周りに人工的な灯りはなく、夜空の淡い月明かりだけが私を照らしていた。
いいえ、正確には私たち、ね。
遠くの方から囃子立つ喧騒に耳を傾けながら私は今、ひとりの男の子に背負われた状態で夜の小道を進んでいる。
と言っても、別段親しいわけではなく、一度同じ仕事をした程度の間柄なのだけれど。
彼のことを知ったのは、今年の入学式より一週間くらい前だったかしら。
新入生の代表として挨拶してもらうための打ち合わせで顔を合わせたのが最初。
でも、私はもともと男の子に対して良い印象は持っていなかったから正直なところ、彼のことは快く思っていなかったわ。
今思えば、本当にひどい偏見ね。
次に彼と時間を共にしたのは7月に控えたオープンスクールに向けて活動を始めた時。
その時、実行委員のひとりとして選ばれた彼といっしょに仕事していくと、彼の能力の高さに驚かされたわ。
けれど、それはあくまで正当な評価であって、彼とは最低限の会話だけで、結局それ以上の言葉を交わすことはなかった。
そのままオープンスクールも滞りなく終わらせ、もう接点を持つことはないと思っていた。
けれど、妹と夏祭りに来ていたこの日、トラブルに巻き込まれて泣きそうになっていた私の前に彼が現れた。
あの時の彼の笑顔に目が離せなかったわ。
その後、しばらく腰が抜けて立てなくなってしまった私を彼が背負ってくれて今に至る。
私の方が年上なのに少し情けない。
男の子に背負われるなんてもちろん初めてのこと。
今はどちらとも声をかけることはないけど、私はこの静かな揺れに身を委ねていた。
背中、意外と大きいのね……。
少し汗ばんでいるけど、それだけ本気で探してくれていたってことかしら。
乗り心地は悪くない。
『あんたが傷ついて悲しむ人間が、ここにいることを忘れないでくれ』
『あんたを大切に思ってる人たちのためにも、もう無茶なことはしないでくれ』
トクン
道中で彼が言ってくれた言葉が胸に広がっていく。
………あたたかい。
自然と心が安らぎ、私の中で凍っていた何かが融けていくような不思議な心地だった。
この時、初めて彼のことを知りたいと思ったわ。
夏休みが終われば生徒会選挙がある。
私が生徒会長になれば希には副会長になってもらって、そしてその時は彼もいっしょに……。
『ありがとう』
感謝の言葉を口にしていると、私は肩に置いた手を伸ばして彼の前で腕を組み、少しだけ力を入れていた。
後ろから抱き付く格好になってしまい、我ながら大胆なことをしたと思ったのはここだけの話。
その時、彼は平静を装って歩みを進めていたみたいだけど、一瞬だけ身体を強張らせたのを見逃さなかったわ。
よく見れば耳まで赤くなってる。
こういうところはやっぱり男の子なのね。
でも………フフ、ちょっとかわいい。
やがて目の前で道が開け、光が差した。
☆
ゆっくりと閉じていた瞼を開く。
カーテンの隙間から差し込む朝日が眩しい。
昨日はなかなか寝付けなかったせいか、気分もあまりよくない。
それになんだか体も少しだるい気がする。
特に最近は、胸が締め付けられるような痛みに悩まされている。
でも、それは生徒会長としての使命を果たせないでいるだけだからじゃない。
原因はきっと……。
胸の辺りに手を添えて俯く私の脳裏に彼が浮かび上がる。
最後にまともに口をきいたのはいつだったかしら……。
「………バカ」
パジャマをくやくしゃに握りしめる私の呟いた言葉はただ静かに溶けて消えていく。
それはここにいない彼に向けた心の声だった。
☆
「スクールアイドルとは言え、学生である」
始まりはマイクを片手に、珍しく標準語で声を当てる希の第一声。
アイドル研究部部室で希の隣に星空が、その正面の位置に海未、穂乃果、ことりの順で並び、俺はその後ろから1台のビデオカメラを囲んでいる。
事の発端は、音ノ木坂学院の部活動を紹介するビデオを制作するという生徒会の活動の一環だ。
これは7月に控えたオープンスクールでの宣伝も兼ねており、活動が制限された生徒会にとっての最大限の活動でもある。
もちろん、アイドル研究部にもこの話が舞い込んできた。
最初は、主に海未が抵抗の意思を見せていたが、ようやく部活という拠点も確保でき、アイドル活動の軌道が安定し始めたµ’sにとって悪い話ではない。
おまけに取材に応じてくれれば、そのお礼にビデオカメラを貸してくれるとのことだ。
今までは自前のデジタルカメラで対応していたが、はっきり言えば学校が所有するビデオカメラの方が性能がいい。
そうすれば、今後のµ'sのPV撮影も大きく捗ることは間違いない。
まだファーストライブの動画しかないµ'sからしてみれば断る理由などあるはずがなかった。
さて、話を戻して。
カメラの画面には、真横から穂乃果の姿を捉えた映像が映し出されていた。
「プロのように時間外に授業を受けたり、早退が許されるようなことはない」
最初は真面目に授業を受けていた穂乃果だったが、次第に瞼が下がった面持ちであくびを漏らし、視線が下に落ちていく。
「よって、こうなってしまうこともある」
映像が切り替われば、やはり穂乃果は襲い掛かる睡魔に抗いきれず寝息を立ててしまっていた。
「昼食をしっかり取ってから………再び熟睡」
再び希の語り始めると、映像の中で穂乃果はパンを頬張り………机に突っ伏して夢の世界へと旅立っていた。
普段からずぼらだと思ってはいたが、ここまで来ると逆に見入ってしまう自分が悲しい。
「そして、先生に発見されるという1日であった」
最後は机ごとひっくり返るというオチで終わる。
ちなみに、俺の席は穂乃果の真ん前だったためあの時は本当に驚いた。
「これがスクールアイドルとは言え、まだ若干16才、高坂穂乃果のありのままの姿である」
「ありのまま過ぎるよ!」
希がナレーションで締めるや、ようやくここで沈黙していた穂乃果がツッコむ。
まあ、あんな恥ずかしい姿を知らないうちに撮影されていたと知れば当然か。
「って言うか、いつの間に撮ったの?!」
「むしろ、よく撮れたなコレ」
カメラの位置から考えると、穂乃果の隣は確か……。
「うまく撮れてたよ、ことり先輩!」
「ありがと~。こっそり撮るの、ドキドキしちゃった」
星空に褒められ、みんなの視線が集まる中で撮影していた人物、ことりが頬に手を添えて恍惚とした笑みを浮かべていた。
やはりことりが一枚噛んでいやがったか。
ことりってかわいい顔してやることは徹底してるよな……。
「えぇ!?ことりちゃんが……!ひどいよー!」
当の穂乃果も、幼馴染の暗躍に涙目で訴えていた。
自業自得といえばそれまでなんだが、まあ同情の余地はないな。
「普段だらけているからこういうことになるのです。これからは――――」
「さっすが海未ちゃん!」
ことりと反対側に座る海未が戒めるが、先ほどと一転して穂乃果が感嘆する声をあげていた。
今度は弓道場の舞台の上で弓矢を構える海未の姿が映し出していた。
正面を見据え、弓を放つ姿はまさに凛々しという言葉がよく似合う。
「真面目に弓道の練習を……」
しかし感心するのも束の間、ひとつ息を吐いたかと思えば海未は周囲に視線を巡らせる。
そして周りに誰もいないことを確認すると、そばに立てかけてあった姿見の前でいつかのようなアイドルスマイルを作っていた。
「これは……?」
「かわいく見える笑顔の練習か?」
食い入るように見ていると、突然画面が暗転し、間を海未の手で遮られてしまった。
「プライバシーの侵害です!」
視線を上げると、顔を真っ赤に染めて取り乱した海未がカメラの電源を落としていた。
しかし、あんな海未はホント珍しいからもうもうちょっと見てみたかった気もするなー。
「清麿くん、何か変なこと考えてませんか?」
「ハッハッハッ、バカだなー、海未。……そんなことあるわけないじゃないか」
半眼で見据えられて、目を逸らしてこの場を取り繕う。
だって怖いし……。
惜しい気もするが、またこの前みたいに沈められるのはゴメンだ。
……なんで女の子はこういう時に勘が冴えわたるんだろうな。
「よし!こうなったら、ことりちゃんのプライバシーも………」
内心で冷や汗をかいてると、穂乃果が勢いよく立ち上がり、ことりも巻き込もうと動き出す。
その迷いのない行動の速さに、注意するよりも早くことりの鞄のファスナーに手をかけていた。
「ん?なんだろこれ――――」
最初は嬉々とした様子で中を覗き込んでいた穂乃果が、なにかを見つけたようで怪訝な声を漏らす。
しかし、それがなにか確かめる寸前にことりが素早くファスナーを閉め直し、足早に穂乃果と距離を取った。
「ことりちゃん、どうしたの?」
「ナンデモナイノヨ」
不思議そうに問う穂乃果にことりは即答する。
「でも」
「ナンデモナイノヨナンデモ」
あくまで笑みを浮かべて妙に早口でごまかそうとすることり。
俺がいた位置からでも確認できなかったわけだが、一体なにがあったんだろう。
「そうそう、実はこういうのもあるんよ」
そう言って、カメラを操作していた希がまた新たな映像を差し向けてきた。
そこには見慣れない、しかし確信が持てる後姿があった。
「あ、今度は清麿くんだ」
ああ、間違いなく俺だな。
映像の中で俺は数冊の本を抱えて廊下を歩いていた。
画面の日付は矢澤さんがµ'sのメンバーになった翌日になっている。
そう言えばこの日は、前日に新たに矢澤さんの練習メニューを作成した後で他のメンバーのメニューを見直して徹夜したんだっけか。
『ふぁぁぁぁ~……』
『ワアッ!』
そうそう、こんなふうにあくびを漏らしていたら、背後から希に大声をあげられたんだよな……。
『ゥワアアアッ?!』
驚かされたとは言え、なんとも情けない悲鳴を上げて抱えていた本を取り落してしまう。
そして運悪く、無駄に分厚い医学の本の角が足の親指に直撃したんだっけ……。
『ノッホッホッホッホッホッホッ!』
気が緩んでいたところの激痛に、俺はたまらず片足でその場で跳ね回っていた。
……つーか、これ撮られてたのか!?
「これこそが音ノ木坂学院スクールアイドルµ’sのマネージャー、高嶺清麿の隠された一面である」
「消せ!今すぐそれ消せ!」
「いやー、なかなかおもしろいもん見せてもらったよ」
すぐにカメラを奪おうと試みるが、寸前のところで希に取り上げられてしまう。
ちくしょう!あのしてやったりなにやけ顔が腹立つ……!
「完成したら各部にチェックはしてもらうようにするから、問題あったらその時に」
「でも、その前に生徒会長が見たら……」
希に言われて途端に穂乃果が不安の声を上げる。
まあ、気がかりに思うのも当然かもな。
こんなものを見たら――――
『困ります。あなたのせいで音ノ木坂が怠け者の集団に見られてるのよ?』
ハハハ、厳しく突き放つ絵里を容易に想像することができた。
それ以前にこんな姿を全校生徒に見せるつもりはないんだけどな……。
「まあ、そこは頑張ってもらうとして」
「え?希先輩なんとかしてくれないんですか!?」
「そうしたいんやけど、残念ながらウチができるのは、誰かを支えてあげることだけ」
「支える……?」
意味深な言葉に穂乃果は疑問符を浮かべるが、希はただ柔らかく笑むだけで今度は俺の方に視線を向けてきた。
「ま、ウチの話はええやん。さあ、次は―――」
その視線の意図がいまいちわからず、しかしそれ以上答えることなく再び希が口を開いた時だった。
バタンッ、というけたたましい音ともに部室の扉は開け放たれた。
「あ、にこ先輩」
そこには盛大に肩で息をする矢澤さんがいた。
よほど急いでいたのか、雑に垂れ下がった前髪の隙間から覗く開いた瞳孔でこちらを見る出で立ちははっきり言って不気味だった。
「取材が来るって本当!?」
「もう来てますよ、ホラ」
矢澤さんの問いかけをことりが促し、希がマイクを、星空がカメラを掲げる。
それを確認すると、矢澤さんは息を整えて一歩前に出る。
「にっこにっこにー♪みんなの元気ににこにこにーの矢澤にこでーす!ええっとぉ、好きな食べ物はぁ――――」
「ゴメン。そういうのいらないわ」
さらりと矢澤さん自称のにこにーを遮る希に全員頷き、満場一致。
うん、やると思ってた。
むしろ最初に苛立ちを覚えていたところから、冷静にいられる今の自分に驚きだ。
相変わらずの脱力感は置いておくとして………慣れって怖いな。
「部活動の生徒たちの素顔に迫るって感じにしたいんだって」
「素顔……?あーOK、OK!そっちのパターンね」
星空に言われて仕切り直そうとする矢澤さん。
いや、パターンと言ってる時点で嫌な予感しかしないんだが……。
「ちょーと待ってね」
不安が過ぎる俺たちを余所に矢澤さんは背中を向けると、おもむろに髪を結んでいたリボンをほどく。
「いつも……いつもはこんな感じにしているんです。アイドルの時のにこは、もうひとりの私。髪をキュッと留めた時にスイッチが入る感じで。あ、そうです。普段は自分のこと、にこなんて呼ばないんです」
肩まで伸びた黒髪をなびかせてお淑やか少女を演じるのだった。
すげえ……もうザケルをかます気すら失せてちまったよ。
ここまであざとさを使い分けられれば、もうある意味才能だな。
しかし、俺たちが反応を返すことはない。
「って、いないし!?」
もぬけの殻となった室内を見て矢澤さんの驚愕する声が聞こえた。
文字通り、俺たちはとっくの昔に部室を後にしていたのだ。
付き合ってられるか。
…………アレ?もしかしたら意外と長丁場になるかもしれないリーダー編、基、絵里衝突編。
この調子で進めればあと3~4話ぐらい行くんじゃね?
まあ、とりあえずこんな感じでがんばります!
さて、冒頭は絵里さんの回想から入ってみました。
今回のシリーズを通して清麿と絵里と希が親しくなった理由を書いていこうと思います。
最初にも言いましたが、僕が思っている以上に長丁場になると思いますが、その分気合い入れていきますのでどうぞ最後までお付き合いしていただければ幸いです。
では、また次回!