来ない。

 

 

これは理屈じゃないし、よくよく考えてみたら簡単に割り切れる程、大人になっていったんだと思う。

まだまだ高校生(こども)なんだから。

 

 

 

 

 

 

 

──ずるい。

──ずるいずるいずるい。

──ずるいずるいずるいずるいずるいずるい。

 

 

 

 

 

 

 

音が、まだ鳴っている。

なのに胸の奥では、別の熱の領域が広がろうとしている。陣地を埋め尽くさんと燃え上がっていく。

羨ましさと、焦りと、悔しさ。

さっきまで柔らかかった頬が、少しだけ強張る。

 

あの場所に、立ちたかった。

あの音を、生で浴びたかった。

あの瞬間を、共有したかった。

 

そして、ルビーのスマホの画面が暗転する。終わりを告げる合図。少なくとも第一節、第一章は終了だろう。大まかには聞いていたが、神話をモチーフにしているのだ。これで終わりなわけがない。

 

 

静寂。

 

 

フリルは一度、瞬きをした。

そして、ほんの少しだけ唇を尖らせる。

 

 

「……ずるいな」

 

 

誰にも聞こえない声。

でも、その目はもう揺れていない。彼が戻ってきたならば、ならば……今度はちゃんと隣に立つのは自分の番だから。

不知火フリルとは、頂点とも呼ばれ、評価されている者。だけど、それをしても、遠くに感じてしまう。

ひょっとしたら、黒川あかねもまた同じ気持ちなのかもしれない。

近くにいても、遠い。

 

雲をつかむような感覚だと。

 

だけども、とにもかくにも……負けないことだけ。

 

それだけを考えるのだった。

 

 

因みにその後、羨ましい! と言う気持ちを抑えきれずに、アクアやあかねの居るグループLINEにまるで呪詛のように【ずるい!】を連投しまくるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼休みの芸能科教室は、どこか独特だ。そして同じ芸能科でも学年が違えば同じとは言えない。

 

普通科のような他愛ない噂話もあれば、オーディションの結果や、次の仕事の話題も飛び交う。

笑い声の中に、少しだけ競争の匂いが混じる。焦りや焦燥も見え隠れし始める。

 

それが、このクラスの日常。

 

特にそれは学年が上がる度に増していってる様に思える。1年とはまた違う密度さえ思えるのは気の所為ではないだろう。それ程までに焦りが生まれていくからなのかも知れないが。

 

かなは、その喧騒から少し離れた窓際の席で、スマホを眺めていた。スマホが震えたからだ。

視線を落としてスマホを開き、見てみると通知が一件ある。

 

苺プロのグループトークであり、既読の数が、やけに早い。

 

 

「……なによ」

 

 

小さく呟き、画面をタップする。

スマホを覗き込み――そして固まった。

 

 

レイの仕事内容だと思っていたんだけど、暫くしてスマホ画面いっぱいに映し出されたのは【ぴえヨン】である。

 

 

──またそれか。

 

 

思わず、かなの肩が揺れた。

 

 

「……あんたまで、またそんな格好してほんと何してんのよ? 県との仕事じゃなかったの??」

 

 

小さく笑う。

自分だって、あのマスクを被ったことがある。

息苦しくて、視界が狭くて、声もこもる。そしてガチで死ぬかと思った。酸欠で。あれを着けての1時間耐久は地獄過ぎたから。

それはともかく、個人YouTuberらとのコラボとかではなく、大きな案件でそれってどうなの? とも思ったりするのだ。エンタメでウケ狙いだというのなら的をいてるかもしれないが。

 

それにしても苺プロに入ると通過儀礼であれを被らされるのか? 

だとしたなら入る場所やっぱり間違えたか? 

 

とげんなりする気持ちも持ち合わせながら、かなは動画を進めていく。

神話を背負ってピアノを弾く姿は良い。

でも、その姿が無い。あまりのシュールさに、やっぱり我慢出来ずに思わず一度は吹き出すかな。

でも、同じ時間軸で別場所で爆笑してるルビーみたいな反応を見せたりはしない。

かなの笑いは、静かで、少し呆れ混じりだ。

 

 

 

「……ほんと、意味わかんない」

 

 

そうは言いつつも再生は止めない。

むしろ、じっと見つめる。

最初の一音が鳴った。

笑いが、消える。

視線が、動かなくなる。

低音が落ちる。

その瞬間、かなの中で何かが切り替わった。

 

 

「(……これ)」

 

 

世界が、変わる。

音だけが、残る。

溜め。

呼吸。

感情の乗せ方。

ただただ上手い、なんて言葉では到底足りない。全く畑違いだと言うのに解る。解らせられる。

その音には物語がある。音の奥に、意思がある。

 

 

彼は──レイは記憶障害という大きな断絶を越えて。全部失って。それでも、ここまで来たんだ。世界を驚かせたあの頃に匹敵するのではないか? と思わせる。

 

その事実が、音の重みとなって如実に現れている。

 

 

「(……ほんと、ずるい)」

 

 

有馬かなが抱く心境。不知火フリルと同じ言葉を使っているがその中身、意味は違う。

 

その才能の大きさに、その天才と言う名が相応しい技能に、同じ時を共に生きてきた筈なのに、どうしてこうも違うのか、と。情けなく思うがどうしてもずるい、と出てきてしまったのだ。

 

 

胸の奥が、じくりと疼く。

大きな舞台。

焚き火の灯り。

大きな大きな舞台に立っている。存分にその技術を技能の全てをぶつけられている。

 

 

かつて、自分のすぐ隣にいた少年が。

弟分みたいに思っていた彼が。

守ってあげる側のつもりだった。

ジャンルは違えど、目指す場所は違えど、同じ舞台の上で、高め合っているつもりだったあの時の記憶が呼び起こされる。

そして──いなくなってしまった時に気づいた。

 

 

支えられていたのは、自分の方だったんだと。

 

 

子役として消えかけていたとき。

伸び悩んで、迷って、折れそうになったとき。

傍にあったのは、彼の残してくれた言葉だった。

 

 

最後の高音が伸びる。

余韻が、静かに溶ける。

 

 

──戻ってきた。戻ってきてくれた。

 

 

かなは、しばらく画面を見つめたまま動かなかった。

 

 

「凄い」

 

 

そんな言葉では、軽すぎる。

そして胸の奥で、いくつもの感情がぶつかる。

 

 

嫉妬。憧れ。悔しさ。誇らしさ。

そして――焦燥と渇望。

 

 

「……負けないわ」

 

 

ぽつりと零れる。

誰に向けたわけでもない。

自分への宣言。

スマホを握る手に、自然と力が籠もる。

追いつく。いつの日か、追いついてみせる。心からそう言える域にまで。

 

 

『例えあんたが戻ってきて、どこまで行っても』

 

 

その背中は、ちゃんと見てる。もう見失わない。

そして、いつの日か、あの頃の様に。心から言える様になってみせる。

かなの瞳は、もう揺れていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして

苺プロ所属で唯一の一般科であるアクアにも同様の動画は届いていた。

そのマスクを、ぴえヨンのマスクを観て、皆とは違う反応(・・・・)を見せつつも、音は、その一音もこぼすまいと耳を澄ます。

 

それには目に見えない力が、温かい何かがある、と知っているから。

どす黒く濁った復讐心を少し癒してくれる様に無意識に感じたから。

 

 

強弱も、間も、呼吸も。

 

 

まるで証拠を集めるみたいに、音を拾う。

胸の奥に、わずかな揺らぎが生まれる。

どす黒く渦巻いていたものが、ほんの一瞬だけ、静まる。奏でる音が、全てが優しい。

 

 

──救われる。

 

 

そんな錯覚が、胸を撫でるその瞬間。

アクアは、目を開けた。

 

 

――違う!

 

 

それは違う。ここで救われてはいけない。

あの日を忘れてはいけない。

あの日の血の匂い、自分たちが受ける筈だった凶刃をその身で受けてくれた子供の姿。

命は助かれど、その失った光は瞳に戻らない。

 

全ての真相を知ったあの時、あの瞬間から自分が選んだ道。

 

鈍らせるものじゃない。鈍らせて良いものじゃない。

音が終わる。

余韻が、静かに消える。

胸の奥の揺らぎも、押し込める。蓋をする。

 

 

蓋をした後はこの道を進むだけだ。

その本懐を遂げるまで──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☆舞台は再び宮崎、高千穂☆

 

 

 

 

 

最後の余韻が消え、照明が落ちる。

舞台袖に戻ったレイは、深く息を吐いた。

 

 

「……はぁ……」

 

 

ぴえヨンマスクの内側は、まさに蒸し風呂だった。

鍛えているし、体力面も問題ない。だけどかなりきついのも事実。

ここまでの大きな仕事は本当に久しぶり(・・・・)。県との仕事なのだ。当然精神面(メンタル)も削られた。それで出来たのがこのパフォーマンス。

ある程度搭載していた程度の体力なんて直ぐに尽きてしまうだろうが、何とか持った、とも言える。

 

いや……ピアノであれば幾らでも弾ける。

例え体力が尽きても精神力で、

たとえ精神力が尽きたとしても……魂で。

音を奏で続けれる。そういう自信は常に持ち合わせている。

 

 

が、それはそれとして終われば流石に身体は疲れを思い出してくれるから、息苦しいし、大変しんどい。なので頭を振りながら、両手でそれを早々に外した。

 

 

「流石にこれは……きっつい……息、もっと吸いたい……」

 

 

額から汗が流れ落ちる。

前髪が額に張り付いている。

高千穂の空気は芸能への力を引き出してくれているとの事だから、もっと力を分けてくれ、と言わんばかりに何度も何度も深呼吸を繰り返した。

 

そして呼吸を整えながら顔を上げた、その時だった。

 

ぐしゃぐしゃに泣いているあかねの姿が視界の中に入ったのは。

 

 

「―――――………え?」

 

 

レイは一瞬、理解が追いつかなかった。

 

 

「ええ、ちょ、ど、どうしたの!? 何かあった!? あかねさん大丈夫!?」

 

 

理解が追いつかなかったが、疲れてようが草臥れてようが関係なく、レイは慌てて近づく。

だが、あかねは首を横に振る。ぶんぶんと、髪が乱れるのも構わずに降る。そしてその涙が飛ぶ。

 

 

「ち、ちが……っ、違くて……っ」

 

 

あかねは嗚咽で言葉が繋がらない。

それでも、必死に顔を上げる。

 

 

「レイくん……レイくん……! レイくん………っっ!」

 

 

ただただ名を連呼していた。

勢い。涙。

完全にあかねの感情が決壊していると言えるだろう。

 

 

「だ、大丈夫! 僕、傍に居るから! ここに居るから!!」

 

 

本気で焦るレイ。

その横で、ふっと小さく笑うのはミヤコである。

あかねの頭をゆっくりと撫でながら、レイの方を見て微笑み。

 

 

「安心しなさい。あなたの演奏に感激しただけよ」

 

 

そうさらりと告げる。

 

 

「……え?」

「泣きながら、ずっと褒めてたわよ。拙い知識だけど、って。中盤の転調がどうとか、リズム構造が、って全部が極まってるって」

 

 

ミヤコは肩を竦める。

 

 

「まあ、その辺りは私も同感だけどね。―――お疲れ様」

 

 

その声は柔らかい。

母親のように労うように。……いや、母親だ。ミヤコは母親。アイが前面に、全方位に乗り出してきていたから、引いてくれていたが、ミヤコもレイにとって大切な大切な家族の1人。

レイは一瞬ぽかんとしていたが、そう思うと同時に同じく笑った。

 

 

「……そっか。ありがとう、あかねさん」

 

 

再びあかねを見る。

まだ泣いている。

だがその目は、真っ直ぐだ。

震える声で何かを伝えようとしている。

 

 

「すごくて……っ、あの、あそこが……っ」

 

 

 

 

 

言葉は途切れ途切れ。

けれど地の文で言えば、こうだ。

 

 

彼女が伝えたかったのは――想像の何倍もある。沢山ある。

 

 

各章もそうだが、その一つ一つをメモを取っていた様で、えぐえぐ、と涙をぬぐいながらも説明をしてくれている。

 

旋律を変形させ、岩戸の内側のテーマを引きずりながらも、あの瞬間に跳ねさせた大胆さ。

強拍をわずかにずらし、祭りの足音のように空気を揺らした構造。

 

 

そして最後の和音。

 

 

閉鎖の響きを一切残さず、完全な“解放”として鳴らし切った覚悟。

神話をなぞるのではなく、自分の解釈で“動かした”こと。

 

 

それがどれほど凄いか。

どれほど難しいか。

どれほど――悔しいか。

それを、泣きながら必死に伝えようとしている。

 

 

 

 

 

「……ほんとに、すごい……っ、すごくて、すごくて、それくらいしか、いえなくて……」

 

 

最後に残ったのは、それだけだった。

レイは、少しだけ照れたように視線を逸らす。

 

 

「……ありがとう、あかねさん。……でも、あかねさんも凄くない? ミヤコ母さん。あかねさんの解説、公式で使えないかな? 僕がイメージしてたのと、びっくりするぐらいぴったりなんだけど」

「ええ。走り書きになってたけど、私も見せてもらったわ。十分通用するどころか、本職の仕事だって言われても遜色ないそうよ?」

「やっぱり……。いやいや、あかねさんの方が凄くない?? だって本職と全然違うことなのに、凄いよ!」

 

 

あはは、と笑うレイ。

あかねもだんだんと落ち着いてきたようで、顔を真っ赤にさせながら、両手で横に振る。

 

 

「や、わ、わたしなんか―――その、考察するのとかが、得意なだけ、って言うか、天岩戸のこととか、この辺りの神話の話とか、知ってるだけだから!」

「……十分過ぎるけどねぇ」

 

 

と、言うわけで、あかねの解説を公式採用する様に掛け合う事になった。

十分仕事になるので、報酬を支払う事も約束(あかねは辞退しようとしたが、ミヤコが払うとゴリ押し)。アーティスティック・パートナーとしても申し分ないのだから。

 

 

ミヤコは、静かに二人を見守った。

親の立場としても、事務所副社長の立場としても、色々と危うい2人かもしれないが、それでも微笑ましい。……無論、ここに更に集まってくるだろうから、レイの前途は多難だと思う。

でも、それもある種の宿命だろう。ここまで人を惹きつけるのだから。

 

 

 

願わくば――――引き寄せられる、惹きつけられるのが善なる者に限ることを。

 

 

 

焚き火の匂いが、まだ残っている。

神話は一部終わった。

 

だが、まだまだ先は長い。

最大限のサポートを意識しつつ、ミヤコ自身も気を引き締めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――そしてその後も順調どころか完璧だった。怖いくらいに。

 

 

 

 

 

 

“神話と音の再生プロジェクト”は想定以上の反響をもって幕を下ろした。

まさに大成功の一言。

 

 

五部構成の作りで、その全てが予定通り―――いや、予定以上早くに進行した。

 

 

その理由は勿論レイにある。

 

 

完璧に仕上げてきたその演奏は完全なるノーミス

修正も、取り直しも無い。想定外のトラブルもない。

本来ありえない程の出来だ、と現地のピアニストも目を点にしていた。

 

 

通常、プロのピアニストであったとしても。

・音を外す。

・和音を軽く濁す。

・テンポが微妙に走る。

・ペダルが深すぎる。

・暗譜が一瞬とびかける。……etc

 

 

など、指折り数えだしたらきりがない。

少なからず修正箇所は見つかるのが《普通》だ。

公演などの1発勝負な企画であったならば、ミスしても流したりして進む事があるが、今回のこれは違う収録があり、編集があり、プロジェクトとして一つの作品、形となるものだ。勿論リテイク無しの1発限り、なんて無茶はしてない。

 

 

が、そこを覆してきたのがレイである。

 

 

まさに神がかり、と言っていいだろう。

プロの間でも、YouTuberひかるん、と言うのは名が挙がっており、注目しているピアノ系YouTuberの1人ではあったが 元々ひかるんは顔出しNGのVチューバ―。

 

つまりレイが高校生だった事に加えて、ここまで神がかった演奏を見せてくるなんて、それこそが想定外だった、と言う事だ。

 

レイの至高の技術と高千穂と言う神秘的な土地柄。全てが合わさったが為に、出来た事なのだろうか? と無理矢理納得はさせたが、誰もがノーミスなんて、無理。脳死する。と言って今後語り継がれる事になった。

 

 

続いて県との共同企画はかなりの高評価を受けている。

次なる展開も視野に入れているとの事。レイは問題ない、と張り切っていたが、まだ高校生だ。その辺りを考慮しつつ、万全に、出来うる事をする方向性で、裏ではまとまった。

 

 

そして1週間を想定し組まれていた大掛かりな企画は残り2日を残して終了を迎えた。

誰もが予想出来ない程のスピードで、全員が驚きと安堵を両立させた表情をし、締めくくられたのである。

 

 

「せっかく2日も空いたんだし、どこか観光して帰りましょうか?」

 

 

ミヤコの提案である。

ここ連日は仕事仕事仕事で息つく暇もないくらい忙しかった。如何にレイの演奏がパーフェクトであったとしても、その他の業務はしっかりあるので致し方なし。

でも、解放されたこの空気感。仕事を終えた時のこの空気はいつも美味しく心からリラックスさせてくれるのもまた事実。

まさに、充実していると言えるだろう。

 

 

「私も、御一緒しても良いのですか?」

「当然よ。黒川さんは違う事務所なのに……正直、お詫びに行かないとって考えてたわ」

「い、いえいえ! 私が好きでやったことですから! 必要ないです! 本当に!!」

 

 

あかね自身は本当に充実した5日間だった、と肌が艶々としている。ここまで濃密な演奏を間近でここまで堪能できたのだ。寧ろお金を払わないといけないレベルで、ここ数日間、何度も何度もフリルから呪詛の様メッセージを送られてきた。ただひたすら《羨ましい》と《ずるい》 そして《いいなぁ》。

 

でも、その通りだとあかねは割り切ったりしている。これは仕方がない。自分がフリル側の立場になったとしたら、間違いなく同じことをしている、と自信を持って言えるのだから。

 

 

そんな感じで、穏やかな笑いに包まれていたのだが、そんな中でレイだけが少し静かだった。喜んでいない訳じゃない。ただ、やっぱり疲れは出ているのだろうか、とも思える。

レイのその表情は、……視線はどこか遠くを見ているような感じがしたからだ。

 

 

「レイはどうする? 無理に、とは言わないけど。直ぐに帰るっていうのも勿論選択肢の一つよ」

「あ、そうですそうです! レイ君の体調が一番ですから! 私、燥いじゃって恥ずかしい……」

 

 

あかねは顔を赤くさせる。

確かに、観光をしてみたい、と言う気持ちは強くあるが、それはレイを蔑ろにしてまでやりたい事ではないのだから。

 

 

そんな2人を見て、レイは慌てて否定をした。

 

 

「大丈夫、大丈夫ですから。終わったんだなぁ、と思ったら、何だかぼーっとしちゃって。……それに」

 

 

遠い目をしていたレイ。

だが、それは何か――――覚悟が決まった。そんな目をしているようにも見えた。

 

 

 

 

「せっかく、高千穂に来たんです。―――この街を、神話の街を歩いてみたいですね」

 

 

 

 

そして、物語は動き始める。

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。