魂にはそれぞれ相応しい形がある。犬には犬の、猫には猫の、人には人の。
真人は自身の掌で生物の魂に触れ、その形を捻じ曲げる。一つ一つ、丁寧に歪めていけば、人であり人ではないものの完成だ。
己が肉の器と魂で出来ていることを知っている者は少ない。力のある人間──呪術師ならば呪力によって無意識的に自らの形を保とうとする。
だが、その呪霊にとっては赤子の抵抗にしか感じなかった。
無自覚に行われる生命維持反応と悪意を以て自発的に行われる攻撃。どちらの方が優勢かは言うまでもない。
だが、例外に最近真人は出会った。
一つ、虎杖悠仁。彼が内包する呪いの王は、完全状態とは程遠い姿であってもその格の違いを見せつけた。
二つ、星塚椛。術式によって人よりも魂を知覚する技能に優れた彼女は、有意識で抵抗し、魂の変形を防いだ。
困難は自らをより強くする。あれらをどう攻略するか? 考えるたびに頭は冴え、反対に身体は熱を持つ。
渋谷での計画決行まで、真人が二人のことを考えない日はなかった。
たまたまだった。
虎杖を探していた真人が駅の証明写真機の中に佇んでいたのも。
半身が焼かれ、意識朦朧状態の七海がその近くにたどり着いたのも。
虎杖を探して星塚が地下へ降り立ったのも。
「七海さん!? その怪我は……」
星塚は七海の火傷や流血に慄く。そのような重傷を負っているにも関わらず、鉈を振るい改造人間を屠る彼にも。
少し前に会ったときにつけていたみょうちきりんな眼鏡はなく、露になった七海の目元。彼に流れる海外の血故か、やや色素の薄い瞳はぼんやりとしていた。
声を掛けたにも関わらず、星塚のことに気付いていないようで、七海は何も応えないままただひたすらに殲滅を続ける。
「……ああ、もう!」
とにかくこの周りにうようよいる改造人間たちを始末してからでないと。
一瞬、星塚は躊躇したが──そのまま糸を手繰る。軌道上にあった人ならざるモノの首が綺麗に絶たれ、床に転がった。
七海は虎杖にとって大切な人だ。ならば、見知らぬ人間だっただろう改造人間たちとはその価値など比べ物にならない。
彼女の天秤は傾いた。
大量の改造人間を全て退け、ようやく星塚は一息つく。
七海へ声を掛けようと振り返ったところで、悪寒が走り彼の腕を強く引いた。
普段の彼なら1歩も動かなっただろうが、消耗しきった姿だったからか星塚の力でも簡単に動かせた。
「あれ? ざんねーん」
「あなたは……!」
七海の影に隠れて忍び寄っていた悪意。かつて里桜高校で、交流会の時に校舎で相対した呪霊──真人がその手を伸ばしていた。
星塚は七海を庇うように前に立ち、真人を睨み付ける。呪霊は肩を竦め、にんまりと笑った。
「久しぶりだね? どう、虎杖は元気?」
「悠仁君のことで貴方に話すことなど一つもありません」
「随分冷たいじゃん、俺たち魂で繋がった仲なのにさ」
「そんな仲になった覚えはありませんが……」
真人の瞳孔が広がり、掌が近付く。避ければ七海がその餌食になる。星塚はその掌を受け止めた。
己が己でなくなる感覚。それを必死に押さえ込み、端から端まで自分自身の形を保つ。
抵抗する間にも、星塚は指先からゆっくりと糸を伸ばしていた。真人ではなく、七海へと。
バチン、と星塚は真人の手を引っぱたく。その姿は先程と何ら変わらない姿だ。
「前にも言いましたが──私の魂に触れていいのは、ただ1人です。ご遠慮下さい」
星塚が指先を繰る。その先に繋がっている七海は、彼の意志とは無関係にここから遠ざかっていく。
「……星塚さん、何を」
「貴方をこの場から逃がします」
「待──」
消耗しきった彼がロクな抵抗ができないと知っていて、星塚は彼に糸を繋げた。微かな反抗こそ感じるが、ある程度は自由に操れる。
「へえ、その人間逃がしたいんだ」
「ええ。七海さんはそんなことしたくないんでしょうけど……仕方ありません」
もしも彼に真っ当な意識が残っていれば、星塚がどれだけ頼もうと彼は星塚を庇う、あまつさえ逃げ出すことなどしなかっただろう。彼は大人──子どもを守るはずだから。
だが、星塚は彼に死んでもらっては困るのだ。虎杖にとって彼の死が心の傷となることは間違いないだろう。
生き残った七海が何を思うかなど考えず、星塚は自分勝手に彼を生き残らせる。それが虎杖の為だと信じているから。
「俺が邪魔しないとでも思ってる?」
「いいえ、ちっとも!」
真人は改造人間を吐き出し、自身も七海の元へと向かう。
だが、ただの改造人間が星塚の操作の下とはいえ一級術師に適うわけもない。振り下ろされる鉈によって一撃で死んでいく。
そして真人は当然、星塚に阻まれた。
「あなたの相手は私でしょう?」
「うーん、まあそれでもいいか」
呪力を持った指先に火がつくような感覚。星塚は息を整え、目の前の悪意へと集中する。
術式に関する精度なら、星塚は真人に大きな遅れをとることはなかった。ほんの少し──1ヶ月にも満たない時間で、彼女は異様な成長を見せていた。
真人は歯を見せて笑い、ぐにゃりと肉体を変形する。
刃が肩肉を削ぎ取り、肉片は宙を舞った。
「ぐ、っ……」
痛みに顔を引き攣らせながらも、星塚は退かない。糸を手繰り寄せ、懸命に喰らいつく。
しかし、術師同士の戦闘において術式の精度だけで勝負が決まるわけではない。
肉体強度、身のこなし──身体能力が劣っている星塚の身体には生傷が増えていく。
疲労と痛みで彼女が姿勢を崩した瞬間に放たれた一撃。鋭く研がれた真人の腕が、星塚の耳部を半分に断つ。
冷たさ、襲った後、じんわりと込み上げる熱さと痛み。断面から吹き出す血液。耳の上半分が床に落ち、べちょりと音がした。
「もう少しでその顔面に刃が入ったのに。惜しい惜しい!」
「こ、の……!」
「でも、次は当たる。自分でもわかってんじゃない? 消耗しすぎだって。改造できないのは残念だけどさ、ただの死体でも虎杖の魂を折るのに十分でしょ」
険しい顔のまま、星塚はピタリと動きを止める。
「あなたは……」
「ん?」
「あなたは、悠仁君のことを何にも分かってない」
血と泥で汚れた星塚の顔。だが、紫紺の瞳だけは一欠片の淀みも濁りもなく、澄み切ったまま真人を射抜く。
たかが自分が死んだぐらいで、彼が折れる? そんなことはありえない。
例えどれだけ弱っているように見えたって、一番大事な芯のところは折れず、何度だって立ち上がれる。
星塚はそう、信じている。
「あっそ」
真人は心底関心がないような顔でため息をついて、一歩、地面を蹴る。
両腕の刃が星塚の首へ触れる直前──地を這うような低い声が轟いた。
「真、人ぉぉぉ!!」
避けようとした瞬間、真人の全身に魂を貫かれるような痛みが走る。
芻霊呪法『共鳴り』──同時刻、分身と戦っていた釘崎による攻撃が本体を捉えた。
横から叩き込まれる呪力の籠った拳。黒い火花が迸る。
真人は数メートル吹き飛び、壁へとめり込んだ。
「野薔薇ちゃんの術式ですか?」
「だと、思う。星塚……生きてて良かった」
「こっちのセリフです」
生傷だらけの星塚を痛ましく思いながらも、再会の喜びを分かち合う。だが、それよりもすべきことがある。
二人とも目くばせをし、真人のもとへと向かう。
瓦礫に埋まり、血だらけの真人の姿を捉える。虎杖が拳を振り下ろす前にその体が膨れ、破裂した。
肉片一つ一つが分身となり、辺りへ散らばっていく。
「分裂しやがった!」
「悠仁君、そっちじゃないです!」
その内の一つが呪力を放つ。星塚は魂の量で本体を判別できるが、虎杖は別だ。膨れ上がる呪力に釣られ、反対方向へと誘導された。
星塚が本体を追う。糸を紡ぎ、小型の槍を投げるが当たり所が悪い。総量こそ減ったが、大したダメージにはなっていない。
「……この感じは」
星塚は真人が進む方向から、自らの呪力が近付いてきていることに気付いた。心当たりは一つ。渋谷に行く前に釘崎に渡したはずの呪具だ。
妙な胸騒ぎ。早く真人を捉えなければと地を蹴るが、負傷もあり速度が出ない。
地上にいた分身と本体がすれちがう。追いついた虎杖は、何が起きているのか一瞬で理解した。
「野薔薇ちゃん!」
「は、椛と虎杖?」
「釘崎! 逃げろ!!」
星塚は本体の掌を抑えるために糸を伸ばす。糸の先は真人を掠めるが、届かない。間に合わない。
釘崎の顔面に、真人の掌が触れる。
目を開けば、沢山の椅子が置かれた真っ白な空間が広がっている。
昔はもっと狭くて、生き苦しくて、閉塞感に満ちていたはずなのに。
田舎になればなるほど高専や御三家の庇護は届かない。その地に根差す呪術師の家系の者が降りかかる厄災を退ける必要があった。釘崎の家系もそれにあたる。
釘崎の祖母は大層優秀だったらしく、早世することが多い呪術師の普通から外れて未だ現役の身だ。
母はそれに似なかった。単に才能がなかっただけなのか、祖母の扱きに堪えられなかったのか。釘崎はなんとなく後者の比重が大きそうだと思っている。
釘崎を産んで、その術式が相伝であることを確認した後、母はすぐに失踪した。
己を身代わりにするようだったが案外釘崎は恨んでいない。そこまで関心がない、というのが正しい。
祖母は十分な愛情を注いでくれた。生命に関わることなので呪術に関しては死ぬほど厳しかったが、それでも随分可愛がってもらった。
だが、地元にずっと居続ける選択肢は釘崎になかった。空を見上げれば曇天ばかり。殆ど青い空の見えない地元は、空模様に呼応するように陰気な人間ばかりだった。
一瞬で自分のことも周りのことも広がる。プライバシーの欠片もない。そのくせ他所の人間には排他的。
村の人間の全員がそんな胸糞悪いやつばかりだったわけではない。
でも、気が合うのは外からやってきた人たちだった。己の世界を広げてくれた友人も、憧れの人も、そうだった。
己が己であるために、釘崎は祖母の反対を押し切って都会に出た。
誰も己を気にしない。一挙手一投足をジロジロと観察するような輩はいない。自由だった。
世界がもっと広がっていく。
高専で出会った奴らは変な連中ばかりだった。
アホで声がデカい中身が小学生みたいなやつ。無愛想で都会生まれ都会育ちだからってすました顔してるやつ。目隠しした不審者、自称最強。
いつだって凛としていて、尊敬できる人。案外面倒見がよくて、でも語彙が変な人。パンダ。
皆、勝手に釘崎の心に土足で入ってきて、好き好きに椅子へ腰かけている。いつの間にそんなに心中に巣食ったのやら。
だけど、不愉快ではなかった。むしろ逆だ。
「だから、アンタも座りなさいよ」
遠慮しがちで、小心者で、でもどこか真っ直ぐな芯を持つ友人がそこに立っていた。
「まだ座れませんね」
「みんな勝手に居座ってんだから気にしなくていいのに。どっから椅子持ってきたのよ、まったく」
「……野薔薇ちゃん」
「いいの、自分でも分かるわよ。この後どうなるかなんて」
椅子にも座らず、丁寧に靴を脱いで立ったままの星塚は釘崎に近付いて、傷一つないその顔を撫でた。なんだかこそばゆくて、釘崎はその手を掴んだ。
「まだ手はあります。何のために野薔薇ちゃんにアレを持たせたと思ってるんですか」
「え? ああ、あのお守り。効果とかあんのね」
「ひ、ひどい……」
「冗談よ。で、どうすればいい?」
「大体は私が頑張りますから、野薔薇ちゃんはいつも通り……あなたらしくいてください」
釘崎は一瞬呆気に取られたような顔をした後──いつも通り、勝気そうな顔に笑顔を浮かべて言った。
「任せなさい!」
呪具には十分な呪力と術式を使えるように魂の一部を込めてある。一種の分霊のようなもので、魂を呪物化する技術を星塚なりに再現したものだ。
ほんの一部しか込められていないため、当然その性能は本体よりも劣っている。
今も襲い来る無為転変による変形を遅らせているだけにすぎない。時間が立つごとに押し負けてしまうだろう。
「本体と……繋ぎますか」
もう少し力を込められたならば、とも思うが、現状ではこれが手一杯だ。
これでは宿儺のような格上は言わずもがな、扱い慣れた自分の魂の情報をすべて1つに集中させるのなんて夢のまた夢だ。
呪物を作り上げた人物の技量は凄まじいのだと実感せざるを得ない。
外へと糸を伸ばす前に、外から内へと入ってくる糸。本体が事態を察し、伸ばしてきたものだ。
魂が合流し、1つとなる。ここからが本番だ。
「よし、やりますよ!」
触れられた箇所は左目付近。侵入してくる悪意を抑え込み、元の形へと直さなければならない。
眼窩を超えれば脳がある。ここが損傷すれば釘崎の生死に関わってくるはずだ。最悪でも眼球までで抑えなければ。
人、あるいは呪霊によって魂の捉え方は違う。
星塚にとって、魂の構成は1本の長い糸だった。それを好きな形に編むことで、立派な1つの魂が形作られる。
真人は横からその指先で糸を引っ張る。断ち切る。ぐちゃぐちゃに結ぶ。様々な手法で形を歪められた魂に波及するように、肉体もその容貌を変える。
呪力が淀みなく流れていく。星塚はほつれた糸を結び直し、引きちぎられた糸と糸を繋げる。歪みを直し、元の形へと戻していく。
釘崎が確固たる自我の持ち主であることも幸いして、魂の変形は避けられそうだった。
これで終わりだ。最後の攻撃を凌ぎ切り、星塚は安堵の息を漏らす。
釘崎の肉体と魂にだけ意識を集中させていた。その油断を突き、悪意の一部──ほんの一部が星塚へと矛先を向ける。
「──あ」
パン、と何かが弾けたような音がして、丸いものが空へと飛んでいく。片側の視界が暗く染まっていく。
それをどこか他人事のように眺めながら、星塚はぼんやりと思う。
私でよかった、と。
「星塚!!」
「余所見してていいのかよ!?」
真人が床を踏みしめる。その足元に転がっていた柔らかな球体を踏みつぶし、虎杖に重い一撃を加える。
黒い火花は微笑む相手を選ばない──真人の拳に黒い呪力が迸った。
「椛! こんの、馬鹿!」
「大丈夫、です。それより、悠仁君を……」
中身を失った眼窩から流れる血液を拭い、星塚は釘崎の背中を押す。気遣わげな表情の釘崎だったが、星塚を優しく床に置き、援軍に加わろうと立ち上がった。
だが、その肩を優しく押し、その場へととどまらせる者がいた。
「は? アンタ京都校の」
釘崎の言葉を待たず、男は石を投げ──手を鳴らす。邪を祓い、福を呼び寄せる拍手の音。
「祇園精舎の鐘の声。諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色。盛者必衰の理を表す。ただし‼」
石と入れ替わり、虎杖を一瞬見失った真人は己の前に立つ人間に顔を歪める。
「俺達を除いてな」
遅れてすみませんでした。
あとバー満タンになれました。
皆様のおかげです。お気に入り、感想もありがとナス!