認めない子 作:アイらゔU
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機体が完全に停止し、シートベルト着用サインが消えたのは、それから程なくしてのことだった。
頭上から流れるアナウンス。それに呼応するように立ち上がる乗客たち。オーバーヘッドコンパートメントが次々と開かれ、荷物を取り出す音と話し声が機内を満たしていく。
つい先ほどまで雲海の上にいたというのに、一度地上へ降りてしまえば、そんな非日常も嘘のようだった。
レイたちも周囲の流れに合わせて機内を出る。
長いボーディングブリッジを抜けた先に待っていたのは、高千穂とはまるで違う世界だった。見慣れた地元だと言うのに、やはりインパクトが違う。
絶え間なく流れる館内放送。
規則正しく並ぶ案内表示。
足早に行き交う大勢の人々。
旅行鞄のキャスターが床を転がる音が幾重にも重なり、そこへ家族連れの楽しげな声や、仕事相手と電話をする会社員の声まで混じっている。
人、人、人。
山々に囲まれ、少し足を伸ばせば人工物さえ視界から消えてしまいそうだった高千穂とは正反対だった。
ほんの数時間前まで自分があの地にいたことさえ、遠い出来事のように思えてくる。
けれど、不思議と嫌ではなかった。
むしろ、この騒がしさが今のレイには心地良い。
15年という長い年月を眠っていた
神話の残滓が息づく山、そしてあの
やはり、あの病院は全ての因果が交わる地点とでも言うのだろうか。それとも何らかの原因が自分にはあるから、なのだろうか。
そうでなければ、あのタイミングであの少女と出会うなんてなかなか考えられない。記憶の範囲では、超常的な存在である事は間違いないにしても、あの身体は器。人の範疇でもあるはずなのだから。
それはそれとして、まだ考えなければならないことは、山ほど残っている。
解決したものなど、ほとんどないのかもしれない。
それでも今だけは。
日常へと帰ってきたのだと、そう思ってもいい気がした。
手荷物を受け取り、三人並んで到着ロビーへと向かう。
あかねもようやく長旅から解放されるからか、どことなく肩の力が抜けているように見える。飛行機のなかで真っ赤になっていたのだが、それも落ち着いたようで、レイは安心した。心なしか、あかねがレイをジト目で見ていた気もするが、届くことはなかった。
その一方で、ミヤコは時折スマートフォンを確認していた。
誰かと短いやり取りをしているようだったが、レイは特に気に留めなかった。
おそらくは仕事関係だろう。
苺プロダクションの副社長である以上、こうして地方まで来ている間にも仕事が止まるわけではない。
スケジュールも自分のところ以外を把握しているわけではないが、かなり詰められていた筈だから。
そしてやがて三人は到着口を抜ける。
目の前には、到着した人間を待っていた者たちの姿。
久しぶりの再会なのだろう。嬉しそうに手を振る家族もいれば、名前の書かれたボードを掲げて立つ者もいる。
そんな、どこにでもある空港の光景。
――の、はずだった。
レイの足が、不意に止まった。
少し遅れて、隣を歩いていたあかねの足も止まる。
二人の視線は、ほぼ同時に同じ一点へと吸い寄せられていた。
黄色。
やけに黄色い。
人々が行き交う到着ロビーの一角に、どう考えても周囲から浮いている一団が存在していた。
見覚えのある黄色い頭。
つぶらな瞳。
鳥を模した特徴的なマスク。
そして、その中に一際大きな肉体を誇示するように佇む、見間違えようのない人物。
苺プロダクション所属
☆覆面筋トレ系YouTuber☆
今やチャンネル登録者数百万を誇り、事務所最大の稼ぎ頭でもある男――ぴえヨンその人だ。
そこまではいい。
ぴえヨンが羽田空港にいる。
その事実そのものは、芸能人である以上、トップタレントなのだから、何かしらの仕事が入っているのだろうと納得できる。
だからレイも、最初に抱いた疑問をそのまま口にした。
「……ミヤコさん。今日、ここで何かイベントみたいなのって、ありましたっけ?」
問いかけられたミヤコは、レイの視線の先を確認する。
けれど、驚く様子はない。
それどころか、どこか遠い目をして小さく息を吐いた。
「……ええ。まあ、そんなところね」
「そんなところ?」
随分と歯切れの悪い返答だった。
レイは怪訝そうに首を傾げる。
隣では、あかねも同じように不思議そうな顔をしていた。
「ぴえヨンさんのイベント……かな? でも……」
あかねの言葉が途中で止まる。
そう、イベントがあったか否か。もちろん、それも疑問ではある。
だが――今この場において、もっと先に疑問を抱くべきものが存在している。
レイは無言のまま、一人、二人、と視線だけを横へ動かしていった。
本物のぴえヨンがいる。
それは分かる。
問題は、その周囲だった。
一人。
二人。
三人。
まだいる。
四人。
…………まだ、いる。
黄色い鳥の顔が、やたらと多いのだ。
これまで仕事の関係でぴえヨンと顔を合わせたことは何度もある。企画内容によっては、彼と同じマスクを被った出演者やスタッフを見る機会だってあった。
だが。
これほどの数のぴえヨンが一堂に会している光景を、レイは見た記憶がない。
間違いなく過去最多である。
もはや、一人の人気YouTuberとそのスタッフというより――群れだった。
ぴえヨンの群れ。あまりにも濃い光景。ぴえヨン、という熱く滾る筋肉を搭載している彼の集団、と考えたら、どうしても濃い、と思ってしまう。
その光景に、レイの眉間へ僅かに皺が寄る。
「……増えるんでしたっけ? そんな企画ありました? 参加型?」
「ふふっ……!」
隣から、小さく吹き出す声。
あかねだった。
本人としては耐えようとしたらしい。
口元へ手を当てているが、肩が小刻みに震えている。
「ご、ごめん、レイくん……。でも、増えるって……っ、と、鳥じゃないんだから」
「だって、多くないですか? 明らかに」
「う、うん。多い……ね。すごく多い」
どうやら、あかねにもこの光景の正体は分からないらしい。ならば、やはり自分の感覚がおかしいわけではない。
そう判断したレイが改めて黄色い集団へ視線を戻した――その時だった。
ぴくり。
その中の一人が動いた。
マスクの奥から、こちらを見ている。
正確には――レイだけを。
一秒、二秒と僅かな静止。
そして。
「――――っ!」
その人物が大きく身を震わせた。
次の瞬間。
両腕を大きく広げたかと思えば、こちらへ向かって一直線に駆け出してきた。
「……え?」
レイの口から、間の抜けた声が漏れる。
逃げるという発想すら浮かばなかった。
そもそも、何故ぴえヨンが自分に向かって走ってくるのかが分からない。
そして、その疑問を処理するだけの時間など与えられるはずもなく。
「レイーーーっ! おかえりーーーっ!!」
「――わあっ!?」
勢いよく胸元へ飛び込んできた身体を、レイは反射的に受け止めた。
突然の衝撃に数歩よろめきながらも、どうにか踏み留まる。
両腕を背中へ回され、ぎゅうっと抱き締められる。
視界いっぱいに広がる黄色い鳥の顔。
何が起きたのか分からない。
――などという時間は、一秒すら続かなかった。
何故ならその声を、レイが聞き間違えるはずがないからだ。物心がつくよりも前から聞いてきた声。生まれる前から知っているその声。
嬉しい時も、悲しい時も。
笑う時も、泣く時も。絶望したあの時でさえも何度となく聞いてきた。
そして、今は大切な母親となってくれている人の声なのだから。
「…………アイ、かあさん!?」
「えへへー! せいか――」
「いやいやいやいやっ!? 何してるの!? なんでここにいるの!?」
正解、とでも言おうとしたのだろう。
しかし、その言葉が最後まで紡がれるよりも早く、レイの声が上擦った。そして、ベリッと、抱きついてるアイを引っ剥がす。
高千穂でどれほど追い詰められていた時でさえ滅多に見せなかったほど、分かりやすく狼狽している。
当然だった。
ここは自宅でも、苺プロの事務所でもない。
日本有数の利用者数を誇る空港の到着ロビー。日本の玄関。
周囲を見れば、数え切れないほどの人間がいる。
そんな場所に、日本を代表するトップタレントの一人がいる。
しかも。
自分へ抱きつきながら、普通に喋った。普通に秘匿だった関係性はどうなってるのか?
「アイ母さん、声っ! 声でバレるから! っていうか、マスクしててもこんなところで喋ったら意味ないからっ!」
「えー? 大丈夫だよ。ちゃんとぴえヨンだもん!」
「ぴえヨンはそんな声じゃないよ!?」
あまりにも自信満々に言い切るものだから、レイは思わず即座に突っ込んでしまった。でも、アイにしか聞こえない程度に声を抑えているのはレイの経験のなせる技である。
そして、アイの行動が合図だったのか。
先ほどまで固まっていたぴえヨンの群れが、こちらへ向かってぞろぞろと動き始める。
一斉に。
レイの頬が引き攣った。
「…………え」
嫌な予感がした。
ものすごく嫌な予感がする。
改めて見れば、全員の顔は同じである。
ぴえヨンなのだから当然だ。
しかし。
身長。
体格。
立ち方。
歩き方。
そして何より、こちらへ向けられている空気。
どこかで、いや、どこかじゃない。
毎日のように感じているものと、あまりにも似ている気がした。
レイの目がゆっくりと見開かれていく。
「…………まさか」
その先を口にするより早かった。
「おい! そこで止まるな! 話は中に入ってからだ!」
野太い声が飛んできた。
ぴえヨンたちの後方から、苛立ちを隠そうともせず大股でこちらへ歩いてくる男。
その姿を認識した瞬間、レイの中で嫌な予感がほぼ確信へと変わった。
「壱護父さん!?」
壱護だった。
周囲へ素早く視線を走らせながら、迷うことなくレイたちのところまでやってくる。
そして、未だレイへ抱きついている黄色い鳥頭を見て、盛大に眉間へ皺を寄せた。
「お前は俺が言ったことをもう忘れたのか! 迎えに来るのを認める代わりに、これ以上目立つ真似は絶対にするなっつっただろうが!」
「目立ってないよ? 顔、見えてないもん」
「声が丸出しだろうが!」
「……僕も全く同じこと言ったよ、今、ていうか! ぴえヨン集団な時点で、今更目立つも何もないでしょ!?」
「んなことはわかってる! だが、木を隠すなら森だ! ほらほれ、レイもお疲れさん! 全員一緒に行くぞ!」
思わずレイがツッコむ。
壱護のこめかみに青筋が浮かびつつも主導し、先導する。
その横ではミヤコが額へ手を当て、深い深いため息を吐いている。ただし、その表情に驚きはない。
そこでようやく、レイも気づいた。
ミヤコは知っていたのだ。
飛行機を降りてから何度かスマートフォンを確認していた理由、それがおそらくは今回のサプライズ企画? なのだろう。
先ほど、イベントについて尋ねた時の妙に歯切れの悪い返答も。
全部。
「……ミヤコ母さんも、知ってたんですね?」
恨めしそうな視線を向けられ、ミヤコは僅かに肩をすくめた。
「ええ。壱護から連絡はもらってたわ」
「だったら教えてくださいよ……!」
「教えたら、あなた飛行機の中から余計な心配したでしょう?」
「うっ……」
否定できない。
間違いなくした。
どうやって止めようかと考えただろうし、到着するまで気が気ではなかったはずだ。
言葉に詰まったレイを見て、ミヤコは小さく笑う。
普段ならば、こんな穏やかにしてられない。ミヤコも呆れ果て、項垂れること間違いないだろう。
ただ、今日に限っては、今回に限っては別だ。
何故なら、レイのこと。レイの精神衛生上を考えたら……少しでも、頭が痛くなるようなことであっても、少しでも忘れる事ができるのなら、と、ミヤコなりの親心だったのだ。
けれど、今は悠長に説明している場合ではない。
何しろ、ただでさえ目立つぴえヨンの集団が一箇所へ集まりつつあるのだ。
その中心にはレイ。
あかね。
ミヤコ。
顔そのものは隠せていても、いつ誰が違和感を抱くか分からない。ぴえヨンな時点で皆それなりに注目を集めているが、確かに木を隠すなら、だ。中身まではバレてないだろう。
ミヤコの表情が、すぐに苺プロ副社長としてのものへ切り替わった。
「話は後。レイ、あかねさん、移動するわよ」
「え? あ、はい!」
「私もですか?」
「もちろん。ここに置いていけるわけないでしょう? 今回お世話になったしね。お礼も兼ねて。……あ、時間に余裕があるなら、だけど」
「は、はい。大丈夫です」
戸惑うあかねへ答えながら、ミヤコは素早く周囲を確認する。
それとほぼ同時に、壱護もぴえヨン軍団へ向かって手を振った。
「お前らも戻れ! さっさと控室行くぞ! こんなところで固まるな!」
号令を受け、黄色い集団がぞろぞろと方向転換する。
その光景を見たレイは、何とも言えない表情になった。
やはり多い。
どう見ても多い。
そして――。
「……あの、壱護父さん」
「あ?」
「僕、ものすごく聞きたいことがあるんですけど」
「奇遇だな。俺もお前に説明しなきゃならんことが山ほどある」
「たぶん、それです」
「なら歩け。全部中で話す」
問答無用だった。
壱護に背中を押され、レイは歩き出す。
すぐ隣にはあかね。
その少し前をミヤコが歩き、さらに前方には大量のぴえヨン。
そして。
当然のようにレイの腕へしがみついたまま、一緒に歩いている一羽。
「……アイ母さん」
「なぁに?」
「とりあえず離れようか」
「やーだー! レイ成分!」
「むー……」
黄色い鳥の顔では、当然ながら表情など分からない。
けれど声だけで分かる。
間違いなく笑っている。
そして何より――嬉しそうだった。
レイは困り果てたように眉尻を下げる。
それでも振りほどくことだけは、しなかった。
もう訳が分からない、くらいの怒涛の展開。東京へ戻ってきた途端、どうしてこんなことになっているのか、説明してほしいくらいだ。
それなのに、自分の腕へ絡みつく温もりを感じながら歩いていると、胸の奥に残っていた高千穂の冷たい空気が、ほんの少しずつ溶けていくような気がした。
帰ってきた事への実感。そして危惧していた懸念も今のところは無い事への安堵感。
空港の喧騒よりも。
東京の景色よりも。
たった一言の――おかえりが、何より強く教えてくれていた。
もっとも。
そんな穏やかな感慨に浸っていられる時間が、果たしてあとどれほど残されているのか、今のレイは、まだ知らない。
何しろ、彼の前を歩いている大量のぴえヨンたちが、マスクの下で一体どんな惨状になっているのか。
その答えが待つ控室は――もう、すぐそこなのだから。
壱護に先導され、スタッフの皆にも支えられ、一行は空港内の一般客が行き交う区域から離れていく。
先ほどまで聞こえていた旅行客たちの話し声やキャリーケースの音も徐々に遠ざかり、代わりに業務用の扉や無機質な壁が目立つようになってきた。
当然ながら、レイにとってはこちらの方が馴染み深い。
芸能活動をしていれば、華やかなステージや撮影現場よりも、その裏側にあるこうした殺風景な通路を歩いている時間の方が長いことさえある。
もっとも。今回は、その前方を大量のぴえヨンが歩いているという一点を除けば、だが。
黄色い後頭部が並んでいる。
右を見ても黄色。
左を見ても黄色。
そして自分の腕にも、一羽。
「……アイ母さん」
「んー?」
「やっぱり、そろそろ離れよう?」
「やーだ」
「即答……」
腕へ絡みつく力が、むしろ少し強くなった。
マスクのせいで表情は全く見えない。だが、どう考えても楽しんでいる。そんなに心配かけたのか、と言う気持ちもあったので、強引に振りほどこうとは思わないから、レイが諦めたように小さく息を吐くと、その隣を歩くあかねが口元へ手を当て、また僅かに肩を揺らした。
これが、レイの
そんな一行を何度か振り返りながら、壱護は通路の奥にある一室の前で足を止める。
扉の横には、簡素ながら関係者用の控室であることを示すプレート。イベント規模がそれなりに大きかったのだろう。
ぴえヨン個人の待機場所というよりは、複数人が利用することを前提とした広さがありそうだった。
壱護がドアノブへ手をかける。
「ほら、入れ。ここなら多少騒いでも外には漏れねえ。少し休憩したら引き揚げるぞ」
その言葉にレイは何故か、僅かな引っ掛かりを覚えた。
多少騒いでも。
何故、そんな前置きが必要なのだろうか、と。
しかし、その疑問について考える暇もない。
扉が開いた。
壱護がまず中へ入る。
続いてぴえヨン、大量のぴえヨンたち。
レイ、あかね、最後にミヤコ。
全員が室内へ入ったことを確認して。
ミヤコが廊下を一度確認する。
そして。
――ガチャリ。
扉が閉まり、外界から遮断される。
その瞬間だった。
「~~~~っ!!」
一羽が、ぴえヨンの1人が震えると同時に両手を頭へ伸ばす。黄色い被り物を掴み。
「っっっっっあ゛ぁぁぁぁぁぁ~~~~っ!! もう無理ぃぃぃぃぃ!!」
スポォンッ!!
と、勢いよくマスクを脱ぎ捨てた。
ふわりと広がる金色の髪、そして現れた顔を見て。
「……やっぱルビーだったんだ」
レイの予想が、一つ答え合わせされた。
アイ以外声を発して無かったので確信は無かったが、十中八九はそうだろう、と思っていた。
だが。
そんなレイの呟きなど聞こえていない。聞こえるわけがないルビーはマスクを放り出した勢いのまま、数歩ふらふらと進み。
「つっかれたぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~っ!!」
そのまま。
床へ、ばたーん! と大の字になった。女の子に、というかアイドルとしてあるまじき行為だとは思うが、それほどまでに限界だったのだろう。
どこまでやらされたのかは分からないが、あのぴえヨンのブートダンスをやってきたレイからすると、物凄く同情する。
「……と、なると他は────」
レイがちらり、と視線を動かす。視界の中にいる無数のぴえヨンたちは、まるで連鎖反応のように次々とそのマスクを剥いでいく。
「私もぉぉぉぉぉ!! もう脚むりぃぃぃぃ!!」
すぽん! と現れたのはMEMちょ。
こちらも顔を真っ赤にし、髪は汗で額へ張りついている。自前の角のカチューシャが無いパターンは少し新鮮だな、と割とどうでも良いことを考えていた。
MEMちょは、マスクを長机へ放り投げるように置いたかと思えば。
「も、もう一歩も動けな~~い……!」
ずるずるずる。
近くのソファへ辿り着くことさえ諦め、その場で壁を背にして座り込んだ。
「で、そっちは────」
そして、次のぴえヨン(仮)は。
「っ~~~~~~!!」
無言、と言うより声にならない声を、発しながらマスクを思い切り剥ぎ、勢いよく引き抜く。
「こんっっっっの……!」
赤い髪が露わになった瞬間。
「またクソ暑いマスク被ったまま筋トレなんかやらせるんじゃないわよぉぉぉぉぉぉ!!! あの時の何倍もきついわッッッ!!!」
絶叫。
中身はかなだった。
ぴえヨンチャンネルで撮影していた時は空調の効いた狭いスペース。ある程度は整えられていたんだろうが、あいにくここは空港だ。後は、ご想像の通り。
怒りに任せて叫びきったところで。
ぷつん。
燃料が切れた。
「も、…………無理」
ふらぁ。
そのまま近くのソファへ倒れ込む。
新生B小町の全メンバー、ぴえヨンに扮して登場(退場?)である。
何やら、レイの隣にいたあかねは、はぁはぁ、と興奮していたようだが、誰も気にしない。そんな余裕は無かった。
アイ、ぴえヨン(真)、ルビー、MEMちょ、かなの五人が露わになり、最後の一人。
他の三人ほど派手に騒ぐこともなく、静かにぴえヨンマスクへ手を掛ける。
ゆっくりと持ち上げると。汗に濡れた髪と、見慣れた顔が現れた。
「……ふぅ……」
心の底から深いため息を一つ。
そう、アクアである。そのままアクアは壁際まで歩いて、片膝をついた。
「…………疲れた」
これで答え合わせは完了した。
レイは室内を見渡す。
床で大の字になっているルビー。
壁際で力尽きたMEMちょ。
ソファへ沈んだかな。
片膝をついて息を整えるアクア。
入口で普通に立って、なんならスクワットしてるぴえヨン。
そして。
未だ自分の腕へ絡みついているアイ。
「…………」
レイはゆっくりと隣を見た。
そしてアイもこちらを向く。
「やー、大変だったねーみんなー!」
呑気な声が響き渡る。半死半生、死屍累々なのは若者たちだけで、大人の二人組は無傷。
「…………」
特にアイは元気である。
一人だけ、圧倒的に元気である。
「……アイ母さん? なんで一人だけピンピンしてるの?」
「え? そりゃ、無事に帰ってきたレイに会えたんだよ? ママはそれだけで嬉しいんだから! とーぜんさ!」
むしろ、何故そんなことを聞かれたのか分からない。そんな声だった。あまり理由になってない面白パワーならぬ、母の愛で突破した感じだ。
その様子を見ていたアクアが、片膝をついたまま。
「……俺もそれが聞きたい。割とマジで」
普段、それなりに鍛えてるつもりのアクアも、この場で若さプラス男であるのにも関わらず、圧倒された。
そんなアイをみて心底疲れ果てた声で、呟くのだった。
「……ん? アレ? フリルさん?」
苺プロメンバーのみ、と思いきや、自分たちが入る前に、控え室の奥から、フリルが出てきた。
普通の変装で涼しい顔をしてる。
「おかえりなさい、レイくん。私もお出迎えに来たくて、来ちゃった」
ニコッと微笑むその輝き。
簡素な変装程度では隠し切れない華やかさは、さすがトップタレントの一角と言うべきか。
だが、現在、この部屋においてそんなスターの輝きなど、もはやどうでもよかった。
少なくとも死屍累々と化した彼女たちにとっては。
特に――かなにとっては。
「…………」
ソファへ沈んでいたかなの目がゆっくりと開かれ、キョロ、と視線が動き、最小限の動きでフリルを見る。
帽子。
伊達眼鏡。
マスク。
普通の服。
次に、自分の姿を見る。
汗だく。
全身疲労。
そして傍らには、先ほどまで被っていた黄色い忌々しささえあるあの被り物。
「…………」
もう一度、フリルを見る。
「…………ねえ」
そして開き、発せられた声はとても低い声だった。
先ほどまで「もう無理」とソファへ沈んでいた人間とは思えないほど、静かな声。
フリルが小さく首を傾げる。
「はい?」
そして。カッ! と見開かれたかと思った次の瞬間。
「なんでアンタだけそれでいいのよぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」
まさに死者が蘇ったかのように、かなの絶叫、再びである。
「私だって! 帽子とか! 眼鏡とか! そういうので来たかったわよ!!」
「………はぁ、はぁ、はぁ、で、でも、先輩も、納得、したじゃん……、皆で行こうって、言ったら、来てくれた、じゃん」
「アンタたちが強引に連れてったんでしょうがぁぁぁ!! 記憶改ざんしてんじゃないわよ!」
何やら一悶着あったそうだ。
その場から動けないが、言い合いは続く。
「はぁ……はぁ……ダイエットになるかなぁ、丁度いい、かなぁ」
MEMちょだけは付き合うことが出来ず、ぐったりと呟いている。取り敢えず、あかねが先ずはMEMちょに酸素缶を渡した。かなとルビーはまだ余裕がありそう(ケンカ?をしてるから)なので、後回しにしている。
「……大変だったんだね」
「えと、何だか悪い気がしてきました……僕を迎えに来てくれるのは嬉しいんだけど」
気づけば隣に来ていたフリルに、レイはそう呟く。
その傍らでは、かなとルビーの言い争いが未だ続き、MEMちょは酸素缶を片手にぐったりと項垂れている。アクアは我関せずとばかりに座り込み、アイだけは相変わらず元気いっぱいだった。
そんなある種苺プロ名物になりそうなこの喧騒は、再び壱護の号令が飛ぶまで、もう暫く続くのだった。