現文明における人類の最後にして最大の抵抗、次文明へ送るせめてもの希望、聖痕計画の礎、プロメテウス17号によるトロイの木馬は実行された。
___紛うことなき『ヒーロー』の犠牲を以て。
しかし、過程が結果の全てを左右するとは限らない。無限に広がる派生意識の中、自我を保ちながら輪廻の終端まで至ることは容易ではない。恐らく人類史上初の試みであるそれは、同時に最後の藁にも等しい。
だがそれが実行されたのはメイ博士が17号を信じ、人々がメイ博士を信じたからだ。
___しかし繰り返すように、過程が結果の全てを左右するとは限らない。
たとえ第一目標である虚数くりこみを完了させたとしても肝心の終焉の律者を止めなければ文明の全ては泡沫に消えてしまう。
だからどのような過程を経ようともこの地に立つ『ヒーロー』達は自身が望む結末に辿り着かなければならないのだ。
そんな彼らを、終焉の律者は嘲笑う。
正真正銘最強の戦士と呼べる者たちの攻撃は終焉の律者を覆うように展開された虚数障壁により阻まれた。
メイ博士によれば終焉の権能は時間、あるいは輪廻とそれに伴う高次の空間操作能力だとされるが__百聞は一見にしかずという言葉のように目の前の光景が全てだった。一挙手一投足が天変地異を引き起こし、致死にすらなりえる濃密な崩壊エネルギーが空間ごと身体を蝕む。
いわゆる『王手』とは既に目前まで迫っていたのだ。終焉の律者。文字通り出現それこそが終焉、存在そのものが終焉。人類の歴史が辿る結果もまた、終焉である。
今こうして、終焉の律者がその御手に展開させた『それ』を放とうとしているように。
_____その中で
_________劫火が灯った。
炎が燃えている。
極寒の真空。白亜の大地。終焉の玉座。
およそ人理の解することのない終極の地にて、一つの火種が生まれた。
「千劫!!」
「まさか…!」
千劫の身体の輪郭が消失した。内と真空を隔てる皮膚は煮え滾る烈炎の薪となりその形を不定形に変えていく。本来なら燃焼させるための酸素がない故に火の勢いが持続することはない。しかし、千劫の場合は逆だった。1秒毎にその勢いは増していく。その身体を贄としてそれ自体を大火へと変貌させていた。そして一振の神の鍵を握り、構え___
刹那、炎が爆ぜる。
視認することすら不可能な、あるいは見失うには強すぎるその輝きは。音を、土を、面影を、全てを置き去りにして終焉の律者に迫る。己が全てを燃やし消滅に進むその姿はまさに、火を追いそして飛び込んで消えゆく蛾に似ていた。しかし、千劫は違う。火に向かって飛んだのはそこに希望があるからではない。身を焦がし焼け落ちることも厭わずに火に飛び込んだのはそれが課せられた運命だったからではない。
千劫には目の前の敵しか見えていなかった。
ならば、焼き尽くすのみ。
ただ、彼がそうと決めたからだ。
そうしなければ意味がなくなってしまうから。
刹那すら永く感じるほどの速さで進んだにもかかわらず、それでも終焉の目から逃れることは出来なかった。
千劫の進撃が止まる。終焉の律者の直前、御体に纏うものとは別に幾枚もの虚数障壁が展開される。物理攻撃の一切を無に帰すそれは本来なら、それでも千劫を阻む壁にはなり得ない。だが終焉の律者のそれは既知の律者たちが創り出すものとは文字通り次元が違った。
虚数の法則の根源に限りなく近い権能によって広がる絶縁の領域、そして退くことを知らない千劫。
……その拮抗を支えていたのはたった一振の黒剣だった。
ピシ…ッ……
「……!」
そうして、第十の神の鍵に罅が入った。
ある日、それは空から落ちてきた。
地上の人々は仰ぎ見、流星を目にした。
その流星が落ちた先は小さな村だった。
辺境の地、文明社会から切り離された辺鄙な村。唯一尋常でないとしたら流星の正体である"それ"が最初に見たものだろう。
崩壊獣。文明と共に成長し人類を脅かす災異。
崩壊獣は規則と本能に従い人々を襲った。建物を崩し、人を踏み潰し、その生命を奪う。
"それ"はその風景を呆然と見ていた。それにその風景の意味を理解できる知能と理性があるかは定かではないが、しかし一つ確かなことはある。
それは眼前に広がる状況を良しとしなかった。身体の奥底から湧き上がってくる力とそれを解放しろと脳内に響く声。
それは拒まなかった。脳内の声に従い手を握り、身体に力を入れ、『敵』を見据えた。
村が再び血で染まった日も同様だった。縛り付けられながら、血を流しながら、その風景を呆然と見つめた。今度こそ目に入った全てを理解するそれは柱が倒れた後、ゆっくりと立ち上がった。そしてゆっくりと周りを見渡す。
炎、血、敵、敵、敵、敵、敵___少女。
そして、拳が振り抜かれる。
炎が燃えている。
黒剣を握る腕は断裂を繰り返し、白亜の大地を鮮血で染めた。
千劫は一歩、後ずさった。
ある日、それは空から落ちてきた。
地上の人々は仰ぎ見、流星を目にした。
流星であったそれは血にまみれて彷徨ったあと、一つの療養所に流れ着いた。その場所で唯一であった療養所には他にも多くの者が流れ着いていた。怪我人、病人、孤児。
それを療養所まで連れてきた女はそれに運び屋をやるように言った。それは拒まなかった。それは療養所で寝起きし、ご飯を食べて、物を運び、ベッドで眠り、時に子どもたちに揶揄われながらも、時に女に不満を漏らしながらも、寝て、起きて、食べて___それは、いや、彼はそうして、『人』になった。
雷鳴と雨粒、鮮血と蒼花が療養所を塗りつぶすまで。
そして、拳が振り抜かれる。
炎が燃えている。
致命的とすらいえる濃度の崩壊エネルギーが身体を朽ち果てさせ、それと同時に再生が始まり、またを繰り返す。
千劫はついに、膝をついた。
ある日、それは空から落ちてきた。
地上の人々は仰ぎ見、流星を目にした。
人であったそれは屍にまみれ、だがそれでも自身と子どもたちに刃を向けた少女の手をとった。そうしてたどり着いたのは元いた場所と似ても似つかなかった。変わらなかったのは彼がまた柱に縛り付けられたことだ。縛り付けたのは少女と同様の罪を犯した女だったが、それを破ったのは不思議な空気を纏うピンク色の少女だった。
そして彼は戦場に立った。
自分は人間なのか、獣なのか、彼には分からない。それでも戦場に赴き敵を焼き尽くした。
他の者は戦場で命を落とした。他の者は戦場から帰ることができなかった。
死ななかったのは彼だけで、帰ってくることができたのも彼だけだった。それでも戦場に赴き敵を焼き尽くした。
なぜ自分は戦うのだろうか。
なぜあの時戦うと決めたのだろうか。
なぜ恨むべき相手であるあの少女の手をとったのだろうか。
なぜ何度も戦場へ向かったのだろうか。
なぜ敵を殺す時にほんの少しの安堵を感じるのだろうか。
なぜ自分を幾度となく殺そうとした男を副官に迎えたのだろうか。
なぜ彼が死んだ時……
なぜ少女とその妹が死んだ時____
炎が、燃えている。
血が、浸蝕が、炎が、痛みが、そっと千劫を包み込んだ。それは優しく残酷な抱擁だった。
腕が裂ける。
脚が朽ちる。
肺が焦げる。
…………黒剣が砕け、虚空に消える。
そうして、彼は______
「____サ……ラ…………ン…………エ………マー」
「……れに……そ……格がないと………分かって………いる」
「だ………が………そ…………でも」
『誰かと争い、誰かと奪い合うことを潔しとしない。この両手は、命の炎を囲み暖を取っていた。炎が消えた今、私はここを離れようと思う』
____しかし、彼は違った。どんな相手であろうと、彼は戦う。どんな相手であろうと、彼は抗う。
過ぎ去ったものが忘れ去られることを良しとしないから。
散っていったものたちの覚悟が空虚となることを良しとしないから。
彼が両手を伸ばす必要はない。
希望を探す必要はない。
火を追う必要はない。
___彼自身が烈火そのものだから。
「あ"ア"ア"ぁ"あ"ア"ぁ"ァぁァ__!!!
」
刹那___虚数障壁が打ち砕かれた__。
半ばほどで折れた第十の神の鍵に、炎で縁取られた切っ先が形作られる。
それは虚空を穿ち、終焉の律者は瞬間、目を見開いた。
その炎は果てず、止まらず。
その刃は折れず、阻まれず。
一閃が御体に突き刺さり、迸り、煮え滾り、轟き、燃やし、壊し、滅する。
終焉の律者が纏う鎧は梳られ消散し壊滅に帰された。放出される崩壊エネルギーも霞みその御手に収束した破光も意味を失う。
それは紛れもなく鏖滅の誠実が成した奇跡。壊劫の炎が起こした偉業だった。
「_______」
しかし___それ故に___炎の後には灰土と静寂しか残らない。それは彼も同じだった。
身体は灰燼へ。
触覚を失う。剣と、それを握る腕は烈火に消えた。
味覚を失う。戦いの度に口の中に広がった血の味は猛火に消えた。
嗅覚を失う。幾度となく嗅いだ戦場の硝煙の臭いは炬火に消えた。
視覚を失う。最期まで敵を捉えて離さなかった視界は劫火に消えた。
最後は聴覚。死した者の揺籃となる静寂が訪れる前に、彼の意識は途絶えた______だから彼の最期を飾ったのは劫火だ。
劫火は彼と共に生まれ、彼が劫火となり、そして今、炎は消えた。余燼を残すことなく消え去った。
千劫という男は、千劫という火種は、千劫という炎は。
_____こうして、消えていった。