「木を隠すなら森の中っていうだろ? 田中」
もはや見慣れたベッドの上で、佐々木はぶっきらぼうにそう言った。
「だから、何回も病院に行けば、むしろ目立たない」
「目立つよ」 僕が吐いたため息は、きっと呆れで重くなっているはずだ。
佐々木は決して病弱というわけではない。確かに痩せてはいるが、滅多に風邪もひかない。それどころか、年がら年中半袖半ズボンで過ごすという猛者だ。馬鹿と言ってもいい。高校三年生にもなって、そんなことをする奴が実在すると知った僕は、心底驚いた。
それでも、佐々木が今日のように病院に運び込まれるのは、珍しくなかった。なぜか。悪いのだ。何が。頭が。
「それで? 今日はどうして病院に運ばれたんだ?」
「足の骨が折れたんだ」
「それは分かってるよ。なんで折れたのか、聞いているんだ」
「今回は単純だよ」
いつも単純じゃないか、と文句を言いたくなる。昨日は、川に飛び込んで遊んでいたら、足をつって川下まで流れていたのを、近所の人が見つけて、通報したらしかった。何の異常もなく家に帰されたというのに、すぐに足を折って運ばれてくるとは、お医者さんもびっくりしたことだろう。
「昨日は川に飛び込んで医者に担ぎ込まれただろ? だから、今回は反省したんだ」
「はあ」
「今日は校舎の屋上から飛んだんだよ」
「やっぱ、馬鹿だよ。佐々木は」
ケラケラと笑う佐々木を前に、僕は肩をすくめることしかできない。どうしてこいつは骨が折れたというのに、こんなに呑気でいられるのだろうか。
「佐々木を見ていると、安心するよ」
「どうした田中、急に気持ち悪いこと言って」
「お前みたいな馬鹿でも、生きていけるんだなって感心してるんだ」
「いきなり校舎の屋上から飛び降りれる奴が、生き残ったらいけないんだよ」
「よく分かってるじゃないか」
ベッドの端にかけられているタオルを取り、佐々木へと手渡す。白く、清潔なそれには、ここの病院の文字が書かれていた。一度使ったからか、くるくるとねじった跡がある。
「まあでも、そこまで呑気なのも、逆に取柄だぞ」
「そんなに呑気じゃない」
「呑気だよ。動物園でタイヤと戯れているパンダと同じくらい呑気だ」
「田中」
馬鹿にするようにふっと鼻を鳴らした佐々木は、タオルを首にかけ、手をひらひらと降った。その度に、天井のフックから伸びた布に吊るされた右足が、プラプラと揺れている。
「お前、舐めたらだめだぞ」
「でも」
「パンダだって、色々考えてるんだ」
「そっちかよ」
確かに、何度も怪我をして病院に送られているこいつに比べれば、パンダの方が賢いかもしれない。
「なあ、パンダって、半分が双子を生むって知ってるか?」
「そうなのか?」
「ああ。理由は知らないけど、双子が多いらしい」
「大変そうだな。二人もいると」
「そう思うだろ?」
ぴしり、と指を立てる姿に腹が立つが、流石に病人に対し声を荒らげることはできなかった。
「親パンダはな、生まれた瞬間に、子供に順番付けをするらしいんだ」
「順番付け?」
「そう。一番目、二番目ってな。それで、一番目だけを育てる」
「え?」
「さっき、お前も言ってたじゃねえか。二人もいると大変だって。だから、一人しか育てないんだよ」
「パンダも大変なんだな。二番目のパンダは特に」
「俺だったら、死んじゃうね」
「だね」
そうだろそうだろ、と満足げに頷いた彼は、折れた足を見て、失敗したなあ、と呟いていた。その顔には悲壮感は見られない。強いていうなれば、髪がだらしなく伸び、細身の体に似合っていないくらいだが、それでも元気そうだった。風の子。この言葉がぴったりだ。野生児といってもいい。
「しかもよ、パンダのやつ、あんなかわいい顔しておいて、結構狂暴らしいぞ」
「え」
「笹だけじゃなくて、肉も食うらしいからな。本質的には熊だよ熊」
「なんか、がっかりだ」
「きっと、騙してるんだよ。いつもは可愛いふりして、襲おうとしてるんだ」
「そんな馬鹿な」
「いや、そうに違いないね。普段なんも考えてなさそうな奴ほど、意外と考えているんだ」
「お前、パンダに親でも殺されたのか」
「パンダが親を殺せるわけないだろ」
急に真顔になり、淡々と言ってくる佐々木に、思わず怒鳴りつけようとしてしまう。が、必死の思いでそれを飲み込んだ。ギブスで固定された彼の足を軽く小突き、ストレスを発散させる。ついでに、彼のギブス周りに落ちていた毛玉を拾い上げておく。自分の人の好さに、感激しそうだった。
「あーあ。俺もタイヤで遊ぶパンダになりたいな」唐突に、佐々木が叫んだ。
「どうせパンダならよ」
「お前、あんだけパンダを否定しておきながら」
「否定してねえよ。事実を言っただけだ。それに、タイヤで遊んでいるパンダはいい」
確かに、タイヤで遊んでいるパンダは可愛い。だが、その前の話が陰鬱すぎて、とてもそうとは思えなかった。
持ってきた果物を机の上に置く。その机には、紙と鉛筆が散らばっていた。雑な佐々木らしい。
リンゴでも食わせてやろうかと手を伸ばしていると、ガコン、と激しい金属音がした。かと思えば、遅れてどすんと何かが沈み込むような音がし、体に衝撃が走る。鈍い振動だ。
「ああ、駄目だな、こりゃ」珍しく、佐々木が顔をしかめていた。
「壊れちまった」
彼の視線の先に目を移すと、ギブスがはめられた右足がベッドの上にあった。天井から布で吊るされていたはずなのに、落ちてしまっている。慌てて天井を見上げると、かけられていた金具が割れてしまっていた。
「やっぱ、駄目だな」
「運が悪かったね」
「まあ、なくても方法はある」
困った困った、と頬をかいた佐々木は、僕の手からりんごを奪い取り、そのままかぶりついた。折角切ろうとしていたのだが、これはこれで佐々木らしい。だが、ベッドに果汁が零れてしまっているのが、心配だった。
「ありがとうよ、田中」
「いや、リンゴくらいでお礼を言われても」
「そうじゃなくて、いつも来てくれて」
急に木っ端図かしいことを言われた僕は、一瞬、何かの冗談だと思った。いつも飄々としていて、相手を馬鹿にしたような態度しかとらない彼が、まさかお礼を言ってくるだなんて、考えてもいなかったのだ。
「お前くらいなんだ、見舞いに来るのは」
「そうなのか?」
「そうだ。なんでだと思う?」
その理由を考え付くまでに、一秒もかからなかった。あまりにも簡単な理由だ。
「お前が最近意味の分からない理由で怪我をしまくるからだよ。愛想をつかされてんだ」
「半分正解だな」
「え?」
「それに、意味はある」
いきなり川に飛び込むのも、校舎の屋上から飛び降りるのも、大した意味があるようには思えなかった。むしろ、あったら困る。
「意味って、何だよ」
「知りたいか?」
「うん」
「でも、教えない」
また、ケラケラと笑った佐々木は、おもむろに、机の上に置かれた紙と鉛筆を一枚ひったくった。僕からは見えない角度で、何やら書いている。いきなりどうしたんだ、と抗議をする間もなく、その紙を自分に差し出してきた。
「今日はもう、これ持って帰れ」
「え?」
「二枚目だ」
「何が」
「これと俺」それが言いたかっただけかよ、と笑うと、佐々木も大袈裟に笑った。品のない笑い声が病院に木霊し、咳払いが遠くから聞こえてくる。
腕時計を見る。確かに、面会時間は終わりに近づいていた。
「これから兄貴がくるかもしれないからな」
「水入らずでってことか」
「水は要らねえよ。タオルで十分だ」
相変わらず、よく分からない。そう呟いた僕は、手を振り、病室を後にした。しっかりと、彼がくれた紙を握りしめながら。
病室を出て、しばらく廊下を進み、エレベーターのボタンを押す。二階なので、階段で行ってもよかったが、疲れていたのでやめた。ボタンを押してすぐに、一階から機械音が聞こえてくる。
ポーンと気の抜けた音を聞き、一歩足を進めると、中から一人の男性が現れた。すぐに謝り、道を譲る。相手も少し会釈をして、廊下へと歩いて行った。エレベーターが、また、無機質な音を立て、閉まる。僕はそれに乗ることができなかった。あまりの衝撃に、動けなかったのだ。
通り過ぎて行った男性をまじまじと見る。落ち着いた雰囲気の彼は、眼鏡をかけており、知性的だった。僕と同じ学ランを似ている。佐々木と胸に書かれていた。少しふくよかだが、あいつそっくりだ。
「佐々木のお兄さん、だよな」
だが、兄というにはあまりにも似すぎていた。そもそも、学ランから見るに、高校生だろう。つまり、最低でも同学年だ。ということは、双子だ。
なぜ佐々木が妙な真似を繰り返すのか。わざわざ怪我を繰り返すのか。そんな疑問が頭に浮かぶ。
彼の足を思い浮かべる。それを吊るし、折れてしまった金具。よくよく考えると、あんな不自然に折れるわけがない。彼の足元には毛玉が落ちていた。そして、ねじれたタオル。もしかして、彼はタオルをねじって、何か重いものをそこにぶら下げようとしたのではないか。それで、金具が耐え切れないと思い、やめた。なら、何をぶら下げようとしたのか。
どういうわけか、タイヤに身体をのせ、ぷらぷらと揺れるパンダの姿が頭に浮かんだ。
「普段なんも考えてなさそうな奴ほど、意外と考えているんだ」
佐々木の言葉を口の中で唱える。佐々木も、意外と考えていたのだろうか。悩んでいたのだろうか。焦りが募る。もしかして、彼がいつも短パンなのは、それしか与えられていないからではないか。痩せているのも、そうだ。
佐々木からもらった紙をめくる。確かに、あいつは二枚目と言っていた。一枚目はべつにあるのだろうか。いったい、何の二枚目なのだろうか。机の上に散乱した紙を思い出す。木を隠すなら森の中、ならば、彼は紙の中に何を隠したのか。
ぺらり、と音がした。手の中の紙を見る。
「俺は二番目のパンダだったよ。じゃあな」
遺書と書かれたそれを握りつぶしたとき、佐々木の病室から悲鳴が聞こえた。