『ああ、なんということだ!』
男は膝をつきその拳を地面に打ち付ける。
酷く歪んだ顔に汗が滲んでいた。
『本当に……楽園はなかったのか…。私が今までやってきたことは全部、無駄だったのか?』
男は長く旅をした。
故郷を離れ幾日も幾年も足を動かした。
村を、街を、国を、人々をその目で見て回った。
子供の頃から探し求めていたものが見つかるかもしれなかったからだ。
道行く人々は彼の話を聞くと「そんなものはどこにもない」と嘲笑を浴びせた。
それでも決して諦めることなく辛く困難な試練に何度も挑んだ。
だが今この時その苦労や足跡、過ぎ去った年月が如何に儚いものであったかを実感した。
男が望むような楽園は………無かった。
『いや、決して……諦めたりしない。この世に楽園がないのなら、自分で作るまでだ!』
男は顔を上げた。
その目には熱が籠り、その心には小さな火種が灯る。
立ち上がり前を向く。
先には草木一本生えていない荒野が広がっている。
しかしそれらは男の眼中に無い。
男の視線はその遙か彼方、雲を突き抜け一面の星空よりも遠く群星の向こうへ伸びていく。
男はより困難な旅に出た。
何度も目標を変え、何度も挫折し、それを繰り返した。
いつしか男の周りには人が集まり、その先を目指した。
同じ志を持ち、共に夢の終点まで、最後の最後まで。
やがて彼らは終点にたどり着く。
歓声を上げ互いに手を取り合い小躍りして喜ぶ。
それはここに、旅のゴールにあったのだ。
人々は口々にその名を叫ぶ。
『無瑕の楽園…!永久の楽園…!■■■■!』
◇◇◇
「それで、あなたの要件は?」
「はい、博士。あなたのバッジを回収しにきました」
緑の長髪を後ろでまとめた女性は拘束椅子から少し離れた。拘束椅子に座っているのは一人の男性隊員。顔は青白く脈拍も弱い、精神面での影響も見られる。近頃同じような症状の隊員が増えてきているのだ。
もうすぐ原因が分かりそうだというのにそんなどうでもいい事情で邪魔されたことに緑髪の女性は機嫌を悪くした。
「急ね。どうしてわたしのバッジを?」
「組織におけるバッジ配分制度が変更されました。後日新たに番号無しのバッジが配布されます」
溜息をついた緑髪の女性は傍にあった机の引き出しを開ける。そして十数枚ものぐしゃぐしゃになった紙束と何度目か分からない処罰通知を取り出した後、『1』と記されたバッジを手に取った。
「それにしても誰に言われたのかしら。私と会う時は部屋の中でもガスマスクをつけていろって。あなたどの部門?新入り?」
「…一応安全のためですから、メビウス博士」
バッジを受け取った隊員は体を翻し足早に部屋を去ろうとする。小さくなっていくその背中を見据えながら緑髪の女性、メビウスは口を開いた。
「待って。私が何も知らないとは思わないで」
「…博士?」
「わたしに知られたくないことはわかってるわ。わたしが外に出ないよう、色々な理由をこじつけてここに閉じ込めていることもね。……でも何かを知るのに『この目で見ないといけない』わけじゃないでしょ」
メビウスの瞳孔が鋭くなる。
「第二次崩壊」
「状況は?」
「……………………」
沈黙した隊員はしかし、ゆっくりと振り返った
「はぁ、博士………そういうことだったのね。うーん、なんというか、あまり楽観的とは言えないですね。けどあくまでも『一時的』です」
「へぇ?」
「最近、強くて魅力的で美しい少女が火を追う蛾に加入したみたいです。彼女なら、今回の崩壊を解決してくれるでしょう」
「その人は今どこに?」
「あー、そうですね………丁度『バッジを受け取る』ところでしょう。そう、唯一無二のバッジをね」
先程とはうって変わって相手の弾んだ声音が実験室に広がる。
「なにせ彼女にとってこれからの任務はデビューみたいなものだから、ちゃんとおめかししないと。彼女はもうすぐ任務に向かいます」
相手、彼女は可愛く顔を傾けメビウスにウインクをした。
「あたしが保証するわ♪」
◇◇◇
第二次崩壊より数日後
国連防災対策機関秘密組織『火を追う蛾』の基地の一角に二人の姿があった。
一人は長身で屈強な体格をした二十代中盤の男性だ。組織のきっちりとした制服は余りにも似合っていない、多少着崩していたとしても。もう一人は女性。明るく可愛らしいピンクの髪を後ろでまとめている。無遠慮に、そして興味深そうにキョロキョロと回りを隈なく眺めている。
「ここが火を追う蛾の格納庫?」
「何だ、想像したのと違うか?何だと思ってた?円盤状に並んだ巨大な石版とか?」
「高さが数階分もある人型兵器とかが思ってたわ。うーん……ちょっとガッカリしたわね」
「ハハッ、漫画の読み過ぎだろう。いくら秘密組織といっても人間が作ったものだ」
火を追う蛾の格納庫。二人がここへ来たのことに深い理由は無い。多少の時間と多少の興味があっただけだ。広い倉庫内には映画で見るような銃火器や武装が並んでいる。だからこそ女性はこの光景に落胆したのだ。
「火を追う蛾の本質は今まで歴史上にあった軍産複合体と大して変わらない。ただ、対抗する敵が『人ではない生き物』に変わっただけだ。あの時、『オストク-51』に調査しに来た組織を覚えてるか?あれが火を追う蛾の前身だ」
男は振り返り女性の顔を見た。そして懐かしむと同時にわざとらしい驚きを含んだ顔をする。
「しかし驚いたな。数年後にあの時に出会った少女と再開するとは。成長が早すぎて一瞬分からなかったぞ」
「女の子の成長は速いからね♪…………もしかして、あたしが審査をクリアしたのってあなたが裏で手を回したからじゃないでしょうね?」
「まさか。試験官として、俺は融通が効かないことで有名なんだぞ。自信を持て、お前には実力がある。その上崩壊エネルギー耐性も極めて高い。まさに火を追う蛾にとって必要な存在だ」
男はあの日見たことを忘れていない。既に戦場で多くの経験を積んできた男にとっても目の前にいる彼女は間違いなく逸材だ。そう思うと同時にある記憶と重なる。
「本当は、お前のような若い娘を戦場に送たくなかったんだが。俺には娘がいてな。彼女をこの全てから遠ざけるのが、俺の最大の願いなんだ」
「いいの、あたしが決めたことだから。娘といえば…………いつになったら会わせてくれるの?お母さん似だったら素敵ね♪」
「ハハハッ。その言葉に含みがある気がするのは何故だろうな?」
流石だ、と男は頭を搔く。彼女のこういうところも審査をクリアした要因の一つだ。
「グレーシュは今母親の執務室にいるんだ。だが、近づかない方がいいぞ。何せ…
「何せ、何?」
…メビウス博士は多忙で有名だからな!邪魔したくはないんだ」
「フン………あなたの世間話に付き合ってる暇はないわ、痕」
男、痕の咄嗟の誤魔化しに冷水のような声が浴びせられる。いつの間にか二人の後ろに緑髪の女性が立っていた。
「第二律者の遺体を引き取りに来たの。ついでにあなたを探してるブランカから伝言を預かってるわ。グレーシュが馬に乗りたがってるとか、何とか。…ところでここにいるのは誰なの?新入り?『月に行く』ほう?」
「いや、『地上に残る』ほうだ。じゃあ、俺はお姫様のところに行くから。メビウス博士、新入りの案内をよろしく!」
「ちょっと、待ちなさいよ!ねぇ…!」
既に痕は大きく距離を取っていた。一刻も早くここから離れたいという気持ちが半分、愛しの妻子に会いたいという気持ちがもう半分。
「あの男、本当に嫌な奴ね。厄介事を他人に押し付けて、更に誰よりも早く逃げるなんて。まあいいわ。あなた、名前は?」
「初めまして、あたしはエリシア。少し前に火を追う蛾に加わったんだけど、会えて嬉しいわ!」
「よく聞きなさい、新入り。忠告してあげる__
__わたしには関わらないで、あなたに興味はないから。それに、わたしと一緒にいるのを誰かに見られたらあなたにとってプラスにならないわ。分かった?」
冷たかった声質が更に冷たくなる。これには火を追う蛾にいる大多数の隊員が震え上がるだろう。少なくとも、歴戦の兵士ではある痕でさえも慄くことは避けられない。しかし。
「うーん………分からない、って言ったら?」
「何ですって?」
「だって、そんなのもったいないもの。まだあなたのことをよく知らないのに。早く関わらないと、あなたをよく知る機会を完全に失っちゃうでしょ?」
「……………。……変なやつ」
彼女はその返答を想定していなかった。思わず数秒言葉を失う。勿論その冷たい目と表情は変わらないが。
「……こっちよ、来なさい」
「え?」
「何をボーッとしてるの?案内してあげるって言ってるでしょ。早くついてきて。わたしは待たないわよ」
「あっ…ええ!あなたって優しい人なのね!」
「嬉しそうに笑わないでちょうだい!」
メビウスは苦い顔を溜息をついて元に戻すと足早に廊下へ歩き出した。エリシアは嬉しそうにその後ろ姿を追う。格納庫を見た時以上に目を輝かせているのは明らかだ。
(それにしても、メビウス博士ってとても綺麗ね!スラっとしてて足が長いし、髪も美しくて魅力的だわ!)
「気をつけなさい。最近組織に変わった奴が入ってきたみたいで、わたしのバッジも盗まれたの。犯人の目的も分からないし…」
(え!!メビウス博士、もしかして本当に気付いてないのかしら。しょうがないわ、あの時はマスクをしていたもの。自己紹介をしたのも今日が初めてだし…『初めまして』は間違っていなかったわよね?)