酔いから覚めたら妻子持ちのDV男に憑依してたんだけど 作:くじらん421
自己満小説ですが、暇つぶしのひとつにでもなれたら幸い。
自分用にAI挿絵を入れています。参考にされたい方はどうぞ。
「―――――かはっ!」
喉の浅い部分に吐瀉物が詰まり、体が反射的に吐き出そうとして目がさめる。焼けるような喉のひりつきと口内に広がるえぐみのある酸味。不快感が極まって、何度も咳き込みながら体を起こした。喉に残る異物感を無くしたくて何度も唾を飲み込むが、まるで楽にならない。もっと大量の液体で流し込まなくてはと思うも、大きくぐらつく地面が立ち上がらせまいと邪魔をする。結局、深く咳き込みながら唾を飲み込むことを繰り返すばかり。
ああ、飲みすぎた晩はいつもそうだ。なぜ繰り返すのか。
何度目かわからない反省を繰り返して、僕は重たく鈍い頭をそれでも動かそうとした。
昨夜は確か……、退職記念の飲み会だったはずだ。
お世話になった上司と数名の同僚、6人程度のこぢんまりとした送別会だったが、それでも彼らは僕を慰労してくれ、退職を記念して様々な居酒屋やバーを梯子した。実に楽しかったように思う。職場はいわゆるブラックであったし、業務量に対して見合った給料だったとは口が裂けても言えなかったが、終わってしまえば不思議と充実した記憶ばかり頭をよぎるものだった。幸い、僕自身その仕事を苦労に思うことはあっても辛く思うことは少なかった。よくも悪くも相性が良かったのだろう。
今回退職するのも、仕事に嫌気がさしたわけではない。実家の都合で家業を手伝う必要があったこと、雇用契約が切れる3年目だったことなどが重なったためだった。人間関係にも大きな不満はなかったので、結局、建設的で円満な退職になったのではないかと思う。
気持ち的な意味でも、引き継ぎ業務的な意味でも、嫌な未練や心残りはないと断言できる。
いや、一つだけ心残りはあると言えばあるが。しかしこちらも来年の3月にケリがつく。
つまり、残るはとてつもない解放感だけで。
ゆえに、昨晩は飲みすぎてしまったのだ。
けれど、後悔はない.......。
「……けどやっぱり、反省はしないとな」
そう零して、大きく深呼吸し、
生ゴミ、アンモニア臭、生乾きの衣類、タバコ、アルコール臭、人の体臭。
全てが最悪に混じり合った異臭に、咄嗟に息を止めた。
臭い、いくらなんでも臭すぎる。人の部屋や家には独特の生活臭があるものだが、それにしてもコレは酷すぎる。妙にしめっ気があることがその酷さに拍車をかけている。
あまりの臭いに周りを見渡すと、僕は自分が知らない部屋に寝転がっていたことに気づいた。6畳ほどの部屋に、くたびれて黄色味がかったシミの広がる布団、散らかったコンビニ飯の残骸と空き缶、ペットボトル。よく見ると空き缶は全て缶チューハイだ。ゴミ袋らしき大きなビニール袋には無差別にゴミが放り込まれ、なぜか口が縛られないまま部屋の隅に積まれていた。そのせいで小蠅がゴミ袋を忙しなく行き来している。
まさに汚部屋、最悪の環境である。そして、そんな場に寝転がっていた状況が全く理解できない。
しこたま飲んだが、昨夜は自分のアパートに帰ったはずだ。酒を飲んだことで記憶を無くしたことはないのでそれはよく覚えている。ラフなスーツ姿のままベッドに倒れ込み、そういえば玄関の鍵を閉めていないなとぼんやり思っていたのが最後の記憶である。
意味がわからない。ここはどこで、なぜ自分はここにいるのだろうか。豆鉄砲どころではない、豆大砲をくらった鳩の気分だ。酔いのせいで未だ残る酩酊感と小さな頭痛に悪感情を抱きながら、ひとまずこの部屋を脱出しようとふらりと立ち上がると、足元に転がっていた缶チューハイの空き缶を蹴り飛ばしてしまう。空き缶はカラカラと音を立てて転がった。
「っーー! あ、お、おはよう……」
「うわっ?! あ、ど、どうも……」
すると、その音に反応したように、か細い女性の声が聞こえ、僕はひどく驚いて声を上げてしまった。声がした方を見ると、床に散らばる空き缶を恐る恐る拾いながら媚びるような目でこちらを見上げる女性がいた。身なりは最低限整えられているが、ジャージに身を包んで猫背でいる。長髪黒髪で、前髪が顔の多くを隠してはいるが綺麗な見た目だ。まだ20代前半のように見える。どちらかというと可愛い系なのだろう。職業柄――すでに退職した身だが――色々な人と会ったり話したりする機会があったが、彼女のように化粧していないままでも綺麗な人はあまり見たことがない。
「ま、まだ、起きたばかりだよね、ごめんね、ご飯持ってくるね、ごめんね」
「……え? いやお構いなく! というかここは……って、行ってしまった」
足元のゴミを拾いながら、えへ、えへ、とへらりと笑って女性は足早に部屋を出た。途中、ちらちらとこちらの様子を伺っている様子が印象に残った。
「いや誰……? ま、まさか他人の部屋?! いやでも自分の部屋のベッドで寝転んだ記憶はあるし……というか一旦部屋を出よう」
何もかもが気になるがまずはこの部屋を脱出しよう。そう思い、嫌な酩酊感を無理やり抑え込みながら出口に向かおうと女性が出て行った扉を押し開けた。すると、向こう側に何かあったのか、何かがゴスっとぶつかり、扉は途中までしか開かれなかった。自分の腰よりも低い位置で何かがつっかえているようで上手く開けられない。
監禁。
ふと、そんな2文字が頭をよぎり、強い不安感が急に胸に込み上げた。焦る気持ちが扉を強く押し開けようとしたが、今度はなんの抵抗感もなく扉が開く。ほっとしたのも束の間、扉の向こうにあったのは、いや、いたのは。
「こ、子ども?!」
額を両手で押さえながら、無表情にこちらを見上げる幼い女の子がいた。歳のころは10にも満たないくらいか。自分のへそあたりに頭頂部がくる程度の身長で、少し痩せぎすだろうか。先ほどの女性と同じような黒髪長髪で、将来きっと可愛い子に育つだろうなと容易に想像できる整った顔をしている。しかし、何も言わず、額を押さえながらこちらをじっと見上げる女の子は無表情で、感情が読み取れない。
いや、そんなことよりも。おそらくドアの向こうにこの女の子がいたのだろう。急に扉が開いて額を打ったに違いない。そう思い当たると、途端に先ほどのゴスっという衝撃音がなかなかのものだったと思い出す。未だに額を押さえているくらいだ、相当強く打ってしまったようで。
「し、しまった。ドアにおでこぶつけちゃったな。ごめんな、痛かったな」
僕は咄嗟にしゃがみ込んで頭を撫でようとした。
「―――っ!!」
すると女の子は咄嗟に頭を両手で庇って小さく丸まるようにしゃがみ込んだ。防御体勢と言えばいいのか。なんとなく、カリスマガードという言葉が思い浮かんだ。あら可愛い。いや、そうじゃなく。
「あっちゃあ、怖がらせたか。結構大きな音したもんな。結構痛かったな、ごめんな」
この場合、触れないほうがいいだろうと、できるだけ優しい声をかけるように意識する。一歩引いて距離を空け、気持ちゆっくり話しかける。
「外に行こうと思ってな、ドアを開けたらぶつけちゃったな。ごめんな」
声のトーンは少し上げつつ、話すスピードはゆっくりと。
その調子でごめんねと繰り返していると、幼い女の子はそろそろと顔をあげる。目が合うとそらされるが、わざとにっこりと笑みを浮かべていると、頭のガードはしたままチラチラとこちらを伺うようになった。
追加攻撃が来ないことを不思議がっている様子だ。
なんて目で見るんだ。そんなことするわけないだろう。
「あ、あんず!」
幼い女の子と互いに見つめあっていると、廊下の奥から先ほどの女性が駆け寄ってきた。女の子はあんずという名前のようだ。おそらく、母子関係にあるのだろう。となれば、見知らぬ男性の前で頭を押さえてしゃがみ込んでいる娘を心配するに違いない。なんて説明したものかと悩んでいると、母親は娘に覆い被さった。娘を守ろうとしたのだ。
「ご、ごめんなさい!わた、わたしが目を離したから!わたしが悪いの!ごめんなさい!ごめんなさい!」
先ほどの部屋で話していた時のようなボソボソした声ではなく、必死に声をあげる様子に面食らってしまった。
「お願い、この子は殴らないで!わたしを代わりに殴っていいから!蹴っていいから!お願い、お願い!!」
「い、いやいやいやいやいやいや! んなことするわけないでしょう?!」
とんでもないことを言い出すので咄嗟に言い返すも、母親の耳には入っていないようで、カタカタと肩を震わせるばかりだ。こちらに背を向けて必死に娘を庇う様子に、ひどく罪悪感を抱いてしまう。
「あの、僕は何もしてませんから安心してください。ドアを開けた時に向こう側にいたので額を打ってしまったみたいなんです。さっきはその子、あんずちゃんかな、に謝っていただけなんですよ」
母親に語りかけるも反応はない。どうしたものかと思い悩んでいると、母親に被さられているあんずちゃんがモゾモゾと動いて母親の腕の隙間から頭をスポンと出した。そしてそのまま何も言わず、無表情にこちらをじっと見つめる。その瞳から彼女の意思を読み取ることはできない。
ただ、なんとなく、何かを聞きたそうな。何かを疑問に思っているような。そんな目を向けられているような気がした。
母親であろう女性のことは知らず、目の前の女の子のことも知らない。
そんな男がこの場を収められるとも思わないので、ひとまず、勝手を承知で家を出ることにする。廊下の真ん中を母子が占拠しているので、足を上げて乗り越えるしかない。一度女の子に足を上げて通るからね、と確認を取る。特に反応はないが、言わないよりマシだろう。実際に、足を上げて乗り越えようとした時は母子ともにびくりと大きく反応し、身を固める。
いや、蹴らないからね。さっきの母親の言葉にあったけど、殴りも蹴りもしないから。
わかっていても身はすくんでしまうのだろう。無理もない。
悪いなという気持ちを持ちつつ、それでも二人を大きく跨いで玄関に向かって自分の靴を探す。シンプルな焦茶の革靴がどこにもない。簡単に見回してみるも見当たらないので小さい下駄箱を見やる。中に入ってないだろうか。
「あの、すみません。下駄箱の中に僕の靴はありませんか?」
予想はしていたが母親からの反応はない。こちらをじっと無表情に見つめる少女がいるだけだ。……薄暗い部屋で、逆光になっているのもあるが、なんとも仄暗い雰囲気を身に纏っているように感じて、うすら怖く感じた。
そんな感情は無視しつつ、しょうがないので、勝手に下駄箱を開けて自分の靴を探すも。
「……ないなあ」
自分の相棒とも言える靴がない。男性用の靴と、女性用の靴と、子供用の靴。どれもくたびれていたり、穴が空いていたりしたが、ただそれだけ。なんとなく、本当になんとなくだが靴はなさそうと感じていたので大きく驚きはしない。もう一度玄関を見るがやはり靴はなかった。
ため息一つついて、女性に再度聞こうと振り返ろうとするが、その時、玄関扉に掛けられていた小さな鏡に目が向いた。
そこには厳つい風貌の男性が映っていた。見たことはないが、不恰好に染めてあるウルフロングの金髪に厳ついピアス、短く剃った眉毛と切れ長の二重は、相手に威圧感しか与えないだろう。しかし、困惑したような顔をしているので、幾分その威圧感も薄れているとも感じられた。
「あ、どうもすみません。僕は……って、あれ?」
おそらく娘の父親、女性の夫である男性だろう。優しいとは言えない見た目でもどこの誰ともしれない男を泊めてくれたのだから挨拶の一つもすべきだろうと思って振り返るが、そこには鏡に映っていた男性はおらず、こちらに背を向けて未だ娘を庇う形でうずくまる女性と、こちらをじーっと見つめる女の子のみ。
「うーん……?」
まあ、いいか。
「お嬢ちゃん……あんずちゃんかな。お父さんによろしくね」
そう言って返事を期待せず、玄関に向きなおると、また鏡に先ほどの男性が映っていた。想定していなかった事に今度は少し驚いて振り返るも、やっぱりそこにはいない。振り返るタイミングで隠れているのだろうか。
なんだか……嫌な気がしてきた。
正面を向くと鏡には男性が、しかし振り返ってもそこにはいない。
何度か繰り返し、すわ幽霊かと思ってしまうと額に冷や汗をかいてしまう。
そしてそれを右手で拭うと、鏡に映った男性も同じタイミングで額を拭う。
嫌な、本当に嫌な予感がする。
頭に思い浮かんだ予想を否定したくて振り返るが、案の定、男性などいない。
落ち着きを取り戻し、妙に静かな空気に顔を上げて辺りをキョロキョロと見回す女性と、じーーーっとこちらを見る女の子だけ。
鏡に向き直る。
額に手を当てる。
鏡に向かって手を振ってみる。
鏡に向かって手を伸ばし、鏡面に触れ。
鏡面に映った男と僕が手を触れ合った瞬間、僕はーーー。
「な、なんかイケメン強面男になってんだけろろろろろろ」
ショック、パニック、悪寒、酩酊感、全てが込み上げてきて盛大にリバースしてしまった。