認めない子 作:アイらゔU
控室を満たしていた喧騒は、まだしばらく収まりそうになかった。
もっとも、騒いでいる人間と、もはや騒ぐだけの体力すら残っていない人間とで、綺麗に二分されてはいたが。
騒がしい筆頭は、やはりかなだろう。
先ほど一度はソファへ沈み、完全に燃料切れを起こしていたはずなのだが、不知火フリルというあまりにも理不尽な比較対象を目の当たりにしたことで、予備燃料へ切り替わったらしい。
身体こそソファへ預けたままだが、その口は止まらない様子。でも、それもそろそろ限界らしい。
切り替わった燃料も減り続け、疲れの色は色濃く出ている。
「だから私は最初から普通の変装でいいって言ったのよ……! 帽子、眼鏡、マスク……! それで充分だったでしょうが……!」
その矛先を向けられているルビーはというと、こちらは未だ床の上。
先ほどからほとんど体勢を変えておらず、大の字になったまま天井を仰いでいる。
それでも言われっぱなしでいるつもりはないらしい。
「だってぇ……ぴえヨンイベントも、みんなでやった方が、絶対楽しいと思ったんだもん〜……みんな、一緒にいく、条件? 壱護しゃちょーの? だもん〜……………」
「どこが楽しかったのよ……っ、言ってみなさいよ。今日のどこに楽しい要素があった……っ! あの時だってダウンしたくせに……」
「終わってみれば……いい思い出……?」
「疑問形じゃない……!」
「うるさいよぉ……センパイの声、あたまに響くぅ……」
「誰のせいよ…!」
身体は死んでいるのに口だけは元気である。
それを少し離れた場所から眺めているMEMちょには、もはや参戦する意思すらなかった。
先ほどあかねから受け取った酸素缶を大事そうに抱え、時折口元へ運びながら、壁を背にぐったりと座り込んでいる。
「若いねぇ……二人とも……」
「MEMちょも大して変わらないだろ? ……まあ、ちょっとくらいは」
「アクたん……最後まで言い切らなかったら、最高、だったのに………」
年齢ネタで何か言われるのは、著しくダメージの入るMEMちょ。当然だろう。大幅に年齢上。未成年の皆さんがうらやましいほどに。
最初に若さを口にしたのはMEMちょの方だが、アクアも生暖かく見守ることを、せず、口を挟んだ。
色々疲れすぎたせいか、何か言わないとやってられないのだろう。その後は壁際で完全に休養態勢へ入っていた。
さすがに先ほどまでのように片膝をついてはいないが、椅子へ深く腰掛け、無駄な動きを徹底的に排除している。今は一秒でも早く体力を回復させる。
そんな強い意志さえ感じられた。
そして。
そんな若者たちの惨状を前にしても、ただ一人。
「ふふっ。みんな楽しそうだねー」
アイだけは、相変わらずニコニコしていた。
当然のようにレイの近くを陣取り、疲労の色など欠片も見せず、子供たちの騒ぎを楽しそうに眺めている。
少なくとも、今この部屋の光景だけを切り取ったなら。
誰が一番過酷な運動をしてきたのか、まず分からない。
本物のぴえヨンを除けば、間違いなく一番元気なのがアイなのだから。
まさしく母は強し、である。
ただ、そんな言葉で片付けていいものなのかは、甚だ疑問ではあるが。
そして、そんな騒がしい一団から僅かに離れた場所。
レイの隣には、先ほどからフリルが立っていた。
一人だけぴえヨンイベント、あの地獄のブートダンスに参加していない後参加なため、当然ながら汗一つかいていない。一応彼女もトップタレント、一仕事終えてきたようだが、そこに疲れは見せない。
帽子に伊達眼鏡、マスクという簡素な変装。
先ほどかなが見て再び蘇ったほどには、実に涼しげな姿である。レイは改めて部屋の惨状を見渡し、小さく苦笑した。
「……本当に僕を迎えに来るために、ここまでしなくてもよかったのに」
「でも、嬉しかったでしょう? 嬉しくないわけない、顔に書いてる」
「それは……まあ」
否定はできない。
いや、したくなかった。
方法については色々と言いたいことがある。
ぴえヨンが増殖していた時点で目立っていたとか、トップアイドルが人前で自分の名前を叫びながら抱きついてくるのは変装の意味があるのかとか。
それでも。
嬉しかったのは、紛れもない事実だから。気落ちしていた精神を温かく包んでくれたのは事実だから。
「うん。取り繕うなんて必要ないかな。……嬉しかった。とても」
だから、そこだけは素直に答えた。
フリルは一瞬だけ目を細めて、それから、柔らかく笑った。
「そっか」
短い言葉。
けれど、その声はどこか満足そうだった。
フリル自身、高千穂へ行くことはできなかった。
仕事があった。
仕方のないことだった。
そんなことは、最初から理解している。
理解していて。
割り切って。
それでも画面の向こうに映った黒川あかねの姿を見て、何度「ずるい」と思ったか分からない。
実際、我慢できなくなって、グループLINEへ呪詛のようにその三文字を連投した。
だから、待っていた。レイが帰ってくるのを。
ちゃんと、待っていたのだ。
「フリルさんもありがとう。忙しいのに、僕のために」
「…………」
こう言う所はずるいし、変わってないし、天然のたらしだと思う。今欲しい言葉をくれたんだから。くれるんだから。
だけど、今最も欲しいのは。
「……ふふ、どういたしまして。あ、そうだ。レイくん」
「??」
「次のお休みって、いつ?」
唐突に変わった話題に、レイが瞬きをする。
「僕の、休みですか?」
「うん。大きな案件終わらせたんだし、休み取れてるのかな? って」
「ん────えっと……」
何故、急に自分の休日を聞かれたのだろう。
そう思いながら記憶を探る。
高千穂へ行く仕事、宮崎県とのコラボが過去最大クラスの仕事で、それを終えたあとのスケジュールなんて考えてなかった。そもそも、そこまで売れっ子というわけでもなく、都合のつくスケジュールの組み方をしていた訳で。
でも、何かあったかも? と帰ってきてからの予定について思い出そうとしたその時――。
「レイなら、しばらく休みよ」
その答えは、思わぬところから飛んできた。
レイとフリルが同時に振り返る。
少し離れたところで、ミヤコがスマートフォンを操作していた。
どうやら聞き耳を立てていたわけではなく、単純に耳に入ったらしい。画面から顔を上げ、二人を見る。
「ミヤコ母さん?」
「フリルさんの言う通り。大きな仕事終えたからね。もちろん、学校はちゃんと行ってもらうけど、苺プロの仕事は終わり。何かくれば別だけど、取り敢えず休みなさい」
「え。でも、そこまでしなくても別に――」
「休みなさい」
「…………はい」
有無を言わせぬ一言だった。
レイが僅かに肩を落とす。
反論の余地はないらしい。
今回の高千穂行きは、当初予定していたものと大きく違う結果になった。予期せぬ事態に見舞われた。
結果的に入院────とまでは言わないが、だいじを取って、病院で寝泊まりすることになったのだから。
レイが向こうで何を背負い、どれほど精神を擦り減らしたのか。
傍にいたからこそ、分かっている。
だからこその判断だった。
「ただでさえ、あなたは放っておいたら無茶するんだから。少しくらい何も考えずに休みなさい。いいわね?」
「……はーい」
少しだけ不服そうではあるものの、レイもそれ以上は食い下がらなかった。
ミヤコは満足そうに頷くと、再びスマホへ視線を落とす。
そして、その横でフリルの瞳が、僅かに輝いた。
仕事はない。
学校はある。同じ学校で同じクラスだ。ならば、一つしかない。
「じゃあ、レイくん」
「はい?」
「いつにする?」
「え? 何をです?」
レイが首を傾げる。
フリルは笑顔のまま。
「もちろん、デート。アクアくんから聞いてるよね?」
「…………」
レイの動きが止まった。
そしてもう一人。
ぴくり。
少し離れたところで、その単語へ反応した人物がいた。
MEMちょの様子を見ながら、使い終えた酸素缶などを片付けていたあかねだった。
ミヤコと同じく、別に聞き耳を立てていたわけではない。
同じ控室ですぐ近くにいる。
普通に会話しているのだから、聞こえて当然だった。
そして、事情も知ってる。
でも、だからといって聞き流すことのできる単語ではなかったから。
「…………」
あかねは視線だけが、ゆっくりと動いた。
レイとその隣にフリルに。
フリルは楽しそうに笑っている。その光景を見た瞬間。
高千穂へ向かう直前、自分が考えていたことが鮮明に蘇った。
そう、あかねは知っている。
次にフリルがレイとデートをする、と言うこと。
今回の、宮崎行きはあかねがスケジュール的に大丈夫だったから参加できたこと。
その代わり、ではないが参加できないフリルがアクアへセッティングを頼んでいたこと。
最終的にはレイを守る、というアクアの目的、その性質上悪いことをではなく、寧ろ良いことだから二つ返事でOKを出したこと。
そして、レイが戻ってきたなら、いずれその日がやって来ることも。
最初から、全部、分かっていた。
分かっていた、のだが。
「…………むぅ」
ぷくぅ。
あかねの頬が大きく膨らんだ。
理屈と感情は、必ずしも同じ方向を向いてくれるわけではないらしい。
「……あ、えっと………」
一方。
数秒遅れて、レイもようやく思い出した。
そんな話があったこと。
高千穂へ行く前、空港にてあかねと遭遇して、アクアと話をした時にそれとなく聞かされていた気がする。
「フリルさんとの約束……」
「うん。覚えててくれた?」
「もちろん覚えてます……けど。まさか帰ってきたその日に催促されるとは思わなかったというか」
「だって」
フリルはそこで一度言葉を切る。
ちらり。視線が、レイの向こう側へ向いた。
そこにいる人物を。正確には、こちらを見て頬を膨らませているあかねを認識して。フリルは再びレイへ視線を戻す。
「あかねちゃんだけずるいし。次は私の番だから」
その一言。
そして。
今度は明確に。
あかねとフリルの視線が交差した。
「…………」
「…………」
フリルが微笑む。
あかねも気づけば笑っていた。膨らんでいた頬を一度だけ戻して。
一見すれば、仲の良い二人の少女が目を合わせただけ。
ただし。
その間に流れている空気を感じ取ったレイの背中を、何故か冷たいものが伝った。
そう、空港の時はフリルはどうしても外せなかった。仕方なく不可抗力だった。
でも、もしとあの時あの場にフリルがいたなら、多分同じような光景が広がるだろう、と予想はできる。
多分、立場が逆転して。
「ね? 今度は私の番だよね?」
「…………そうだね」
あかねが答えた。
その声は穏やかだった。
間違ってはいない。
フリルはずっと待っていた。
仕事の都合で高千穂へ行けなかっただけで、もし予定さえ合っていれば、彼女だって同行したかったはずだ。
そして、自分は行った。
レイのすぐ傍で。
あの演奏を聴いた。
あの景色を見た。
あの時間を共有した。
何より、傷ついたレイを支えた。
かなり濃密な一時だったと思う。
だから。
フリルの言うことは、何一つ間違っていない。
「約束してたもんね。フリルちゃん」
「うん。約束約束」
「…………」
「…………」
なら。
何故、あかねの頬は再び、ぷくぅ、と膨らんだのだろうか。
いや、あかね自身もわかっている。確かに泊まりがけで、事件もあったかもしれないが、旅行も同然で、観光までした。
でも、ミヤコが帯同していて、つまるところフリルのような【デート】か? と問われれば果てしなく疑問だから。
「……あ、あかねさん?」
不穏な気配をまとうあかねに、レイが恐る恐る声を掛ける。あかねは答えない。代わりに。すたすた、とこちらへ歩いてきた。
「え?」
「…………」
すたすた。
そしてレイの前まで来る。フリルの隣。レイの隣。
その二人の位置を確認するように一度だけ見て。
すっ。
あかねが一歩横へ入った。
「…………」
「…………」
レイとフリルが同時に瞬きをする。
いつの間にか。
レイとフリルの間に、あかねがいた。
「……え、え?」
「ん? なーに?」
「いや……なに、じゃなくて」
「?」
「なんで間に入ったの?」
「…………たまたま?」
「絶対違うよね!?」
あまりにも無理のある回答だった。
だが、あかねは退かない。その様子を見たフリルが、小さく首を傾げた。
「あかねちゃん」
「なに? フリルちゃん」
「もしかして、嫌なの? 約束したのに?」
「…………」
あかねが一瞬だけ黙った。そして軽く笑顔で首を横に振った。
「そんなことないよ、嫌じゃないし、約束だもんね」
それは、嘘ではなかった。
少なくとも。フリルがレイと出かけること自体を、否定するつもりはない。
「前から約束してたもんね」
「うん」
「宮崎にも来られなかったし」
「うん」
「だから、フリルちゃんがレイくんとデートするのは……当然の権利? ちゃんと、アクアくんがらレイくんに伝わってるし、いいと思うし、そもそも私がどうこうできるものじゃないし」
「じゃあ――」
「でも」
フリルの言葉を遮る。
そして。
ぷくーーー。
再び、頬が膨らんだ。
「それとこれとは別なの!」
「…………………ま、それはそうね」
実際のところ、フリルも大体わかっている。
同行したとしても、身内であるミヤコ同伴であることや、実質レイのマネージャー的な立ち回りを果たしていること。観光地巡りをしたそうなので、そこは未知数な部分はあるが、明確に【デート】と銘打って遊びに行くのはフリルが先、という可能性が大だということ。
あかねの反応をみて、その可能性は確信へと変わる。
単純に、目の前でデートの約束を見せられるなんて、脳破壊しかねない光景だからな可能性もあるが。
「ふ、ふたりとも、おちついて! おちついて、ね??」
慌ててレイが抑えようとするが、くるり、と二人はレイの方を見た。
「そうだ、折角だし? 今ガチの続き、延長戦第一回目、してみる?」
「ふふ、それも良いかもね」
「え? え? それってどう言う────」
二人は同時にレイの方を向いて、綺麗な笑顔で迫った。
「レイくん、どっちがいいと思う……?」
「で、レイくんはどっちを選ぶのかしら?」
あの日────
今ガチ♡の最終回では、確かに待ってほしい、と言うどちらも選ばない、という選択を取ったのは間違いない、
番組構成的にも、今後の影響的にも悪くない選択だし、今ガチ♡ 最終回も大好評だった。☆4.7評価なのだから大成功だ。
でも、まさか……いや、ない、とは言えないし言いたくない。誠実じゃないから。
でも、それでも、こんなにも早いとは思わないじゃないか。
そして今も二人は迫ってくる。後ろは壁だから退路なんてものはない。
「ちょ、ちょっと待って、二人とも圧が強いよ! 落ち着いて落ち着いて!」
気付いてくれてるのは、アイ、ミヤコ、アクア、MEMちょ。
アイはニヤニヤ、と良い笑顔見ていて、楽しんでる様子。助けてくれるようには見えない。
ミヤコも似たようなもので、少なからず安心感も醸し出してるように思える。
アクアは、まだ体力回復中で相手にしてられない、と言う感じ。
MEMちょは、華の同期だ。どちらも頑張れ、と思いつつ、生暖かく見守っている。
どうしたら────と、思う間に、レイにとっての助け舟を出したのは壱護だった。
そろそろ撤収、と言う声でこの場はお開きになるのだった。
そして──それから、少しばかり時は流れた。
高千穂から帰ってきたレイを迎えた、あの騒がしい空港での一幕も終わり。 それぞれが日常へと戻っていく中で。
一人、以前から交わしていた約束を果たすために動いていた者がいた。
アクアである。
場所は変わり、そこにいるのはアクアと、もう一人だけ。
苺プロとも古くから付き合いがあり、芸能界に広い人脈を持つ男――鏑木勝也。
以前、アクアが個人的に持ち掛けた話。 その対価を果たしたことで、今度は鏑木が約束を履行する番だった。
周囲に人影はない。
家族にも。 苺プロの人間にも。 ましてや、これから話題に上る本人にも聞かれることのない場所。
鏑木は煙草を口元へ運び、火を点ける。
先端が赤く灯り、白い煙がゆっくりと夜気へ溶けていった。
そして。
「さて、苺プロも随分といい意味で忙しそうで、なかなか時間が開いてしまったが―――漸く約束を果たせるね」
「……ええ」
アクアは短く答えた。
鏑木は煙草を指に挟んだまま、僅かに目を細める。
「それで? アイ君の何が知りたいんだい?」
「昔のアイについて、です」
「昔?」
「ええ。まだ今ほど売れる前。苺プロに入って、アイドルとして上り詰めていくまでのことを知りたい」
鏑木は一度、煙草を吸う。
白煙を吐き出しながら、少しばかり不思議そうにアクアを見た。
「……君は随分と妙なことを聞くんだね」
「そうですか?」
「妙だろう」
そこで鏑木は、もっともな疑問を口にした。
「
「…………」
その問いに、アクアはほんの僅かに視線を逸らした。
もちろん。そんなことは分かっている。鏑木は特に近しい存在。自分たちとアイの関係性を知っていても不思議じゃない。そこは最初から分かっていたこと、可能性として考えていたことだ。
そして、アイを知りたいだけなら、確かに鏑木の言う通り、それが一番早い。帰ってアイに聞けばいい。
昔、どんな仕事をしていたのか。
どんな人間と出会ったのか。
どんな場所へ行ったのか。
そして――。
────誰と、出会ったのか────
だが。
「……恥ずかしいじゃないですか」
「……は?」
予想外だったのか、鏑木の目が僅かに丸くなる。
アクアは少しだけ不機嫌そうに続けた。
「母親に直接、自分の昔について根掘り葉掘り聞くのって。なんか……恥ずかしいでしょう」
「君がそんなことを気にするタイプだとは思わなかったな」
「俺をなんだと思ってるんですか」
「いや、もっと合理性を優先する人間かと」
否定はしない。
普段なら、おそらくそうする。
だからこそ。
ここには、もう一つ。
鏑木にも言える理由があった。
「それに――ファンでもあるんですよ」
「ファン?」
「母親であると同時に、アイのファンでもあるんです、俺」
それは方便であって。
同時に、アクアの紛れもない本心である。
星野アイは、母親。
それは今では揺るぎようのない事実。
けれど、それだけではない。
まだ自分が雨宮吾郎だった遠いあの頃。
病室で、画面越しにその姿を追っていた頃から。
彼にとって星野アイは、特別な存在だったから。
そして、現在は。
アクアにとっての特別が、守らなければならない存在がもう一人……増えているのだから。