呪術廻戦『檻の中に佇むモノ』獲得RTA   作:ほほほのほ

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おまけ4

 ようやく迎えた交流会の日。

 高専の入口で、京都校の出迎えのために全員が揃っていた。やけに大荷物を抱えた釘崎は、他の皆が手ぶらなことに驚愕していた。

 

「残念でしたね、野薔薇ちゃん」

「許さんぞ乙骨憂太ー!!」

 

 残念ながら彼女の希望とは異なり、開催場所はここ、東京である。

 京都の観光を夢見ていた釘崎は項垂れて手を地に付けた。

 星塚は気の毒に思い、暇になったら一緒に旅行でも行こうと声をかけるが、あまり効果はなかったようだ。

 

「おい、来たぞ」

 

 釘崎を慰めていると、ゾロゾロと京都校の連中がやってくる。

 その中にはこの前掴み合いになった真依もいる。星塚は威嚇するように彼女を睨みつけた。

 

「やだ、怖いわ」

「何あの子。カワイくない1年ね」

「ま、まだ始まってないんですからやめましょうよ……!」

 

 険悪なムードが漂う中、妙に大きな箱を代車で運びながら五条がやってきた。待ち合わせ時刻を微妙に過ぎている。

 星塚は中に何が入っているかを知っている。ろくでもない発想に付き合わされる虎杖を不憫に思うが、彼女にできることはない。

 五条は京都校の生徒には謎の人形を渡し、星塚たちの方へ戻ってきた。

 

「……んー?」

 

 星塚は布越しに五条と目が合ったような気がした。

 五条は長い足を見せびらかすように大股でこちらへ近付いてくる。何か粗相でもしただろうか、と星塚の肩が強ばる。

 

「椛、なんか顔色悪くない?」

「……そうですか?」

「あ、そういえばアンタ今日化粧濃いわよね」

「うぐ……!」

 

 図星を付かれ、言葉に詰まる。

 何せこのごろは時間があれば任務か訓練に明け暮れ、釘崎の誘いも断り続けていたのだから。

 星塚にも一応事情はある。

 五条を襲った2体の呪霊。里桜高校で対峙した真人とかいうツギハギの呪霊。

 立て続けに現れる特級呪霊たちに対抗するためには、研鑽を重ねる他ない。規格外の存在が彼女の気を急かしていた。

 

「今日は休んだら?」

「ですが、交流会が……!」

「頭数が減んのは困るけどな、体調が悪いオマエに無理を押して出ろなんて言わねえよ」

「しゃけしゃけ」

 

 真希の言葉に同意する狗巻。

 それでも食い下がろうとしていた星塚だったが、伏黒や釘崎の無言の圧力に屈し、不本意そうに頷いた。

 

「ま、頭数は気にしなくていいよ。あ、東京都の皆にもお土産を持ってきたからね!」

「ハイテンションな大人って不気味ね」

「悟、バカなこと言ってないで──」

 

 真希の言葉を遮るように、五条が運んでいた箱の蓋が中から勢いよく開かれる。中から出てきたのは──

 

「故人の虎杖悠仁君でぇーっす!」

「はい!! おっぱっぴー!!」

 

 死んでいるはずの虎杖であった。

 虎杖はうきうきしながら皆の反応を伺う。

 五条から前もって聞かされたように、皆泣いたり笑ったり、回りまわって地球温暖化すら解決するような反応を期待していた。

 だが、残念ながら全員絶句している。一ミリたりとも嬉しさを感じさせない顔に虎杖は驚愕する。

 助けを求めて星塚の方へ視線を向けるが、流石の彼女も首を横に振るのみ。

 

 余りにも冷え切った空気。皮肉なことに地球温暖化は解決しそうである。

 京都校の人間は五条のお土産に夢中でこっちを見てすらいない。

 思い描いていた光景と違う、と冷や汗が伝う虎杖。彼が入っている箱を釘崎が思い切り蹴りつけた。

 

「おい」

「あ、はい……」

「何か言うことあんだろ」

 

 虎杖の口から「え」と小さな声が漏れる。釘崎の眦に浮かぶ涙に、冗談ではすまないことをしてしまったことを察し、彼は申し訳なさそうに言った。

 

「黙っててすみませんでした……」

 

 

 虎杖合流の衝撃で話が流れそうになったが、交流会は結局虎杖と星塚が入れ替わりのような形になることに決まった。

 

「まったく、五条先生はセンスがないです。悠仁君を変なことに巻き込まないでほしいんですけれど」

「まあまあ、俺もノリノリでやっちゃったからさ。んじゃ、ゆっくり休めよ」

「……はい! ちゃんと見てますからね」

「あ、そういえば繋がってんのか。変なとこみせらんねえな!」

 

 釘崎たちや二年生に頭を下げて、星塚は寮へと戻る。

 見学だけでもするかと勧められたが、見知らぬ大人に囲まれながら観戦するよりも、自室でゆっくり虎杖の活躍を眺める方が気が楽なので辞退した。

 

 自室のベッドへ転がり、布団を抱き枕のように丸めながら星塚は術式の行使に集中していた。

 

『勝つぞ』

「仕切っている悠仁君もかっこいいですね……」

 

 残念ながらそのあとすぐに真希に蹴りをかまされていた。星塚がクスクス笑っているうちに交流会の開始が告げられる。

 そして始まってすぐに──猛獣のように呪霊も木々もなぎ倒し、東堂が襲来した。

 会議であらかじめ決めていた手筈通りに虎杖が彼を抑え、他は散開。

 

 化け物と称されたほどの実力がある東堂と虎杖、体格の差は一目瞭然、呪術師としての練度の差もある。

 だが、彼女は虎杖の勝利を疑わなかった。

 東堂は虎杖を殴る蹴る、ひたすらにその鍛え上げられた肉体をぶつける。やがて動かなくなる虎杖の身体。

 だが、それだけで終わる男ではない。虎杖は立ち上がり、頭から流れ落ちる血を乱暴に拭った。

 

『一年、名前は?』

『虎杖悠仁』

『そうか、虎杖悠仁。オマエに一つ聞きたいことがある。──どんな女がタイプだ?』

 

 寝具の上で寝ころんでいた星塚の身体が跳ねる。心臓は少しずつ動きを速めていき、体温が上がっていく。

 虎杖の答えは──

 

『強いて言うなら……(ケツ)身長(タッパ)のデカい女の子……かなぁ』

 

 その答えは東堂を歓喜させ、星塚を絶望へ叩き落した。

 なんとなくわかっていた。街中やテレビで彼が目を惹かれる女性、部屋に貼っているグラビアポスターやこっそり拾ってくる卑猥な本の傾向。

 それらから導き出される真実に見ないふりをし、現実を直視していなかった星塚。

 だが、今彼女は真実を眼前に叩きつけられた。彼の好みの女性が自分とは全く違うということを! 

 

 星塚は立ち上がり、姿見の前に立つ。平均身長にも満たない身長、控えめな膨らみの胸、なだらかな臀部。

 何故なのか。毎日コップ一杯の牛乳を飲み、8時間睡眠を欠かさないというのに、この身体は何故ここまで貧相なのか。恐らくは遺伝子の敗北である。

 

 ──東堂葵。彼は、彼だけは許しておけません……! 

 

 人はこれを逆恨みと呼ぶ。

 

 星塚が脳内で東堂をボコボコにし、東堂が脳内で謎の記憶を再生している中、木陰から京都校の連中が姿を現す。

 今まで全く影も形も見せていなかったというのに、示し合わせたように。

 不穏なものを感じ、星塚は顔を顰める。

 彼女の憂慮に違わず、虎杖に向けられる刀、銃口、鏃の数々。

 

「殺す気ではないですか!」

 

 幸い東堂の援護で事なきを得たが、こんな状況で交流会などと言ってる場合ではないだろう。憤りのままに、彼女は寮を出た。

 寮から交流会の現場まではそれなりの距離がある。星塚は必死に足を動かしていたが、途中で足を止める。

 

 謎の残穢。それを辿った先には、歪んだ人型が落ちていた。

 粘土をいたずらに捏ねたような、恐らくは補助監督だったであろう人間。

 すでに事切れているが、伝わる温もりから死んでそう時間は経っていないであろうことが伺える。

 つまり、下手人はまだこの辺りにいる。星塚は、このように人を弄ぶような真似をする呪霊を知っていた。

 

「あれ? まだ人間が残ってたんだ」

 

 背後から、声が聞こえた。死体があるこの場には似つかわしくない程に軽い声色だった。

 振り返れば、彼女の想定通りツギハギだらけの呪霊が立っていた。彼は星塚に気付くと、端正な顔を醜悪に歪ませて笑う。

 

「……君、虎杖悠仁の知り合いでしょ。ちょうどいいや」

「ちょうど……?」

「死体にして、アイツに見せびらかせてあげるよ」

「なるほど、歪んだ性根の持ち主ですね」

 

 星塚には、術式の副次効果か、他人の魂の在り方が薄っすらとだが理解できる。

 虎杖は言わずもがな、釘崎も、伏黒も、彼女にとっては心地いい魂の美しさをしている。七海が似ていると評した五条でさえも、星塚から言わせればその底を掬っても淀みはない。

 

 だが、目の前の呪霊は違う。無邪気な邪気、純粋な不純──そう言い表すのが適切だろうか。その魂は、混ざり気のない悪意で構成されている。吐き気がするほどだ。

 

 全身の細胞が警告を発していた。警戒すべきはあの両手。触れられれば足元の死体へ仲間入りだ。

 星塚は神経を集中させ、指先を手繰る。

 ここは建物の中だ。術式が使いやすくて助かった。天井へ、壁へ、粘着質な糸をくっつけて真人の掌を避ける。

 

「へえ、糸を操る術式なんだね。うーん……邪魔!」

 

 真人は両手を刃のように変え、張り巡らされた糸を切り捨てる。星塚は回避に徹するのみ。呪霊は面白くなさそうに口を尖らせた。

 

「躱してばっかじゃん。ちょっとは反撃してみたら?」

「お断りします」

「君、よくつまらない女って言われない?」

「……黙ってください」

「あれ? 図星?」

 

 攻撃に転ずるほどの余裕がない。迫りくる掌を僅差で躱しつつ、星塚はこの呪霊の目的を考えていた。

 五条がいる高専にわざわざ襲撃するのなら、何か大きな目的があるはずだ。

 だが、彼女はここに詳しくはない。考えても考えてもさっぱり分からない。

 

 真人の輪郭がぐにゃりと歪み、無数の矢のように尖る。先端が頬を掠め、血がにじむ。その痛みに気を取られた瞬間、悪寒が星塚の身体を覆いつくす。真人は、星塚に触れていた。

 

「さ、遊びはおしまいにしよっか。君の無残な姿を見て、アイツの魂は折れるかな?」

 

 その言葉に、彼女の何かが切れる。星塚は自身の魂に触れ、干渉しようとする呪力を感じていた。

 

「……私の」

「何? 遺言なら聞いてあげるよ?」

 

 そこまで言ったところで、真人は違和感を覚える。

 

「私の、心に、触れていいのは、悠仁君だけだああぁっ!!」

 

 星塚は真人による干渉を撥ね退けた。彼女は魂を知覚している。そこを意識的に呪力で覆うことで、抵抗を果たした。

 

「は、まさか──」

 

 己の術式が防がれた感覚。宿儺の生得領域へ引きずり込まれたときとはまた別の、未知の経験。真人は動揺し、一瞬隙が生まれた。

 今しかない。星塚は先ほどとは一転し、攻めの一手を講じる。

 

『あ? 武器だぁ? オマエにはまだ早えよ。ま、強いて言うなら鈍器だな。獲物を振り回しても自爆しづれぇ』

 

 真希から得たアドバイスを思い出しながら、星塚は糸を編み、棍棒を手の中に生み出す。そして呪霊の頭へ力いっぱい武器を振り下ろした。鈍い音とともに、鮮血がボタボタと垂れる。

 

 ──俺の天敵は、虎杖悠仁だけではなかった! 

 

 己だけでなく、他者の魂をも理解できる星塚は、真人にとってまさしく()()

 流れ落ちる血の感覚に高揚感を覚えながら、真人は喉を押し殺して笑う。術式自体が通じなくとも、他にやりようはある。

 

「ぅ、お゛え゛ぇっ!」

 

 喉の奥に押し込めた塊を吐き出した真人。星塚は突如としてえずき始めた真人に眉をひそめながらも警戒は解かない。

 小さな塊から徐々に人型を形成する何か。星塚はその存在に覚えがある。目の前の呪霊によって在り方を歪められた──改造人間。

 

「あの女を殺せ」

 

 真人の命令通りに襲い掛かってくる改造人間たち。星塚がその攻撃を受け壁に叩きつけられると同時に、外の景色が変わる。

 

「帳が……っ」

「俺もやることやらなくちゃね。今度はちゃんと殺してあげる。またね」

「待ちなさ──」

 

 その場から離れる真人を追いかけようとするも、その進路を改造人間が塞ぐ。

 

「邪魔しないでください!」

「たぁ……すけ……」

「──っ!」

 

 腕を振り上げたとき、目の前の相手から微かに人の言葉のようなものが聞こえ、星塚は腕を止めてしまった。

 改造人間は呪霊ではない、あくまで人間。死んでも死体はその場に残り続ける。

 人を殺すことで彼の隣に立つ資格を失う気がして、星塚は怖かった。

 

 棍棒を持つ手が震え、武器を取り落とす。改造人間の手が星塚へと迫る。逃げなくてはいけないと分かっているのに、思わず目を瞑ってしまった。

 

「大丈夫かい!?」

 

 肉が潰れるような音がして、星塚は眼を開く。物言わぬ死体となった元人間と、黒い服を着た成人男性。高専内で時々見かけたことがある、確か2級術師だ。

 

「あ、ありがとうございます……」

「怪我をしてるじゃないか! 早く家入さんのところへ向かおう」

 

 男に肩を借りながら、星塚は治療所まで赴くことになった。その胸には、苦みのようなものが広がっていた。

 

 星塚の足取りは重い。時間をかけて皆のもとへ辿り着けば、怪我人多数であった。あちらにも特級呪霊が出現したらしい。

 虎杖と東堂のコンビネーションでなんとか撃退はできたらしいが、五条の術式で現場は無茶苦茶。生死は確認できていないらしい。

 

「星塚、なんでオマエまで怪我してんだ?」

「……ツギハギの呪霊に遭遇しました」

 

 虎杖の息を呑むような音が聞こえた。伏黒や釘崎は何のことか分からずに首を傾げている。

 

「⋯⋯無事なんだな?」

「なんとか」

「じゃあ、良かったよ」

「ふふ、悠仁君も無事でよかったです」

「アンタら二人の世界作ってんじゃないわよ。ねえ伏黒?」

「いや、別にどうでもいい……」

「かーっ! 虎杖、このスカした男に何とか言いなさいよ!」

「別にスカしてねえだろ!」

 

 四人でピザを食べながら話していると、どこから現れたのか、東堂がぬるりと混ざりこんでくる。

 

虎杖(ブラザー)……!」

「……あなたは!」

 

 星塚は怨敵の存在を察知し、威嚇しようとした。だが、彼と目が合った瞬間、時が止まる。

 

 そして、星塚と東堂の脳内に溢れ出した──()()()()()記憶。

 

 普段は封鎖されているはずの屋上。手先が器用な星塚は簡素な南京錠をピッキングし、自分だけは出入りできるようにしていた。

 涼し気な風が吹き、長い黒髪を揺らす。

 たそがれるような彼女のもとに、影が掛かる。

 

「……葵君、その⋯⋯」

「皆まで言うな」

 

 その目元がわずかに赤みを帯びているのを見て、星塚はこれ以上言及するのはやめた。

 

「でも、葵君は立派ですよ。私なんて、いつまでも勇気が出ないまま……」

「星塚は虎杖の幼馴染だろう。元からある関係性を壊したくないと思うのは当然のことだ、そこまで気に病むことじゃない」

「ふふ、顔に見合わず気遣いのできる人ですね」

 

 屋上からは、絶好の告白スポットである桜の樹が見下ろせる。星塚はやや古ぼけたフェンスにもたれ、樹の下に佇む男女の姿を眺めていた。別にこんなことをしなくても下の様子は伺える。桜に覆われている片方の人物は、彼女の幼馴染なのだから。

 

『高田ちゃん? 話ってなんだよ』

『実はね──』

 

 そこまで聞いて、星塚は接続を切った。これ以上の言葉は不要だろう。

 高田ちゃんは自分とは違い、虎杖のタイプど真ん中の容姿だ。そんな彼女が彼に告白して、断ることなんてありえないだろう。

 星塚の目から一筋の涙が落ちる。

 

「あ、やだ。泣くつもりなんてなかったのに……」

 

 制服の端で拭っても、次から次に溢れる液体。視界は滲み、鼻も詰まってきた。とても彼には見せられない姿だ。

 

「星塚」

「……ありがとう、ございます」

 

 東堂は制服のポケットからハンカチを取り出す。アイロンをかけられてシワ一つない布を汚すのも忍びなかったが、星塚は彼の優しさに甘えることにした。

 香水か柔軟剤の芳香が漂うハンカチを目に当てて、失恋の痛みを耐え忍ぶ。

 これは罰なのだ。幼馴染という関係に甘え、一歩も進めなかった自分への。

 

「葵君、今度ラーメンでも奢りますよ」

「いや、俺が奢る方だろう。傷心のオマエに財布を出させるほど鬼じゃない」

「あはは……お金ないくせに。それに、あなたも失恋したでしょう」

 

 互いの想い人が互いの恋敵。思うところがないわけではないが、今はただ、二人は傷を舐め合う負け犬だった──。

 

「東堂の尾行をやめさせてほしい?」

「私も同級生から逮捕者を出したくないから、虎杖くんから止めてほしいの」 

 

 ちなみに二人の会話は全く恋も愛も関係ないものである。

 

「──はっ!」

「──い、今のは」

「なんか今アイツらトリップしてなかったか?」

 

 ようやく現実に戻ってきた二人。そして、華奢な手のひらと武骨な手が合わさった。

 

「私たちは……どうやら」

「戦友のようだな」

「おい星塚なんでこいつと分かりあってんだ!?」

「嘘でしょ椛! やめなさいそんなゴリラと!」

 

 異常者と異常者は惹かれ合う。ただそれだけのことである。

 

 

 

「はあ……」

 

 交流会二日目はあっという間だった。参加こそ許されたものの、心得のない彼女が野球で活躍できるわけもなく、三振凡退。パッとしない結果に終わった。

 

 京都校の連中はさっさと西へ帰っていき、虎杖暗殺の件もうやむやになった。納得はできないが、星塚が何を言おうとどうしようもないことなのだろう。

 己の力不足を感じ、心にモヤモヤが残ったままだった。

 寮の共有スペースで夜ご飯でも作ろうと降りてきたものの、気が進まない。冷蔵庫を開いたが、すぐに閉じて星塚はソファに凭れ掛かった。

 

「あれ、星塚?」

「悠仁君」

「どしたん、こんな時間に」

「お腹が減ったんですけど、何を作るか考えあぐねてしまって……」

「んー……あ! そうだ、ちょっと待っといて!」

 

 共有スペースに降りてきたかと思えば、虎杖はすぐに背を向けて帰っていく。不思議に思いながらも星塚は彼の帰還を待った。

 しばらくして、彼は手に何かを持って星塚の元まで駆け寄ってくる。ん、とぶっきらぼうに渡されたのは、一冊のノート。

 

「これは……」

 

 パラパラと中をめくれば、虎杖の手書きの文字が並んでいる。中身は料理のレシピだった。

 

「俺の料理のレシピ! 星塚、料理苦手だけどさ、それって目分量でやるからだろ。レシピ見ながらだと別に普通の味じゃん」

「だ、だって悠仁君は分量なんて測らずにぱっぱと作るじゃないですか!」

「俺は慣れてるから。まずはこれ通りに作れよ。せっかく適当じゃなくてちゃんと分量書いたレシピなんだしさ」

「う、分かりました。……今から作ったら、食べてくれますか?」

「当たり前じゃん!」

 

 虎杖の言葉に嬉しそうにはにかんで、星塚はエプロンを着ける。レシピには適量や適当だの作り手の匙加減に左右されるような記載はなく、どれも具体的な数値が記述されていた。

 

 包丁で野菜を刻みながら、気づけば鼻歌が飛び出していた。

 この本は虎杖が星塚のために書いてくれた唯一無二のものなのだ。これほど嬉しいことはないだろう。

 

「ご機嫌だなあ」

「あ」

 

 言及されてようやく自身が歌っていたことに気づき、星塚は顔を真っ赤にする。誤魔化すように咳ばらいをして、卵をフライパンに流し込む。

 

「ど、どうぞ……」

「いただきまーす!」

 

 机に乗った野菜入りオムレツ。卵でとじたら嫌いな野菜でも食べられるぜ、と虎杖が中学時代よく作っていたものだった。

 湯気が立つオムレツに箸が入り、虎杖の口へと運ばれる。星塚はその様子を瞬きもせずまじまじと見ていた。

 

 何度か咀嚼した後、虎杖の顔がほころぶ。

 うまいぜ、と親指を立てられて告げられた言葉に、彼女は肩の荷が下りたように安堵のため息をついた。

 

「ああ、良かった……」

「ありがとな、俺の分まで作ってもらってさ」

「いえ、私も食べてほしかったので大丈夫ですよ」

 

 自分の分にも手を付け始めた星塚。虎杖の腕には適わないが、それなりの出来だ。

 垂れ流されているテレビの音声をBGMに、二人は箸を動かし続ける。

 

「……里桜高校のさ、件なんだけど」

「はい?」

 

 虎杖はふと、手を止めて顔を上げる。

 

「順平のこと、助けてくれてありがとう。もし俺一人だったら、アイツは……」

「嫌ですね、私がやりたいからやったんですよ。お礼なんて必要ありません」

「でも、俺は星塚に感謝してる。だから言わせてほしい。オマエがいて良かった」

「……ハイ」

 

 少々ぎこちなく答えた後、星塚は立ち上がり、お手洗いだと告げて足早にその場を去った。

 耳まで真っ赤になった姿が虎杖に見られてはいないだろうか。それだけが懸念点だった。

 

「あー、もう⋯⋯すき……!」

 

 こみあげてくる熱に浮かされるような気分。まさしく有頂天。今なら死ねる。星塚は歓喜に包まれていた。

 顔の熱が冷めるまで、彼女は壁にもたれかかっていた。

 ──まだまだ夜は長い。

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