酔いから覚めたら妻子持ちのDV男に憑依してたんだけど   作:くじらん421

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本作に関するフレーバーテキストや画像を散りばめたいな……
せや!Xなら好き勝手投稿できるやろ!

という事で夜禍協会本部 広報部 が公式Xアカウントの運用を始めたようです。
良ければ合わせて見てみてください。

X :https://x.com/theyaka_info?s=21


改稿後の変更点について
・一部の描写を改善しました。話の流れそのものに大きな変更はありません。
・改行を少し挟みました



7. 家みたい(改稿済)

あんずちゃんを迎えに行くためにアパートを出てから少し。夜禍について調べ物をしていたら、気づけば午後1時半を回るところだった。急足で小学校へと向かう。

 

これからあんずちゃんと寝具を買いに行くのだ。万が一でも遅れてはいけない。

 

校門の手前まで来て、足を止める。地図アプリで確認した家具量販店までの経路は、もう頭に入っている。ここからバス停まで少し歩いて、そこから5駅。帰りは荷物が増えるだろうからタクシーを使う。寝具と日用品を揃える。それが今日の仕事だった。

 

約束した午後2時まであと少し。校門の向こうでは、もうすぐ子どもたちが駆け出てくるような気配がある。僕は邪魔にならない位置に立ち、ふと背後の足音に振り向いた。

 

「あ、あの……っ」

 

澄雨さんがいた。仕事帰りらしいままの格好で、少し息を切らしている。僕と目が合った瞬間、彼女は立ち止まり、反射のように頭を下げた。

 

「ご、ごめんなさい……ごめんなさい……っ」

 

開口一番、それだった。

 

「おや、来たんだね」

 

できるだけ軽く言うと、澄雨さんはまた肩を震わせた。

 

「え、えへ、その、わたし、あの……ごめんなさい、勝手に……でも……ごめんなさい……」

 

まとまっていない。けれど、まとまっていないからこそ分かる。彼女は僕を追ってきたわけじゃない。あんずちゃんを、僕と二人きりにしておけなかったのだろう。

 

頭では中身が違うと理解し始めていても、感情はそんなに簡単に更新されない。長く恐怖の中にいた人間は、まず危険を避ける形で動く。

 

しかも澄雨さんは、自分を守る力は弱いのに、あんずちゃんのことになると前へ出る。怯えながら母親をしている人の反応だった。

 

だから責める理由は何1つない。むしろ、そうなる方が自然だ。

 

「別にいいよ。一緒に来てくれるならあんずちゃんも喜ぶし、僕も嬉しい」

 

その一言に、澄雨さんは弾けるように顔を上げた。信じきれないまま、拒絶されなかったことに予想外だと言わんばかりの顔をしている。

 

「澄雨さんにとっても一緒の方が安心するなら、その方がいい。あんずちゃんを迎えたら、そのまま三人で行こうね」

 

「……う、ぅん……」

 

彼女は僕の数歩後ろ、離れすぎない位置に立つ。

 

やがて校門の向こうが騒がしくなり、子どもたちが校舎玄関から流れ出るように現れ始めた。その中に、見覚えのある小さな姿を見つける。あんずちゃんだ。ランドセルを背負い、周囲より少し静かな歩調で歩いてくる。

 

こちらに気づく。

最初に僕を見て、次に澄雨さんを見た。そこで足が止まる。状況を読んでいる目だった。

そのまま、今度は慎重な足取りでこちらへやってくる。

 

「おかえり」

 

「……………ただいま」

 

長い沈黙と短い返事のあと、彼女は澄雨さんの方へ歩み寄った。

その動きに、澄雨さんの肩から力が抜ける。

 

「学校は楽しかった?」

 

あんずちゃんから返事はない。こちらに目を向けて、それから澄雨さんの方にも。

困惑してるのかな。

 

「じゃ、今日は予定通り、少し寄り道してから帰ろうか。今夜寝る時に使うものと、その他諸々を買いに行くからね」

 

あんずちゃんはすぐには頷かず、もう一度澄雨さんを見た。

彼女の意思を確認しているようだ。澄雨さんが小さく言う。

 

「い、一緒に行こうね」

 

「……うん」

 

そこでようやく、あんずちゃんは頷いた。

 

僕たちは三人で学校を離れる。並び方は自然に決まった。車道側に僕、真ん中に澄雨さん、反対側にあんずちゃん。僕からあんずちゃんを離す位置取りだったが、わざわざ口に出すことではない。

 

「バス停は……この信号を渡って、あと少しかな? 僕の知ってるバスと同じだと良いんだけどなぁ」

 

「……」

 

「あんず、だ、だいじょうぶ?」

 

こくり。

 

会話はそれだけ。

バス停でしばらく待ち、やってきた車両へ三人で乗り込む。後ろの方が空いていたので、あんずちゃんが窓側、隣に澄雨さんが座り、その前の座席に僕が座る。

 

「普通のバスでよかった。五つ目で降りるからね、2人とも」

 

「……いつつめ」

 

「そう。降りる前に言うから」

 

バスが動き出した。何となしに、窓の外を眺めようとしたら、そこに映る自分の顔が目に入る。

 

金髪、剃り眉、ピアスの跡。子ども連れとしてはだいぶ圧がある。

 

車内の何人かがこちらを見るのも無理はない。視線をそちらにやるとすぐに目を離すが。

 

……髪は早めにどうにかした方がよさそうだな。

 

スマホの地図アプリを開く。美容院は家具量販店よりもっと遠いところにあるようだ。

 

仕方ない。せめて理容室が近場にないかと調べていると、目的の停留所が近づいてきた。

 

「次で降りるよ」

 

「……」

 

「あ、う、うん。あ、あんず、準備しようね」

 

料金を支払い、バスを降りると、目の前には大きな建物があった。広い駐車場と無機質な外壁、入り口上部の看板。

 

いかにも家具量販店らしい巨大さ、という感じのする建物だ。お値段以上を期待できそう。

 

「さ、行こうか」

 

僕が歩き出すと、あんずちゃんは建物を見上げたまま頷き、澄雨さんは一拍遅れてついてきた。

 

 

自動ドアが開くと、外とは質の違う明るさがいっせいに落ちてきた。

均一な照明。新しい布と木材の匂い。広い通路の向こうまで、整えられた生活の見本がいくつも並んでいる。食器や洗面用品、照明やら小さな机が、秩序だって展示されている。

 

入り口のそばにはこういう風に暮らせます、と空間を切り取ったような展示もされていた。

 

僕は入り口脇の買い物かごを一つ取る。

 

「上が寝具のエリアみたいだね。先にそっちを見よう」

 

そう言って振り返ると、あんずちゃんだけでなく、澄雨さんまで少し足を止めていた。

あんずちゃんは、目だけが忙しかった。入り口近くの棚、壁際の照明、モデルルームみたいに区切られた展示空間。何も言わないまま、全部を順番に見ている。

 

一方の澄雨さんは、所在なさそうだった。あちこち見てはいるのに、同時に「ここにいていいのか分からない」といった遠慮がある。こういう店に来ること自体が、あまり自分の生活と結びついていなかったのだろう。

 

「ほらほら、2人とも。行こう。また戻ってくるからね」

 

僕が促すと、二人は揃って小さく頷いた。

 

僕はひと足さきにエスカレーターに上がると、澄雨さんとあんずちゃんがエスカレーターの前で足を止めた。あんずちゃんは動く段差を見上げ、身を固くしたようだ。

 

「ママといっしょに乗ろうね」

 

澄雨さんがそう言ってあんずちゃんの手を握り、エスカレーターに上がると、おぼつかない足取りで、あんずちゃんがその後ろへ続く。

 

数段上から見守っていた僕はそのやり取りを微笑ましく思いながらあんずちゃんに声をかける。

 

「降りる時に少し早足で歩いてごらん。上手に降りられるからね。ちゃんとママの手を握っておくんだよ」

 

上からそう言うと、あんずちゃんは小さく頷いた。澄雨さんはその横で、僕を見た。何か驚いたような顔をしているけど……何が引っかかったのかな?まだ、色々と新鮮なんだろうけど。

 

二階が近づくと、あんずちゃんがまた身を固めた。先に降りた僕は離れておく。入り口付近でこけても危ないからね。降りる時は澄雨さんと一緒に降りて、無事に降りられたことに一息つく様子に、また笑みが浮かんでくる。

 

「よくできました。じゃあ、寝具売り場に……あっちだね」

 

エスカレーター横に配置されていた大型カートを1つ引いて、持っていた買い物かごを放り込み、僕たちは寝具売り場へ向かう。

 

シーツ、掛け布団、枕、敷きパッド。色味を抑えた布製品が棚一面に静かに積まれている。そのさらに奥には、展示用のベッドがいくつも並んでいた。

枕元には小さなサイドテーブルが置かれ、ブランケットはきれいに折られ、薄い照明が添えられている。どれも、暮らしの一場面をそのまま切り出したみたいだった。

 

あんずちゃんの歩く速度が目に見えて落ちた。視線が、棚よりもベッドへ引かれているのが分かる。澄雨さんもまた、娘と同じ方を見ていた。

 

「ええと、2人とも?」

 

僕が声をかけても反応がない。あんずちゃんは少し先にあった低めのベッドをじっと見ている。薄いグレーのカバーに、木目のやわらかいフレーム。派手さはないが子ども部屋にも大人の部屋にも置けそうな、きれいな形だった。

 

僕はあんずちゃんの横にしゃがみ込み、目線はベッドに向けたまま声をかける。

 

「後であのベッド見てみようか。今日は持って帰れないけど、お店から運んでもらうこともできるからね」

 

こちらを見るあんずちゃん、その目はこちらの意図を探るようなものではあったが、同時に隠しきれない期待が漏れ出ていた。

 

「今日注文したとして……届くまで2週間はかかると思うから、今日はマットレスとか枕、ブランケットなんかを先に買おう。それで良いかな?」

 

あんずちゃんは、間髪入れずに頷いた。それから澄雨さんを見る。固まっているところを見て、ベッドに視線を戻した。

 

ねだることはせず、ただ見ているだけ。

そういう子なのだろうし、()()()()()()()()()()でもあるのだろうと思った。

 

「あとで横になって確認しよう」

 

こてんと首を傾げる。いまいちピンときていないようだ。

 

あんずちゃんは今度こそ僕の方へ向き直った。

 

「さ、まずはマットレスを見にいこっか」

 

あんずちゃんが頷くのを確認して、マットレス売り場の方へ歩き出すと、二人とも素直についてきた。

 

マットレス売り場には、圧縮された筒状のものや、丸めて立てかけられたもの、三つ折りのもの、実際に横になって試せる展示品まで並んでいた。値札の横には、厚みや素材や反発力の説明が細かく書かれている。

 

さて、折りたたみ式のマットレスが2種類並べて置いてある。

比較しようと見ていると、あんずちゃんの視線を感じた。

 

ふむ。

 

「触ってみてごらん」

 

僕が言うと、あんずちゃんは澄雨さんを見た。

澄雨さんが、小さく頷く。

 

「だ、だいじょうぶ」

 

あんずちゃんは展示品の端へ指先を伸ばした。押す。沈む。離す。

次は手のひらでもう一度押して、今度は隣のものにも同じように触る。言葉はないが、違いを確かめているのは分かった。

 

「こっちは少し柔らかいかな」

 

僕が隣のものを押して見せると、彼女はそちらにも手を当てた。

 

「……やわらかい」

 

「うん。柔らかいね。澄雨さんも、ほら」

 

「えっ?! あ……、えっと、あ、ホントだ柔らかい……。えへへ……」

 

あんずちゃんに訊く。

 

「うーん、これは迷うなあ。どっちがよさそう?」

 

あんずちゃんは少し考えてから、最初に触った方をもう一度押した。ついで、柔らかい方も押す。そして、また最初の方に戻り、その後両手で同時にそれぞれを押してみる。

 

お、おお。しっかり吟味している。なんだか玄人っぽいな……。

 

「……」

 

最終的に、小さな手が置かれたのは柔らかい方のマットレスだった。

僕は説明札を読み直した。厚みもある。替えカバーもある。

ベッドが届くまでの仮寝床としては悪くない。

 

「じゃ、これで決定。いい買い物だね」

 

僕は選ばれた方のマットレスの型番を確認し、袋に入ったものを見つけると大型カートに放り込んだ。

あんずちゃんの目線もカートに向けられて離れない。

 

そのやり取りを、澄雨さんがじっと見ていた。

口は挟まないが、あんずちゃんが自分で選んでいること、そして、その選択を僕がそのまま受け取っていることに驚いているようだ。

 

「ね、澄雨さん」

 

「え、な、何かな、えへ」

 

「あんずちゃん、買い物上手だね」

 

そう笑いかけると、澄雨さんは目を見開いた。

あんずちゃんもこちらを見上げる。

 

「さ、次は枕を見ようか」

 

枕売り場には、低反発だの洗えるだの高さ調整だの、似ているようで少しずつ違う商品が並んでいる。僕は見本を二つ取って並べた。

あんずちゃんは僕の隣につく。もう一度聞いてみよう。

 

「枕は高さが高いのと、少し低いのがあるね。どっちがいいかな?」

 

あんずちゃんはまず低い方へ触れ、それからもう一方へ手を移した。押して、戻り方を見て、また押す。さっきのマットレスより慎重な手つきだ。

 

「ど、どう?」

 

今度は澄雨さんが、そっと訊いた。

あんずちゃんはしばらく黙っていたが、やがて少し厚みのある方を指した。

 

「……こっち」

 

「厚みのある方ね。ふむ、澄雨さんはどう思う?」

 

「――――っ! そ、その、えっと、い、いいと思う、な?ぇへ」

 

澄雨さんがそういうと、あんずちゃんはこくり、と頷く。

 

「じゃ、これにしよう。いいお買い物だ。さあ、次は枕カバーだ」

 

枕カバー売り場はすぐ隣だった。

種類は豊富で、子ども向けの派手なものもある。

 

あんずちゃんの目が止まったのは、薄いサラサラした手触りに小さな花の模様が散ったものだった。

 

僕はその視線の止まり方を見て訊く。

 

「それにする?」

 

あんずちゃんは一拍だけ迷ってから、

 

「……うん」

 

と答えた。その一音に、澄雨さんがはっとした顔をする。

娘が、自分の好みを言葉にしたことに気づいたのだろう。

 

「あ、あ、あんず、そ、それ、かわいいね!」

 

澄雨さんがそう言うと、あんずちゃんは母親を見上げ、それからまたカバーへ視線を戻した。澄雨さん、今度は自分から褒められたぞ。いいねいいね。

 

僕はそのまま袋をカートへ入れる。あんずちゃんは、その袋を目で追った。

 

「シーツも枕カバーに近い色にしようか」

 

僕が言うと、あんずちゃんは枕カバーと見比べる。

 

「似たような色や柄にすると素敵なベッドになるかもね」

 

枕カバーに近い薄い色のシーツと、軽めの掛け布団カバーを選ぶ。

部屋が狭くても圧迫感が出にくく、枕カバーのデザインとも相性がいい。僕が見比べている横で、澄雨さんが小さく呟いた。

 

「き、きれいな色……」

 

「そうだね。ちなみに寝具の色が似ていたら、多少散らかってても、まとまって見えやすい。ちょっとしたサボり術ね」

 

「あ、そ、そうなんだ……へえ……」

 

他にも必要な寝具を同じ調子で買い足していく。

 

そろそろいいか、というところで、さっきのベッド展示がまた視界に入った。

あんずちゃんの足が止まる。薄いグレーのカバーと木目のフレーム。最初に見ていたあのベッドだ。

 

「ベッドに大切なのは寝心地。とりあえず、寝転んでごらん」

 

あんずちゃんは僕を見て、次に母親を見た。澄雨さんが、小さく頷く。

 

それを見て、あんずちゃんも、

 

「……うん」

 

と頷いた。

 

ベッドによじ登り、横になる。

 

「どう?」

 

「……」

 

特に反応はない。

 

「あ、あんず……?」

 

ベッドに横になってから、特に動く様子は見えない。

かと思えば、起き上がり、ベッドから降りた。

 

「どう? いい感じ?」

 

「…………」

 

これは……どういう感情なのだろう。

吟味しているのだろうか。特にベッドに目も向けない。

 

こちらを見る。

 

「……他のベッドも見てみる?」

 

そう聞いてみるが、首を横に振る。

あれ?なんか思ってた反応と違うぞ?

 

「うーん、一応今日買うこともできるけど……また今度にする?」

 

こくり。

 

あれ……?

 

「そ、そっか。じゃあ、あとは日用品と食器を買っていこうか。一階だね、エレベーターで移動しよう」

 

僕がカートの向きを変えると、二人は迷わずついてきた。澄雨さんも困惑しているようだが、あんずちゃんの歩みには躊躇う様子がない。

 

……思ってたのと違ったのかな?

 

 

 

エレベーターを降りると、陶器とガラスと金属の光沢が目に入った。皿、茶碗、マグカップ等。

必要なものが並んでいるだけだが、その整然さに少し圧倒される。

 

「……わ」

 

小さな声がして振り向くと、澄雨さんが棚を見ていた。

本人も感嘆が漏れたのに気づいたのか、すぐ口を閉じる。けれど視線は止まらない。

マグカップ、皿、透明な保存容器、色の揃ったふきん。こんなものまで売ってるんだ、という驚きがそのまま顔に出ていた。

 

皿や茶碗、箸、ふきん、スポンジは必要数だけ手早く選ぶ。今の家で足りない分だけだ。

カートの中身は少しずつ「三人の生活」の形になっていく。

 

保存容器の棚の前で、あんずちゃんが足を止めた。

透明な箱が大小並んでいる。

 

「これは残った食べ物を入れておく容器だよ」

 

僕が説明すると、彼女は中を覗くみたいにして訊いた。

 

「のこり?」

 

「そう。あとで食べる時とか」

 

その横で、澄雨さんが静かに聞いていた。

残り物をきちんと取っておくための道具、という発想そのものが新鮮なのかもしれない。けれど何も言わず、僕が選んだ容器を見て頷くだけだった。

 

次にエプロン売り場へ向かう。

吊られた布の列を前に、また二人の歩みが鈍る。

 

「料理するとき、エプロンがいるよね。ここで三人分買っとこうか」

 

僕が言うと、あんずちゃんが小さく訊いた。

 

「……あんずも?」

 

「うん。この間の給食エプロンが汚れたら次の日に持っていけないでしょ? あれも可愛いけど、もう1つ持っておこう」

 

「…………」

 

エプロンの種類はそんなに多くない。シンプルな無地のものと、花柄と、子ども向けの小さなもの。

 

僕はそれぞれ一枚手にとって、2人に手渡した。

 

「ほら、ちょっと着てみて、2人とも」

 

慌てるように手にとった澄雨さんと、淡々と受け取るあんずちゃんが対照的だ。スッと着たあんずちゃんは、どことなく、こちらに見せてくれているような気がする。

 

「うん、かわいいね。とても似合ってるよ」

 

そう言って、そばの立ち見鏡を寄せてあげる。自分の格好をしばらく眺めたあと、こくりと頷いた。お気に召したらしい。

 

一方、もたもたと花柄エプロンを着けようと苦戦している澄雨さんを見る。……何とか着けられたけど、紐がこんがらがったり腕を通すところに頭を通してしまったりして、髪が少し乱れてしまった。

 

でも、まあ。

 

「うん、よく似合ってるね」

 

「……え」

 

髪を整えていた澄雨さんが、案の定、固まった。

 

「に、似合ってるって……」

 

「澄雨さんのエプロン姿」

 

「……っ」

 

余計に赤くなる。

顔を逸らしたいのに逸らしきれず、目だけが落ち着かなく揺れていた。

 

その横で、あんずちゃんが母親を見上げている。

空気が少し変わったことを察したようだ。

 

澄雨さんの限界が近いと見て、少しだけ声をやわらげる。

 

「そんなに困らなくても、ただのエプロンだよ」

 

「……そ、そ、それは、そう、だけど……」

 

「やっぱりエプロンはやめておく?」

 

「う、ううんっ、それで大丈夫……! です……」

 

慌てて首を振る。

その反応がまた素直で、少し笑いそうになる。

 

「分かった。じゃあ、これで決まり」

 

カートへ大人用エプロンを二枚を入れる。

あんずちゃんは、もう一度自分のエプロン姿を見てから、サッと脱いでカートに入れた。それから1つ、こくりと頷いた。

目に見えて喜ぶようなことはしてないが、自分の物があるということに何かしらの納得を得ている……ような気がする。

 

その様子を見ていた澄雨さんが、落ち着きを取り戻した様子で言った。

 

「……よかったね」

 

「うん」

 

短いやり取りだった。けど、それだけで2人にとって良い買い物になっていることが見て取れて嬉しかった。

カートの中を見下ろす。

 

「結構な量になっちゃったなぁ」

 

そう呟くと、あんずちゃんがカートを覗き込む。

 

「……たくさん」

 

「たくさんだね」

 

そのやり取りを聞いて、澄雨さんがほんの少しだけ笑った。

 

 

会計を終え、サービスカウンターで受け取ったマットレスは、圧縮されて薄い長方形の板状になっていた。

素材がウレタンなので重さもない。これなら運べる。けれど寝具に食器、日用品まで合わせると、さすがに三人で抱えてバスへ戻るのは厳しい。

 

「予定通り、帰りはタクシーにしよう。そんなにアパートから距離はないけど、持って帰るのが大変だからね」

 

僕が言うと、澄雨さんはすぐに、

 

「う、うん……」

 

と頷いた。荷物の量を見て小さく息を呑んでいる。

店の外へ出ると、夕方の手前の光が駐車場の白線を少しやわらかくしていた。まだ明るい。けれど、昼のまっすぐな白さはもう薄れている。

 

タクシーを拾うために道路へ向かう途中で、あんずちゃんが大きな買い物袋を探っていた。少しして自分の枕とカバーの入った小さめの袋を見つけると、さっとそれを抱える。

 

「それ抱えとくの?」

 

僕が訊くと、頷いてみせた。放したくないらしい。

 

タクシーに荷物を積み込み、僕は助手席に、2人は後部座席へ乗り込んだ。

 

車が走り出す。

 

あんずちゃんは膝の上の枕を時々見下ろし、澄雨さんはその様子を横目で見る。会話はほとんどないけれど、穏やかな時間。

買い物の後の、心地よく疲れたが故の沈黙だ。

 

「疲れた?」

 

僕が訊く。あんずちゃんは少し考えて、ふるふると首を振る。

 

「そっか。帰ったら、使うやつから出そう」

 

「うん」

 

返事は、今日一番まっすぐだった。

 

窓の外では、交差点の上に街灯が並んでいる。まだ点灯はしていない。

でも、そろそろ灯火されるだろう。

 

夜が来る。

 

そう感じながら、視線を車内へ戻した。

 

やがてタクシーが止まり、荷物を下ろし始める。それなり以上の荷物全てが一DKの中へ入るのだ。

できるだけ一度に持っていこうと何とか両手に抱えてみる。

 

おお、まあ何とかいけそう。澄雨さんは僕が抱える荷物を見てオロオロしているけど、これくらいは男手として抱えさせてほしい。というか、色々買ったのは僕な訳だしね。

 

「手が塞がってるから、澄雨さん、先にドアを開けててくれる?」

 

僕が言うと、澄雨さんがすぐに、

 

「う、うん……!」

 

と駆けていく。

 

鍵を開け、玄関の扉が開く。そこへ荷物を一つずつ運び込む。マットレスを壁際へ。買い物袋は玄関脇へ。

 

全部を入れ終えた時には、部屋の中の空気まで少し変わっていた。新しい布とビニールと段ボールの匂いが混じり、見慣れたはずの1DKが、買ってきたもので急に狭くなったように見える。

 

「さ、全部出していこうか。食器類は一旦洗うのでシンクに、タオル類は……洗いたいけどビニール袋に入ってたし、まあこのまま使っちゃうか」

 

そう言うと、澄雨さんは小さく頷き、買い物袋へ手を伸ばした。ただ、何から触ればいいか迷っている様子。僕は、置き場所だけ短く伝えることにした。

 

「食器はシンクだね」

 

「う、うん」

 

「タオルは洗面所の近くに置いて……、寝具はこっちに出しておいてくれる?」

 

「うん」

 

返事はどれも同じ。それでも言われた通りに動く手つきは正確だった。

食器やタッパー等の保存容器はシンクの端へ揃え、タオルを抱えて洗面所の前まで運び、空いた場所を一度見てから戻ってくる。

間違えないように一つずつ処理している感じだった。

 

少し離れたところにいたあんずちゃんがこちらを見た。手にはまだ、自分の枕がある。

 

「開けていいよ、色々出して、枕カバーとかもつけちゃおっか」

 

こくり。

 

あんずちゃんが最初に動いたのは、ある程度リビングが片付いてからだった。

自分で抱えていた枕を床へ置く。次に枕カバーを取り出し、袋を開ける。さっき選んだ、薄いサラサラした生地に小さな模様の入ったカバーだ。包装を外す手つきが丁寧だ。

 

「カバーつけるの手伝おうか?」

 

声をかけると、あんずちゃんは手を止めてこちらを見た。

けれど、すぐには助けを求めない。

 

「……できる」

 

「そっか。じゃあ、やってみよっか」

 

「……」

 

頷いて動き始めるあんずちゃんを横目に、僕はマットレスの包装を外した。圧縮されていたそれが、少しずつ空気を含んで厚みを戻していく。

 

「わ……」

 

今度の小さな声は澄雨さんだった。膨らんでいくマットレスを見て、驚いたらしい。

 

「こういうの、はじめて見た……」

 

「これまではずっと布団だったもんね。まあこれも布団みたいなもんだよ」

 

「そ、そうなんだ、えへへ……」

 

そう返しながら、広げる位置を整える。壁際に寄せすぎず、でも動線の邪魔にならない場所。

 

その横で、あんずちゃんは枕カバーをうまく入れられず、手を止めていた。僕は近くに行ってしゃがみ込む。

 

「ここ、先に片方の角を入れるとやりやすいよ」

 

「……」

 

「そうそう、そこ」

 

言われた通りに手を動かし、次に反対側も入れる。するとすぐ形になった。吸収が早い。

 

「できた」

 

ぽつり、と彼女が言う。

 

「できたね」

 

あんずちゃんは、新しい枕を両手で持ち上げ、眺めている。

僕が敷いたマットレス上で置く位置を確かめている時点で、気に入っているのは十分に分かる。

 

僕はシーツの袋を開けた。

 

「シーツをかけるから、あんずちゃん、一回枕持っててもらっていい?」

 

彼女は素直に枕を抱え直す。そこで僕は反対側を見た。

 

「澄雨さん、こっちの端、少し引っ張ってもらえる?」

 

「う、うん……!」

 

返事は反射的だったが、しゃがみ込んだ動きは慎重だった。僕がシーツの角を合わせ、澄雨さんが反対側を軽く引く。途中でたるんだところを僕が直し、あんずちゃんには端を押さえてもらう。

 

「ここ、押さえといて」

 

「……」

 

「おっけい。澄雨さんはそのままで大丈夫」

 

「うん……っ」

 

よし、いい感じ。

ただシーツを張っているだけだが、部屋の印象が一段変わった。今日の終わりの場所が、ちゃんと形になっていく感じがした。本当はベッドマットレス用のシートなので、大幅に布が余ってしまったが……ま、寝れればいいか。

 

シーツが整うと、あんずちゃんは待ちきれなかったみたいに枕を持ってマットレスの上へ行った。

 

枕を置く。少しずらす。もう一度置く。少しずらす。

 

自分の頭が来る位置を考えているのだろうか。

 

あんずちゃんは何か納得したように頷くと、次の瞬間にはぽすん、と新しいシーツの上へ体を倒し、枕へ頭を沈める。その姿勢のまま、数秒じっとしていた。

 

「……どう?」

 

僕が訊くと、彼女は天井を見たまま、

 

「やわらかい」

 

と答えた。

 

その言い方があまりにも素直で、僕は思わず笑いそうになった。

横で見ていた澄雨さんも声を漏らした。

 

「ふふ……」

 

本人は、笑ってしまったことに気づいて慌てたみたいに口元を押さえた。けれど、その前に十分なくらい表情がほどけている。

 

「あんず、よかったね」

 

澄雨さんが言う。

 

あんずちゃんは枕に頭を載せたまま、

 

「……うん」

 

と返した。

 

あんずちゃんが掛け布団へ手を伸ばしかけたので、僕は軽く声をかけた。

 

「まだ寝ちゃダメだよ。シャワーに入って、その後ご飯だ。順番にね」

 

「……じゅんばん」

 

「そう。一つずつ進めようね」

 

順番。その言葉を、彼女は小さく繰り返した。横で聞いていた澄雨さんの視線が僕へ寄る。

 

順番。場所。何を先にするか。僕がやっているのは物を片づけているだけではない。

 

この家の中に、少しずつ「予測できる流れ」を作っている。それが今の二人には大切だ。

 

僕は最後のビニールをまとめ、ゴミ袋の中に突っ込んだ。

 

「澄雨さん、タオルを棚に入れる時、一緒にやろうか。しまい方をみせてあげるから」

 

「あ、う、うん」

 

「汚いのは捨てるからね。正直ちょーっとばっちいのがあるから」

 

「……うん」

 

その確認に、澄雨さんはほっとしたように頷いた。

 

その間にも、あんずちゃんはマットレスの上で枕を少しずつ動かしていた。

まだ決まってないところ大変申し訳ないけど……それ、僕が使うマットレスなんだよね。

 

君と澄雨さんには部屋のベッドで寝てもらう。絶対にだ(断言)

 

購入したものを全て片付け終わり、部屋の中が()()()()()を持ち始めた頃、僕はダイニングテーブルで最後の買い物袋を三角に折りながら、ちらりと窓の方を見た。

 

外はもう、夕方の色になりかけていた。部屋の端が少しずつ影を持ち始めている。

その変化に最初に気づいたのは、澄雨さんだった。洗面所から戻る途中で窓の外を見て、足がほんの一瞬だけ止まる。あんずちゃんもつられたように顔を上げた。言葉はないが、母娘の体が同じ方向へ静かに緊張したのが分かった。

 

僕はそれを見て、なるべく平坦な声で言う。

 

「今日はもう外に出ないよ」

 

二人の視線が揃ってこちらへ向く。

 

「必要なものは買ったし、あとはゆっくりしよっか」

 

澄雨さんが、まず先に小さく頷き、あんずちゃんも少し遅れて頷いた。

 

ノートとスマホを取り出す。スマホの画面がついた瞬間、通知が一件だけ目に入る。

 

夜禍協会アプリからの通知だ。

 

短い文面の、事務的なもの。今夜の巡回についてのやりとりのようだ。

 

さっと目を通したら、画面を伏せ、テーブルの上へ置く。

今はまだ何もできないし、できることもない。

 

あんずちゃんと一緒にマットレスに座っている澄雨さんが、部屋の中を見渡してから、息をつくような声で言った。

 

「……なんだか、お家みたい」

 

僕はその言葉に返事をしなかった。代わりに、ノート内のメモを整理していく。

 

外では、多分もうすぐ街灯が点くだろう。

今日の終わりは近い。

 

今夜この家には、昨日までなかったものがいくつもある。眠る場所や自分の枕。

清潔で、整理整頓された空間。 夜が来る前に、帰ってこられる場所だと分かる輪郭がここにある。

 

僕は深呼吸した後、立ち上がり、シンクに向かう。

新しく買った小鍋を取り出したら、蛇口をひねって水を張る。

 

さあ、今日の締めくくり。晩御飯を用意しよう。

 

小鍋の中で、ぶくり、ぶくりと泡が鳴る。

 

その音を聞いて、僕は少し、目を閉じるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目を開けるといつの間にかエプロンを着たあんずちゃんが隣に立っていた。

 

めちゃくちゃびっくりした。

 

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